恋は人を臆病にする(6)
ギルバートとノアを追い出して、キャロルはすうっと息を吸った。まずは誰よりも自分が落ち着かなければならない。
胸元を押さえて、まだ苦しそうにしているエリザベスのドレスをステファニーと二人がかりで緩めて、ステファニーに窓を開けてもらう。それから、伏せっているエリザベスの横に座ると「リジー、落ち着いて」と静かに話した。
「私の事、見える?」
苦しみながらもうっすらと目を開けたエリザベスがこくりと頷けば、キャロルは「そう、その調子」と話す。
「大丈夫よ。そこから、ステファニー様は見える? 窓は開いているわ。カーテンと庭の木がそこからでも見えるでしょう? ここは邸の客室。もう安全よ。」
エリザベスが頷けば、キャロルはエリザベスの背中を撫でて、「私の手、感じる? リジーは今、客室のベッドの上にいるわ。枕と、マットレス、それから足元に毛布を掛かっている」と続ける。
すると、それを聞き、苦しみながらも、エリザベスは息を細く吐くのを繰り返す。キャロルは徐々にエリザベスが落ち着きを取り戻し、息を整えていくのを見ると、キャロルは「いいわ、上手ね」とエリザベスを宥めた。
「私の声、自分の呼吸、あと外の鳥の声も聞こえる?」
ようやくエリザベスが頷きながら「ええ」と答えると、キャロルは「落ち着いたようね」と微笑む。
「お水、飲む?」
気だるげに上体を起こしたエリザベスに、ステファニーから受け取って、水の入ったグラスを渡せば、ようやくひと心地つけた。
「それで? 何があったの?」
キャロルに訊かれて、エリザベスの目が泳ぐ。
「大方、うちのノアが原因なんだろうけど。あれほど、ちょっかい出すなって言っておいたのに。」
「ちょっかい? そうは見えなかったけれど・・・・・・。」
ステファニーはそう話したが、キャロルは首を横に振り、「二人の挨拶を見てたけど、二人とも目が笑ってなかったわ」と話した。
「本当なら今日は一応の挨拶をしたあとは、話した通り、ノアにはステファニー様のエスコートをお願いしてたの。リジーとノアの普段のやり取りを見たら、絶対、リジーとギルバート様、もしくはノアとギルバート様の間で喧嘩になると思ったから。」
ノアとエリザベスは、世間一般の目で見たら、兄妹でもないのに近過ぎる。
確かに田舎の子爵家と国外れの男爵家で、共に社交界の話題になるような家柄ではないし、「家格も合い、年回りもそう悪くなく、関係も良好」となれば、家族どころか、家事使用人だって「ゆくゆくは婚約、結婚して夫婦になる二人」と目してきた。そして、それゆえ、二人を咎めるものはいなかったのだ。
「ん? ちょっと待って。じゃあ、何? リジーが体調崩したのって、うちのギルが何か言ったってこと?」
ステファニーは、頭が痛そうに額に手をあてると「全く、リジーに八つ当たりするだなんて」と憤然とする。
「後で一言、言ってやらなくちゃ。」
しかし、エリザベスはそんなステファニーの袖を引くと、力なく首を横に振った。
「いいえ、ステファニー様。ギルバート様をお叱りにならないで。この婚約はギルバート様にとっては断れるものではなかったはず。それでも受け入れてくださっていたのに・・・・・・。」
ギルバートに惹かれれば惹かれるほど、いつかこの関係に終止符が打たれ、夢から覚めたギルバートが自分でない誰かの手を取る瞬間を想像していた。
だからこそ「本気にはするまい」とか、「政略結婚くらいがちょうど良い」とか、自分に言い訳していたくらいだというのに。
(それが現実になりかけただけで、あんなに取り乱してしまうだなんて・・・・・・。)
徐々に力が緩んで解かれていく手。小さくなっていく背中。何よりギルバートが見せた、痛みを堪えるような眼差しが忘れられない。
(一番、大切にしなくてはならない人で、何をおいても傷付けたくない人だったのに、あんな風に傷つけてしまった・・・・・・。)
と、不意にキャロルに手を取られると、自分の手が存外に冷たく、再び小刻みに震え出していることに気が付く。そして、ヘーゼル色の瞳で見つめられて「唇をそんな風に噛み締めてはダメよ、血が出てしまうわ」と諭される。
「それに、ほら、また呼吸が乱れてきてる。」
キャロルに指摘され抱き締めて貰うと、再び、乱れ掛けた呼吸を整え直す。
「ステファ二ー様、何も言わないと約束をお願いします。今はリジーの気持ちを尊重してあげたいんです。」
「・・・・・・分かったわよ。私からは言わないわ。」
そう、ステファニーが話したところで、コンとノックが響き「お嬢様、お医者様がいらっしゃいました」と声を掛けてくる。キャロルは「念の為、お医者様に前と同じ薬を貰いましょうね」とエリザベスに告げた。
◇
「・・・・・・それではお大事に。」
お茶会は予定通りには上手くいかずお流れとなり、エリザベスは医者の見立てもあり、一晩、コックス子爵邸に泊めてもらうことになった。
キャロルに経緯を聞いたのだろう。慣れた手つきで女医の先生は「少し疲れてしまったようね」とお薬を処方してくれた。
気分を心持ち和らげるハーブ。それと、眠りを誘うお香。そう言えば、ここのところ色々ありすぎて、よく眠れてなかったなと思い直す。過敏に反応してしまったのは、疲れが溜まっていたからかもしれない。
「あの、先生、ギルバート様の診察もお願いします・・・・・・。彼、頬を怪我していたの・・・・・・。」
眠たい。瞼が重たくて、頭の芯の方が霞みがかっててくる。女医の先生の「分かりました」という声は、近くで話されているのに、やけに遠くに感じて、しばらくすると意識がふっつりと途絶えてしまった。
で、次に気が付いたら夕食の時間だとキャロルが話す。
「少し顔色が戻ったみたいね。服は私ので緩くないかしら?」
「・・・・・・ごめんなさい、せっかくのお茶会。台無しにしてしまったわ。」
「些細なことだわ、気にしないで。私、あなたの顔が見られただけ、安心してるのよ?」
宥めてくれた時のようにしてベッドに腰掛けて手を取り「昔の、幽霊みたいなリジーに戻っちゃっているんじゃないかって、この一ヶ月、ずっと心配だったの」と話す。
「でも、ギルバート様と一緒にやってきたあなたをみて、思っていたよりは元気そうで安心していたわ。駆け落ちだなんて言って、二人で軟禁状態だったんでしょう? また、あの頃みたいになっているんじゃないかって・・・・・・。」
あの頃――。
キャロルの言うそれは、ちょうど、母のベアトリスが死んだ頃のことだ。
突如、現れた伯父夫婦は、母のベアトリスが具合を悪くし、続いて、祖父のエドガーも病に伏せると、お見舞いと称して邸に留まり、あっという間にエリザベスの居場所を奪っていった。
母の容態が急変して以降は「まだ症状が出てないだけで病を持っているやもしれない」と部屋に閉じ込められて、母の死に目にも会えず、最低限の食事と、喪服が差し入れられるだけでひたすら部屋に軟禁されていた。
後から聞かされたことだが、リチャードやトムやベンは地下牢に閉じ込められ、アンやサムはその分も減った人手を補いながら、ベアトリスの死去と祖父の体調管理とで手一杯だったらしい。
「公爵家があんな風にリジーを扱うわけはないとは分かっていても、姿が見えない、連絡が取れないとなると不安で仕方なくって・・・・・・。」
齢十二、三で実母にも、後見人である祖父にも先立たれそうな状態で軟禁状態に置かれ、血を分けた伯父一家に虐げられる。
それが多感な頃のエリザベスにひどい仕打ちが与えた影響はとても大きく、数日もしないうちに声が出せなくなり、異変に気が付いたサムにせっつかれるようにしてコックス子爵家にSOSの手紙を書くまでは、もうこのまま、一人ぼっちになり、母のように人知れず死んでいくんだと恐怖する毎日だった。
「いいえ、ギルバート様は・・・・・・、ううん、ギルは本当に良くしてくれたの。ここだけの話にしてほしいのだけれど、私たち、氷華の離宮に匿われていたのよ?」
「ええ?! 何だってそんなところに。」
「灯台下暗し、ですって。」
だから、あの頃の軟禁状態とは違って、せいぜい外出制限っていう程度だったと話し、『白百合姫の恋物語』に目を通したり、互いのお喋りをしたり、人目を忍んで街に買い物に行ったりもしていたと話せば、キャロルも「そう言えば、ステファニー様が『荷物の中継基地にされた』って怒っていたっけ」と笑った。
「やだ、その話、キャロルにまで伝わっていたの?」
ポッと頬を赤らめ、恥ずかしがるエリザベスの様子に「今日のドレスも見た事のないデザインだったけど、ギルバート様に買っていただいた分かしら?」とキャロルが笑う。エリザベスは火照る頬を隠すようにしてこくりと頷いた。
「でも、その服、最近急に増えたって聞く『公爵家御用達』の店の物じゃないわよね? また別にもう一軒、御用達のお店が増えたの?」
「もう、一体どこまで早耳なの?」
「私はこよなく噂話を愛するのよ。知っているでしょう?」
「それでまた話を教えてくれた相手に、別の噂話を提供するのよね、知ってる。」
そして、二人で顔を見合わせて一頻り笑うと、キャロルは安堵したようで「いつもの調子に戻ったわね」と目を細めて笑う。それから、「夕食には何か軽いものを運ばせるわね」と話した。
「ありがとう。」
「どういたしまして。あ、あとこれは・・・・・・、うん、噂話の一つなんだけどね、リジー。リジーがノアに気があるって噂は真実?」
ずっと聞きたかったのだろう。キャロルが訊ねてくるから、エリザベスは「いいえ、キャロルには悪いけれど、ノアとは『なし』だわ」と笑って見せる。
「そうじゃなきゃ、私、ギルと婚約なんかしない。」
けれど、そうきっぱりと言い切ったエリザベスは、少し辛そうな表情になり、目を伏せると「ああ、さっきこれくらい即答できていたら良かったのに」と嘆いた。
「『恋は人を臆病にする』ってアンに言われていたけれど、何故、あの時、言い淀んでしまったのかしら?」
そう言ってエリザベスが言葉を詰まらせるから「ああ、リジー」とキャロルが溜め息を吐いた。
「もしかして、それが犬も食わないっていう痴話喧嘩の原因?」
「ええ、そうよ。バカみたいでしょ? しかも、それで息が詰まって倒れるなんて。」
相手が親友のキャロルだと、分かっているから余計に、いつもみたいに叱って欲しくて、吐き出すようにして告解する。
「彼に誤解されたと思っただけで、怖くて、息が出来なくなったのよ。キャロル、私もう、彼に嫌われるのが怖くて仕方ないみたいなの。」
どうしようもなく、ただ自分の感情に振り回されてしまう。
そして、じわりと泣き出したエリザベスの様子に、キャロルは「本当、仕方ない子ね。キャロルお姉さんがこの胸を貸してあげる」と抱き締めてくれる。
「それにもう、答えは出ているようじゃない? それなら今日は泣いて、食べて、眠って。また明日、謝りに行けばいいわ。」
しかし、エリザベスは再び言葉を詰まらせた。
「ううん、きっともう無理よ。彼に私の言葉は届かない。」
僅かなすれ違い、けれど、決定的なすれ違いだったから。
『エリザベス、すぐ戻るから。彼と先に行ってて。』
彼から呼ばれた「エリザベス」の名は、心に刺さった棘みたいにして、胸の痛みを連れてくる。
彼は手を差し伸べてくれていたのに。
あの優しい手を離してしまったのは、私の方だ。




