恋と迷宮(4)
「ギルバート様。お早くおもどり下さるように申し上げましたでしょう?」
ジト目のロバートに出迎えられて、ギルバートはローブを脱ぎながら「そう怒るなよ、ちゃんと収穫もあったし、その裏取りもしてきたんだ」と肩を竦ませる。
しかし、エリザベスがローブを脱ごうとすると、「見つからぬよう、どうぞこちらに」とレベッカに誘導されて、そのまま二階の客室へと向かうように指示される。それでも、階段下は吹き抜けになっているから、ロバートの苦言とギルバートの言い訳がよく響いて聞こえてきていた。
「エリザベス様をお連れだと言うのに。よもや賭場まで行ったのではないでしょうね?」
「さすがにそこまで行ってないよ、遊戯場までだ。」
エリザベスにとっては楽しい時間だったのだが、どうやらロバートはかなり気を揉んだらしい。美味しいフィッシュアンドチップスに舌鼓を打ったり、遊技場を見て回ったりして楽しんだりしたのだが、ロバートが雷を落したのだ。
「似たようなものですよ! そのような場末の遊戯場にご令嬢を連れていくだなんてッ!」と声を荒らげて叱り、ギルバートは「あの辺りは舞踏会にいる顔ぶればかりだよ? 父上が治安維持をしっかりしてくれているだろう?」と弁解している声が聞こえる。
そんなに大きな声でやり取りしていたら、既に他の人は奥まったベッドルームを使っているからと言っても、声が聞こえてしまうのではないかとハラハラしてしまった。
「そう怒るなよ、ロバート。いつもよりは早めに帰ってきただろう?」
「いつもよりは、です。今日はエリザベス様がいらっしゃるのですから、あまり寄り道なさらぬようにとお伝えしたはずです。」
「・・・・・・それは、まあ、悪かった。」
そうギルバートが必死に弁解している声を聞きながら、部屋に戻ると沈んだ顔のアンの姿があって、エリザベスの顔を見た途端、「ああ、お嬢様」と狼狽されてしまった。
「ごめんなさい、アン。すっかり遅くなってしまって・・・・・・。」
「いいえ、ご無事なようで安心致しました。」
優しく抱き締められて、ギルバートと羽目を外してしまったのを悪く思って眉尻を下げる。
「ごめんなさい、アン。もっと早く戻ってくるべきだったわ。」
「いいえ、楽しまれたのであれば何よりです。ギルバート様とご一緒に、こちらにお戻りになるとロバートから伺っておりましたよ。きっと大丈夫だろうと信じておりましたわ。お着替えと足湯、それからお茶でもご用意致しますわね。お疲れでしょう?」
「そうね・・・・・・。」
思えば今日の午後は怒涛だった。
道の悪い中、馬車に揺られ、秘密の抜け穴を通り抜け、水路も歩いたし人混みも歩んだ。今までギルバートと一緒にいるのに浮かれて、あまり気にならなかったけれど、アンの顔を見たせいかもしれないが、重たいローブを脱ぐと、どっと疲れが押し寄せてきてしまった。
「それで、ギルバート様とは仲直り出来ましたか?」
アンに手伝ってもらい、ナイトドレスに着替えさせてもらい、まとめあげていた髪を解いて梳ってもらう。しかし、一度、緊張の糸が切れてしまったら、今度は酷く頭の中がぼんやりとしてしまって、エリザベスはうとうととし始めていた。
「エリザベス様?」
「ん、あ・・・・・・えーと、どこまで話していたかしら?」
「『おみ足を盥の中へ』までですよ。」
アンは「寝ながら寝支度をするあたりは、小さい頃とお変わりないですね」と笑うものの、エリザベスとしては、それに反論する気持ちは残っていなくて、少し熱いくらいのお湯の中へ足をつけた。
ちゃぷちゃぷと、気持ちいい水音とアンのマッサージを受けていると、ますますぼうっとしてくる。
「ギルとは、仲直り出来たと思うわ・・・・・・。」
「そうでしたか。それはようございました。」
歩き疲れた足が温まると、いよいよ瞼の重さに適わなくなって目を瞑れば、そのまま意識が遠のいていく。
そして、その次に目が覚めた時には、同じ部屋の中ではあったものの、数歩先にあったベッドの中で、なぜかギルバートが室内用の気取らない服を身に付けて隣に座り、本と書類を並べて読んでいるところだった。
(な・・・・・・ッ?!)
あたりは明るく、日は高い。きっと自分は寝過ごしたに違いない。それは分かるけれど、なぜ彼はこんなところで仕事をしてるのだろう。
「ギ、ル・・・・・・?」
「おはよう。アンから、足湯中に眠ってしまったと聞いてね。」
話を聞いたギルバートがエリザベスを抱えてベッドに運んだものの、今度はギルバードの服を掴んで離さなくなってしまい、そのまま添い寝せざるを得なくなってしまったらしい。
「そ、それは・・・・・・。」
「謝らないでね、リジー。僕としてはリジーの可愛い寝顔も見れたし、とても満足したわけだから。」
そして、読んでいた本と書類をサイドボードに置くと、「それに今日は終日、リジーといるように家長命令まで下っているんだ。ここにいて白百合姫の言うことを何でも聞くようにってね」と笑う。
「家長命令・・・・・・?」
「ああ、あの後、ロバートの怒鳴り声で、ステフが顔を見せてね。王城やら抜け道やらの説明は、さすがにすっ飛ばしたんだけど、王城に勤めっぱなしの僕をリジーが心配して様子を見に来ちゃった事は話したんだ。」
騒乱橋で気分転換をして帰ってきた話をして、『夜分に連れ回すようなことはもうしない』と話したものの、ステファニーは事態を重く見られ、関係者を集めて公爵夫妻にまで叱られることになったらしい。
「でも、まあ、その時は叱られるとしても『ご令嬢を夜分に連れ回して』って話で、しばらく早く帰ってくるようにとかだったんだろうけど。サムがとんだ食わせものでね。」
「サム?」
「ああ、ここしばらく王城に居続けでマナーハウスに帰ってなかったことを盛大にバラしてくれたんだ。」
王城からマナーハウスの邸まで、馬車で二、三時間。どんなに忙しくとも二日か三日に一遍、帰っていたら、お嬢を不安にさせなかったのに――。
「と、言うわけで、家長命令で『婚約式までの一週間。その間は二人で過ごすことを優先するように謹慎を申し付ける』ということで、王城から急ぎの連絡が来ない限りは有休消化。どうしてもって場合も、午後から出勤になったってわけ。」
サムの事だ、ずうっとエリザベスの話を聞かれることに辟易としていたのだろう。ここぞというタイミングで告げ口をしたみたいだ。
「サムったら・・・・・・。本当にごめんなさい。」
「気にしないで、自業自得なわけだし。それに先週一週間、無心で仕事をしてたから、来週以降の仕事も大方片付いてしまっているし、ワークライフバランスも大事だからね。」
そう言って笑っているギルバートの手元の本や近くの書類を見て「仕事が溜まっているんじゃ?」と小首を傾げて訊ねかけて、そのタイトルが『白百合姫の恋物語』である事に気が付く。
「『白百合姫の恋物語』?」
「ああ、そうだよ。今は続編の草稿と辻褄があっているか確認してたんだ。」
続編の草稿――?
エリザベスはそれを聞くと、目が点になる。
「えッ?! 続編?!」
「うん。この『ルイス』なる人物はキャロライン嬢なんだけど、この間の一件で、またインスピレーションが刺激されたんだって。」
「よりにもよって、その話、キャロルが書いてたのッ?!」
思わず、一度、落ち着きかけていた心臓が再びバクバクと脈打つ。エリザベスは二の句を継げなくて口をパクパクとさせた。
道理でスペンサー家をモチーフにした継母の主人公に対する苛め具合が真に迫っていたり、ヒーローとのやり取りが彼女の語っていた夢物語に酷似していたりしたわけだ。
「あの二人が携わっているって、キャロライン嬢かステフに言われてなかったのかい?」
「・・・・・・あの二人がこんなに面白いことを、モデルにしてる私に教えてくださるとお思いになって?」
「僕なら秘密裏に観察して、面白おかしく書くね。」
「でしょう?」
膨れっ面をして言えば、ギルバートは可笑しそう笑い、「リジーは友人たちに愛されているんだね」とエリザベスの髪を撫でる。
その表情は穏やかで、彼がリラックスしているのがよく分かったから、エリザベスはドギマギとさせられた。
「い、一作目は、結構、綺麗にハッピーエンドで終わったのに。二作目はどんな風にするつもりなのかしら?」
「ノアの地位向上ために『恋の鞘当て』とやらをさせたいらしいよ。」
「ノアの?」
「ああ、一作目にいただろう?」
「白百合姫の幼なじみの『ラルフ』?」
「正解。趣旨は彼を幸せにしようって話だ。」
ラルフは一作目で白百合姫の幼なじみとして登場。白百合姫が公爵の令息とハッピーエンドを迎える中、キャロルの「困った時の『ノア』」ならぬ「困った時の『ラルフ』」使いでご都合主義な感じで話が進む箇所がある。
それゆえ、一作目を読むと「白百合姫はラルフとくっつけば良かったんじゃ?」という感想があったり、「ラルフを幸せにしてぇ!」という感想も多かったらしい。
「で、その草稿をギルが見てるって事は、キャロルが何か悪巧みを思いついたの?」
「ああ、そうみたいだよ。でも、リジーに大きく関わらないように、とリクエストしたら、代わりに『草稿をチェックして』だそうだ。」
ギルバートは「出来れば僕の醜い嫉妬の話なんて、墓場までの秘密として持っていきたかったのに」と不貞腐れながらため息をつく。エリザベスはその姿が何だか可愛くて、くすりと微笑んだ。
「ちょっと、プリンセス・リリィ? 君にまで笑われたら僕は恥ずかしくて世を厭うよ?」
「だって、ギルったら可愛いんだもの。」
「僕が可愛い?」
「うん、可愛い。」
くすくすと笑うエリザベスの様子に、ギルバートは読みかけの本を横に置くと覆い被さるようにして「そういうことを言うリジーの方が可愛いって知ってて言ってる?」と苦笑する。
エリザベスは唐突にギルバートの両腕の中に閉じ込められて、目をぱちぱちとさせた。
(え・・・・・・っと?)
この状態はどうしたらいいのだろう。
昨日は身をやつしていて、しかも、光の加減で黒髪黒目に見えていたギルバートだが、今日は身分に合わせた服装で、よく知るブルネットの髪と鳶色の瞳のままで迫ってくる。
エリザベスはゴクリと喉を鳴らして、その距離が狭まる度に徐々に目を伏せれば、ギルバートは柔らかく唇を食むようにして口付けてきた。
「ほら、リジーの方が断然可愛い。耳まで赤くしちゃって。」
軽いキスの後、今度は耳を指先ですりすりといじるから、擽ったさに首を竦める。
「ちょっと、ギル。もう、日も高いのに・・・・・・。」
「うん、だから、リジーの表情がよく見える。」
その嬉しそうに、そして、幸せそうにはにかむギルバートの様子に、昨日は暗くて見えにくかったギルバートの表情もくっきり見える分、エリザベスも胸が潰れてしまいそうになった。
コン――。
と、タイミングを見計らったかのように、高い音でノックがひとつされると、ロバートの「火急で判断を仰ぎたいのですが」という声が聞こえてくる。
「・・・・・・ったく、これからって時に。」
ギルバートは面白くなさそうに、エリザベスから身を引き、「侍従が優秀すぎるのも、ワークライフバランスの問題点の一つだよね」と零しながらベッドを出ていく。
一方、エリザベスは手近なところにあったシーツを引っ掴むと、ぐいっと頭の中まで被り、真っ赤になった顔を覆い隠した。




