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プロローグ

 この世にはなにかと儘ならぬことがあると言う。


 美しいシャンデリアと、それから天井いっぱいに描かれた星空。さらにそのまわりには愛らしい天使が描かれた天井画。


 エリザベス=スペンサーは初めて踏み入れた王城の「星屑の間」のダンスフロアを抜け出して壁際によると「はあ」と短くため息をついた。


(本当、私には場違いも甚だしいわ……。)


 煌びやかなシャンデリアの下、多くの人が着飾って楽しそうにしている姿を、エリザベスはぼんやりと目に映すようにして眺める。


 今宵は王室主催のデビュタントの宴だ。貴族の女性として生まれたなら、この日は『憧れの日』であり、今夜デビュタントを迎えるエリザベス忘れられない日になるはずだった。


 けれど――。


(ああ、もう。始まる前から、帰りたくなってきたんだけど……。)


 エリザベスがこんな人生のハレの日に憂い顔なのには理由がある。


 それは着ているドレスが亡くなった母親のお下がりをリメイクしたもので、周りと比べて気後れしているとか、後見してくれている祖父の脚が悪く、エスコートして貰えなかったからとかではない。


 そんなことはこのデビュタントに参加すると決めた際から織り込み済みだったし、さほど気にはしていなかったのだ。


(何も前日の夜になって言うことないじゃない。)


 エリザベスは会場奥の一段高くなった貴賓席を見ると、もう一度、ため息を吐く。


 そこには赤のベルベットの生地に、金色の腕置きという見事な玉座と、同じように高級そうな椅子がいくつか並んでいる。


『よろしいですか、お嬢様。どんなに興味を引かれても、決して国王陛下たちの近くに寄ってはなりません。』


 そう前日の夜になって、乳母のアンから聞かされたのは自らの出生にまつわる話だった。

 

(弟は今を時めく王太子で? 片やドレスを新調できずにいる男爵家の令嬢、いや、居候令嬢か……。)


 貴賓席にいらっしゃる国王陛下、王妃殿下はにこやかで「仲睦まじい」ともっぱら評判だ。


(確かこの『星屑の間』とやらも、王妃様が隣国から嫁いでいらした記念に国王陛下が建てたって話していたけれど……。)


 公になっている子どもは、一粒種の王太子殿下だけだし、自分みたいな存在もいるとなれば、噂通りとはいかないのかもしれない。


(まあ、政略結婚なんてよくある話だし……。)


 たしか、ブリジット王妃殿下は、隣国エラルド公国の公女だったはずだ。しかも『第一公女』であり、一国を率いていたかもしれない身だったはずだから、両国の架け橋とかエラルド公国本国でのいざこざとか、なにか複雑な裏事情があるのかもしれない。


「まあ、私は『君子、危うきに近寄るべからず』の精神で過ごすしかないんだろうけど……。」


 こんな宝石箱のように煌めいている世界は、田舎の男爵家の『居候令嬢』と言われてるエリザベスには到底縁のない世界だ。


「本当、あんな話、聞かなきゃよかった……。」


 そしたら、どうせ会場の端っこと端っこだ。お互いの存在なんか無視をして、今宵のデビュタントを心から楽しめたはずなのに。


 けれど、いつになく神妙な口ぶりで話し始めたアンにそんな文句は言えなかったし、その後に続いた衝撃の事実に、二の句が継げなかった。


『お嬢様は国王陛下のご息女でいらっしゃいます。ほかの方に勘づかれたら、文字通り命取りになります。』


 パクパクと(おか)に打ち上げられた魚が口を開け閉するようにして、『国王陛下の息女?』と繰り返すと、アンは心配になったのか、眉間に皺を寄せて頷き、少し荒れた両手でエリザベスの手を取り、ぎゅっと握って幼子にいい含めるようにして『約束してくださいませ』と懇願してきた。


 『デビュタントの日、ご挨拶の時以外は決して玉座の方に近付いてはなりません。お嬢様のお(ぐし)の色は、陛下のそれと同じですから。ほかの誰かに勘付かれたら、大変なことになります。』


 そう話すアンの様子は鬼気迫るもので、困惑したままにエリザベスは『わかったわ』と答えた。


(にわかには信じられない話だったけど、たぶん、本当に父子なのね……。髪をひとまとめにしてきて良かったわ。)


 赤毛混じりのストロベリーブロンドは、とても目立つ。領地内ですらそうなのに、この広くとも狭い会場で、珍しい髪色の人間が二人もいたら、誰だって邪推するだろう。


 髪をおろしていたら、きっと目立って仕方なかったに違いない。


(それに「弟」もお母様譲りの髪色に、瞳の色だから、『王城に引き取られていった』のも本当の話なんだろうな……。)


 こちらは「真実」を告げられなければ気が付くものは少ないだろう。確かに色合いが少し違うとはいえ、ブリジット妃殿下もブロンドの髪に碧眼だから、疑ってかからないと、二人の間に血縁関係がないだなんて到底思えない。


 けれど、五年前に急逝した実母のベアトリスの、髪色や瞳の色を思い出せばどことなく懐かしさを覚える色合いで、言葉を交わしたこともないのにエリザベスは親しみと懐かしさを覚えた。


『お嬢様は王太子殿下と双子としてお生まれになりました。』


 隠し立てすることなく教えて欲しいと話した結果、聞かされたのは「ブリジット妃殿下が不妊だったこと」や、「王太子殿下は同腹の弟であること」と、平平凡凡に暮らしていれば到底知りえないことで「どうやって墓場まで持っていこう」と思う話ばかりだった。


 アンに話を聞いたあと、晩酌を書斎で楽しんでいる祖父の元へと向かい、さらに詳しく話を聞かせてもらったが、祖父も似たように『近づくでない』としか言わなかった。


『ビーと陛下の間にどんな取り決めがあったのかは知らない。じゃが、そなたの弟は王室に引き取られていったのは確かじゃし、『後継者を産んでもらう』という目的を果たしたのだから、もうビーにもリジーにも関わってくれるなと陛下に申し上げたのも相違ない。』


 不用意に近付くのは避けた方がいい。


 だけど、気にならないわけがない――。


(お母様と私は、国王陛下に捨てられた身の上なの?)


 五年前に急逝した母の話を口にすると、未だに悲しい眼差しをする祖父にその問いは訊ねられず飲み込んで、昨日の今日。


 『星屑の間』は玉座に向かうにつれて人が多く、国王陛下と王妃殿下、王太子殿下の姿はごくごく小さいし、こんな風に壁際で小さくなっている自分のことには気が付かないだろう。


(同じ空間にいても、こんなにも遠いんだし……。)


 今様にリメイクはしてもらったものの、母親譲りの中古のドレスを着て、辛うじて貴族の末席の男爵位。それも祖父から叔父に爵位の移譲がされてからは、居候令嬢だなんて揶揄される身だ。


 片田舎の土地で暮らしているエリザベスにとって、目にうつる何もかもが眩くみえて、やるせない気持ちにさせられる。


(陛下が私の父親だとして……。)


 長く続いた戦争に終止符を打ったと知られ、「グニシア王国史上、偉大なる賢王」と讃えられる国王陛下は、五年前に急逝した母のことをどのように思っていたのだろう。


 エリザベスの亡くなった母はどこか夢見がちな人で、「いつかきっと迎えに来てくれるわ、優しい人なのよ」と話していたけれど。


(お母様の性格的を考慮して『王城での生活には耐えられまい』と考えたとして、一度もおあいしたことがないわけだし……。お母様が生きていらしたら、何か変わったのかしら……?)


 そしたら、祖父と母ともう少し華やかなドレスを身にまとった自分が列席し、驚いた国王陛下が腰を抜かす――といった少し意地の悪い想像をして「それもそれで散々なことになりそう」と自嘲気味に笑う。


 と、玉座とは反対の方から見知った声がしてきた。


「リジー! やっと見つけたッ!! どうして、入り口近くで待ってなかったんだい?」


 不平混じりに口を尖らせる幼なじみのコックス子爵家のノアの姿に、エリザベスは鬱屈した感情を手放して、ふふっと声を上げて笑う。


「あら、ノアがエスコートしてくれるの?」

「ああ、僕が迎えじゃ不服かい? そろそろファーストダンスが始まるぞ?」


 ひとつ年上のノアは、赤ん坊の頃からの付き合いで気心が知れている。


「ファーストダンスを踊らなかったとかなったらこっちが怒られる。ほら、早く。下手っぴなんだから、少しでも踊りやすいところに陣取らないと。だいたい会場入りを一緒にしてれば、こんなに探さなくて済んだのに。」

「え、もうそんな時間?」

「ああ、もうそんな時間だよ。どうせりジーのことだ、イケメン見学でもしてたんだろう?」

「そんなこと、してないわ。」

「どうだか? 今日の玉座周りは『大豊作だ』ってキャロルが騒いでいたし、リジーも眺めていたんだろう?」


 そう言うと、ノアはまるで彼の一つ上の姉、キャロラインの口真似をして「向かって右から」と言い出し、エスコートをしながら淀みない口調で貴賓席にいる人を教えてくれる。


「王太子殿下のすぐ近くで話しているのが筆頭公爵家の次男のエリントン卿。凄く頭が切れるって噂の方だ。」

「へえ?」

「その反対隣で護衛している騎士は若くして伯爵家を継がれたランスロット卿。で、陛下と王妃殿下を挟んで反対側。王妃のそばにいるのが、あの背の高いのが最年少の宰相バイロン伯爵と、ボイル公爵家令息。」

「キャロルの情報誌を諳んじてるの? そんなにみーはーだったっけ?」

「リジー、俺がキャロルみたいな考えで教えていると思ってるのかい?」

「そうじゃないの?」

「ああ、もちろん、違うさ。彼らには王族同様、『睨まれるようなことはするな』って言ってるんだ。リジーはトラブルメイカーだろう?」


 そう言うとノアは「あ、今、ボイル公爵家令息の所に行った奴。あいつは一番ダメだぞ?」と言い出す。


「あの方は?」

「ウィンザー家のフィリップ。ボイル家の令息の腰巾着だ。女の間を行ったり来たりしている。とにかく、リジーはカモにされるから近付くな。」


 エリザベスにしてみれば、「ノアは幼なじみに過ぎないよね?」と思っているのだが、彼の方はと言えば「赤ん坊の頃から面倒を見ているんだ、兄貴がわりだ」と威張られる。


 「余計なお節介だ」と顔に出してみても、「そんな顔してもだめだからな? キャロルにも変な奴を寄せ付けるなって言われてるんだ。イケメン見学は一曲踊ってから、口を利いても良い奴はキャロルか、俺の判断を待ってからだ」と言い出す。


「エドガー様にも『くれぐれも、よろしく』って言われてるんだ。約束だぞ?」


 ノアはそう言うと「ほら、仏頂面になっているぞ?」と言いながら、フロアの真ん中にエリザベスを引っ張り出す。エリザベスは「踊りたくなんかないのに」と愚痴をこぼした。


「デビュタントだろう? 今年の華を決める日に何を言う。まあ、でもエスコート役の相手が俺で良かったよな。他の奴じゃあ、リジーに足を踏まれ過ぎて、今日踊る前に愛想つかすところだ。」

「悪かったわね、ダンスが下手くそで。」

「ああ、本当だよ。この間、強か踏まれた時なんか、靴の甲に鉄板でも入れてもらおうかと思ったくらいだぞ?」

「な……っ!!」


 そう言って茶化して、少しでも緊張を解してくれようとしているのは分かる。


 分かるが、やっぱりムカつく。うん、あとでキャロルに話して仕返ししよう。


「ほら、行こう。一曲、踊ったら自由だ。」


 音楽が流れ始めると自分と同じように白いドレスを着せられた令嬢たちと、エスコート役が一礼をしてダンスを始まる。


 エリザベスもノアと踊り始めて、ようやく「今はこちらに集中しよう」と気持ちを切り替えた。


 このファーストダンスが終われば――。


 自分はまた男爵家の居候令嬢だ。


(このまま社交界からフェードアウトした方が無難よね。)


 いくらエドガーが「リジーは儂の可愛い孫娘じゃよ」と言ってくれたとしても、自分の出自が明らかになれば、グニシア国内どころか隣国エラルドやヴェールズを巻き込んでの大騒動になるのは察しがつく。


(目標は「安寧に生きる」ことだもの。)


 祖父の認めてくれる人と所帯を持って、命を脅かされることなく、天寿をまっとうできれば、それで十分だ。


 こんな煌びやかな世界に縁なんてなくても――。


 まだ、この時はそう思っていた。

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