取引は慎重に、駆け引きは大胆に(4)
エリザベスは窮地に立たされていた。
どうしよう、良い解決策が見つからない。
フィリップからの申し出を私が断れば、彼はイザベラのことでギルバートを糾弾するに違いない。
青褪めたエリザベスの様子に、フィリップは更に追い詰めるように「ああ、でも、我が家と手を組みたくないというなら、もうひとつのご提案もありますよ?」と話す。
「もうひとつ・・・・・・?」
「ええ、あなたがイザベラが修道院に入った事を知り、我が家に謝罪に来るというシナリオです。」
イザベラが心を寄せていたギルバートを惑わしてしまったと、エリザベス邸の玄関先で伏して謝る。それをフィリップが取り成してウィンザー伯爵家は寛大に許す。
「そうすれば父の溜飲も下がるでしょうし、母が気にする体面も少しは持ち直します。」
「それで、ギルバート様を許してくださるの?」
フィリップはニコリとし「そうですね、その場合、あなたが汚名を被ることになりますからね」と微笑む。
「ただ、リスクもありますよ。グレイ侯爵はあなたを囲おうとするかもしれないし、スペンサー現男爵はあなたを追い出すに違いない。」
エリザベスの表情が固くなっていくのに反して、フィリップは朗らかになっていき、「ですから、僕の元にいらっしゃい」と言い出す。
「君の心が初めから僕にあり、イザベラが誤解したことにして取り成しましょう。国王陛下も中立の立場を取るウィンザー伯爵家なら、さほど気にしないし、グレイ侯爵にはボイル公爵と懇意にしている父に間に入ってもらえばいい。」
しかし、フィリップのその提案を遮るようにして「それは容認できないな」と言う声が聞こえてくる。驚いて振り返れば、部屋の入口近くに、自分と揃いに見えるような白い詰襟の上着を着たギルバートが少し呼吸を乱して立っていた。
「エリザベスをウィンザー伯爵家に関わらせるつもりはないよ。ましてや、フィリップ。君の恩情など、どんな見返りを求められることか。」
フィリップはさっきまでの胡散臭い笑みを引っ込めると、睨み付けるようにして「ギル」と呟いた。
「てっきり姿を現さないのかと思っていたよ?」
ギルバートはその嫌味には無視し、物言わぬままエリザベスの横に座ると、きつくドレスを握り締められた手の上から、そっと手を重ねる。その手が温かくて、鼻の奥がツーンと痛くなった。
「フィリップ。続きは僕が聞こう。」
ギルバートの声色は伯父と対峙した時と冷たく硬質的なものになる。フィリップはエリザベスの時とは違って、本腰を入れる気になったようで座り直す。
そして、「イザベラの事を聞いているんだろう?」と口火を切った。
「君の思わせぶりな態度の結果がこれだ。僕の可哀想な妹は君の心が手に入らなくて、修道院に駆け込んだよ? 少しは責任は感じてくれないかい?」
「思わせぶり? そう仕向けたのはウィンザー伯爵家だ。エルガー公爵家としてイザベラ嬢を娶るつもりはないと、僕はいつも断ってきたはずだよ? それに、ウィンザー伯爵家がエルガー公爵家と繋がりを維持したいのなら、今、やるべきことは他にあるんじゃないかな?」
そう言うとギルバートは懐から、王立教会の受領印の押された婚約請願書をフィリップに見せる。
「彼女はエルガー公爵家が認めた僕の婚約者だ。今頃、父、母、兄、姉、そして、エドガー様が、各々、僕たちの婚約についての声明を発表しているだろうし、先程、国王陛下から祝辞を頂いた。この状況でイザベラ嬢の事を騒ぎ立てて僕を糾弾するのは、君にとっても、貴家にとっても得策ではないのでは?」
婚約請願書に目を通したフィリップは、その話に苦笑いを浮かべる。
「なるほど、そう来たか・・・・・・。」
「出来れば、こちらとしてはイザベラ嬢にはこのまま大人しくしておいて頂きたいし、もし、そうして下さるよう説得いただけるなら、こちらとしてもウィンザー伯爵家には配慮するように各方面に通達しておく。」
すると、フィリップは深く背もたれに身を預け「こんな所まで来たって言うのに、結局、全部、そちらの手のひらの内ってわけか?」とため息を漏らす。
一方、エリザベスは何が起こったのか分からなくて、キョトンとしてフィリップとギルバートを交互に見た。
「あ、の・・・・・・?」
「もう、大丈夫。リジーのおかげで全部上手くいったよ。」
「上手くいったの?」
「ああ。」
そう言って、いつになく柔らかく微笑むギルバートの様子に、フィリップは珍しいものでも見たと言わんばかりに眉を上げる。そして、両手を上げると、やや芝居がかった様子で「ああ、こっちの完敗だ」と肩を竦めた。
「エルガー公爵家に総攻撃なんかされたら、うちみたいな中堅伯爵家なんて、簡単に消し飛ばされてしまう。だから、良識のある我が家は全面的に手を引く。だが、あの妙な女は見張っておかないと、きっと突っ込んでくるぞ? 気を付けた方がいい。」
「妙な女?」
「ああ、サラとか言ったかな。イザベラが出奔する前に会っていたと思しき最後の人物だ。話をしてみたが、一本、頭のネジが飛んでるみたいだったからな。」
フィリップがサラに会った時、サラはエリザベス嬢を心底憎んでいるみたいだったし、悪意たっぷりに『国家転覆を狙っている悪役令嬢』と吹聴していた。
考えなしに感情のままに動いたイザベラとは馬があったのかもしれないが、まともな状態なら決して相手をしたくない輩だ。
「イザベラが修道院に駆け込んだのも、あの女のせいだと踏んでいる。」
ギルバートはフィリップからその忠告を聞くと、形のいい眉を片方くいっと上げて「それはどういう意味だ?」と訊ねた。
「イザベラは、あの女に良いように操られて、陥れられたってわけさ。誰に相談するわけでもなく、甘言に耳を傾けたベラもベラだから、すぐに助けてやる事は難しそうだがな。」
どこで会ったのかは分からない。だが、サラはフィリップを前にして「イザベラにギルバート様を取り戻したければ、修道院に行けと言ったのよ」と、笑って自白もしたのだという。
「今、家族に真実を話して、イザベラを呼び戻したとしても、一度、修道院に行った娘を父は許さないだろう。それこそ、そのまま修道院に篭めておくか、どこかの後妻に送られて可哀想な結婚生活を強いられる事になる。」
それなら自分のしでかした事は自分で責任を取らせる方が良いだろう、とフィリップは話した。
「だが、あの女を放置し続ければ、第二、第三のイザベラが出る可能性もあるし、何なら、直接、ギル、君の婚約者を攻撃してくる可能性もある。そのあたりはどう片付けるつもりだい?」
「その辺はこちらも一応は調べたんだ。色々やらかしていそうだったからね。うまく証拠を掴んで牢屋送りに出来れば一番早いと思ったんだが、その証拠が見事に集まらない。彼女のことはハミルトン伯爵家が監視下に置いていて、何かしでかす度に片っ端から問題事を揉み消しているみたいなんだよ。」
「ハミルトン伯爵家が?」
「ああ、だから、今は静観している。やるなら一網打尽にしなくてはならないからな。」
「一網打尽? ハミルトン伯爵家が何かしているのか?」
しかし、ギルバートは「ここから先の情報はまた別の見返りが必要だ」と話す。そして「こっちはあらかた手の内を見せたんだ。他に何か出せる情報はないのか?」と威圧した。
「信用してくれるのかい?」
「君自身を信用するなんて愚かな真似はしないさ。政敵なのは変わらないからね。けれど、妹の未来を断たれ、ウィンザー伯爵家の跡取りとしては一矢報いたいんじゃないかと思ってさ。」
「その一矢報いたい先に、自分が対象に入ってるとは思わないのかな?」
「再起不能にされるのを覚悟の上で、矢を放つと言うなら止めないぞ?」
そう言いながらも、互いに情報交換をするフィリップとギルバートの様子に、エリザベスは小首を傾げてみていた。
この二人、仲が良いのか、仲が良くないのか。判断に困っているとギルバートは苛立ちを露わに「もう交渉材料がないなら、エリザベスを引き渡す気もサラサラないし、そろそろお引き取り願えないか?」と言い出す。
フィリップはニヤリと笑うと「分かったよ」と言いながら立ち上がった。
「ああ、エリザベス嬢。今日のところは失礼します。またお会いするでしょうから、どうぞお見知り置きを。」
そして、ごく自然にエリザベスの片手を取り、手の甲にキスをひとつ落とす。ギルバートはフィリップの手を打ち払うようにすると、「フィリップッ!」と声を荒らげた。
「ムキになるなよ。別にこれくらい良いだろう? 減るもんじゃないし。」
「いいや、減るッ!」
目を三角にするギルバートの様子に、フィリップはケラケラと笑うと、「では、また!」と言って逃げ出すように去っていく。ギルバートは「こら、待てッ!」と追い掛け、部屋を出て行ってしまった。
パタン。
扉が閉まったのと、同時に一気に現実に引き戻される。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
ギルバートと入れ違いに入ってきたのだろう、ナターシャに声を掛けられて「平気」と言いかけて、今更、わなわなと身体が震えている事に気がつく。
「お嬢様・・・・・・?」
戻ってきたギルバートは、真っ青なエリザベスの様子に険しい表情になって「リジー?! どうしたの?」と支えてくれた。
「へ、平気です。何だか気が抜けちゃっただけで・・・・・・。」
近くのソファーに座らせてもらい、背を摩ってもらってようやく生きた心地がしてくる。
「大丈夫?」
「ええ、でも一時はどうなるかと・・・・・・。」
ナターシャは「温かいお茶でもお持ちしましょう」と、気を利かせて部屋を出ていく。そして、パタンと再びドアが閉まる音がした途端、ギルバートの腕が伸びてきて、きつくエリザベスの事を抱き締めてきた。
「大丈夫。もう、怖がらなくていい。」
低過ぎない囁き声に、不安は徐々に溶けていき、僅かに香るムスクの甘い香りに心凪いでいく。
「もう、ダメかと、思った・・・・・・。」
ギルバートが助けに入ってくれなかったら、どうしたら良かったのか、今も判断が付かない。
「ごめんね。最速で動いたんだけど、枢機卿を捕まえるのに手間取って。もう少し遅かったら、危うく君をフィリップに盗られる所だったよ。」
そう言ってこめかみに唇を寄せて「それにしても、君の機転のおかげで助かった」と話す。
「機転・・・・・・?」
「ああ、こうなるのを見越して、あの時、サインしてくれたんだろう? 『泣き落としでもなんでもして』と言い出した直後は、フィリップと刺し違えるつもりでいたんだけど。婚約請願書に君がサインしてくれて、王立教会に受領されるなら、話は全然違ってくるから。」
あとは元から用意していた声明を各方面に連絡して表明するタイミングを早めればいいだけだ。エルガー公爵家一同、および、エリザベスの祖父エドガー=スペンサーは確かに二人の婚約を認め、承認している、と。
「泣き落とし云々は時間稼ぎのためかと分かったから、ロバートに念の為に聞き耳を立ててもらっておいて、王立教会に早馬で向かい、直接、枢機卿を捕まえて受領印を押してもらってきたんだ。」
そして、トンボ帰りに戻ってくれれば、ロバートに「フィリップがウィンザー伯爵家にエリザベスを取り込もうとしている」と聞いて、上着だけ揃いに見えるように着替えると部屋に乗り込んだのだという。
つまり、だ。
先程、婚約請願書にサインした事で、ギルバートにはこうなる先が見えていたという事か。
「リジー?」
ああ、ちょっと待って。
今、色々と状況を整理させて――。
心配そうにこちらを覗いてくるギルバートに、出来るだけ平静を装って「声明って、何がどこまで伝わっているの?」と訊ねる。
「そうだね、父は経済界に、兄は政界に、母と姉は社交界に、君のお祖父様は軍関係に声明を発表したんじゃないかな。もちろん枢機卿に受領印を貰っているから、教会関連にも伝わっていると思うし、国王陛下から直々に祝辞を頂いたと兄から伝書鳩が来たから・・・・・・。」
つまり、国中が二人の婚約を知ってると言っても過言じゃない。
「本当は世論の様子を見て、もう少し僕らよりの意見に傾いてからと思ったんだけど、イザベラ嬢の事もあったからね。フィリップから祝辞を貰う事でチャラにしてもらう事にしてきたよ。代わりに、しばらくうちの麦の関税を引き下げるように父さんたちに追加交渉しなきゃだけど。」
そう言ってニッコリとしたギルバートは「相手がフィリップで良かった。あいつは損得計算ができる奴だからね」と笑う。
ああ、サム。
私、自分のことを性悪女だと思っていたけれど、どの世界にも上には上がいるのよ。彼のいる世界は、計算高くないと生き残っていけない世界なのかもしれないけれど。
「リジー? どうかした?」
ああ、どうしよう。目が回る。
私、とんでもない人を好きになってしまったようよ。




