誘拐犯は旦那様?(1)
ガタゴトと身体が揺れる感覚にエリザベスが目を覚まし、天井を見れば、荷馬車によくある幌が見えた。驚いてガバリと起き上がると、近くには片足を立膝にして、すうすうと寝息を立てているギルバートの姿がある。
(え、ちょっと、どういうこと・・・・・・ッ?!)
エリザベスがそう思うのも道理で、王立教会の控え室で着替えたあと、仮眠を取っていたはずなのに、気がついたら馬車に移動中なのだ。
(誘拐、とかじゃないよね・・・・・・?)
きっと自分だけなら、パニックになっていたのだろうが、ギルバートが安心して寝ている様子から判断するに、そう危険は差し迫ってはいないのだと思う。
エリザベスは気を付けて前方の窓から御者の姿を窺ったが、そこにはサムとも、公爵家の御者とも違う男性が、馬を操っていた。
「・・・・・・トム?」
いやいや、まさか。どうして祖父付きのコックが御者をしているのか。スペンサー男爵家としては何でもやれる家事使用人が多いとはいえ、さすがに料理長が御者をやるとは思えない。
しかし、エリザベスの期待は見事に打ち砕かれて、声をかけられた御者は手綱を引いて馬車のスピードを落とすと、僅かに振り返り、「お久しぶりです、お嬢様」と笑った。
「な・・・・・・、え、・・・・・・何で、トム?」
「おや、旦那様には話を聞いていないんで?」
「ええっと、ギルは、今、眠ってるの。」
「そうでしたか。お嬢様を連れ出す時に『よく寝ているのに起こすのは忍びない』って言うんで、眠っていらっしゃるまんま、連れ出されていらっしゃったんですけどね。ギルバート様も疲れていらっしゃったんでしょう。」
「・・・・・・私を連れ出したのはギルなの?」
「ああ、まずはその辺りから説明しないとダメでしたね。ただ事情をお話ししたいところですが、私はこの通りの状態ですし、もうすぐ日も暮れます。もう少しで野営地に着きますんで、しばらく待ってて貰えますか?」
トムに、スペンサー家で料理をしている最中に「今、火を使っているから後で」と言う時と同じようにして、「しばらく待ってて貰えますか?」と言われてしまうと、長年の習慣もあってか、エリザベスは頷くしかなくて「分かったわ」と答えた。
荷馬車の中はエリザベスとギルバート。
薄闇で見えにくいものの、木箱が二、三つと、寝具が少しばかりあるばかり。ギルバートは酷く疲れているのか、エリザベスが毛布を掛けても起きる気配はなかった。
馬車の後部から見える景色は夕闇で、ガラガラと車輪の回る音はするものの、王都の轍だらけの道を進むよりは揺れは少ない。
(変なの・・・・・・。)
ギルバートも自分も昨日までと何一つ変わらないのに、互いの指に揃いの指輪が嵌っているのを見ると、擽ったいような気持ちになって落ち着かなくなってしまう。
(でも、なんだって荷馬車で揺られてるのかしら?)
婚約式は指輪の交換のところまでは何とも夢見心地だった。
白い豪奢なドレスに身を包んで、ヴェール越しに見ているはずなのに、やけに世界が色鮮やかに感じて、それにギルバートの礼装姿が格好良くて、目が合った時には特に幸せで――。
(確かにその後は散々ではあったけれど・・・・・・。)
それが目を覚ましたら荷馬車の中なので、ここに指輪を嵌めたギルバートの姿がなかったなら、どこから夢でどこから現実なのか分からずにパニック状態になった事だろう。
「そろそろ着きますよ。揺れますから掴まっててください。」
トムの声に我に返り「分かったわ」と答えた直後、ガクンと車体が大きく揺れて、ギルバートの身体が傾ぐ。
咄嗟に手を伸ばすと、ギルバートは僅かに目を開けて、やや乱暴にその手を取り、エリザベスを引き寄せてから、一拍置いて「あれ、リジー?」とやや寝惚けた声で訊ねて来た。
「起きたの・・・・・・?」
「え、ええ、少し前に・・・・・・。」
「そう。大丈夫?」
何をもって大丈夫と言ったら良いのか、逡巡しつつ、「たぶん」と答えたところでバサリと後ろの覆いが暴かれる。そして、顔を覗かせたトムは「お嬢様、到着しましたよ」と口にしてから、エリザベスの腕を捕らえたままのギルバートの様子にバツの悪そうな顔をした。
「・・・・・・あー、お取り込み中でしたか?」
すると、自分が寝惚けていた事に気が付いたのか、ギルバートはやや恥ずかしそうに、はにかんで「いや、大丈夫だよ」と苦笑する。
けれど、手を掴まれたままのエリザベスは、トムが「そうですか」と微笑んで、「私は馬を預けてきますね」とそそくさと去って行くと、後からじわじわと気恥しさが襲ってきて、顔を真っ赤にして俯いた。
「何だか気を遣われてしまったみたいだね。」
そう言いながらも、掴んだ手を離さずに、逆に自らの懐にエリザベスを捕らえようとしてくるから身をよじる。
「トムが戻ってくるわ。」
「どうだろう? しばらくは戻ってこないんじゃないかな?」
「ギル、普通、婚約式後は四十日間はなかなか会えないって言ってなかったかしら?」
「んー? そうだったっけ?」
そう言って空惚けるギルバートの様子に、エリザベスが「もうッ! 何がどうなっているのか教えてッ!」と怒れば、ギルバートは嬉しそうに目を細めて「ひとまず気落ちはしてないようだね?」と笑った。
「気落ち?」
「うん、心配してたんだよ。あんな風に神託の巫女に目の敵にされてしまったから。また、呼吸する方法を忘れられちゃったら、って・・・・・・。この間のあれ、酷く苦しそうだったろう?」
確かに異端審問などと言われて、心中、穏やかならぬのは事実だったが、エリザベスはギルバートが傍に居てくれているだけで、不思議と取り乱すまでには到っていなかった。
「・・・・・・大丈夫ってその事です?」
「うん、平気?」
「ええ、何なら久々にぐっすり眠ったせいか、いつもよりスッキリしてるくらい。」
エリザベスがそう答えると、ギルバートは「確かに本当にぐっすり眠っていたよね」とくすくすと笑う。
「エドガー様が起こしても、僕が馬車に運んで見ても、何なら道中、鼻を摘んでみても起きなかった。」
「な・・・・・・ッ。」
「アンが『どうしても起きなかったら、濡れタオルで顔を拭いて上げてください』って言ってたけど、もしかして寝起き悪いの?」
「うう・・・・・・ッ。」
エリザベスは「休む前に薬を飲んだんです」と唇を尖らせ、「でも、久々に飲んだから効きすぎたんだわ」とむくれる。しかし、ギルバートは「別に僕は構わないよ。愛しのリジーの可愛い寝顔を堪能できるから」とやけに上機嫌だった。
「な・・・・・・ッ!? 愛しのとか、何でそういう事をサラッと言うのッ!?」
エリザベスが顔を真っ赤にすれば「じゃあ、最愛の奥様?」と、首をこてんと傾げて訊ねてくる。エリザベスはますます困ってしまって、眉を顰めた。
「失礼します。」
トムの声にギルバートが「遠慮なさらずにどうぞ」と声を掛ければ、再びトムが顔を見せて「お二人ともお腹が空かれたのではございませんか。何か軽食をお作りしますよ」と困ったような顔で話す。
「・・・・・・ちょっと、トム。馬車を停めたら、状況説明してくれるんじゃなかったの?」
「あ、いや、その辺りはギルバート様が起きられたなら、直接聞いてくださった方がよろしいかと。」
エリザベスが不服そうに片眉をあげた瞬間、思いがけず「ぐう」と大きな音でお腹の虫が鳴り響く。エリザベスが顔を真っ赤にして恥ずかしがると、ギルバートは喉を鳴らすようにして笑った。
「リジー、僕もトムに賛成だな。いったん、腹拵えをしようよ。トムの腕は一流なんだろう?」
それにはエリザベスも肩を竦めて「ええ、一流よ」と答える。トムは初々しい二人の様子を微笑ましく思いながら、木箱を開けると何やらゴソゴソと食材を取り出していた。
◇
「・・・・・・つまり、また、お祖父様達公認で駆け落ちってことですか?」
「うん、今度は『大公殿下のお膳立て付き』にグレードアップしてるけどね。」
夜になり、少し冷えてきたのもあって、トムは温かなスープを作ってくれて、エリザベスはギルバートに身を寄せた状態で飲んでいたが、この時ばかりは驚きのあまり、持っていたスープカップを取り落としてしまいそうだった。
「え、大公殿下まで関わっているんですか?」
「そうだよ。今までの経緯を色々と説明していたら、急に『エリザベス嬢を誘拐してみないか?』と持ち掛けられたんだ。」
大公殿下としては大公妃にエリザベスを迎えるのは願ってもない事だが「正教会の思うままには振る舞えない」のだそうだ。
「例の彼女が大公殿下を指名してくれたおかげで、逆に大公殿下は手が出せなくなったらしい。」
「・・・・・・そういうもの?」
「うん、そういうものらしいよ?」
けれど、あのまま、グニシア王国にいれば、今度はボイル公爵家が動き出すとギルバートはフィリップからのメモを取り出した。
「それは?」
「フィリップから、リジー宛だ。」
そこには受け取って読んでみると、「アルバートに気を付けて」と書いてある。
「アルバート?」
「ボイル公爵家の嫡子の名だよ。大公殿下と彼には目をつけられないように気を付けていたのに、本当に思ったようにいかない。」
エリザベスが首を傾げれば、ギルバートは「大公殿下は二つから選べる立場にあったんだ。僕をとるか、アルバートをとるか」と話す。
「大公殿下からみて、アルバートは従兄弟だ。縁もゆかりもない僕よりも、君の預け先としては彼の方を選ぶ可能性が高かった。」
「・・・・・・でも、そうならなかった?」
ギルバートがどんな交渉をしたのか、エリザベスには知る由のないことだし、聞いても、今以上に愕然とさせられそうだったから、それ以上を問うのは止める。
「そういうこと。でも、そうと決着すれば、アルバートは専門の『影』を雇っているからね、さっさと逃げ出してきたんだよ。」
「『影』?」
それにはスープの入った鍋の底をかき混ぜていたトムが「平たく言えば暗殺者集団ですよ」とさらりと答える。
「あ、暗殺者集団?!」
「ええ、あれに狙われると、街中では襲われ放題でしょう。幾つかの派閥がありますが、彼らは雇い主に忠実です。」
「うちのは暗殺者というより、情報屋って感じなんだけどね。リジーも騒乱橋で会っただろう?」
そう言われて、ようやくフィッシュアンドチップスの店の店主たちの事かと合点はいったものの、なんでそんなことをトムが知っているのかが不思議だった。
「ねえ、トム。なんでそんなこと知っているの・・・・・・?」
「ああ、エドガー様の配慮だよ。トムさんなら『影』と渡り合える凄腕だからって仰って。」
「へ・・・・・・ッ?!」
エリザベスがポカンとした顔になると、トムは「あー、その辺りはお嬢様には話してなかったんですよね」と言葉を濁す。
「もともと私はヴェールズ公国の出で、傭兵として過ごしてたんです。ベンとはエドガー様の率いていた大隊の中で、各々一個隊を率いる立場だったんですよ。けれど、戦争が終わって、そのせいで私たちが路頭に迷いそうだと知って、エドガー様が助け舟を出してくださったんです。」
多くの者は貰った給金を元手に商売をしたり、家族の元へ帰ったりと平和な世界へ戻って行ったものの、トムの故郷のものは早くに戦禍に巻き込まれたこともあり、帰る家もなくなっていて、エドガーに自分の元に残るように言われたのだという。
「人当たりの良いベンの方は用心棒の引き合いも多かったようなんですが、当時の私は今よりもう少し引っ込み思案でしてね。」
話を聞いたベンが「俺もエドガー様に厄介になる事にしたからお前も遠慮すんな」と言ってくれて、そのまま居着くことになったそうだ。
「最初は街中の小さな家で、奥様とごつい三人の共同生活で、掃除、洗濯、何でもやっていたんですけど、『他は人並みか、それ以下だが、料理は上手いから第二の人生はそれを極めろ』と言われて・・・・・・。」
トムが「気がつけばもう三十年以上が経っていたんですよ」と笑うから、エリザベスは目を丸くしていた。
「サムにも、ベンや私が護身や護衛の方法を直接指導して教えこんではあるんですが、あいつは平和な時代しか過ごしていないですからね。『人を殺す』事には躊躇いが生じましょう。」
しかし、相手が殺しに掛かってきた時、その躊躇いが命取りになる。そう話すと、ギルバートは神妙な面持ちになり「ボイル公爵家の『影』はそれほどまでに危険なのですか?」と訊ねた。
「ボイル公爵家に限りませんよ。情報屋みたいに使っているエルガー公爵家が特殊なんです。」
トム曰く、『影』の世界でエルガー公爵家になりたいものは多く、今回のエリザベスの輿入れでその定員が増えるのではないかと、みんな機を狙っているのだと肩を竦める。
「エルガー公爵の『影』は、ギルバート様もご認識の通り、ルーカス様が契約条項として『暗殺を命じることはない』としていますし、適宜情報を流せばいいだけ。命を狙われる事も、捨て駒にされる事も稀ですからね。」
一方、他の家の『影』となるとそうした保証はなく、雇い主の依頼によっては自分の命を危険に晒さないといけないらしい。
「エドガー様やベアトリス様に毒を盛られた時も、あの日、私やベンが外出を余儀なくされていなければ、お二人を未然に助けられたかもしれなかったのですが・・・・・・。」
そう口にしたトムはコックの服を着ている時には見せたことのない、神妙な面持ちになり、「ですので、エリザベスお嬢様のことはこの命に替えてもお護りしますよ」と微笑んだ。




