「婚約反対」に反対です(1)
婚約式のドレスの最終調整も行って、いよいよ本番まであと三日となり、エルガー公爵家のタウンハウスは慌ただしかった。
「呼び出し?」
「はい。書斎でルーカス様とブライアン様がお待ちです。」
ロバートの言葉にギルバートは、一瞬、表情を固くしたものの、心配そうにするエリザベスに気がつくと、「きっと大丈夫だよ」とこめかみに口付けしてから二人で居間を出ていく。向かいに座っていたステファニーはその一部始終を見せつけられたあと、じっとりとした目でギルバートの背を眺めていた。
「ねえ、リジー。ギルったら、最近はあんな感じなの? 前はシロップがかかったかき氷くらいだったのに、甘さが倍増してない?」
「ええ、まあ・・・・・・。」
「何かあったの?」
顔を近づけてきたステファニーにヒソヒソと訊ねられ、うっかり答えかけて『白百合姫の恋物語』の続編の話を思い出すと、エリザベスは開きかけた口を閉じた。
「・・・・・・秘密です。」
「何よ、ギルに口止めされてるの?」
「そうじゃないです・・・・・・けど。」
あの夜の出来事は、王城の秘密の抜け穴ごと内緒にしておきたいと言うのが、エリザベスの心情だった。ステファニーは座席を移動してきて「教えなさいよぉ」と小突いてくる。
と、バタンとドアが開く音がして、ギルバートが「その言い分を飲み込めと言うのですか?! そんな話、飲めるわけがないじゃないですか!!」とやや怒鳴るようにして出て来た。
「ギル・・・・・・?」
エリザベスと視線が合ったものの、一瞥しただけで「少し頭を冷やしてきます」と外へ出て行く。
「ギル、待ちなさい。」
ルーカスがその後を追って行き、少ししてため息混じりにブライアンがロバートともに部屋から出てきた。
「何、どうしたの? ギルがあんなに怒るだなんて。」
「ヴェールズ公国の大公殿下が前倒しで来る事になったんだ。」
「はい?」
「ヴェールズ公国にとって、エリザベス嬢は『救国の乙女』と仰って。元は再来週に大使を招いた夜会を催す予定だったんだが・・・・・・。」
「もしかしてダブルブッキングしたの?」
ブライアンは無言で頷く。ステファニーはエリザベスの手を取り、キッとブライアンを睨み上げる。
「何、それ? こっちは前々から準備してきたことだと言うのに。お兄様はそんなお話を唯唯諾諾と受けてきて、ギルに婚約式を諦めるように言ったの?」
「ステフ、相手は一国の大公だ。簡単には断れない。しかも、既に向こうを出ているらしいんだよ。」
ステファニーは「そんなの、向こうの勝手でしょう」と苦々しげな顔になった。
「元々、初めの分を内輪にしたのだって、国王陛下と王太子殿下がお忍びで同席なさりたいって言い出したからでしょう? それが参加出来ないから取りやめろだなんてふざけているわ。」
「ステフ、口が過ぎるぞ。」
「宰相が向こうのおもてなしにいないとまずいと言うなら、お兄様だけでヴェールズ公国の大公殿下の方をおもてなしすればいいのよ。私はギルとリジーを味方する。」
当事者を挟まないで、一触即発の状態になりかけるステファニーとブライアンの様子にロバートはハラハラとした表情をしていたが、エリザベスが「バイロン卿」と声を掛けると、三人ともハッとしたようにエリザベスを見る。
エリザベスはステファニーに握られた手に手を重ね、「大丈夫」と囁くと、そのまま立ち上がり、少しソファーからずれて挨拶をした。
「お初にお目にかかります。バイロン卿。エドガー=スペンサーの孫娘、エリザベス=ベアトリス=スペンサーと申します。」
「あ、ああ。」
ブライアンも「そう言えば初対面だったな」と思い直したのだろう、やや戸惑ったように挨拶を返してくれて、まじまじとこちらを見詰めながら向かいの席に腰を掛けた。
そして、それを見届けるとロバートに「公爵様やギルバート様がお戻りになったら、こちらにお通しして」と依頼する。
ロバートが一礼し部屋を後にすると、エリザベスは再びステファニーの横に腰を下ろし、「不躾ですが」とブライアンに断ってから「ヴェールズ公国の大公は『大公妃として私を譲れ』とでも仰ってきたのですか?」と訊ねた。
「なッ!?」
声をうわずらせたステファニーとは対称的に、エリザベスは「敢えて前倒しでいらっしゃったのです。物言いを付けにいらしたのでしょう?」と淡々と話す。
ブライアンは少し目を見開き、それから険しい顔付きで頷くと、「『救国の乙女を王太子妃にするならまだしも、公爵の令息とはいえ子爵位しか持たぬ者に渡すなど片腹痛い』と仰せだ」と話す。
「は? いや、ちょっと待ってッ?! つまり、何? 大公殿下のご訪問はそもそも『婚約式のぶち壊し』にあるって事ッ?!」
信じられないと憤りを露わにするステファニーの横で、エリザベスは「そうですか」と小さく呟き眉根を寄せる。
「大公殿下のこちらへのお着きはいつ頃になります?」
「早ければ婚約式の前日の昼間から夕刻にはいらっしゃる。今から準備を進めてもギリギリで、披露宴を中止にできるなら、その料理の材料や人員も回したいくらいだ。」
すると、エリザベスはニコリとし「では、そうなさってくださいませ」と答える。
「ちょっと、リジー?!」
ステファニーが驚いて声を上げたものの、エリザベスはぴしゃりと「この度の突然の訪問を歓待出来ねば、グニシア王国は儀典も儘ならぬ国と侮られましょう?」と告げる。
「そして、大公殿下はその儀典の統括がギルバート様だとご存知での振る舞いかと存じます。」
エリザベスはニコリとすると「売られた喧嘩を買いますわ」と答えた。
「ですので、宰相閣下。ひとつお願いがございますの。」
「お願い?」
「はい、当日の私の衣裳は予定通りのドレスで参加させて頂きたいのです。」
「それは・・・・・・。」
「私はギルバート様に『あなたの白百合姫となる』とお約束をしましたし、それを違えるつもりはございません。」
言葉を詰まらせたブライアンも「『あなたの白百合姫となる』とお約束をした」という言葉を聞くと、ますます眉間に皺を寄せて困り顔になる。
エルガー公爵家において『白百合姫』の意味は重い。それはブライアンもステファニーも分かっているから、エリザベスのお願いを頭ごなしに反対することは出来なかった。
「エリザベス嬢、あなたの覚悟と意思は承知しました。そのお心遣いとお願いは陛下にも伝えましょう。」
「ご理解下さり痛み入ります。まだギルバート様がお戻りにならないようなので、私はお迎えに行って参りますね。」
ステファニーは「静かに憤るあたりはギルバートとそっくりだわ」と思いつつ、エリザベスに「行き先は分かる?」と訊ねた。
「ええ、おおよその場所は。」
「そう、じゃあ、お任せするわ。先に行って父が宥めてくれているとは思うけれど。リジーが行った方が良いでしょうし。」
エリザベスは「失礼します」と席を立ち、ブライアンとステファニーを残して部屋を出る。そして、足早に玄関ホールへと向かうと、急いでギルバートの後を追い掛けた。
◇
ブライアンの話を黙って聞いていたギルバートが激昂する。
「その言い分を飲み込めと言うのですか?!」
「だが・・・・・・。」
「そんな話、飲めるわけがないッ!」
反論しようとしたブライアンにピシャリと言って、ギルバートは重い樫の木のドアを押し開いて書斎を出ていく。
「ギル、待ってくれ・・・・・・ッ!」
続いて部屋を出ていくブライアンの願いにも応じずに、ギルバートは階段を急ぎ降りていく。
「ギル・・・・・・?」
エリザベスに呼び止められて、そちらに一瞬視線を送ったものの、すぐに「少し頭を頭を冷やしてきます」とそのまま玄関をへと向かう。
「ギル、待ちなさい。」
話を最後まで聞かないで出ていくギルバートの様子に、ルーカスは急ぎ足で追い掛ける。しかし、玄関を出たところで、ルーカスの姿に気がついたのだろう、ギルバートは振り返りながら「追って来ないでくださいッ!」と怒鳴った。
「少し一人にさせてくれッ!」
最後の方は声を震わせて、切羽詰まった声だったから、ルーカスは階段を降りたところで立ち止まり、ギルバートを追い掛けるのを止めた。
(参ったな・・・・・・。)
ずんずんと一人、前を歩いていくギルバートの姿は前世の兄姉弟が仲違いした時のスチルの姿に似ている。
それに幼い頃から王太子殿下と過ごしていて、何かにつけて熟考してから、しかも言葉を選んで話すギルバートが、あそこまで感情を露わにする事は珍しく、ルーカス自身、ギルバートの激昂ぶりに狼狽していた。
(ギルがエリザベス嬢をここまで気に入るとは思っていなかったが・・・・・・。)
ブライアンから事の顛末を聞き、「国王陛下も勝手なことを」と思う一方で、「二人を婚約させたい」と思っていたのはルーカスも一緒だったから、今まで口を挟まずにいたものの、こうなると些か心配になる。
「公爵様? いかがなさいました?」
ふと背後から声をかけられて振り返れば、遠ヒースの花を思わせるような、美しいピンク色のドレスを着たエリザベスが、いつかのベアトリスのようにして立っていた。
『ルーク、ねえ、ルークってば、聞いてる?』
そう言って笑って姿を現したベアトリスと同じように波打つ髪を緩く結い上げ、ベアトリスのそれよりもより少し濃いエメラルド色の瞳でこちらを見ている。
「・・・・・・ビー?」
妙齢の女性となったエリザベスの姿を目の当たりにしたルーカスは、母親譲りのエリザベスの姿に懐かしさと申し訳なさを覚えて言葉に詰まった。
あの夜会の日、自分の背に抱きついてきたベアトリスを選んでいたら、今とは違う未来が用意されていただろうに。
ルーカスは僅かな時間の間で脳裏に掠めた思いを振り払うように首を横に振ると「いいや、君がエリザベス嬢だね?」とエリザベスに声を掛けた。
「挨拶がすっかり遅くなってしまった。エルガー公爵家の家長をしている、ルーカスだ。」
エリザベスは玄関前のアプローチの階段を降りてきて、ギルバートの近くに立つと、スカートの裾を広げて、挨拶する。
「閣下、お初にお目文字致します。こちらこそご挨拶が遅れて申し訳ございません。」
「いいや、構わない。それにしても、お母様によく似ているね。一瞬、君のお母様に見えて驚いてしまったよ。」
その答えにエリザベスは困ったように笑い、ルーカスに「グレイ侯爵も同じように仰っていましたわ」と答えた。
「顔立ちは母親譲りだと乳母から聞いているんですけれど、そんなに似ていますでしょうか? 私は母の記憶が薄くて。楽しい事もあったはずですし、優しく子守唄を歌ってくれた印象もあるんですが、よくその顔を覚えていないのです。」
母の事で思い出されるのは五年前の、一人、軟禁生活を強いられた毎日と、「父親のいない子を産んだスペンサー家の汚点」と蔑む伯母の言葉ばかり。
自分でも十歳を越えた辺りまで、ほぼ毎日暮していた母の姿がいまいち思い出せないのは不思議だが、思い出そうとすると酷く頭が痛むので、いつしか好んで思い出そうとはしなくなっていた。
「家に肖像画の類はないのかい?」
ルーカスが首を傾げるようにして訊ねる。
「君のお祖父様は大変子煩悩だったから、昔はビーの肖像画が邸のあちこちに飾ってあったものだが・・・・・・。」
その言葉にエリザベスは首を横に振り「見覚えがございません」と答えた。
「もしかしたら祖父がまだ持っているのかもしれませんが、奇病でたいそう苦しんで亡くなったと乳母から聞いておりますから、祖父も母の絵姿を見るのが辛くなってしまったのかもしれません。」
「奇病か・・・・・・。そんなに苦しんで亡くなられたとは知らずに、嫌なことを思い出させたね。」
「いいえ、閣下。私も母の死に目には会えていなくて、乳母伝いに聞かされただけですから。」
それを聞くとルーカスはいっそう悲しげな表情になるから、エリザベスは話題転換に「あの」と訊ねた。
「公爵様は私の母と親しかったんですの?」
ルーカスはエリザベスの問いに短く「あ、ああ」と答える。
「そうだね。仲良くしてもらっていたよ。学生時代の私は、子爵家から公爵家に一気に上がった成り上がり者に過ぎなかったのもあってね、彼女と二人して『成り上がり組』としてよく揶揄されたよ。」
悪し様に言われるのが嫌で、二人して中庭に避難しては、ベアトリスと「今週はどっちが嫌がらせを受けたり、嫌味を言われたりした回数が多いか?」と数え合いっこをしてみたり、互いが互いの排斥者を懲らしめに行ったりと、また、テスト近くになるとルーカスがベアトリスの勉強をみたりして、男女の垣根を越えて、気の置けない学友だったと話す。
「ベアトリス嬢は明るく快活で、少しおっちょこちょいで。あなたのお祖父様譲りの負けん気の強さがありながら、他の人の前では澄ました顔で男爵令嬢を見事に演じ切るし、空色の美しい瞳をいつもキョロキョロさせていたものだから、私はよく彼女を『カメレオン令嬢』とからかったものだよ。」
グレイ侯爵とは違って、とても懐かしそうにベアトリスを懐かしむルーカスの様子にエリザベスは目を細めて微笑んだ。




