取引は慎重に、駆け引きは大胆に(6)
ギルバートが兄である宰相閣下からの大量の書類を捌ききったのは、さらに一日過ぎた頃だった。
いくらギルバートの事務処理能力が高いと言っても、分量的に恐らく宰相閣下は二週間から一ヶ月程度掛かるのを見越して課した宿題だったろうに、ギルバートは「これ以上対処が遅くなると不味いことになる、急ぎの事案だ」と言って聞かなかった。
とはいえ、寝る間を惜しんで作業して、目の下に隈を拵えてまでやることなのか、と聞きたくなる。
特に朝の薄暗い部屋の中、手元明かりひとつで黙々と書類に向かい「あれ? もう朝になった?」だなんて言われた時には、幽霊か何かがいるように感じたほどだった。
(あの時、よく悲鳴をあげなかったと自分で自分を褒めてあげたいくらいだわ。本当、この人、絶対、ワーカーホリック。)
午前中に書類を取り上げるようにして寝かしつけたはずなのに、様子伺いに来たアンとサムと話し込んでいるうちに、こっそり起きてロバートに早馬で報告書の提出を言付けたらしい。
そんなわけで、そのことが分かってからは、再び書類の山からギルバートを引き剥がし、この離宮の中庭にある四阿に連れ出して休憩させることにした。
(見張りと称して膝枕をする事態になっているわけだけど。何で、こんなことするって言っちゃったんだろう・・・・・・。)
余程、疲れていたんだろう。ギルバートはさっきから静かに寝息を立てているのだが、こっちは少しも気が休まらなくて、ソワソワしっぱなしになっている。
特にこの膝枕のシーン。自分たちをモチーフにされた読みかけの小説『白百合姫』にも書かれてあったシーンとそっくりだ。
しかも、それと気が付いたのはギルバートを膝枕を貸してからで、それからずっと気がそぞろである。
(ああ、もうッ! 監修はステファニー様になってたけど、ずぅぇったい、キャロルが噛んでるに違いないッ!!)
読めば読むほど『白百合姫』の印象的なシーンは、キャロルがお茶会で「ああ、こういう恋愛がしたい」と語っていた「胸きゅん」シーンが多分に採用されていた。
(お茶会の時に、色々と流し聞きしてたツケかしら・・・・・・。)
強制イベントが次々起こるような感覚に、少しばかりため息が漏れてしまう。
それに今は眠っているギルバートも、この『白百合姫』絡みの掛け合いは楽しんでいる嫌いがある。
(うっかり眠ってしまわないようにしなくっちゃ・・・・・・。)
たとえ『白百合姫』に書かれている内容だとして、気を抜いて眠ってしまうだなんて令嬢にあるまじき行為だ。
(ああ、でも・・・・・・。)
黒いリボンで纏められたブルネットの髪は、無造作に切っただけのサムなんかと違って、よく手入れされいて、手触りもさらさらとしている。
それに普段話している時はあまり意識しないものの、こうして仕立ての良い服を着こなしている姿を見ていると「御曹司なんだなあ」とかしみじみと思ってしまう。
「・・・・・・ん? リジー?」
ゆっくりと瞬きをして、薄く開かれた鳶色の瞳と目が合う。そして、にこりと笑った後で、彼の腕が伸びてきて、前屈みになれば、そのまま口付けてくる。
エリザベスはギルバートの行動を予想をしていただけに、驚きの声まではあげなかったものの、頬を赤く染めた。
「あれ? 驚かないんですね?」
「・・・・・・ええ、『白百合姫』の本に載っていましたでしょう?」
「へえ? じゃあ、こうなるかもって分かっていて、膝枕をしてくださっていたんですか?」
悪戯めいた鳶色の瞳で見上げられると、落ち着かなくなる。
「そ、その事は膝枕をしてから気がついたんです。でも、すぐに寝入ってしまうくらいにお疲れのようでしたから起こせなかったんです。」
気を利かせて起こさなかったのだ、と言っているのに、ギルバートは「そうですか? そういう事にしておきましょうか?」なんて余裕たっぷりだ。
だいたいあのシーンは、膝枕をしているうちに、うとうとと一緒に眠ってしまったヒロインにばれないよう、秘めた恋心を貴公子の方が口付けるシーンだったはずで、起き抜けに、しかも、こんな風に堂々と口付けるシーンじゃなかったように思う。
しかし、そんな考えを知ってか知らずか「あとやってないのは何が残っていたかなあ?」とか暢気に笑った。
本当、私の気も知らないで意地悪――。
「ぼんやりして、どうかしましたか?」
ハッと気がついたら、間近に彼の顔があって、思わず顔を赤くすると、「何でもないです」と誤魔化すようにして答えた。
「何でもない、ですか?」
耳の端を赤くしているギルバートは少し残念そうにそう話し、「ちょうどいい時間ですから、あちらでお茶でもしませんか?」と囁いてくる。
エリザベスはこくりと頷いた。
◇
(ああ、もう・・・・・・。)
心臓がいくつあっても足りない。
エリザベスは中庭にある四阿を出て、エスコートされて部屋に戻ると、待ち構えていたロバートに微笑ましい目で見られた。
「お帰りなさいませ。」
「ああ、もう戻ったのか?」
「はい、少し前に。確かにブライアン様にお渡しして参りました。」
「そうか、兄さんはなんて?」
「お忙しかったようで、後で目を通しておくと。」
「そうか・・・・・・。」
しかし、テーブルに案内してくれたギルバートの顔付きが、先程までの穏やかなものから、急に硬質なものに変わった気がして、少し心配になる。
自然、給仕をし始めたロバートの表情も緊張した面持ちになったから、何となく居心地が悪い。
「ギルバート様? 何か怒っていらっしゃいます?」
気になって訊ねれば「いいえ? 怒っているように見えますか?」と不思議がられる。
だから、意を決してこくりと頷き「ピリピリなさっていらっしゃるから」と話せば、ギルバートは静かに首を横に振った。
「ああ、これは違うんです。これから、リジーにお話しなくてならない事を考えていて・・・・・・。不安にさせてしまいましたね。」
「私に話さなくてはならない事、ですか?」
「ええ、昨日の件を少し。僕が徹夜してまで、あれこれ調べてた理由について、きちんと説明しなくてはと思ったんです。今回の件はリジーが第一発見者ですから・・・・・・。」
そう言って口篭ったギルバート様は、ますます思い悩むように見詰めてくる。
「第一発見者?」
「ええ、昨日の鉄鉱石の話と、ヴェールズ公国の石炭、それとハミルトン家の使途不明金。点と点で繋がっていなかった事柄が、リジーのおかげで線になって、中央にいる父や兄が把握していない不正が明らかになったんです。」
エリザベスからすれば、そんなつもりで話した内容ではなかったので首を捻ってしまう。一方、ギルバートは「少しお待ちください」と、一旦、その場を出ていき、戻ってきたなと思ったら、テーブルに地図を広げていくつかチェスの駒を置いてみせた。
「今、僕らのいる所がここ。そして、こちらがスペンサー男爵領。」
同じ要領でハミルトン伯爵領、グレイ伯爵領、ノーランド王国とマッピングしていく。
「ここの三つの領を通る街道を使うと、中央の目が入らずにヴェールズ公国とノーランド王国を繋ぐことができるんです。そして、先日、遊びに行った街はここ。」
ギルバート様が黒のクイーンを置いたのは「僕らいる所」として置いた白のクイーンのすぐ傍で、ハミルトン伯爵領の中にある。
「これって・・・・・・。」
「ええ、鉄鉱石などの売買はノーランド王国ではなく、このハミルトン伯爵領でされていたんです。ノーランド王国に出るのに先日のレートでやり取りしていたら、兄さんがすぐに気付いて別の手立てを打ったはずですから。」
スペンサー男爵領、ヴェールズ公国から、各々鉄鉱石と石炭を買い付ける。一方、ノーランド王国から穀類と何か別のものを購入してする。
「先日の使途不明金は・・・・・・?」
「まだ裏取りが取れてないけれど、傭兵あたりを囲い始めているのでしょう。最近、ハミルトン伯爵領への人の出入りが増えていますから。」
どうやってそれを、と思ったのが顔に出たのだろう。ギルバート様はふっと微笑むと「人が増えると水道の利用量や日用品の流通量が増えるんですよ」と教えてくれた。
「大きな数字は帳じりを合わせたようですから、兄さんには勘づかれぬまま、武力蜂起の為の裏金作りが続いていたようです。」
そして、ギルバートはハミルトン伯爵家に置いた駒と、サラに見立てた駒、それから遊びに行った街の教会を指差した。
「何か裏がありそうだと思っていましたが、あなたの元に来たというハミルトン伯爵家の養女の話や、グレイ侯爵との婚約の話は、君のお祖父様がご健在でなければ、恐らく現実のものとなったでしょう。あの街の教会、正教会はハミルトン伯爵家やグレイ侯爵家とは寄付金でズブズブの関係です。ですから、たとえあなたがどんなに断ったとしても、正教会を介して彼らの思惑に合うようにあなたを利用したでしょう――。」
前スペンサー男爵の孫娘で、現スペンサー男爵の姪っ子、そして、国王陛下の隠された子。
ハミルトン伯爵やグレイ侯爵にとって、エリザベスの存在は『計り知れない恩恵を与える存在』であり、出来れば『傀儡として傍に置いておきたい存在』だ。
「・・・・・・生け捕りにされる可能性があったってこと?」
「ええ、さすがに殺しには来ないでしょう。ただ、あなたが素直に従わないなら、あなた自身の人格は彼らには邪魔でしかない。」
それを知ると、血の気の引いていく思いがする。
「それって・・・・・・?」
「ええ、リジーを監禁するでしょうね。彼らにとって大事なのは『リジーが生きている』事と『財産を配偶者に全て委ねる』といった契約書を書かせること。」
「私を傀儡にして、その後は・・・・・・?」
「正式な王の子として担ぎ上げて武力で王城を制圧、オリバー王子の王太子廃位を迫り、僕らエルガー公爵の家門の排斥するといったところでしょうか?」
「オリバーを廃位に? そんな事が出来るものなの?」
「ええ、あなたはあの英傑エドガー=スペンサーの孫娘。悲劇のヒロインとして謳えば、民衆の同情を誘うことなど、造作のないことでしょう。」
ギルバートがやけに自分の感情を殺して淡々と話すから、エリザベスもぞくりと背筋を這うような恐怖にうち震えた。
「・・・・・・彼らにとっての誤算は、エドガー氏が東洋の薬で解毒出来てしまい、未だご健在である事と、君を守ろうとする僕の存在。それから、君とサラが出会ってしまったこと。」
ギルバートは「ハミルトン伯爵がサラに会って何を思ったかは分からないけれど、きっとエリザベスを傀儡に仕立てる算段を思い付いたのは彼女の話を聞いたからだと思う」と言い、こちらを気遣ってか、続きの説明をいったん止めた。
「ここまで大丈夫?」
「え、ええ・・・・・・。」
しかし、青い顔をしたままのエリザベスの様子に、ギルバートは席を立つと、その腕を捉えて優しく抱き締めてくれた。
「今日、書き上げた報告書。あれを読んだら、兄さんは敵に気が付かれぬように気を付けて、すぐに動き出すでしょう。」
エリザベスが優しく抱き締めてくれる腕に縋るようにして温かな胸に顔を埋めれば、ギルバートは「彼らの企みは気が付かなかった昨日までのこと」と畳み掛けるようにして宥めてくる。
「リジー、そんな風に怖がらなくても大丈夫です。僕はこの命を賭しても君を護ります。婚約式でも宣誓するでしょう? 病める時も健やかなる時もって。僕は、たとえ、死がふたりを分かつとも、君を愛し、慈しむと誓います。」
だから、今は怖い事は忘れて、僕のお嫁さんになってくれませんか――?
耳元で囁かれた声は熱を帯び、その言葉は小説の、どの甘い台詞より甘く響いた。




