恋は人を臆病にする(3)
それから数日後。ギルバートが大量の夜会やらお茶会の手紙を捌いてくれたうちの一つ「キャロル主催のお茶会」に向かうため、エリザベスはエリントン子爵の邸の玄関先にいた。
「ステフ嬢は途中の街で拾っていく約束になっているよ。」
ステファニーのことを「ステフ嬢」だなんて、サムの順応性の高さに呆れつつ、それ以外の立ち居振る舞いは公爵家の老御者、サム曰く「意固地な爺さん」とやらに鍛えられているらしく、今日はビシッと髪をオールバックに撫で付けていて、制服の帽子をキチッと被っていた。
「リジー、お待たせ。ごめんね、忘れ物をしてしまって。」
そう言って玄関から出てきたギルバートは、スッキリとしたシルエットの燕尾の上着を着ていて、光沢のあるクラヴァットはシルクだろうか、緩く巻かれているのが、とても粋に見える。
どうやら「月光の貴公子」という二つ名は伊達ではないらしい。
日中の最中だというのに、ブルネットの髪をひとまとめにして後ろに流し、伏し目がちな目の奥の鳶色の瞳に静かに見つめられると、なぜだかそれだけで時が止まったように感じてしまう。
「翡翠色のドレスにしたんだね。よく似合っているよ。」
さりげなく胸元から覗いているポケットチーフはドレスの色と自分のドレスと同系色で、差し出された手にふらふらと歩み寄り、手を乗せれば馬車へとエスコートしてくれる。
カッコイイ。うん、その一言に尽きる。
隣に立っていたサムは、ぽうっと夢見るような顔になったのを見逃さなかったのだろう。
馬車のドアを閉める時に生暖かい眼差しを向けられた。
「リジー? どうしたの、百面相して?」
ぽうっとしたり、赤くなったり、憤慨したり。コロコロと表情を変える私の様子が気になったんだろう、ギルバートが愉快そうにこちらを覗き見てくる。
「もしかして僕に見蕩れていたとか?」
柔らかく笑うギルバートが、不意に茶化すようにしてからかってくるから、エリザベスも少し膨れっ面になって「見蕩れるなというのが難しいですわ」と返してみる。
「こんな素晴らしい方が、私の未来の旦那様だだなんて俄に信じられないほど。」
そう告げればギルバートは目を見開き、それから、はにかむようにして笑うから、胸がきゅうっと苦しくなる。
(か、カッコ可愛い・・・・・・。)
いや、カッコイイと可愛いが両立するってどうなの? とか、男の人に抱く感情じゃない!とか、思うところは色々ある。
でも、目の前の彼は、何故か不思議とそれが成り立つ。
しかも、隣合って座っているからか、伝わってくる、肩越しの熱と程よい重み。
これがいけない。
馬車が揺れる度に、程よく体重がかかる感じさえ、愛おしさに脳内変換されて、頭の中がギルバートの事でいっぱいになってしまう。
(何だか、私ばかり、いっぱい、いっぱいな気がしてきた・・・・・・。)
『ギルバート様はとてもお優しそうな方だけれど、ああいう方にはやはり良いご縁があって欲しいし。』
そう思っていたころも確かにあったはずなのに、ギルバートが自分をやたらめったら甘やかしてくれるから、「恋仲だっていうのは『設定』」と念じておかないと、まるでフリュイ・コンフィのように、心がその優しさでシロップ漬けにされてしまいそうになる。
(他の人にはこんな風にしてほしくないだなんて、思っちゃうあたり、間違いなのよ。)
ズキリと胸の奥深くに棘が刺されるような痛みと「誰にも渡したくない」という狭量な気持ちが生まれ始めている事に、エリザベス自身、自分の気持ちに困惑する。
(彼は優しい人で、自分なんかより、もっと良い人との縁談があるわ・・・・・・。)
しかも、そんな自分の気持ちなど知ってか知らずか、ギルバートは「リジー、君って子は全く」と目を細めて破顔した。
「こっちこそ、こんなに素晴らしいレディが僕の未来の花嫁だなんて信じられないよ?」
そっと重ねられた手の温度にさえ、エリザベスは嬉しさと不安が胸いっぱいに広がって、ジリジリと焦れるような心地に襲われる。
(いつか、この手を離さないといけない時が来るかもしれないのに・・・・・・。)
彼にとって、この婚約は秘されてはいるが「王命」で、彼はよくしてくれているものの、恋仲だというのも「設定」に過ぎないというのに。
(ああ、だけど・・・・・・。)
今はこの手を離さないで欲しい。
離されたら、きっと迷子になってしまう。
◇
一方、ギルバートはエリザベスが手を握り返してくれたことに緊張を強いられた。理性が抜けかけの乳歯のようにグラグラと揺れている。
彼女にとって、この婚約は伯父家族から逃げ出す「命綱」で、彼女は自分を頼ってくれているものの、恋仲だというのも「設定」に過ぎないというのに。
(ああ、だけど・・・・・・。)
婚約者としての距離として相応しい距離なのだが、馬車の揺れとともに伝わってくる彼女の温かさと重みが心地よくて、ずっとこうしていたい気持ちにさせられる。
(今だけでも良い・・・・・・。)
今はこの手を離したくない。
指を絡めて、恋人繋ぎにして握れば、エリザベスは耳まで赤くして少し俯く。
ああ、なんだろう? この可愛い生き物。
上目遣いに見つめられると、身体の芯がずくんと疼くような感覚に陥る。
(こんなこと、考えてはダメだ・・・・・・。)
そう自分に言い聞かせても、口の中は干上がり、もどかしい気持ちは募ってくる。
翡翠色のドレスは、スリットや袖口から美しいレースが覗く女性らしいデザインで、彼女の可憐さを際立てている。それに、自分とは比べ物にならないくらい華奢な身体付きのエリザベスは、緊張のせいか伏し目がちで、庇護欲を掻き立ててくる。
ああ、頼むから、そんな顔をしないで欲しい。
こんなよこしまな気持ちを抱いていると、知られたくないのに。自分は彼女には幸せになって欲しいだけなのだから。
(ああ、もう、さっさと着いてくれ。)
一刻も早く、ステファニーと待ち合わせしている場所に着けばいい。
そしたら、きっとこの焦れるような心地をあの姦しい姉なら紛らわせてくれるだろう。
ギルバートはやきもきした思いを抱えて、ろくにエリザベスに話し掛けることも出来ずに、少しでも気を紛らわそうと外を眺めていた。
やがてエリントン子爵のマナーハウス近くの街から離れ、街道は穀倉地帯に入っていく。
「見事な麦畑ですね――。」
不意にエリザベスに声をかけられて、隣に座っていた彼女へと視線を戻す。
「どちらを見ても麦畑。こんなに広い作付がされているとは思いませんでした。」
夏も深まり、あたりは緑一色になった麦畑が延々と続いている。
ギルバートはエリザベスの言葉に気の利いた事を返さなくてはと思うけど、咄嗟には思いつかなくて見たままの事実を答えることにした。
「この辺りは穀倉地帯の端なんです。まだ、しばらくはこの景色が続きますよ。」
右を向いても、左を向いても、ひたすらに続く麦畑は、五月にエリザベスと初めて会った頃には何もない広大な土地が広がるばかりだったのに、今では春蒔きの麦は一斉に芽吹き、すくすくと育って、膝丈ほどの麦畑が広がっている。
「昔はここら辺も街の近くに小さな畑をいくつか作って、その多くを地産地消をしていたようなんですが、それだと作付も刈り取りもあまり効率が良くなくて。父が土地を切り開いて、決まった区画に整理し、季節ごとに順番に決まったものを植えることにしたんです。」
きっとステファニーが向かいに座っていたら、ジト目で「そういう事じゃない」と冷たく言い放っただろう。けれど、エリザベスが目をキラキラさせて「まあ、土地を切り開いてまで?」と訊ねてくるから、ギルバートも「ええ」と話を続けた。
「この道を進めば王都でしょう? それに南に行けば、サウス・ハンプトンの港がありますから、そちらから国外にも輸出できます。うちは母のこともあってエラルド商人とも付き合いも深いですから。」
「北にも南にもお客様はいらっしゃるという事ですね?」
「ええ、採算性が見込めると判断しての投資ですね。休耕地は軍馬の放牧にも使ってもらってます。」
隣に座る彼女はそんな何の面白みのない話でも満足しているのか、ニコニコとして、「きっと秋になって黄金色に染まったら、一面、黄金色で綺麗なんでしょうね」と相槌を打つ。
「ええ、綺麗ですよ。また、その頃に見に来ますか? 収穫の時期は壮観なんです。」
農夫たちが総出で収穫や脱穀、そして、落穂拾いを行う。そう説明するとエリザベスはニコリとして「そうですね、その時はピクニックでもしましょうか」と屈託なく笑ってくれた。
ああ、どうしたら良いのだろう。
たった一か月半ほどで、エリザベスへの想いは、一気に芽吹き、目の前の麦畑の麦のようにして、すくすくと育っている。
数ヶ月前には自分が誰かに惹かれて、見蕩れる日が来るだなんて思ってもみなかったのに。
この麦畑が黄金色に染まる頃、この想いはどこまで育つことだろうか。
『僕は、たとえ、死がふたりを分かつとも、君を愛し、慈しむと誓います。』
あの言葉に嘘はない。あの時は彼女を安心させたい一心で口にしたが、きっと今日が婚約式や結婚式だって、自分は同じ事を口にするだろう。
ただ自分でも驚いてしまっているのは、自分がそれくらい彼女に溺れていて、何人にも渡したくないと思っているという事実だった。
(ああ、このまま、リジーを誰も知らないところに連れ去ってしまえたら良いのに。)
今日のことにしたって、かつての婚約者候補も参加するかもしれないお茶会に呼ばれていると知ったら、彼女だけでの参加はどうしても許せなくて「都合を付けて同席する」だなんてごねてしまった。
(デビュタントで踊った相手、か。)
その頃は互いに面識がなかったのだから仕方ない。
何度、そう自分に言い聞かせてみても、コックス子爵の令息が、エリザベスの社交界デビューの相手役として、その大役を果たしたのだと知ると、胸の内に火の玉でも抱いているような心地になって、自分がひどく嫉妬していることに気がつく。
だから、途中の街でステファニーが乗り込んで来た時、いつもは煩わしさしか覚えない姉の姿にホッとしてしまった。
「ちょっと、ギル! 五分、遅刻よ!」
「それ、時計がズレてるんじゃない?」
「そんな事、無いわよッ!」
ステファニーを拾ったのはちょうどコックス子爵邸に向かう道中の中程だった。五分ずれた懐中時計を手にしながら、ステファニーが馬車に乗り込むと、ちょうどよく十二時を告げる街の時計台の鐘がなる。
「ほら? 今が十二時だろう?」
「くぅッ!」
「時計直してあげるから、ドア閉めて。」
そう言ってギルバートはステファニーを迎え入れ、しばらく懐中時計の時刻を合わせていたものの、馬車が都市部を抜けた頃にサムに向かって「どこか途中で休憩しよう」と声を掛けた。
「あら、お茶会に行くのに、今から休憩?」
「姉さん、僕とリジーはそこそこ長い時間、馬車に揺られてるんだ。しかも、ここに来て姉さんまで追加だろう? 僕らも、馬も休憩しないと目的地に着けないんだよ。」
「んなッ! 私、そんなに重くありませんッ!」
「でも、自分が馬だったら嫌だろう? 長距離を走ってきた後で、追加の荷物を持てって言われたら。」
「ぐぬぬ。そうやって、ああ言えば、こう言うんだから。本当、弟は可愛くないわッ!」
「はいはい。」
エリザベスはさっきまでの穏やかな微笑みから、楽しげな表情に変わって、くすくすと笑う。
「キャロルとも話していたのよ? 弟より義妹が欲しかったって。でも、『子爵家じゃグレイ侯爵家を突っぱねられないから、リジーを助ける方法を考えて欲しい』って。」
「・・・・・・コックス子爵家のご令嬢が?」
「ええ、そうよ。リジーはギル以外にも愛されているんだから。まあ、私が水面下で進めていた、『リジーを私の侍女見習い化計画』は、オリーの暴走でおじゃんだけど。今回はギルを連れていったというのに免じて許してあげることにしたの。」
王太子殿下がギルバートを連れて行き、ギルバートが問題そのものを『エルガー公爵家預かり』としたことで、この問題にエルガー公爵家として関与出来るようになった。
「・・・・・・それは本当に王太子殿下の『怪我の功名』だな。」
「何か含みのある言い方ね?」
ギルバートは「姉さんの侍女見習いだなんて、リジーが苦労するだけだ」と思ったし、「暴走癖があるのは姉さんもオリーも一緒だ」と思ったものの、それを言えばステファニーがぷりぷりと怒るだろうと分かっているから口を閉ざす。
ステファニーは、「なんで黙るのよ」と睨め付けてきた。
「リジー、いいこと? 私はこんな可愛くない弟より、あなたの味方をするわ。たとえ、お父様やお兄様に逆らってもよ。」
それを聞くとギルバートは片眉を上げ、「兄さんだけでなく、父さんも関わっているの?」と訊ねる。
「ええ、そう聞いているわ。」
エリザベスが「公爵様がなんで?」と口にしたところで、一拍遅れて、馬車がガコンと揺れる。外からサムの「どうどう」という声に、話は自然と打ち切りになってしまった。
「旦那ァ、近くに貸し馬やってそうな農場がありますんで、そこに寄らせていただきます。」
「あ、ああ。」
馬車の轍のある道では無いのだろう。先程までとは違い、しばらくガタガタと揺れたかと思うと、馬車はゆっくりになり、ドアが開く。
「お待たせしました、どうぞ。」
そこには足台を用意して、得意げなサムの姿があった。
「馬の準備ができるまで、少しご休憩を。近くに湖もあって散策に良さそうなところですよ?」
六月も終わりの木漏れ日の零れる湖畔近くの林の中。貸し馬をやっている厩屋と道を挟んで反対には、白樺の並木が続いていて、更に向こうには深い青色の水面が広がっていた。
「うわあ、綺麗なところ・・・・・・。」
エリザベスが感嘆の声を漏らす横で、そんなに長くも乗っていないだろうに、ステファニーは伸びをして、「寄り道するのにはちょうど良さそうなところね」と、散策しに行く気満々になっている。
「姉さん、寄り道もほどほどにしてくださいね? まだ、道半ばですし、リジーには姉さんみたいに、体力、無尽蔵じゃないんですから。」
「はいはい、二言目には愛しのリジーね。」
「何か言いました?」
「・・・・・・別に何もぉ?」
ギルバートが「全く」と呟き、「姉さんに付き合う必要は無いですからね」と呆れ声で言うから、エリザベスはクスッと笑みを零し「そこの木陰で休んでいても?」と白樺の木陰を指差した。
「ああ、もちろん。むしろ、そうした方がいい。まだ、道程は長いからね。」
そんな話をしている合間にも、ステファニーは「ちょっと湖を見てくるわね!」と、坂を下りる手前でぶんぶんと手を振っている。
「あ、ちょっと姉さん、好き勝手に出歩かないでくださいって。馬車の準備が出来たら出発するんですからねッ!」
「分かっているわよぉッ! ちょっと見てくるだけよッ!」
そう言って手のひらをヒラヒラとさせるから、ギルバートは盛大にため息を吐く。しかも、サムまで一緒になってため息を吐いた。
ギルバートはともかく、なんでサムまで、ステファニーにため息を吐くのだろう。
「馬は預けた方がよさそうか?」
「そうですね、帰りのことも考えると、ここからコックス子爵のお邸までの往復の分の距離を考えると、こちらでお借りしようと思っているんですが。」
サムの判断を聞いて、ギルバートは「貸馬屋との交渉と姉さんとの鬼ごっこ、どっちを選ぶ?」とサムに訊ねる。
「ギルの旦那はまだこれからが本番でしょう? 俺はお茶会の間、休めますから、ステフ嬢と鬼ごっこをしてきますよ。」
「そう言ってくれると助かる。」
そして、エリザベスに「ちょっと馬の預かり賃と貸し賃を交渉してくる」と話すと「すぐ戻るから待っていて」と話した。
「ステフ嬢は湖に落ちない内に捕まえておきます。」
「本当、悪い。そっちは頼んだ。」
どうやらステファニーの自由奔放ぶりはサムも知るところらしい。
エリザベスは自分以外の令嬢に振り回されているサムの姿に「ちゃんとあの白樺の木陰のところでお留守番してるから」と話す。
サムは「ずぇったいに動かないで下さいよ?」と釘を刺してから、御者用の帽子を外してステファニーを追いかけ始めた。




