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誘拐犯は旦那様?(5)

 ギルバートはふらふらと、トムに言われた部屋に入ると、ドアを閉めたところで崩れるようにして座り込んだ。

 窓辺は月明かりが僅かに入ってきているものの、明かりをともしていない部屋の中は薄暗く、それが返って胸に迫った。


『あの時交わした契約はここまで。これ以上はダメよ。『婚約ごっこ』は、もうおしまい。』


 その言葉が本心ではないのは、あのエメラルド色の潤んだ瞳が告げてきてはいた。

 しかし、あの時、トムが止めてくれなかったら、きっとこのどうしようもない焦燥感と欲望のままにさらにエリザベスを追い詰めてしまったことだろう。


「契約、か・・・・・・。」


 元はと言えば、エリザベスの言う通り、自分と彼女の関係は「契約」だった。


(だけど、僕の心はいつしか変わってた。)


 拝命した直後はエリザベスの言うように、恋仲のフリをして、ほとぼりが冷めたら、彼女の思うようにしたらいいと思っていたはずなのに、会えば会うほど不思議と心惹かれて、今じゃ彼女の居ない日々なんて受け入れられない所まで追い詰められている。


(こう言うの、何ていうんだったっけ・・・・・・。)


 ぬかるんだところに足を踏み入れて、抜け出せなくなって、まるで底なし沼みたいにエリザベスに惹かれている。

 それなのに彼女は、ギルバート自身の身の安全のためとはいえ、「契約を終わりにしよう」と口にし、自分を切り捨てられるのだと知って辛くなった。


 疲れと、ショックと、不安と――。


 考えが上手く纏まらないままに、這うようにしてベッドに辿り着くと、倒れ込むようにして横になる。


(リジーが僕の前からいなくなる?)


 そんなことは受け入れられない。

 そう思っている一方で、なぜここまでエリザベスに執着しているのだと、自分自身、不思議に思う。


(僕はそんなに頼りないのか?)


 それでも疲れが勝って、すうっと睡魔が襲ってくる。思えば、王立教会を後にしてからは、初めて続きで、馬車の荷台で一夜を過ごしたのも、馬で二人乗りも、エリザベスと言い合いも初めての事だった。


(トムが帰ってくれば、素直に辺境伯領に向かってくれると思ったのに・・・・・・。)


 エリザベスは頑なに自分にグニシア王国に戻り、エラルド公国に逃げろと言う。


「・・・・・・リジーの分らず屋。」


 ポツリと出てきた悪態は「頑固者」とか「意地っ張り」とかが続き、その癖、彼女の言う理由も分かるから、ギルバートは眉間に皺を寄せたまま目を伏せた。


(参ったな、リジーを納得させる術がない。)


 このまま、突き進んだ先にあるのはノーランド王国と三国の対立と、正教会と王立教会の対立の激化。仮に彼女が辺境伯の後ろ盾を得たところで、政敵として様々な者達が立ち塞がるのは目に見えている。

 エリザベスはきっと自分から離れようとするだろう。


 ギルバートは眉間に皺を寄せたまま、すうっと気絶するみたいにして眠りに着いた。


 ◇


 一方、同時刻。

 トムは蜂蜜入りのホットミルクをマグカップに注ぐと、エリザベスに手渡した。

 受け取ったマグカップの温もりが、じわりじわりと冷えきった指先を温める。


「それを召し上がったら、少しお休みになってください。」


 しかし、エリザベスはご機嫌を取ろうとするトに、「さっきの話、覆すつもりはないわよ」と答えた。


「・・・・・・もうこれ以上、彼を巻き込むわけにはいかないわ。彼は初めから住む世界が違う人だったの。今までが夢の中にいたようなものなの。」


 男爵家の令嬢とはいえ、伯父夫婦に居候扱いされていたり、ぼろのドレスを何度も着回したりしているような自分と違い、ギルバートは国一番の名門の家柄に生まれて、何不自由なく、最高級のものに囲まれて過ごしてきた紛れもない貴公子だ。


「嫌なのよ、そんな彼が私のせいで悪く言われるのも、危険な目に遭うのも。もしそれで彼が怪我でもしたら、私は自分で自分が許せないし我慢ならないわ。」


 エリザベスがそう眉間に皺を寄せて口にすると、トムは目を細めて「お二人して同じことを仰るんですね」と苦笑した。


「同じこと?」

「ええ、ギルバート様もお嬢様と同じように、お嬢様が『悪く言われるのも、危険な目に遭うのも我慢ならない』と仰っていましたよ。それにボイル家の嫡男のアルバート様との関係もありますから『このままだとエルガー公爵家とボイル公爵家の軋轢に巻き込んでしまう』と悔しげに仰っていました。」


 そして、近くにあった椅子を引き寄せて腰掛けると、躊躇いがちに「お嬢様、今、決断を出すのは時期尚早です。もう一度、お考え直しくださいませ」と口にする。


「今日、婚約式でギルバート様と祭壇前に立たれたお嬢様の姿こそ、本来、あるべきお姿なんですから。」

「いいえ、あれは『馬子にも衣装』なだけだわ。」

「そんなことはございません。お嬢様は多くの者には秘されてはおりますが、デーン家の尊き血を引かれていますし、英傑エドガー=スペンサーの孫娘でいらっしゃいます。スペンサー男爵家の総領娘が、エルガー侯爵家の分家となるだろう、エリントン子爵家に嫁ぐ事に、一体、何の引け目がございましょう?」


 ましてや、エリザベスは、万が一、その出生が明らかになった時も考えて、淑女としてのマナー教育も、諸外国の情勢についての把握の仕方も、領地経営を例に国の運営を理解するための素地も培われている。


「世が世なら、私など、こうして直接口を利くことも出来ぬ身分の方。むしろ、ギルバート様の方が引け目を感じてもおかしくない程のお生まれなのに、なぜ、そのように御身を卑下なさいます?」

「そんなの『もしも』の話だわ。私は王家としては認められていないし、今はスペンサー男爵家の総領娘でもない。何もかも失った『敗者』なのよ。世間で言うように『居候令嬢』に過ぎないし、なんなら教会に『異端者』扱いされている状況よ?」


 そうエリザベスが抑揚なく淡々と話すのを聞くと、トムはいよいよ堪らない気持ちになって言葉を詰まらせた。


 ああ、幸せになるのを諦めて欲しくないのに。

 思いが溢れきて、言葉が上手く出てこない。


 トムは自らの視界を遮るかのようにして目を伏せると、ギルバートと昼間話した内容を改めて口にした。


 ◇


「今から気を張り過ぎると疲れてしまいますよ?」


 王立教会をこっそりと抜け出した後、すぐに追っ手が掛かるはずがないのに、ギルバートは心配そうに何度も後ろを振り返っていた。


「そうですよね、でも、いつアルバートが刺客を放ってくるかと思うと、気が気ではなくて・・・・・・。」


 穏やかな昼下がりの田舎道を進む中、不安そうにしているギルバートは、エリザベスの髪を指に巻き付けながら、何とか気を紛らわせているように見える。


「御身はきちんとお守りしますよ。」


 トムがそう話して宥めても、ギルバートは憂い顔のままで眉間に皺を寄せて「その事ですが」と言葉を濁した。


「父やエドガー様に『くれぐれもよろしく』と言われた後で、返事をしにくいお願いだとは思うんですが、もし僕かリジーのどちらかを守らねばならない事態に陥ったら、迷わずリジーを連れて逃げてくださいね。」

「・・・・・・それは確かに返事をしにくいお願いですね。」


 トムが肩を竦めながら「まあ、まずはそういう事態に陥らないように善処します」と話を流そうとしたものの、ギルバートは首を横に振り「どうか約束してください」と続けた。


「僕は誰かにリジーを悪く言われたくないし、もう危険な目に遭わせたくないんです。そんなの我慢ならない。」


 イザベラ嬢主催のお茶会の時も、スペンサー領の邸での伯父家族の前から連れ出した時も。何故、エリザベスをあんな風に目の敵にして、悪し様に蔑むのかと腹立たしくてたまらなかった。


「リジーも僕もただ静かに平穏に過ごしたいだけなのに。正教会のやりようは、いくら神託の巫女といざこざがあったにせよ、酷過ぎます。まるで神にさえ見放されたような心地ですよ。」


 それはトムも同感だったから「お嬢様のご婚約者が、お嬢様思いの方で良かった」と話し、パシンッと手綱をしならせて鞭打つと馬に先を急ぐように合図した。


「私も、もう神は信じていません。今世で救ってくれない神が、来世で救ってくれるとは到底思えませんしね。習慣でミサには行きますが、昔のような敬虔な気持ちは持ち合わせていません。」

「・・・・・・そんなにハッキリ言っては、いずれの教会からも目をつけられますよ?」

「それでも構いませんよ。それに教会の奴らの目が節穴なんですよ。こんなにハッキリと『神など信じない』と言っている私を野放しにしておきながら、エリザベス様を捕らえようとするのですから。」


 空は青く、日差しは夏のそれから、少しずつ秋の気配が混じり始めているとはいえ、未だ眩しい。

 トムは馬がバテ過ぎないようにスピードに気をつけて手綱を捌く。そして、ギルバートに「暑ければ後ろを開けても大丈夫ですよ」と話した。


「神など信じないか・・・・・・。」


 寝苦しそうにするエリザベスの様子に、ギルバートは揺れに気をつけながら垂れ幕を開ける。

 心地よい風と共に、後方へと流れていく田園風景が広がって見えた。


「ええ、五年前、私は神に祈る事を完全に止めました。神に何度も祈りましたけれど、そんな事をしても、誰も何も助けちゃあくれませんでしたからね。」


 ポツリと呟くトムの声に、ギルバートは馬車の荷台に凭れたまま、耳を澄ませる。

 トムは独り言を口にするようにして、ずっと胸の内に秘めていた話をすることにした。


「ギルバート様はお嬢様から五年前の話は聞いていらっしゃいますか?」


 馬車のガタガタ言う音が沈黙を補う。


「ええ、軟禁生活を強いられた頃ですよね? 簡単には話を聞きました。」

「そうですか。それなら話は早いですね。あの時、私とベン、それからリチャードは、情けないことに、エドガー様に毒を盛った罪とやらで捕まって、碌な調べもせずに地下牢に押し込められていたんですよ。」


 トムはそう言うと苦笑交じりに「揃いも揃って平和ボケしていたんですよね。すっかり役立たずてでしたよ」と肩を竦めた。


「しかも、虚偽の自白をしなければ、アンやサム、そして、お嬢様の安全は保証できないと脅されましてね。あなたのお父上のルーカス様が助けてくださるまでは、外に出たくても出られないし、幾度となく鞭打たれて、酷いものでしたよ。」


 けれど、リチャードも、ベンも、そして、自分も。エドガーさえ生き残れば、まだ道は開けると思って歯を食いしばって、キース達の横暴に耐え続けた。


「今も、時折、(うな)されて飛び起きますよ。三人ともそうしたことに対抗する訓練も受けていた退役軍人だというのにです。あの訓練があればこそ、私たちは辛うじて耐えましたが、そうでなければ、早々に心折れて、自白して、今頃、縛り首で死んでいたでしょう。」

「そのような酷い目に・・・・・・。」

「ええ、でも、そんな自身の状況よりも堪えたのは、長年、仕えていたエドガー様の窶れたお姿と、傷だらけで痩せ細ったエリザベス様のご様子を拝見した時でした。」


 特にエリザベスは憔悴しきっていて、声をかければ辛うじて受け答えはしてくれるものの、心に蓋をしてしまったのか、微笑むことも、嘆き悲しむこともなくなってしまった。


「今のお嬢様からは想像もつかないと思いますが、あの頃のお嬢様は『感情』というものが、全部、ごっそりと無くなってしまっていたんですよ。」


 しかも、伯父であるキースはルーカスやエドガーの手前、エリザベスに食事を摂るように無理強いをした。


「・・・・・・で、可哀想に、益々、食べられなくなっちまったんです。」


 キースのいる前では何とか食事をするものの、食事の時間が終わると、すぐにバスルームに駆け込んみ、嘔吐を繰り返してしまっていたのだという。


「以前のように、感情を発露させてくれるようになったのは、一昨年の水害の後、御身自ら、被災地を回られるようになってからなんですよ。」


 途方に暮れている被災地の領民の傍らで、エリザベスは黙々とドレスが汚れるのも厭わずに、黙々と彼らの片付けを手助けし、秋が深まり寒くなってくると、邸の備蓄を使って炊き出しを主催して、頼ってやってきた老若男女にスープやパンを配って、徐々に笑ったり、泣いたりするようになった。


「ですから、お嬢様を広い世界に連れて行ってやってください。お嬢様はもっと自由に生きるべきだ。」


 トムの知っているエリザベスは、年の割には酷く現実主義的で、最後は「きっと望み通りにはいかないだろうけど」と苦笑する。そんな令嬢だった。


「あなたと過ごされてからのお嬢様は、少しずつ変わられてきていると聞いています。」


 婚約請願書に自らサインしてから、徐々に、でも確実に――。


 ギルバートのために刺繍をしたり、王城に電撃登城したりする。


「あんなに嬉しそうなお嬢様を見たのは本当に久しぶりでした。」


 祭壇前へと少し緊張した面持ちながら、ギルバートの姿を見た途端、嬉しそうに微笑むエリザベスを見て、トムはエリザベスにとってギルバートが心の支えになっているのだと感じた。


「私はもう、お嬢様に『生き長らえるのが目的』のような、あんな無為な時間を過ごして欲しくないんです。」


 戦争や災害で多くの人を弔ってきたからこそ余計に思う。


「お嬢様には幸せであって欲しい。それは屈託なく笑っていたお嬢様を知っている者にとっては、悲願なんですよ。」


 どうか幸せになることを諦めないで欲しい。

 どうかもっと自由に生きて欲しい。


 そして、その思いはエメラルド色の瞳を伏し目がちに、自分の作ったホットミルクを手しているエリザベスを前に最高潮に達していた。

 胸の内がやるせなさで埋め尽くされて、息苦しさを覚える。トムは目頭を熱くさせていた。


「お嬢様、せっかく手に入れた幸せをむざむざ捨てることはないんですよ?」


 表情を消したエリザベスは、祖父譲りの凛とした気配は残したまま、真っ直ぐと見詰めてくる。


「トムは、ギルバート様に『手に手をとって一緒に逃げて』と言うのが最善だとでも言うの? 彼は私とは違うわ。」


 確かに今回の逃避行は、前回、氷華の離宮に身を隠していた時とは違う。

 トムもそれは分かっているし、エリザベスが躊躇う気持ちもよく分かる。エリザベスの母、ベアトリスの最期を思えば自分だって躊躇する。


 けれど――。


「何が違うってんです? ギルバート様もお嬢様も何も違いませんよ。」


 自分の指を細い指で握っていた、小さな赤ん坊だったエリザベス。自分の作る離乳食を、一生懸命に食べていた彼女は、トムにとっては自分の子供のように可愛くて、だからこそ、この決断には反対だった。


「少なくとも、今はまだギルバート様に甘えていらっしゃっていてもよろしいかと存じます。お嬢様とて、ギルバート様と離れたいわけではないのでしょう?」

「それは、そうだけど。」

「ならば、この話はおしまいにしましょう?」


 ホットミルクを飲んで、温かな布団にくるまって寝る。まずは心と体を休ませるべきだ。


「頭にきている時と、疲れている時は、ろくな判断が出来ないもんです。」

「でも・・・・・・ッ。」

「じゃあ、こう考えてください。俺の仕事はお二人をグロースター辺境伯領に無事に連れていくこと。俺の仕事のために辺境伯領までは、一旦、その考えは封印。」


 仕事だと言われると、エリザベスは開きかけた口を閉じ、「そうね、トムの言う通りだわ」と納得する。


「まあ、お嬢様に『手に手をとって一緒に逃げて』なんて仰られたら、ギルバート様の理性が壊れるんじゃないかとは心配にはなりますけれど。」

「トム、ギルバート様はそんな方ではないわ。」

「いいえ、そういうお話ですよ。我慢させたあとの男の理性ほど、吹っ飛びやすいものはないんですから。ベアトリス様の時は大変だったんです。全く触れ合うなとまでは言いませんが、一線を越えるのは、順序通り挙式後にしておいて下さい。」

「な・・・・・・ッ?!」

「さあ、明日も早いんです。どうぞベッドへ。」


 そして、「ちゃんと鍵をかけて寝てくださいね」と手をヒラヒラとさせて部屋を出ていこうとする。


「え、ちょっと待って。トムはどうするの?」

「ん、少しばかり行くところが出来ましたので出てきます。大きな荷物だけ預かっておいてください。」


 大事な包丁一式が入っているんで、と言われてしまえば、エリザベスは不服げな表情をしながらも、こくりと頷くしか出来なかった。

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