金の卵を産む鶏 (2)
現エルガー公爵家の当主であるルーカスが、エルガー子爵の子息として、あの大きな本邸の門をくぐったのは、もう四十年前になる。
母は正妻腹ではなく、たまたまエルガー子爵のお手付きになったメイドの子。それゆえ、本来ならこんな風に子爵家に招かれる立場ではなかったし、父に「裏口から招き入れるにしても、いっとう上物を着て来い」とは言われたものの、その服も古着だったから、薄汚れていて、いくつか継ぎ接ぎが施されていた。
父の子爵は「それが上物か?」という目をしたが口にする事はなく、家に入ると二言、三言、執事だかフットマンだかと言葉を交わして去っていく。
あの日――。
市井で母子二人で暮らしていたルーカスは、エルガー子爵家の息子に格上げされた。
そして、ルーカスはこうなる事を知っていた。
(・・・・・・思い出した時は驚いたけど、妹からたまたま借りた漫画の、しかも攻略キャラの父親に転生って、マジ、どんな状況だよ?)
久しぶりの風呂を満喫し、「前の世」の記憶の中の自分とあまり変わらない鳶色の眼を見て思う。
自分は気でも狂ってしまったのだろうか?
けれど、それにしては自分の顔は例の漫画に出てきていた「ギルバート」に似てる気がするし、爵位こそ違えど、今回の件で自分は「エルガー」の名を冠する事になる。
(えーっと、確か『僕の父は人を人とも思わない自他ともに認める冷血漢だ。政敵を追い落とすためなら、毒を盛る事も、社会的に抹殺することも厭わない。国境近くの町や村がひとつ消されても眉ひとつ動かさない。だが、成長するにつれてどんどん僕はアイツに似てくる。僕はあんな風にはなりたくないんだ』だったか・・・・・・?)
あの漫画のギルバートの言葉が正しいなら、自分が生まれ変わった「ルーカス」とやらは、少なく見積って「最低な奴」、多く見積もると「最悪な奴」なわけだが、あのスラム街の掘っ建て小屋から、こんな豪華絢爛な邸に移されたなら、確かに「ルーカス」はこの生活に執着しただろうなと思えた。
(・・・・・・で、俺は一体、どうしたらいいんだ?)
自分はどうやら政敵に毒を盛ることも、社会的に抹殺することも厭わないくらいには出世するだけの器はあるらしい。
確かにスラム街で貧民として暮らしていた自分が、急に前の世の知識と、底意地悪く生きれば、きっとそれくらいの事はできる気がする。
けれど、やり過ぎて自分に似た息子に、ああも悪し様に言われるのくらいは「軌道修正」したい。
そうじゃないと、ギルバートは主人公の「サラ」に味方して、姉のステファニーを第一王太子妃の座から追い落とし、兄のブライアンを宰相の座から引き摺り下ろそうとする。
それは「前の世」で「兄妹仲良く」をモットーに暮らしていた自分としては受け入れ難く、「せめて、三人の子供には仲違いして欲しくない」と思ってしまうのだ。
「ルーカス坊っちゃま、この後はお父様がお呼びです。」
「承知した。父上にはお茶でも召し上がってお待ち下さるように伝えてくれ。」
明らかに貧民の姿でゴシゴシと髪や体を洗った直後だと言うのに、以前からそう教育を受けていたかのようにして流暢に敬語を使いこなした事に驚いたのだろう。フットマンは目を瞬かせて、一礼すると去っていく。
それから、着慣れない糊の利いたシャツに、白いハイソックスにブリーチと呼ばれる半ズボン。髪もボサボサだったのから梳ってもらい、油でツヤを出し、砂糖水でサイドの後れ毛を固めてもらえば、若干、線は細いものの「エルガー子爵の令息」が出来上がる。
メイドたちが寄って集って、その能力をフル稼働させたとも言えるけれど、その出来栄えには、応接室でお茶を口にしていたエルガー子爵にも舌を巻いた様子だった。
「馬子にも衣装とはこの事だな・・・・・・。」
ティーカップをテーブルに置くと「どうしてお前をこの邸に迎え入れたか分かるか?」と話す。
彼がその答えとして、十歳にも満たず、市井の中で育ってきた本来のルーカスにどんな答えを期待していたのか分からないが、ルーカスはそれを聞くと、近くに侍っていたメイドに「僕には冷たい果実水を用意してくれない?」とニコリとして声を掛けて体良く追っ払う事にした。
「果実水ですか?」
「そう、よく冷えたものを。お風呂に入ったでしょう? 喉が乾いちゃって。」
エルガー子爵はルーカスが、体良く人払いしたがっていることに気がついたのだろう。片眉を上げ、メイドに「持ってきてやれ」と言うと、ルーカスを値踏みするようにすうっと目を細めた。
メイドが一礼をして部屋を出ていく。ルーカスはそれを見届けると、父であるエルガー子爵にもう一度ニコリとした。
「エルガー子爵、僕は貴方と取引がしたいのですがお話を聞いてくださいませんか?」
「取引だと?」
「ええ、貴方は母に金貨幾ばくかで僕を売れと迫ったようですけど、僕はそんなに安くないんです。半年いただければそれを証明してみますよ?」
「ほう・・・・・・? どうやって証明するつもりだ。」
侮るような、それでいて面白いものを見るかのようなエルガー子爵の様子に、ルーカスは「しめた」と思う。
「今、貴方は『跡取りとなる息子』がほしいとお考えでしょう。きちんと貴族としてのしきたりを理解し、マナーが守れて、多少、楽器やダンスを嗜める、そんな『子爵家の令息』として恥ずかしくない社交ができる息子が。そして、この戦時下です。きちんと時流を読んで、亡き兄たちのような愚かなことはせず、臨機応変に立ち振る舞いのできる息子がほしい。そうでしょう?」
ノーランド王国との戦況の悪化と、先王の母、王太后主催のパーティーで起こった暴動さわぎ。
第一夫人との間に生まれた長兄は、巷で騒がれている反乱分子の一派と一緒になって王太后を糾弾し、騒ぎの最中、近衛兵に喉をかっ切られ即死。そんなことが起こるとは知らずにパーティーに参加していた次兄は、命からがら逃げ帰ったものの、目の前で兄を殺されたトラウマと、王太后に睨まれて王城への出仕がままならなくなった事からか、心を病み、やがて服毒して死んでしまった。
「今は子爵様もご存知のように王太后殿下の時代です。けれど、死は誰にでも平等だ。待っていれば、いずれ子爵様が目をつけている王太子殿下の順番が来る。けれど、それにはノーランド王国との戦いを何とかしなくてはならない。違いますか?」
このエルガー子爵家のある王城近くの土地では穀物の値段がジリジリと上がっているくらいで留まっているが、これがノーランド王国の近くとなると変わってくる。
国境近くは常に緊迫していて、いつ暴動が勃発してもおかしくない状況だ。それゆえ、住んでいたところを焼け出されたり、食い扶持を減らすのに捨てられたりした者たちが、ルーカスとその母親のようにスラム街に命からがら逃げ込んで過ごしていたのだ。
(ここを追い出されれば、またあの酷く薄汚れた掘っ建て小屋のような家で過ごさねばならない・・・・・・。)
それはきっと本来のルーカスも、転生者としての自分も意見を同じくしているところだったから、何としてでもこの子爵に気に入られて、この邸で暮らしたいと考えていた。
(もう、あんな生活は二度とゴメンだ。)
頭を過ぎるのはこの子爵家での暮らしさえ不便と思わせるような文明社会での暮らし。蛇口を捻れば水は出るし、なんなら声だけで明かりを付けたり消したりできるような生活の記憶だったから、あの酷く饐えた匂いのするスラム街には絶対に戻りたくなかった。
エルガー子爵はゆっくりと瞬きをする。
「そうだな。お前の言っていることは正しい。私には『跡取りとなる息子』が必要だ。お前はなかなか聡い様子。しかし、それだけでは私はあれ以上の金を、お前の母親に積む気はないぞ?」
「ええ、あれだけあれば、母は今までの借金を返済し慎ましく暮らすことが出来ましょう。僕は母ではなく『僕自身』に投資をして欲しいんです。」
「お前自身に投資?」
「はい。僕を学園に通わせてください。」
「風呂に入れて着替えさせただけで、貴族のつもりか?」
「何を生意気なとお思いなのは十分に承知のお願いです。ですが、子爵様が僕を跡取りとして育てるおつもりならお願いします。僕はむざむざ殺されたくないんです。この国は今は辛うじて王太后の時代。しかし、来たる世は恐らく乱世でしょう?」
今のこの国は熟れた果実のように柔らかく脆弱で、このまま王太后をのさばらせていれば、今は平穏そのもののエルガー子爵領も戦火に巻き込まれかねない。
「これから必要になるのは『軍事に関わる知識』であり、それが集まっているのは、奇しくも常に中立の立場を謳っている『聖マリアンヌ学園』の図書館の中。僕にこの地の領主になれと言うなら、それを学びたい。」
野心的な目で、エルガー子爵を射抜くように見れば、彼は頬を引き攣らせるようにして笑い「良いだろう」と答えた。
「お膳立てはしてやろう。学園に行かせるかどうかは、半年後の成果次第だ。」
期限は、半年間――。
そこからは、日の出と共に起きて眠るまでの間、家庭教師に習う時間はもちろん、食事時中も、家の中を歩く時でさえマナーを学んだり、復習したりする時間として費やした。
「いやあ、ルーカス坊っちゃまは、まるで真綿が水を吸い込んでいくようですな。」
会話の中で語順が英語圏のように主語、述語、そして、目的語の順だと分かれば、あとは単語や言い回しを覚えていけばいい。
「前の世」では英文科だった事もあり、初めは絵本から始め、娯楽小説、新聞を乱読し、分からない単語を辞書を使って補った。
また、文字が読めれば、数学や物理関連は一般教養で使うのは中等教育相当で十分だったから、かなり早い段階で家庭教師を追い抜いた。
厄介だったのは歴史や政経の部分だったが、十六、十七世紀のイギリスの状況にそっくりだったから、新聞が読めるようになってくると徐々に現状の情勢を覚えて、そこから遡る形で家庭教師に原因を教えてもらうようにした。
「ルーカス坊っちゃまは珍しいお勉強の仕方をなさる。」
元行政官の端くれとして働いていたという家庭教師に言われて、今年の天候と麦の作付け面積から適正と思う卸価格の算出をしていたところポツリと呟かれた。
「そうかな? 地図を見ながら考えた方が、色々な事を考えられるし、覚えられるだろう?」
「ええ、ルーカス坊っちゃまのお勉強の仕方を見ているとそう思います。実に効率的な学習方法と言えましょう。」
そして、家庭教師は優秀な生徒に目を細めて、手書きの簡易的な地図の上のチェスの駒を動かす。
「現状、この地をノーランドに攻められておりますが、砦を破られたとしたら、この国のリスクは何になりますか?」
グニシア王国は北にノーランド、西にヴェールズに接していて、東の狭い海峡を越えた先のエラルドと国境を開いている。
その先に更に大陸があり、ネーデル公国、フランク王国、スパニア王国がある。
北のノーランド王国は半分以上が氷に閉ざされ、不凍港はヴェールズ公国側のほんの一部の地域のみだったから、グニシア王国の北東の港を奪いたがってたびたび武力衝突をしていた。一方、ウェールズ公国は山がちで、鉱石類や石炭などを採るのには良いものの、食料自給率は低く、グニシア王国の南東に広がる穀倉地帯を虎視眈々と狙ってきている。
(・・・・・・ノーランドの国王は正教会と繋がりができたと、傭兵達が話していた。)
それなのにグニシア王国の中は、王太后をはじめ国王陛下の外戚が幅を効かせていて荒れ放題で、末端の方から封建制度が崩れかけており政治の腐敗が進んでいる。
(この位置への侵攻はノーランド王国は不凍港獲得。だが、ここを攻められている合間に、大陸の国から穀倉地帯に火を放たれたらヴェールズ公国も飢える事になる。)
「難しいですか?」
家庭教師が問うた横でルーカスはいくつかのシュミレーションをし、そして、ヴェールズ公国のポーンを動かし、エラルド公国からナイトを動かす。
「ノーランド王国がこの北方の砦を突破すれば、この北東の港町を狙うでしょう。彼らの願いはエラルド公国への報復でしょうから。だが、それはヴェールズ公国にとっては面白くない話。あの国はスパニアの正教会から弾圧された人達が渡ってできた国だから。同じようにしてできたエラルド公国が襲われれば他人事ではない。」
そして、今度はグニシア王国の対岸、フランク王国の所にポーンを置き「けれど、今でこそ大人しくしていますが、こちらもこちらで南の穀倉地帯を狙っていますから、南に配置している軍を動かすことは出来ないでしょう」と話しつつ、「でも、一番は王家の後継者争いが問題ですね」とルーカスは王都を指差した。
「今から言うことは不敬に当たりましょうから、流し聞いていただけると嬉しいのですが、この国はいずれにせよ、一度、壊れます。それが、今、話していたような外敵ならば、まだ暫くは猶予がありましょうが、先週、国王陛下が怪我を受けて生死の境にあると聞いておりますから、崩御なされば第二王子殿下を推す王太后と、親政を望む王太子殿下がぶつかるのは必須。それを考えると、ノーランドと小競り合いをしている場合ではないでしょう。」
「・・・・・・では、仮にルーカス様が王太子殿下であれば、いかがなさいます?」
家庭教師は恐る恐る訊ねる。ルーカスは迷いなくエラルド公国とヴェールズ公国にルークを置き「まずは、三国同盟の見直しを計ります」と話した。
「・・・・・・三国同盟ですか?」
「ええ、平和の世にあっては形骸化してしまっていますが、それの拡充をします。」
ルーカスは「前の世」でシュミレーションゲームをした時と同じようにして戦略を立てはじめる。
「ヴェールズ公国で武器、防具を作り、グニシア王国では兵糧や騎馬の育成、エラルド公国では火薬や医薬品を作る。そして、それぞれについては低関税でやり取りするんです。」
ヴェールズは作付面積が小さく、食料はグニシアからの輸入に頼っており、それを交渉材料にすればいい。
「それに、王太子殿下の母親はヴェールズ公国の公女ですから、孫の言うことにヴェールズ公国の大公も耳を貸してくれるのではと踏んでいます。」
「エラルド公国はどうなさるんです?」
「エラルド公国の大公殿下は、先の大公の落胤との問題で、後継者問題で悩んでいる様子ですし、公女様たちの嫁ぎ先を迷っていらっしゃるご様子。」
そう言ってルーカスは「王太后陛下の影響で王太子殿下はまだご結婚なさっていらっしゃらないでしょう?」と微笑んだ。
「大公殿下は弟の侯爵閣下に大公家を乗っ取られたくない。王太子殿下はヴェールズ公国出身の母后を介して操られたくない。ならば、利害は合致しましょう?」
しかも、上手くすれば、王太子殿下の子をエラルド公国の公世子として立てて、両国間を盛り立てていく事も出来る。
「ですから、三国で同盟を結べれば、そこの砦が破られて侵攻されてもヴェールズ公国とエラルド公国が助成してくださいます。また、穀倉地帯の麦の収穫量が無事であれば、三国同盟を理由にすれば、貴族達も自領で抱え込むことは出来ず、流通の維持も国としてある程度コントロールが利くでしょうから、急騰することもなく、相場より少し上のせしたくらいで、最大の利益を得られるかと。あとは父上が動いてくださるかどうか・・・・・・、いかがでしょう、先生?」
「・・・・・・え、ええ、そうですね。この事は私からの旦那様にご報告致しましょう。」
そして、裏返った声で「今日はここまで」と言って部屋を出ていく。
それが父と約束した「半年」の期限の一日前の出来事だった。




