恋と迷宮(3)
二人、手を繋ぎ、黙り込んだまま暗い道を進む。
ランタンの僅かな明かりをかがげて半歩前を進むギルバートの背を追いかけながら、エリザベスはひどく落ち着かない心地になっていた。
『エルガー家の者達が『白百合』や『白百合姫』の名を出す時は、何らかの覚悟を決めた時だと思っていいわ。』
頭の中をジェニファーの言葉が駆け巡る。
(・・・・・・ギルだけの白百合姫になるって言ってしまった。)
別にその事自体を後悔しているわけではないのだが、自分の母のためしもあるし、何せ、自分はしがない男爵家の居候令嬢なのだ。正直、エルガー公爵家にいるなら、女主人よりもこのメイド服の方が似つかわしいのではないかと思えてしまう。
『リジー、僕は本当に君のことが好きなんだよ。それはもう、バカの一つ覚えみたいに君のことばかりね・・・・・・。』
そう話したギルバートは、こんな風に二の足を踏んでいる自分と違って、いつの間にか『覚悟』を決めているのだろう。
(でも、私は・・・・・・。)
たとえ『彼のための白百合姫』になったとして、いったい何が出来るのだろう。
(私は何も持ってないのに・・・・・・。)
ギルバートの事は好きだ。こうして手を繋いでいるだけで幸せな気持ちになるし、これからもそばにいて欲しいとも、そばにいたいとも思う。
けれど、地位も、名誉も、お金も、きっと彼は要らないと言うだろうし、エリザベス自身、逆立ちしたって、ギルバートにそんなものは与えられなくてたじろいだ。
自分には少し前を行くギルバートの背を必死に追うことくらいしか出来ないし、きっと何か与えられるとしたら、彼の想いに答えるなら、この『恋心』くらいだと思うのに――。
それすら「母のように一夜の恋で身を滅ぼしてしまったら」と思うと、胸の奥底に蓋を閉めているパンドラの箱が開いて、そこから溢れる恨みつらみや不安に押しつぶされてしまいそうに思えて、ただ黙々と彼の後を追うことしか出来なかった。
「リジー。」
不意に立ち止まったギルバートの声が今までと違い、広がった空間に吸い込まれていく。
「水路に着いたよ。」
耳を澄ませば、確かにランプの光の届かない先に水の流れる音が響いている。
「そこは段差があるから、無闇に進むのは危険だ。ちょっと待っていて。」
足元を見れば、確かにランタンの明かりが途切れていて、ぐっと土地が下がっているのが見えた。
「水路があるし、すぐ暗渠の出口だから大丈夫だと思うけれど。足場が悪くなってるかもしれないから先に降りるよ。」
そう話すとギルバートは足元にランタンを置き、炎の揺らぎに変わりがないことを確認してから、気を付けて、抜け道に入ってきた時と同じような石組みの段差を下りていく。
ちょうどギルバートの胸元くらいの高さの段差なのだろう、何度か足場を確かめるようにして「うん」と納得したように頷くと「リジー」と呼びかけられ、手を差し出された。
(暗いのかしら・・・・・・?)
エリザベスが腰を下ろしてランタンを差し出す。すると、ギルバートはランタンを受け取りながら「そういう反応か」と可笑しそうにくしゃりと笑う。
「・・・・・・違いました?」
囁くようにして訊ねれば、ギルバートは邪魔にならない位置にランタンを避けるようにして置くと、再度、手を差し出す。
それがダンスの申し込みの時のような仕草だったから、エリザベスは恐る恐る右手を差し出した。
「そう、そっちが正解。」
茶目っ気たっぷりにそう言いながら、「反対の手はこっちね」とギルバートの肩に手を掛けるように言われると、次の瞬間、身体が半回転し、ふわりと宙に浮く。
「ひゃ・・・・・・ッ!!」
そして、耳元で「立って」と言われて、足を下ろせば石畳の硬質な感覚が伝わってきて、ようやく自分がギルバートにダンスでリフトされた時のようにして、半回転しながら抱き降ろされたのだと気が付いた。
(な・・・・・・に、今の・・・・・・ッ?!)
エリザベスは文官であるギルバートなのにも関わらず、その身を軽々と支えられたことに目を丸くし、それから気恥しさに薔薇のように頬を染めて、火照った顔を必死にその両手で隠した。
「・・・・・・戦時中はここに小舟を用意しておいて、それで脱出を試みたらしいよ。」
黒々とした水はランタンの明かりに水面を僅かに輝かせる。
そして、振り向いたギルバートはいつになくワクワクとした表情で「王を逃がすためだけに、この大仕掛けが創建当時には組み込まれていたんだから凄いよね」と感慨深そうにする。
「あいにくその小舟はないんだけど、この水路脇の道を進んでも外には出られるから。」
エリザベスはそう案内されても、ギルバートの氷華の離宮で過ごしていた時と変わらない、彼の屈託のない笑みに、ただ、ぼうっと見蕩れてしまっていた。
「リジー?」
「え、あ、うん・・・・・・。」
ギルバートの事を単なる噂話と聞いていただけの頃は『明朗快活な王太子殿下と反対に冷静沈着』とか、『愛想良く微笑んではくれるけれど、誰に対しても公平で簡単には踏み込ませてくれない』とか、『冴え冴えとした氷輪のような月下の貴公子』とか聞いていたはずなのに。
(本当、他人の噂なんて、あてにならないわ・・・・・・。)
お茶会でそう評していた数多のご令嬢たちは単に知らないのだ。彼がこんな風に感情豊かな人で、声を立てて笑うことがあれば、こんな夢見る少年のような顔をすることもある、魅力的な人なのだという事を。
そして、そんな彼に魅せられて、さっきまでの不安がスルスルと解けていくのを感じる。白百合姫になると口にして、自分は酷く身構えてしまっていたのかもしれない。
(ギルは、ギルのままで、何も変わらないのに・・・・・・。)
エリザベスがふふっと思わず笑った声が辺りに反響する。ギルバートは一瞬驚いた様子だったが、エリザベスが少し距離を詰めて横並びに歩くようにすると目元を緩めて幸せそうに笑った。
「・・・・・・ここを出たら、騒音橋の所に出るから、屋台でも覗いて帰ろうか?」
「あら、寄り道したらロバートに叱られない?」
「何、ちょっと覗いて帰るだけだよ? 美味しいフィッシュアンドチップスの店があるんだ。」
「さては、それがお目当てで、この位置に抜け出たの? ギルなら他のところに出る抜け道も知っているんでしょう?」
「・・・・・・他にもオススメの店が色々あるんだよ。きっとリジーも気に入る。」
そう言って否定しないギルバートの様子に、ロバートが「あまり寄り道をするな」と釘を刺した理由が分かって目を細める。エリザベスは「じゃあ、怒られない程度に紹介してね?」と笑った。
◇
しばらく水路脇を進み、石畳の隙間から草が生えるようになっていくと、暗渠の出口が見えてきて、河原沿いの道の街灯も見えてきた。
そして、外に出ると同時に橋なのか街なのか形容しがたい物が頭上に見えてきてエリザベスは固まった。
土台は間違いなく橋なのに、上には長屋が連なっていて夜にも関わらず賑やかで活気づいている。
「あれは・・・・・・?」
「あれが騒音橋。」
元は普通の石橋だったのだが、露天が出るようになり、テントを張るようになり、小屋が立つようになり、長屋になり、いつの間にか橋自体がマーケットになってしまったらしい。
「それって、橋の強度、足りるの?」
エリザベスが心配して訊ねれば「だから、あれは三代目」と、ギルバートはしれっと答えた。
「今のは長屋にありきで作ってあるから、しっかり土台も石積みされているし、違法建築しないように通達されてあるよ。」
それでも今度はその脇の道に屋台は広がり、ここら一帯は夜でも騒がしい賑やかなところになっているらしい。
「元は聖なんとか橋だったんだけど、その名は廃れてしまって、二代目を架け替えた時には、今の通り名の方が正式名称になってしまったんだって。」
ギルバートは脇道に上がる階段を見つけると、手元のランタンの火を落とし、腰のベルトに付けると「ほら、リジーもおいでよ」と手を引いて歩み出す。
「フードは目深に被っておいてね。ここは父さんのお膝元のマーケットだから、僕らの正体がバレたら、あとで何て冷やかされることやら。」
そう肩を竦めつつ、エリザベスの髪が隠れているか再確認すると、今までのエスコートのような繋ぎ方でなく、指を絡めるような握り方に手の握り方が変わる。
「あ、の、ギル・・・・・・?」
エリザベスが戸惑いの声を上げると、ギルバートは首を横に振り、耳元で「僕を『ギル』と呼んだらだめだ。正体がバレて身動き出来なくなる」と苦笑する。
「僕が良いと言うまでは『ボブ』で。ロバートの服を借りてるし、あそこに視察に行く時はそれで通してる。」
「じゃあ、私は『ベッキー』? レベッカの服を借りてきたから。」
「うーん、それよりはエリザベスなのだし、僕の白百合姫になってくれるんだろう? 今は『リリィ』でどうだい?」
糖度高めの言葉を紡ぎ、「ね? 白百合姫」と答えも聞かずに人混みの中に入る。そうなると、さすがに続きを問答するのが難しくなって、エリザベスはギルバートについて手を引かれるまま、騒音橋の中に迷い込むことになった。
「ほら、あそこのお店が話してたフィッシュアンドチップスが絶品のお店だ。」
ギルバートは器用に人をすり抜けながら、出店スペースと簡単なイーティングスペースのある魚と・・・・・・あれはいったい何だろう?
一件、竜のような、蛇のような怪物の絵が描かれた看板の店の前に来る。
客層は若い人から年配までまちまちだが、大抵はビールやジンジャエール、それからシードルの小瓶を片手に、フィッシュアンドチップスの皿をつついていた。
「やあ、ジョン。景気はどうだ?」
「ボブ、久しぶりだな。最近ご無沙汰だったじゃないか。」
「ちょっと立て込んでてさ。ジョンが表に出てくれていて助かったよ。持ち帰りでフィッシュアンドチップスを二つくれないか? 飲み物は、俺はいつもの。彼女にはシードルを。」
店先のジョンと呼びかけられた四十絡みの男は、「彼女?」というとギルバートの陰に隠れるようにしているエリザベスを見て目を丸くする。
「・・・・・・ったく、何だよ。忙しいってそういうことか?」
「羨ましいだろ?」
悪びれる気配なくギルバートが言い切るから、ジョンはギルバートからお金を受け取り、奥の厨房に「フィッシュアンドチップス、二人前」と声を掛けたあと、冷水でよく冷やされたエールビールの小瓶とシードルの小瓶を取り上げた。
「久々に来たんだが、そっちに変わりはないか?」
「ああ、残念だけどな。こっちは毎日、注文受けて、瓶の尻を拭いて、こうして蓋を開ける毎日ってだけさ。」
そう言ってそれぞれの小瓶の王冠の部分を外して「ほれ、先に飲み物な」と差し出し、「仲良く手なんか繋いじゃって、おいちゃんは腹いっぱいだよ」と苦笑する。エリザベスがおずおずと小瓶を受け取る横で、ギルバートは呆れ声で「そっちの話じゃないよ」と話した。
「経営の話だよ。この店は公爵様が噛んでるんだ。立ち寄ったからには報告はしないと。」
「おっ、恋にうつつ抜かしていても、一応、仕事はするんだな?」
「一応で悪かったな。」
ジョンはくくっと商人らしい笑いをすると、
「料理の値段を上げると客足が遠のくから、据え置きに出来るように、鋭意努力中だよ」と答えた。
「公爵様がショバ代を下げてくれりゃ、だいぶ楽になるんだろうが・・・・・・。」
「ショバ代を下げてくれりゃって、そんなにカツカツなのか?」
「ああ、小麦やら運送料やらが上がってきていてな。一昨年の凶作のことがあるから昨年までは仕方ないせよ、今年は下がると見てたんだ。けれど、今年もまだ値崩れする気配がないし、何ならじわじわと上がっているときた。」
「小麦はだいぶ税率を下げているはずだ。運送料が高いのか?」
「ああ、そっちが去年の倍近い値がかかる。何でも北に向かう奴が多いらしくて、南の穀類を運ぶより、北に向かいたい力自慢、技自慢を運んだ方が歩合がいいらしい。南に向かう荷馬車が減らされて、その分、こっちの足元も見られているんだよ。」
「へえ・・・・・・。」
ギルバートは一瞬、眉根を寄せて考え込むようにしたものの、「ほい、お釣り」というジョンに、逆に銀貨をひとつ渡して握らせる。
「それは受け取っておいて。」
ジョンは「今日は随分と高値で情報を買うんだな」と口の端を上げた。
「そうでもないよ、情報料としての支払いは半分だ。残りの半分は口止め料。」
「口止め料?」
「ああ、俺は腹が減っていて、ふらりとこの店に立ち寄り、二人前食べていった。いいね?」
メイド服を着たエリザベスの様子に気がついたのだろう、ジョンは「職場恋愛か?」と訊ねてくる。
「まあね。うまーく、非番の日を合わせたんだ。口止め料を受け取ったからには、黙っててくれよ?」
「はいはい、そんなの聞きに来る奴なんて、そう居ないだろう?」
「いいから、約束してくれよ。理由は聞かないで欲しい。で、代わりにそれでルーシーに美味いものでも食べさせてやって。」
すると、ジョンは「それじゃ、そうさせてもらうかな」と、厨房から出されたフィッシュアンドチップスの器を持ち帰り用に整えると、「俺は何も見なかった。腹を空かせたボブが来て、二人前、注文を受け付けただけ」と手渡した。




