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恋と迷宮(2)

『どうか僕だけの白百合姫になって――。』


 頭の中をギルバートの言葉が何度もグルグルする。エリザベスはギルバートの鳶色の瞳を見ると、目が逸らせなくなって、ふらふらと近くの壁に凭れかかった。さっきから聞こえている「ドドドッ」という音は水路から聞こえる水音なのか、それとも自分の心音なのか分からなくなる。


(『どうか僕だけの白百合姫になって』って・・・・・・。)


 その台詞は二人を『白百合姫の恋物語』の中では、ヒーローが夜会の喧騒からヒロインと共に逃れて、甘く囁くプロポーズの台詞であって、こんな風に切なげに懇願されるような台詞ではなかったはずだ。

 ああ、あのシーンの同じ台詞を読んだ時には、こんな風に横っ面から頭を殴られたかのような感覚を味わうだなんて思ってもいなかったというのに。

 ギルバートはランタンを足元に置いて、壁に寄り掛かるようにしたエリザベスを追い詰めるかのようにして、薄明かりの中、ゆったりとした動きで間合いを詰めてくる。揺らめく炎にふたつの影が僅かに揺れた。


「リジー、答えを聞かせて?」


 執務室の時と同じように、低く、切なげに「答えを聞かせて」と訴えられると、「君のせいだ」と言われた時と同じようにしてきゅうっと胸が苦しくなる。

 それに、あの頭の芯まで痺れるような官能的な口付けが思い出されて、背筋がゾクゾクとむず痒くなるような心地にさせられて、エリザベスは後退りした。

 さっきはオリバーに邪魔されて中断されてしまったけれど、今度は邪魔するものも来るまい。


(ああ、もう・・・・・・。)


 視界いっぱいにギルバートの気遣わしげな表情が広がり、その息遣いまで間近に感じると、ごくりと喉を鳴らす。


「ギル・・・・・・。」


 辛うじて言葉にできたのは「はい」でも「いいえ」でもなく彼の名前だけ。けれど、それだけでギルバートは全てを悟ったようにして、大きく節だった指先が頬に触れてきて親指で唇をなぞられる。

 エリザベスは堪らず、熱い吐息を漏らした。


 ◇


 エルガー公爵家にとっての『白百合姫』は、今、流行りの『白百合姫の恋物語』のそれとは違って、「もうひとつの特別な意味が含まれている」と教えてくれたのは公爵夫人のジェニファーだった。


「・・・・・・王家の末裔ですか?」

「ええ、そう。ずうっとずうっと前、北方にあった小国のね。」


 ギルバートの為に刺繍する文様を相談しに行った際に聞かされたのは、遠い昔、まだエルガー公爵家の先祖が今のノーランド王国の辺りに暮らしていた部族だったという話で、どうしてエルガー公爵家の紋章に白百合が施されているかの話だった。


「かつて北方にあった国の名はアルバ王国。国の花が白いマルタゴンリリーだったらしいわ。」

「それで百合の紋章?」

「ええ、だけど、それだけじゃないの。」


 かつて北方に暮らしていたエドガー家の祖先は、東からは海の部族に、西からは現在のノーランド王国の祖となっているダンケル家から攻められていたのだという。


「元はダンケル家とは争いが起こるまでは、婚姻関係で繋いでいたようなのだけれどね。」


 ある時、アルバ王国が友好の証にダンケル家を王城に招待したところ、これ幸いと武力制圧されたそうだ。


「その際にね、ダンケル家の裏切りにいち早く気が付いて、王太子とその息子、つまりエルガー家の初代と二代目を旅行と称して逃がしたのが、皮肉にもダンケル家から嫁いできた王太子妃だったの。」


 王と王妃は殺され、王太子たちを逃がした王太子妃は一族の者によって捕らえられた。


「もちろん脚色も入っているとは思うわ。けれど、この話が事実なら、彼女はエルガー家の初代を愛し、慈しんでらしたのでしょうね。『王太子の行方を言えば命は助ける』と言ったダンケル家の当主、つまり彼女の父親の前で、彼女は『私は彼の方の白百合姫。自らの正義に従い、命惜しさに誰かに(おもね)ることはございません』と告げて、喉を掻っ切ったらしいわ。」


 それを今のグニシア王国の王家、デーン家の元に来ていたエルガー家の初代は嘆き悲しみ、訃報を知り親身になってくれたデーン家の三代目にその場で国を譲ることとし、身軽な身の上になって、ただ一人、ダンケル家に乗り込んだそうだ。


「それで・・・・・・?」

「武功名高い方だったそうで、初代の勝利だったそうよ。けれど、ダンケル家の当主を討ち取ったものの、その時の傷が原因で、利き手が不自由になったと聞いているわ。」


 そして、傷だらけになりながら、ダンケル家の庭の片隅で、打ち捨てられるようにして葬られていた白百合姫を引き取り、エルガー家としてきちんと弔って、代々の墓地に埋葬し直したそうだ。


「だから、この家はノーランド王国とグニシア王国が犬猿の仲である以上に、ダンケル家とは相容れないの。」


 先代まで一子爵家に過ぎなかったのは、デーン家に忠誠を誓い爵位を固辞してきた歴史があり、また、現当主であるルーカスが一足飛びに公爵位を貰えたのも、エラルド公国の公女であるジェニファーの嫁ぎ先として格上げと共にその歴史的な背景があったからだという。


「エスカッシャンの中に描かれた白百合は、彼女の忌中紋章(ハッチメント)に、ダンケル家のアザミの紋章を使うのを嫌って百合の紋章を使ったから。初代当主は彼女の葬儀を行う際に『彼女はダンケルの者にあらず。彼女はただ我が唯一の白百合姫』と言って棺の前に跪いたそうよ。」


 たとえ、死が束の間二人を分かつとも、ただ唯一のあなたに全てを捧ぐ――。


 エルガー家の紋章は、伝統的なクラウン、オリーブのリース、マント、それから両脇に獅子が描かれる他、真ん中のエスカッシャンの部分には意匠を凝らした白百合が描かれ、その下に青いリボンと金の文字でモットーが書き込まれている。


「この百合の紋章は『白百合姫』の象徴。そして、この『Totus tuus』には『あなたに全てを捧げる』という意味があるわ。」

「あなたに全てを捧げる・・・・・・。」

「ええ、地位も、名誉も、富も、あまつさえ、その命も全て、ね。」


 エルガー家の初代当主は王太子妃である白百合姫以外には妻を持たなかった。それでも、エルガー家が続いたのは、幼かった二代目が乳母に守られて成長し、家を引き継いだからだ。


「このエルガー家は、エラルド公国から嫁いできた私にもおおらかな性質(たち)の家だわ。けれど、そんな私もルーカスに『この白百合を穢すような真似だけは絶対に許されない』と教えられたの。これは『エルガー家の誇り、そのものだから』と。」


 清濁飲み込まないと生きていけないような仕事に従事しながら、ルーカスもブライアンもエルガー家の者たちに一本芯があるのは、それが理由であり、常に自分自身を律しているからだとジェニファーは告げた。


「エルガー家の誇り、ですか?」

「ええ、そうよ。自分達の祖を助けた白百合姫への畏敬の念と、彼女を愛し抜いた自分達の祖に対してのね。」


 "清廉であれ、高潔であれ、公正であれ。白百合の如く、ただ己の正義と無垢なる愛のみに従え。

  清廉であれ、高潔であれ、公正であれ。そして、ただ自ら定めた白百合姫に恥じぬ振る舞いをせよ。"


 エルガー家に生まれた子は、それが何番目に生まれた子であるかに関わらず、必ずその教訓を当主から諳んじるように言われて育つ。


「だからね、エルガー家の者達が『白百合』や『白百合姫』の名を出す時は、何らかの覚悟を決めた時だと思っていいわ。」


 ただ唯一の人に捧ぐ、と――。


 ◇


 ギルバートの少し乾いた指先がエリザベスの唇をなぞり、そのまま頬へと滑っていく。やがてその指先は耳を弄ぶようにして触れ、じわりと広がるくすぐったさにエリザベスは身を竦めた。


(ああ、『僕だけの白百合姫になって』だなんて・・・・・・。)


 彼に全てを捧げられるような価値を自分自身に見い出せやしないし、物語に即して言われたのなら「軽々しく口にしてはだめだ」と言えたかもしれないけれど。

 エリザベスがゆっくりと目を伏せると、互いの気持ちを確かめるような、優しく啄む口付けが降ってくる。


「リジー、ううん、エリ、ザベス、頼むよ・・・・・・。」


 徐々に食むようにして、その続きを求めるギルバートの声と唇に呼吸が浅くなっていく。


(ああ、もう・・・・・・。)


 ギルバートの向けてくる熱っぽさも、微かに感じる吐息も。それに首筋につけているのだろうムスクの甘い香りも、伝わってくる優しい口付けも。

 そのどれもが酩酊するような心地を連れてきて、このまま、彼が与えてくれる愛情に溺れて窒息するんじゃないかと身構える。


「なるから・・・・・・。」


 エリザベスは溺れまいと必死にギルバートのローブの胸元を掴んだものの、間合いを詰めてくるギルバートに壁際に追い詰められて、つま先立ちになっていく。


「あなたの、あなただけの白百合姫に・・・・・・。」


 だから、こんな風に追い立てないで。

 溺れてしまう、から――。


 しかし、エリザベスの想いとは逆に、縫い止められるようにして腕や足で逃げ場を封じられると、息継ぎをした唇を塞がれて制止する声さえ奪われる。


「んん・・・・・・ッ。」


 頼りなく聞こえてくるのは二人の息遣いと、水路から聞こえてくる水音。

 朧げに見えるのは互いの熱を帯びた表情と、ランタンの炎に揺らめく影。


 この隠された通路内は国王陛下の王命も、ハミルトン伯爵らの陰謀も入り込む隙はなく、渦巻く嫉妬も、ブレーキになる慎みもなりを潜めて、ただ募る愛しさと溢れてくる心地良さだけを感じながら、互いに互いを求め合う。


 覆い被さるようにして迫ってくるギルバートに追い詰められて、エリザベスはズルズルと壁に沿ってずり落ちる。


「・・・・・・ッ。」


 ギルバートはようやく唇を解いてその身体を支えた。


「リジー?」


 耳を真っ赤にして俯いたままのエリザベスにギルバートが訊ねれば、肩で息をしながら抗議するようにして、力なく胸元を叩いてくる。


「キス、長すぎ・・・・・・。」


 眉間に皺を寄せて、擦り寄ってくるエリザベスがいじらしくて、ギルバートは息を詰まらせる。そして、本能のままに、抱きとめた腕に力を入れると、ぎゅうっとエリザベスを抱き締めた。


「ちょっと、苦し・・・・・・ッ。」


 苦しいのはこっちだ。

 ギルバートは「すう、はあ」と少し大袈裟なくらいに深呼吸を繰り返す。


「ギル?」


 最後に「はあ」と大きなため息を吐き終えた時、ギルバートは全力疾走したみたいに、胸が苦しかった。


「・・・・・・リジーが僕の理性を破壊するのと、結婚式とどっちが早いかが問題だな。」


 首を傾げているエリザベスに、ギルバートはふふっと笑って見せた。

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