フィリップの諜報活動(1)
さて、その頃。
ウィンザー伯爵家では、嫡男であるフィリップが父親であるウィンザー伯爵の自室に呼び出されていた。
ウィンザー伯爵家は自他ともに認める「中堅どころ」で、派閥もその時々の状況で選ぶことで家門を維持してきた家だ。
次代のウィンザー伯爵候補のフィリップにしても、その教育は小さい頃から叩き込まれていて「長いものには巻かれろ」精神が叩き込まれている。
「フィリップ、エルガー公爵家の次男坊に婚約祝いの祝電を送ったらしいな。イザベラの事を抗議して主導を握るのではなかったのか?」
不服そうに尋ねてくる父親に、フィリップは「それが最善でしたので」と答えた。
「最善? イザベラを修道女に追い込まれたのにか?」
忌々しげに顎髭を触り、眉間に皺を寄せる。
「ええ、イザベラを大人しくさせておくことと、あの祝電で、エリントン子爵領は三パーセント、他のエルガー公爵関連領は二パーセント、関税を減免してくださるそうですよ。」
「関税を減免?」
「ええ、約定もこの通り頂いてまいりました。」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている父親に、フィリップはギルバートと交したエルガー公爵家の紋章が入った約定を手渡す。ウィンザー伯爵はそれを開き、上から下へと視線を動かして内容を読むと「この約定はそこそこの価値があるな」と呟いた。
「だが、お前がエルガー公爵家に付くことについて、ボイル公爵家はいい顔はしないだろう?」
「その辺りも抜かりなく。ボイル公爵のご令息に『エルガー公爵家の目下の敵はハミルトン伯爵家であり、貴家に叛意なし。我が家としては慶事につき、イザベラの事を気にかけぬように気遣いをしたまで』と伝えておきました。」
「そうか、では、お前は今後はどっちに付くのが良いと思う?」
フィリップはその問いを自分に委ねてきた事に少しばかり驚いた表情をしたものの、すぐにニコリとする。
「『白百合姫』に付くのがよろしいかと存じます。」
「『白百合姫』という事は、エルガー公爵家か?」
「いいえ、『白百合姫』個人にです。エルガー公爵家は彼女をいち早く擁護することにしたようですから、傍から見れば確かにエルガー公爵家に付いた見えるかもしれませんが、私は彼女に付くのがよろしいかと存じます。」
ウィンザー伯爵は「英傑の秘蔵っ子とはいえ、男爵家の令嬢をそこまで高く買うのか?」と訊ねてくる。フィリップは大きく頷いた。
白い法衣に似た衣に身を包んだエリザベスは神々しくさえあり、グニシア王国の王家の血筋に多い薄紅の髪はそれを暗喩させる。
それにあのエメラルド色の何もかも見通すような真っ直ぐな眼に、毅然とした態度。
それは貴族令嬢というよりは王族のそれで、巷で騒がれる通り『白百合姫』と、『プリンセス』を冠するだけの威厳を感じさせた。
「父上にもお見せしたかったですよ、窮地に立たされて、青褪めながらも物怖じしない彼女の美しさを。」
旗色の悪さに緊張した面持ちになりながらも、決して屈する気配のない強い視線。
「彼女はイザベラの幼稚な嫌がらせなど、気にならなかったに違いありません。今はエルガー公爵家が擁護し『次男の婚約者』として囲おうとしていますが、おそらく彼女はそれだけには収まりますまい。」
「ほう? 公爵家の令息の夫人では収まらぬ器というのは気になるな。」
歯の浮く様な台詞を吐く息子が、その特技で社交界を渡っているとは知っていたものの、それがフィリップの「ポーズ」であることもウィンザー伯爵は知っていたから、手放しにエリザベスを褒めるフィリップの様子に片眉を上げた。
「先行投資した方が良い相手か?」
「ええ、ですが、今はエリントン卿の目がありますから、上手くアプローチする必要があるかと。まずは彼女がエルガー公爵家の後ろ盾を得て、社交界に顔を出すようになってからか、エリントン卿が助力を求めてきた時に近づくのがよろしいかと。」
フィリップは「矢面はエルガー公爵家に立っていただき、我らは彼女にとってのセーフティネットになるんです」とニコリとする。
「祝電だけで減税です。彼女が我らに心開き重んじて下されば、それだけでエルガー公爵家との交渉は有利に働くかと存じます。」
「最低限の投資で利鞘を増やすか・・・・・・。」
「ええ、そこでお願いなんですが、腕利きの影の者をいくらかお貸し頂けませんでしょうか? 現在、この国を牛耳っているエルガー公爵が、エリントン子爵との婚約を認めたのです。少し多めに投資してでも情報収集した方がよろしいかと。元手の回収は早いと思いますよ?」
「・・・・・・良いだろう。好きにするがいい。」
フィリップは深深と礼をすると父親の私室を後にした。
◇
それから二週間。ギルバートは婚約発表もそこそこに、エリザベスを自分の領地のマナーハウスに下がらせ、社交界から隠してしまった。
(あと、一週間か・・・・・・。)
探らせていたエリントン子爵領の邸には、はじめこそ商人たちがこぞって出入りしていたものの近頃は来客もなく、エリザベスはギルバートと共にコックス子爵邸に出掛けた以外、邸の中に閉じこもっているらしい。
(・・・・・・普通なら格上と婚約なんて、周りに自慢したくて、お茶会のひとつでも開催しそうなものなのに。)
エリザベスの生い立ちゆえなのか、彼女は思慮深く、そうした浮ついた行動をとることはなかった。
もう一度、会いたい――。
そう思って、彼女の友人たちが行きそうなお茶会や夜会にも顔を出したと言うのに、ギルバートが上手く断ってしまったようで、ちらりと見ることも出来なかった。
あっという間に公示されているエルガー公爵家主宰の次男坊の婚約式まで日が迫っていく。
(ああ、アイツとの婚約式など流れてしまえばいいのに。)
あの日のようにエリザベスが白百合のあしらわれた純白のドレスに身を包む姿を想像しては熱く吐息を漏らす。そして、まるで春の精霊のような彼女が、ギルバートの手を取るのだと思うと、彼女にとってエルガー公爵家の後ろ盾が必要だと理解出来ても感情的には面白くなかった。
「神様って奴は、本当に残酷だよな。」
フィリップは自嘲気味にそうボヤいたものの、定例通り『影の者』が訪ねてくる時間になると居住まいを正した。
「・・・・・・それで、今日の『白百合姫』は? またマナーハウスで一人でいるのか?」
「はい、午前中は刺繍をなさってお過ごしでした。」
「午後は?」
「彼女の乳母とメイドが一人、御者とともに王城へと遣いに走った様子ですが、『白百合姫』自体は部屋に籠られていらっしゃったのではないかと。」
人目少ない街道で、跡を付けるのは確かに得策ではない。しかし、行先が「王城」だと言われた事がやけに引っ掛かった。
「乳母たちの行先は確かか?」
「はい、御者の男が馬車を用意している間に『こんな荷馬車で王城を目指せとか無理を言う』とボヤいておりましたので確かかと。」
「ちなみにその御者は『サム』と呼ばれてなかったか?」
「え、ええ、確か、そのような名でしたが・・・・・・。」
ここ何日か、スペンサー男爵家の様子も別の影に探らせていたフィリップは、エリザベスが信頼を置いている人物の顔と名前が一致し始めていた。
(探られている事に気が付かれたか・・・・・・。)
もし仮にそうだとして、メイド姿にやつしてまで自分の目を欺こうとしたならば、そんなエリザベスをますます面白く、手に入れたい女性だと思ってしまう。フィリップはククッと笑みを漏らした。
「若様?」
「いや、こちらの事だ。それよりマナーハウスを探るのはしばらく控えよう。要らぬ警戒をされたくない。」
「ハッ、承知しました。」
「代わりに例の教会の女の身辺をもう少し探ってきて欲しい。誰かが接触してくるようなら、そちらも追跡せよ。」
「御意」と言って影の者が立ち去ると、フィリップは深く椅子に凭れた。
(メイド姿にやつして王城に逃走、ね。)
彼女は誰に助けを求めたのだろう。国王陛下か、はたまた、ギルバートか。いずれにせよ、彼女の様子を探るのは控えた方がいいだろう。
(危機管理能力が高いことだ・・・・・・。)
氷華の離宮で話半分に聞いていた彼女の弁明が、影の者を使う事で真実だと分かり、また、その実、彼女が語った以上に彼女の置かれた状況が劣悪な状態だったと知ったのが二、三日前のことだった。
母親を五年前に奇病で亡くし、祖父であるエドガー氏が一命を取り止めていなければ、天涯孤独の身になりかねない状態であることや、現在のスペンサー男爵家に彼女の居場所はなく、家事使用人達すら、ごく一部を除き『居候令嬢』と揶揄していることを知った。
『私も修道院に行ってしまおうかと思い悩んでいたところ、乳母に泣かれてしまいましたわ。』
『あなたが修道院に?』
『ええ、この婚約が政治の道具にされる前に。』
長年、一緒に暮らしてきたイザベラが修道院に行ってもここまでの感情移入はしなかったのに、エリザベスの事は知れば知るほど感情移入してしまう。
五年前、母親の奇病を理由に理不尽にも軟禁生活を送っていたことや、未遂で終わったようだが、ハミルトン伯爵の元やグレイ侯爵の元に金銭的に売られようとしていた事実まで分かってくると怒りで簡単に眠れないほどだった。
『ウィンザー伯爵家のフィリップ様なら、祖父のように影響力のある者が、いずれかの派閥に組み込まれれば、その後、大きく世が乱れる事をご存知でしょう?』
ああ、分かる。派閥争いの激化を食い止めるのは己の振る舞いひとつだと教えこまれている身だと、エリザベスの抱えている憂いと悲しみが痛いほど。
(なんて危うい女だろう。)
ギルバートは彼女の『危うさ』に気が付いているのだろうか。必死に歯を食いしばって多くのものに抗い続けている彼女の抱えている『脆さ』を。




