山嵐たちのジレンマ(1)
ギルバートが行政部勤めに変わって、エリザベスはエリントンの邸の中で一人で過ごす時間が増えた。まだシーズンだから忙しいようで、先週末も金曜日の夜の日付が変わる頃に帰ってきて、泥のように眠り、土曜日の夜、夕食時になってようやく彼の顔を見られた。
連日の慣れない仕事で疲れているのだろう。面窶れした感じがより男振りを上げていて、ロバートに、二、三、何か言付けている横顔すら見蕩れてしまいそうになる。ましてや声を聞いたら、それだけで胸がいっぱいになってしまった。
「お元気そうでなによりです。もう体調はよろしいのですか?」
夕食前に発されたそんな簡単な社交辞令の質問さえ、以前のようには答えられなくて言い淀んでしまう。
ああ、氷華の離宮にいた時は、どうやって話をしていたんだっけ?
エリザベスが言葉を上手く紡げないままに、こくこくと頷くと、見兼ねたのかアンがかわりに「お戻りになった翌日は大事を取りましたが、その他の日はダンスの練習に、読書、それからお裁縫あたりを楽しまれています」と答えた。
「そうでしたか。体調が戻られたなら安心致しました。ご負担をかけてしまいましたね。」
少し心配そうに話すギルバートの様子に、胸がちくりと痛んで、エリザベスは逸る心を落ち着けて「いいえ、恙無く過ごさせて頂いております」と付け加える。
互いに丁度良い距離を測る様な、ぎこちない会話に、アンを初めとして、傍に控えて、二人の様子を見守っている家事使用人達まで、そわそわしているのが伝わってくる。
「ここ数日、ギルバート様はいかがお過ごしでしたの?」
エリザベスが訊ねれば、鳶色の瞳はあの日より前と何ら変わらず優しい。
「兄のブライアンにしごかれてますよ。次から次へと新しい課題が振られるので、休む暇がなかなか取れなくて、食事も片手間に食べている感じでした。」
だから、こうしてゆっくり食事が出来るのは嬉しい、とギルバートが話す。
「兄も一度『エリザベス嬢に会いたい』と話していました。一度、お時間をいただけませんか?」
「・・・・・・ええ、喜んで。」
あの日を境に彼は「リジー」と親しく呼ぶ事は避け、上手く「エリザベス嬢」と表現する。そして、それが酷く切ない心地を連れて来る。
やがて前菜が運ばれてきて、話は一旦止まった。
久しぶりの二人での食事は、いつになく静かだった。
◇
「アン、四六時中くっついてなくても平気よ?」
「ええ、そのようですね。明日からはそう致します。」
ダンスに、邸の管理、領地の事業の勉強。
しかし、どれもどこか身に入らなくて、今日は早めに切り上げた。
「本当に大丈夫だから、少し一人にさせて。」
それからアンと庭の四阿のところから移動しないことを約束として、ハンカチへエルガー公爵家の紋章を刺繍していた。
「あ・・・・・・、痛・・・・・・ッ。」
ぷっつりと針を刺した指先に赤い雫が膨れていき、ハンカチが汚れないように脇に置く。指先を口に含めば、淋しさが胸にじわりと滲むように溢れてくる。
ギルバートから借りていた『白百合姫の恋物語』も読み切ってしまったし、何をやってもこんな感じでヘマばかりして上手くいかない。
(私、何してるんだろう・・・・・・。)
こんなことしてる場合じゃないのに。
だから、サムが庭師の格好で「お嬢、こんなところで何してるの?」と四阿の中を覗いてきた時には目を丸くして固まってしまった。
「サム? あなたこそ、こんなところで何やってるの? 御者見習いになったんじゃないの?」
「あー、そうだけど。お嬢、どこにも行かないし。旦那の方も仕事ばっかみたいだし。」
面と向かって主人に「暇だ」という使用人もサムぐらいじゃなかろうかとは思ったが、エリザベスは久々に口の端を上げると「それは悪かったわね」と笑った。
「うっわ、細かいッ! それ、この家の家紋?」
「ええ、もう少しで刺し終わるところよ。」
あとは名前のイニシャルを入れて完成、と言えば、サムはニヤニヤとする。
「この間、ステフお嬢が『旦那とお嬢が喧嘩したから、そっとしとくように』って言ってたけど、旦那もお嬢も杞憂みたいだな?」
サムが「仲がよろしいこった」と笑うから、エリザベスは「いいえ、喧嘩っていうか、私が愛想を尽かされたの」と苦笑いする。サムは「は?」と怪訝そうな声を上げた。
「いやいや、それはないっしょ。ギルバートの旦那、馬車に乗ってるとお嬢の話しかしてこないぜ?」
今週は何していたのか、塞いでるようなことはないか、どこか散策にでも連れていったか。
「正直、そんなにお嬢の事が気になるなら、真面目な旦那の事だし、仕事を一日サボるか、連休とるかして、お嬢を充電すればいいのにって思ってるんだけど。」
エリザベスは「それ、本当?」と目をぱちぱちとさせる。
「いや、ここで俺が嘘吐いても、何の得もないでしょう? むしろ今日は『お嬢が精魂込めて旦那の為に刺繍してた』って話しが出来そうで重畳。」
それから、サムはにやりと笑みを浮かべて「で? ハロルドから邸内に箝口令が敷かれていますけど、旦那と何があったんですかあ?」とニヤニヤとされた。
「アンがギルの旦那を酷く警戒していたって、レベッカからも聞きましたよ? 旦那に無理やり押し倒されでもしました?」
「な・・・・・・ッ!?」
サムの明け透けな物言いにエリザベスが声を荒らげて「サムッ!!」と叱れば「おや、違いましたか?」と笑われる。
「お嬢は繊細な男心には鈍感だし、その癖、放っておくと押しには弱いから、他にかっ攫われそうになる。だから、大方、旦那が焦って婚前交渉でも迫ったのかと踏んでたんですけどねえ。」
そう言いながら、旦那も隅に置けないなとか思ってたんですけど、と笑う。
「ともかく、夫婦喧嘩は犬も食わないんすから、こんなに周りをやきもきさせるくらいなら、さっさと片付けちまいましょうよ。」
「・・・・・・そうね、そう出来たら、いいんでしょうけど。」
「煮え切らないっすね? まだ何かあるんですか?」
「ギルバート様に、無理に『ギル』って呼ばなくていいって断られたのに・・・・・・。」
それを聞くとサムは「あー、二人とも面倒臭ッ!」とぼやいた。
「お嬢、何やらかしたんですか? 旦那、完全に拗ねてんじゃないっすか。ってか、そんなの『ごめんなさい、私にはあなただけよ』って抱き付けば済む話っしょ? 旦那、案外チョロそうだし。」
エリザベスはぎろりとサムを睨み上げる。
「・・・・・・さっきから聞いていれば、随分な口の聞き方ね。」
「お? ギルの旦那に俺をクビにしろって告げ口でもします? いいっすよ、それで仲直りしてくれるなら、それでも。」
「いいえ、そんなことでギルバート様の手は煩わせられないわ。サムにはこうするだけよ?」
そう言うとアンに渡されていた呼び鈴をチリリンと鳴らして、勝ち誇った顔になる。
「・・・・・・呼び鈴?」
「ええ、早く退散するのを、おすすめするわよ?」
「はい・・・・・・?」
と、不意にサムは耳を引っ掴まれて「サムッ! 何やってるんだいッ!」と耳元で怒鳴られた。
「イデデデデデデッ!!」
「呼ばれるまで我慢していれば、ベラベラ、ベラとッ!!」
「タ、タンマ、タンマッ! お嬢、助けてッ!!」
その様子にエリザベスは勝ち誇った顔になり「自業自得よ?」とにんまりした。
「ひでぇ・・・・・・ッ。」
「「酷いのはどっちよ?」」
エリザベスとアンが同時に言えば、アンはふふっと笑みを漏らす。そして、サムの耳から指を外すと「若奥様、この邸の人事権は若奥様にあると旦那様が申しておりました。如何しましょうか?」と訊ねる。
「邸の人事権を、私に・・・・・・?」
「ええ、ハロルドや女中頭のミセス・ラッセル、それから私は若奥様の補助に過ぎません。サムの替えはいくらでも居りますから。」
エリザベスはニッコリとサムに「どうする?」と訊ねる。サムは短く「げッ?!」とカエルみたいな声を出すと「今、追い出されて返されても、親父に締められるんで、勘弁してください」と泣きついた。
「分かったわ、でも、次にギルバート様を悪く言ったら、ただじゃおかないから。どこからお給料が出てるのか、よくよく考えて発言する事ね。」
「へーい。」
「・・・・・・まあ、でも、今回はサムが言うことも、一理あるとは思ったけど。」
エリザベスは脇に置いたままの刺繍を刺していたハンカチを手にして「名前を入れ終えたら、王城まで連れてってくれないかしら?」と話す。
「「・・・・・・は?」」
今度はサムとアンが同じタイミングで声を上げ、それから、アンが「王城近くは、口さがない者も多くおりますし、危のうございましょう?」と話す。
「ええ、だから、こっそり。レベッカの服でも借りて、髪を隠して行きたいんだけど。」
「それを私が許すと思いますか?」
「あら、私が一人で家出をして大騒ぎになるよりは、筆頭執事や女中頭に告げて、サムやアンと一緒に出掛けた方が賢明だと思わない?」
そう悪戯めいた目をしてエリザベスが笑顔で脅迫してくるから、アンは「ああ、最近は大人しくして下さっていると思っておりましたのに」とボヤいた。
「承知しました。『王城に行かれる』のは決めてらっしゃるんですね?」
「ええ、そういう事。」
「・・・・・・ならば、お止めしても無駄な事。大人しく拝命致します。サム、馬の準備を。」
「ほい、来た!」
「今日は『家の遣いの者が忘れ物を届けに来る』設定よ? 王城に向かうけれど、私はレベッカとして行くつもり。だから、程々の格好でお願いね。」
「オーケー、オーケー! お嬢もレベッカらしくしないと門番が疑うかもしれないんで、ボロ出さないでくださいね?」
すると、アンまで「そうですよ、下町へのお忍びとは違いますからね?」と念を押してくる。
エリザベスは「分かったわ」と答えると、嬉しそうにギルバートの頭文字を刺繍し始めた。
ご閲覧、誠にありがとうございます。
稚拙な作品ながら、ブクマ&評価もして頂き、
先週末は1日で1000件越えのPV数で、
「え? あ? ええ?」と文字通り、二度見しました・・・・・・。
主人公が異世界転生したわけじゃない系ラブロマンスが出来ないかなと思っておりますので、
引き続き生暖かい目で見ていただけますと幸いです。




