白百合姫と神託の巫女(1)
ヴェールズ公国の大公殿下がグニシア王国入りしたと聞いたのは、婚約式の前日の夕方頃で、エリザベスがちょうど入浴している時間帯だった。
普段なら朝早くに入る目覚めのための湯浴みは、今日は色々こなした後、一日の疲れを流すための湯浴みになってしまって、エリザベスはウトウトとしながら話を聞き、そして、そのまま話の内容もろくに聞かずに、メイドの問い掛けに「ギルの言う通りに」と返事をしていた。
「・・・・・・本当によろしいのですか?」
「え? 何が?」
「エドガー様とのお食事会の件です。」
「お食事会・・・・・・?」
湯上りにレベッカに髪を編み込まれながら、渋い顔をするアンに「そうですよ」と言われる。
「もう、だいぶお疲れだったんじゃないですか? この後、外出なさるだなんて、湯冷めなさいませんでしょうか?」
「・・・・・・いや、ちょっと待って、この後、出掛けるの?」
「ええ、ギルバート様がお伺いを立てましたでしょう?」
(えーっと?)
必死に思い出して、半分ウトウトしたところで、メイドの一人が途中声をかけてきたのを思い出す。アンには渋い表情はそのままに「まさか生返事でしたの?」と訊ねられた。
「あ・・・・・・いや、ほら、最近、お祖父様にも会ってないなあ・・・・・・と、思って・・・・・・。」
あ、はい。半分、寝ながら返事しました。
そして、「神様の言う通り」並に「ギルの言う通り」と言ってしまったのも事実です。
しかし、そんな事を弁解しても、既に受諾されたスケジュールは覆らない。
鏡越しにレベッカが「あらあら」といった表情で笑っていて、エリザベスは「ギルが断ってくれれば良かったのに」と口を尖らせると、アンは呆れた表情に変わり「お嬢様」と咎められた。
「エドガー様はお嬢様を目が入れても痛くないほどお可愛がりですのに、その孫娘の花婿が無碍にお断りになれるとお思いですか?」
「う・・・・・・ッ。」
「むしろ、ギルバート様もお疲れでしょうに。御礼を言うのが先ですよ?」
「はーい。」
鏡越しに返事をすれば、アンは「全く」と肩を竦めて「お召し物をご用意致します」と着替え用に用意してくれた。
「ギルに合わせたドレスを用意してくれる?」
「ええ、心得ております。」
そう言ってアンが立ち去るのを確認して、エリザベスが「はあ」と安堵のため息を吐くから、髪を結い上げてくれていたレベッカは、いよいよ堪えきれなくなったのか、ふふっと笑みを漏らした。
「失礼しました。」
鏡越しに目が合って、レベッカは澄まし顔に戻る。けれど、エリザベスは柔らかく微笑むと「ああ、気にしないで」と答えた。
「アンにはいつも敵わないの。生まれた時から付き合いだから仕方ないんだけど。」
「エリザベスお嬢様の乳母だと伺っております。」
「ええ。さらに元々に戻ると今は亡きスペンサー家の前侍女長の娘として、母にも長年仕えていたんですって。」
リチャードとの間に生まれた子はあいにく男の子で母娘三代で仕える事は適わなかったと言われるけれど、代わりにその子から母親を奪うような感じにしてエリザベスに仕えてくれている。
「アンの息子さん・・・・・・、もしかしてサムさんですか?」
「それ、アンに言ったら怒られるわよ?」
エリザベスはくすくすと笑い、それからふっと寂しげな目になると「私が四つか、五つの時かな、流行病で亡くなったの」と話す。
それ故、引き離されている合間に、窶れてしまったエリザベスが、ルーカスやコックス子爵家の協力で助け出されると、本物の母親かそれ以上にエリザベスの事を労り、慰めてくれた。
「まあ、逆にサムは私と同じで早くにお母さんを亡くしているから、擬似家族みたいなものかもしれないけれど。アンがお母さんで私たちは兄妹。」
幼い頃、サムに「お嬢は奥様もアンも居て、二人もお母さんがいるなんてずるい」と拗ねられたのを思い出す。
代わりに「ベンだけじゃなく、リチャードとトムにも可愛がられて、三人もお父様がいるじゃない」と口を尖らせたら「父さんは熨斗つけてお嬢にやる」と言われた事もあるけれど、今じゃ、懐かしい思い出だ。
「サムに言う分には怒らないと思うけどね。」
エリザベスはそう話しながら「それにしてもレベッカは器用なのね」と目を細めた。三つ編みをいくつか作ったなと思ったら、ピンを使ってシニョンを作っていく。
自分だと無造作にまとめてくるくると止めるだけだし、アンだとあまり作ってくれない髪型だ。
「お気に召しませんか?」
「ううん、逆。私もやり方を教えて欲しいわ。」
「ご自身でなさるおつもりですか?」
「あら、いけない?」
驚いたようなレベッカの様子に、エリザベスはキョトンとして訊ね返す。
「私ね、実家では自分の身支度も何もかも、自分でしていた時期があるの。」
母が亡くなる少し前から、コックス子爵家に助けられるまでの合間に見様見真似で髪をまとめ、飲み水として与えられた水差しの中の水を使って顔を洗い、クローゼットから引っ張り出して服を着替えていた。
「でも、ダメね、全然上手くいかなくて、これじゃあ、何かあった時に生き残れないって思ったわ。」
仮にエドガーが死んでしまって、天涯孤独の身の上になったとして、今と同じようにグレイ侯爵の縁談話がきていたなら、自分は迷わずあの家を捨てて、どこかに住み込みで働きに出ただろう。
「働きにですか?」
レベッカがますます目を見開いたものの、エリザベスは頷いて、「そうよ、伯父夫婦に見つからないような見知らぬ地に行って、そこで暮らそうって思ってた」と笑う。
だから、街に出ては商人達の下町の口調を覚え、実際に髪を隠して日雇いの仕事を手伝っていた時もあるのだと言う。
「マナーハウスの侍女長が褒めていらっしゃいましたけど、帳簿の付け方もその時に?」
「ええ、その一環ね。祖父と当時の家令だったリチャードと侍女長も兼ねていたアンに邸内の管理の仕方と領地の管理の仕方を習ったのよ。」
うちは少数精鋭だったから、と言えば、博識でいらっしゃるんですねと驚かれる。
「ううん、必要に駆られての行動よ。貴族社会で、しかも、公爵家と縁続きになるだなんて思ってなかったから、礼儀作法は最低限しか習っていないし、ダンスもそこまで上手じゃないから、いつもヒヤヒヤしているの。」
キャロラインはその辺りを知っているはずなのに、小説に「蝶のように軽やかに」とか書いてくれたのをきっかけに、エリザベスがマナーハウスで特訓していたことはレベッカも知るところだったから「そうだったのですね」とうち笑った。
「ええ、夜会までには踊れるようにしないといけないけれど、どうも苦手で。」
「・・・・・・けれど、必要に駆られれば、練習に勤しまれるのは、お嬢様の長所でもございますよ。」
そう言って、アンは、瞳の色に合わせたのだろう、エメラルドグリーン色に染められたオーガンジーを贅沢に使ったドレスを持ってくる。
「そんなドレスあったかしら?」
「ええ、ギルバート様と揃いのお召し物です。」
ふんわりとしたシルエットの割には、色合いが落ち着いた色合いに染められているから、浮ついた風には見えず、サテンのリボンがアクセントになった愛らしい雰囲気のドレスだ。
髪を纏め終えたレベッカにお化粧を施され、寄って集って着付けされたあと、最後にアンにエメラルドをあしらった髪留めとネックレスを付けられる。
エリザベスは豪勢なドレスを身に纏い、アンに先導されて玄関ロビーで待っていたギルバートの元へと向かった。
◇
ギルバートは玄関先でエリザベスの姿を見て「妖精」と呟くように、一言、口にしただけであとは驚くほど寡黙だった。
では、不機嫌なのかと言えば、そういった風でもなく、ただ緊張したような面持ちで、時折、こちらを見ては目のやり場に困ったようにして顔を背けるのを繰り返すばかりだ。
けれど、それを指摘する前に馬車はレストランに到着し、先に席に座っていたエドガーとそのそばに控えているリチャードの姿を見つけるとそれもあまり気にならなくなってしまった。
「お祖父さま、それにリチャードも・・・・・・。」
胸がいっぱいになりながら声をかければ、エドガーはエリザベスの愛らしい姿に厳しい表情をくしゃりと相好を崩して、「おお、可愛いリジー」といつもと同じようにして声を掛けられる。
「もっとこっちに来ておくれ。」
その言葉にエリザベスは泣き出してしまいそうになって肩を震わせる。ギルバートはそっとエリザベスの背を押し「行っておいで」と言ってくれるから、ふらふらと歩み、片手を差し伸べてきた祖父の腕に縋るようにして抱きついた。
「お粧ししてきたんだね、よく似合っているよ。」
口を開けば泣き出してしまいそうで、こくこくと頷けば、「別嬪さんだ」と嬉しそうにする。エリザベスはその優しい表情を見ると感無量になってしまった。
ああ、何てこと――。
いつもと同じ挨拶だから、より顕著に分かる。祖父からはいつだって惜しみない愛情を受けてきていたのだと。そして、それを知ると今までの素っ気ない態度や、少しでもこの祖父の愛情を疑ってしまった自分が恥ずかしく、申し訳なさと感謝の念で、胸がいっぱいになってしまった。
「お祖父様・・・・・・。ご心配をお掛けしてしまい、ごめんなさい。」
「リジー、謝るのは、わしの方じゃよ。すまんかったのぉ。」
背中をトントンと叩いてくれている、しわくちゃで古傷の跡がたくさんついた手は、エリザベスの嫌な気持ちを払ってくれて安心させてくれる。
「エリントン卿も久しいのう。それにアンとサムからエルガー公爵家の内情も約束通り伝え聞かせてもらった。」
「・・・・・・それで、いかがでしたでしょうか?」
「及第点と言ったところか。ルーカスは相変わらず油断ならなそうだが、お前さんはアンの見立て通りと聞いておる。初めはルーカスの息子なんぞにと思っておったが、リジーもわしのことを忘れるくらいにお前さんといることを楽しんでいるようだしのう。」
エリザベスが「忘れてなんか」と言ったところで、エドガーは「フォッフォッフォッ」と笑って聞いてくれない。口を尖らせて「お祖父様は私を薄情者だと仰りたいの?」と訊ねてみれば「いいや、安心したんだよ」と微笑んだ。
「リジーはわしの他に『頼る先』がなかっただろう?」
リチャードやアン達がいかに親身に使えていても、彼らはあくまで「家事使用人」であり、親にも子にもなれない。では、コックス子爵家の姉弟が支えになるかと思えば、それもまた、エリザベスは二人に迷惑を掛けまいと一線を画してきていた。
「今までだったら直ぐに泣きついてきただろうに。」
エリザベスから直接の連絡は来ず、唯一の連絡は血相を変えたサムが「駆け落ち先がバレた」と乗り込んできたのと、その対応に追われていたところに、ギルバートから「エリザベス嬢から婚約請願書が受理されたので、婚約を正式に公にする」という連絡が来て脱力させられたくらいだった。
「可愛いリジー。お前は彼と幸せにおなり。わしやリチャード達のことは気にする事はない。」
「・・・・・・でも。」
「もう、わしは何も持っておらん。ただの隠居に過ぎんし、キース達もこんな老いぼれを害するよりは、老衰を待つじゃろうて。」
ギルバートが「落ち着いたら、エリントン邸でゆっくりなさっても差し支えありませんよ?」と言えば、エドガーは「絶妙なタイミングで打診してくるところはルーカス譲りじゃな」と苦笑する。
それから、エドガーは二人に席に座るように案内するとウェイターに給仕を依頼した。




