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恋は人を臆病にする(7)

 帰り道、一緒に馬車に乗車したステファニーは不気味なほど静かで、終始、無言だった。

 姉の性格を考えれば、聞きたいことも言いたいことも山のようにあるだろうに、ステファニーは馬車に乗る前に一言、「リジーは無事よ」と言ったきりで、いつものように頭ごなしに叱るようなことはしなかった。


「次の角で下ろして。」


 トントンと御者に合図を出して、ゆるゆると馬車が止まるのを待つ。


「だいぶ反省しているみたいだけど。男の嫉妬は醜いわよ?」


 それだけ捨て台詞のように言って、ステファニーは馬車を下りていく。ギルバートは冷ややかな表情の姉を見送ると、再び馬車に揺られながら深いため息を吐いた。


(いっそ、いつもみたいに馬鹿だ、何だのと罵ってくれた方が気が晴れたのに・・・・・・。)


 口うるさく言われないことで、かえって自分の嫉妬心が招いた失態について、自ずから省みる時間が出来たせいで、激しい後悔ばかりが募ってくる。


(コックス子爵家がエリザベスにとって、どれほど大事なのか『知っていた』のに・・・・・・。)


 有能な従者のロバートは、主がコックス子爵家のお茶会に出席するつもりだと知ると、エリザベスと彼らの関係を調べて報告してくれた。


 ひとつ、彼らは彼らの母親同士の代からの付き合いであること。

 エリザベスの母であるベアトリスは存命時にコックス子爵夫人と親友とも言える仲であり、ノア、キャロライン、エリザベスの三人はそれこそ赤ん坊のころからの幼馴染で、親交も頻繁にあった。エリザベスにとって、コックス子爵家は第二の家と言っても過言ではない。


 ひとつ、エリザベスの嫁ぎ先の最有力候補が、そのコックス子爵家であったから、ノアとエリザベスの仲は手出し無用の、暗黙の了解が社交界で浸透していたこと。

 つまり、それくらいノアとエリザベスは誰もが認める仲睦まじさであり、将来は一緒になるだろうと目されていたということだ。


 エリザベスは「ノアは兄のようなものだ」と言ったが、男の目線で見れば、ノアの態度は「兄以上の感情」に端を発しているのを感じたし、握手をした時から感じていたのは、やたらとこちらを値踏みするような視線だった。


『俺はリジーを傷付ける奴は許さない。』


 ノアが唸るようにして口にした言葉こそ、彼の本心だろう。

 二人とも互いが近く居過ぎて分かってないだけで、互いが互いを思いやっている。

 屈託なく笑うエリザベスと、楽しげに話すノアの様子は、自分が入り込む隙などないくらいに自然でお似合いだった。


『彼らの家族になれたなら、それはとても幸せだったかもしれないけれど――。』


 そう告げて口篭ったエリザベスの言葉の続きは知りたくない。

 自分と出会い過ごした時間は、ノアとエリザベスが過ごした時間の足元にも及ばないし、自分との婚約はエリザベスにとっては当初と変わらず「王太子殿下の仕出かした不始末を誤魔化す演技」のままなのかもしれない。


『今更、リジーを巡ってもうひとつ噂が立とうが、公爵家に盾突いたと父さんに勘当されようが知ったこっちゃない。』


 鬼気迫る顔で、そう言いきったノアはエリザベスを護る為なら、彼女をどこか遠くに連れ去ってしまうだろう。


 その激情に飲まれるようにして――。


 日はすっかり沈み、馬車の窓には疲れ果てた自分の姿が映り込む。その姿は激務をこなして帰った日のそれよりも酷かった。


(ちゃんと、話し合わないと・・・・・・。)


 婚約式の事も何もかも。彼女の幸せに自分は邪魔になるのだと知ってしまったのだ。このまま彼女を囲いこんで苦しめるつもりはない。

 そう頭は思うのに、心の内はぐちゃぐちゃに乱れていて、考えはちっともまとまりそうになかった。


(・・・・・・ったく、ある意味、正しいお仕置きだな。)


 ズルズルと背もたれに沈むようにして、クラヴァットを緩めて、溜め息を吐く。

 花壇に突っ込んだせいで服は泥で汚れているし、エリザベスはいないしで、今まで二十年、公爵家の次男坊として生きてきて、こんなに打ちのめされたのは初めてだ。


(本当、情けない・・・・・・。)


 公爵家に生まれ、あらかたのものは手に入る環境にありながら、一番欲しい人の心は手に入らない。


『婚約請願書にサインした後だからって、別に遣り様はいくらでもあるんだ。』


 そう、遣り様はいくらでもある。

 自分がグレイ侯爵やハミルトン伯爵、スペンサー男爵の思惑を明らかにした事で、切れるカードはぐんと増えた。

 今はまだ国王陛下とエルガー公爵家内で話が留まっているだろう内容と、うまく証拠を突きつけられれば、グレイ侯爵、ハミルトン伯爵など邪魔者を排除できるだろうし、長年の政敵であるボイル公爵家を黙らせることも出来る。

 そして、政敵の排除や抑え込みが上手くいったら、全てを詳らかにして、全てが芝居だったと明かせばいい。

 しかし、ギルバートはそこまで考えて、グッと奥歯を噛み締めた。


『僕は君の気持ちを尊重する。』


(そう告げたのは自分だというのに・・・・・・。)


 少し想像しただけで、身体全体が拒否反応を示す。


 寂しい、悲しい、苦しい、辛い――。


 こんな身が引き裂かれそうな思い、どうしようもない。


 ◇


 ギルバートがエリントン子爵邸に到着したのは夕食時で、エリザベスの出迎えで待っていたアンは、エリザベスの姿が見えない事と、ギルバートが泥だらけで頬にも傷を作っている姿に驚かされた。

 ギルバートはハロルドとアン以外は一旦下がってもらい、ハロルドにコックス子爵家の詫び状の手配と、アンを今日は自分付きにして欲しいと依頼する。


「ご覧の通り、諸事情あって、エリザベス嬢は今夜コックス子爵邸に泊めてもらうことにしたんだ。その辺りを直接アンに話したくてね。」

「承知しました。アン、構わないかい?」

「ええ、構いませんよ。お嬢様が戻られないなら、私は暇になってしまいますから。」


 人好きしそうな笑みでアンが答え「ひとまずそのお姿では難儀しましょう。お湯とお召換えの服をお持ちします」と話す。


「ああ、お願いしたい。部屋の勝手は、中にロバートがいるだろうから聞いてみてくれ。」

「畏まりました。」


 そして、アンの姿が見えなくなると、ハロルドに「くだんの件に伴って、王宮より書状が届いております」と告げられる。


「書状?」

「はい、旦那様の『王太子殿下付き儀典官』の任を解き、『宰相付き行政官補佐』とするとの通達でございました。就任の時期は調整中につき、追って連絡するとの事です。」

「そうか・・・・・・。」

「ご栄転、おめでとうございます。」


 ハロルドからの連絡に、兄ブライアンも重い腰をあげて、ハミルトン伯爵家の件を枢密院で取り上げる気なのだと悟る。


「兄さん、いや、宰相閣下からのご連絡はそれだけかい?」

「はい、書状はそれだけです。ただ使者の方が宰相閣下より直接言付けを承ったとの事で『古巣は何とかする。狸狐をいぶり出すので、次の登城からは自分の部屋まで来るように』と仰っていたとのことでした。」

「分かった。それは兄さんなりの激励ってことだな。」


 それから、アンとロバートに入浴を手伝ってもらって湯に浸かる。

 頬の傷だけかと思っていたら、背中の一部も打撲していたようで、ロバートには「一体、全体、何があったんです?」と聞かれた。


 そう言えば、ハロルドもアンも多少驚いた表情はしたものの、何も聞かなかったし言わなかった。


「年季の入っている二人は違うな・・・・・・。」

「へ?」

「いや、独り言だよ。」


 アンが用意してくれた香油がお湯の熱で辺りに漂い、その甘いジャスミンの香りがエリザベスの事を思い出させるから、ギルバートは重く溜め息を吐き出す。


「アンは近くに居るかい?」


 衝立の向こうから「はい」という声が聞こえて、「分かった。では、そのまま、そこにいてくれ」と話す。


「これから聞こえてくる話は独り言だ。質問も感想も意見も非難も、全部いらない。そして、聞こえてきた内容はこの場だけの事として胸の内にしまっておいて欲しい。」


 そして、返事の代わりに、ロバートがまだ洗い掛けだった髪の泡を流して、洗い髪の水気を切ってくれる。ギルバートはようやく重い口を開いた。


「エリザベス嬢がコックス子爵の令息と仲が良い事は、ロバートから聞いて知ってたんだ。自分の入り込む余地など初めから無いほど、仲睦まじいことも。」


 (はな)っから分かりきっていたこと。


「だから、この気持ちは完全なる横恋慕に過ぎないし、彼女に拒絶される覚悟もしてはいたんだ。」


 なにせ初めて会った時は「暴走王太子」を連れてきてしまった男だったし、二度目に至っては「契約結婚の打診」での訪問だ。出会い方としてはあまりいいものじゃないだろう。

 けれど、言葉を交わしてみて、あの笑みを見たら()()()()だった。胸が高鳴り、もっと彼女が屈託なく笑う姿が見てみたいと欲が湧いてしまった。


「みっともなく嫉妬して。独占欲をむき出しにして。彼女は何か言おうとしていたのに、聞きたくなくて、逃げ出してしまった・・・・・・。」


 ああ、そうだ。「僕との婚約のせいだね」と訊ねた時、彼女の手に力が入った。まるで意を決したかのように。そして、聞きたくなくて、逃げ出したのだ。「政略的な婚約に過ぎないのだから」という台詞を――。


 ギルバートはバシャリと音を立てて、顔を手で覆うと呻く。


「僕は彼女を傷付けてしまった。あんな風に追い詰めるつもりはなかったのに。」


 ノアの声に振り返って、木道の真ん中で立ち尽くすエリザベスの、苦しそうな、それでいて、不安そうな顔を見た時、逃げ出した癖に堪らず走り出していた。


 あんな顔、させるつもりはなかった。

 あんな苦しい思いさせるつもりも――。


「ステフに罵ってもらえれば少しは気も晴れたんだろうが、それも無くてね・・・・・・。」


 ちゃんと話合いをしなさいと言われたけれど、どんな顔をしてエリザベスに会って話をすればいいのかが分からない。


「僕はリジーを傷付けてしまった僕自身が、何より許せない。」


 頭は「ノアの元に戻してやれ」と判じるのに、心は「そんな事は受け入れられない」と拒絶する。

 ギルバートは感極まって泣きそうになると、大きく息を吸い込み涙を堪えた。しかし、肩は震え、鼻の奥がツンと痛むから、ゆっくり口の端から息を吐き、何度か深呼吸をして気を紛らわせる。

 最後に泣き顔を誰かに見せたくなくて、お湯を掬うと潤んだ瞳を隠すようにして顔を洗った。ザバリと音を立てて湯槽を出れば、戸惑いの色を隠せていないロバートが、バスタオルとバスローブを持ったまま惚けている。

 ギルバートはその手からタオルとバスローブを受け取り、簡単に羽織ると、前をベルトでとめ、衝立の陰で控えていたアンから水を一杯を受け取り、一気に飲み干すとようやく生きた心地がしてきた。


「少し、気は晴れましたか?」


 アンの質問にギルバートは首を横に振り、「ロバートもアンもここの片付けが終わったら下がっていい。少し一人にして欲しいんだ」と話す。

 ロバートは驚いたように惚けたままだったが、アンはその姿を一瞥しただけで、ギルバートには「承知しました」と頭を垂れる。


「ロビン、行きますよ?」


 そう言って、あんぐりとしたままのロバートを連れて外に出ていってくれた。

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