それって駆け落ちですか?(6)
その頃、サラは親指の爪の間から血が出るほどに爪を噛んでいた。
おかしい――。
あの女は「エラ」だなんて名乗ったけれど分かる。あれは「エリザベス=ベアトリス=ハミルトン」。ハミルトン家の伯爵令嬢として出てくる「エリザベス」だ。
「あの女はギルバートルートはイザベラの腰巾着の一人に過ぎないはずなのに。」
なのに、なんだって自分とギルバートの出会いを邪魔をしてきたのだろう。
(まさか、イザベラの陰謀?)
訛りは強かったものの、こちらを蔑むような眼差しは、バッドエンドの時のスチル通りだった。
「こんな所で手をこまねている内に、どんどん状況が悪くなるじゃない。ヒロインは私のはずなのに。」
自室に戻されたサラは、厳重に鍵をかけられたドアを睨みつける。
「さっさとこんな所おさらばして、王城に上がらないとだわ。」
五年前。サラは気がつけば道の往来でボロボロな服を着て倒れていた。初めは遠巻きに見ていた街の人も、あまりに見事な行き倒れっぷり同情したらしく、あれこれと世話を焼いてくれた。
そして、街並みや国の名前、飛び交う人物名を聞いて、不意にここが「ゲームの世界」だと思っている自分に気が付いた。
そうだ、ヒロインの初期設定の名前はたしか自分と同じ「サラ」だ。そう思い至ると、慌てて自分の髪や瞳の色を、桶に水を張って確認しにいく。そして、小さく息を飲んだ。
(ああ、そうだ。この顔、あの乙女ゲーム『The Love of blooms』のヒロインの顔だわ・・・・・・。)
黒髪は確かにボサボサだけれど、梳り、それなりのものを着れば、美少女が出来上がるだろう。
しかし、それを説明しても誰も信じてくれず、身元の保証も出来ないとの事で教会に引き渡される。そして、そこでも同じ説明をしたものの、やはり誰も信じては貰えず、『気が触れている』とされて、こうして教会内に閉じ込められるようになってしまっていた。
『可哀想に気が触れてしまっているんだねえ。下町生まれの私がどこかのご令嬢に見えるだなんて。』
下町訛りで話すストロベリーブロンドの女の言葉が頭の中をぐるぐるとする。
(気が触れてなんかないわ・・・・・・。)
あの女の手は日焼けしたように見せていたものの、ふっくらとした質感だったのを思い出す。
「あれは商人の手じゃないわ・・・・・・。」
それに、あの時、ギルバートには上流階級の者たちが使う、訛りのない綺麗な発音で「大丈夫?」と囁き訊ねていた。
(あの女はオリバー王太子ルートで、彼の双子の姉だったはず・・・・・・。)
たしか、天涯孤独の身の上になってしまった彼女の後見にハミルトン伯爵がなり、王太子暗殺を謀るのだ。
オリバー王太子ルートでは二人で協力して謎解きをして修道院送りにし、ボイル家のアルバートルートでは婚約破棄をさせて、年齢のだいぶ離れているグレイ侯爵に嫁がせる。
エルガー家のギルバートルートの際は、そう詳しく書かれていなかったが、イザベラと共に糾弾され、やはり婚約破棄の騒ぎになったはずだからアルバートルートと同じ運命と見ていいはずだ。
なのに――。
今日現れたエリザベスは「エラ」だと名乗り、「自分がどこかの令嬢に見えるのか」と嘲笑ってきた。
(本当、なんであの女が、寄りにもよってギルバート様と一緒にいるのよ?)
サラはエリザベスの顔を思い出して、ギリギリと歯ぎしりをした。
◇
その頃、エリザベスは氷華の離宮に戻るなり、事情を聞かされたナターシャにこっぴどく叱られ、今はそのまま入浴をさせられていた。
「貧民に立ち向かうなど、エリザベス様に何かあったら、このナターシャ、自分の命で贖っても足りません。」
男爵家の居候令嬢にそんな大袈裟な、と思わないでもなかったが、ナターシャの剣幕を見て言葉を飲み込む。
「けれど、あのままギルバート様に突進されていたら、ギルバート様が椅子に頭を打ち付けることになって、もっと大事になっていたわ。」
「ですが、このようにお嬢様の御髪を乱された上、お嬢様を貶めるような事まで言ったというではありませんか。そんな女など、教会もさっさと修道院送りにして出てこられないようにすればよろしいのにッ!」
怒りに任せてか、わしわしと強い力で髪を洗うナターシャに苦笑する。しかし、本番はどちらかと言えば「これから」だった。
(きっと、二人に質問攻めに合うわね・・・・・・。帰りの馬車の中は恐ろしいくらいに静かだったから。)
数日間、一緒に過ごして感じたのはギルバートの「慎重さ」だ。
王太子殿下のお世話役として実務を担当している事もあってか、しっかり状況を洞察してから判断を下す。それゆえ、グレイ侯爵と王太子殿下が言い争いになった際にも、双方の意見を聞き、「また日を改めて」と判断を下したのだと今なら分かる。
そんな彼の前で、咄嗟の判断とはいえエリザベスのした事は、彼にとっては虚を突かれただろうし、公爵家に縁付こうとしている今、「公爵家にあるまじき行為だ」と文句のひとつも言われるに違いない。
(嫌われたかなあ・・・・・・。)
そう思いながら、そっと部屋のドアを開ければ、ギルバートは窓近くの席でいつになく真剣な顔で書類と睨めっこをしていた。
「そんなところに隠れて立ってどうしたの?」
ドアの空いた音に気がついたのだろう。
書類をキリの良いところまで読み終えたギルバートはエリザベスの姿を見付けて、いつもと変わらぬ様子で迎え入れてくれる。
エリザベスは恐る恐る部屋に入り、後ろ手にドアを閉めた。
「あの・・・・・・、さっきのはとっさの判断で・・・・・・。教会であんな口の利き方をしたから見損いましたよね?」
「見損う? 何を見損うの? リジーの機転のおかげで、大事にならなかったのに。」
ギルバートは「あのまま転んでいたら、僕は頭を打ち付ける羽目になってただろう?」と微笑む。そして、「ほら、こっちに来て、ここに座りなよ?」とすぐ近くまで来るから、エリザベスがおずおずと足を進めた。
「お仕事中でした?」
エリザベスがギルバートの手に掴まれたままの書類に目を向ければ、ギルバートは「これは仕事のじゃないよ」と話す。
「どれも、この離宮に保管されてたハミルトン家に関しての書類だ。」
「ハミルトン家の?」
「ああ、僅かな資料だと言うのに、ツッコミどころが満載だけどね。リジーも読んでみる?」
エリザベスは手渡された書類を斜め読みしてみる。そして、思い切り眉間に皺を寄せた。
「予算額に対して消化額が少ないわ。プールしてるのかしら。」
「いや、貨幣の流通量は国で統括している。この額がまるっとプールされていれば、さすがに気が付く。」
「という事は、ここに書かれていない使途不明金があるって事ですね・・・・・・。ロバートはその裏取りに?」
「ああ、そうなんだけど。決算報告内容まで読めるの?」
「ちょっと訳あって、帳簿つけを習ったものですから。」
「そうか、理解が早くて助かるよ。そのあたり、あの放蕩王太子殿下にも教えてやってほしいくらいだ。そしたら少しは仕事が早く片付くから。」
そう言って、ギルバートが戯けるから、エリザベスもようやく笑みを零した。
と、おもむろにギルバートの腕が伸びてきて、エリザベスの肩を引き寄せる。
そして、髪をひと房とって「ああ、いい香りがすると思ったら、リジーからしていたんだね」と嗅ごうとするから身を捻った。
「な、にを・・・・・・ッ?!」
「んー? 僕に構わなくていいよ。それよりも続きを読んでみて。」
「え、あ、続き?」
「ああ、一緒に調べていたらね、あの『聖女』に関しての書類も出てきたんだよ。」
ペラペラとめくっていくと、確かにハミルトン家と教会にいるサラとの関係についての身辺調査記録が出てくる。そして、その内容を読むとエリザベスは驚きのあまり書類を取り落としかけた。
「私が実は国王陛下の娘で、ハミルトン家の娘として養女になる・・・・・・?」
「そう、あの自称、聖女様はそう言っていたみたいだ。この日付の頃かい? ハミルトン家から養女の話が上がったのは。」
「ええ、この少し後に母が急な流行病で亡くなり、心労からか、お祖父様も同じような症状で具合を悪くなさったの。でも、コックス子爵が誰かからの伝手で、『東洋で手に入れた黒いお薬』というのを頂いて・・・・・・。」
初めは「そんな怪しい薬は飲まない」頑として騒いでいたエドガーも、面窶れした孫娘の「お願い、お祖父様」という頼みは断り切れずに、ものは試しと思って飲んだらしい。
「それで、お祖父様は持ち直したんだね?」
「ええ、長袖の下に紫色っぽい痣が残ってしまったけれど、それ以外はおおよそ回復なさったわ。」
「モリス伯爵のご令嬢と同じ反応だね。ちなみにベアトリス様は何の病でお亡くなったのかは分かるかい?」
「いいえ、伯父からはただ流行病だとしか。」
そして「他にうつる病かもしれないから」と言われ、死に目に会うことも出来ず、よくある土葬ではなく、火葬されたのだと話す。
「だから、死に目には同じ邸内にいたのに会えなかったの。母のお葬式の間は部屋に押し込められていて、キャロル達が来るまで二ヶ月くらいかしら、部屋から一歩も出して貰えなかったわ。」
一緒に暮らしていても、何の病だったかなんて、教えて貰える機会は巡ってこなかった。
「火葬、か。では、墓荒らしをして確かめるというわけにもいかないな。」
それを聞いたら、アンやナターシャあたりは「何て罰当たりな」と叱っただろう。けれど、エリザベスはギルバートの言わんとする事が分かったから、エリザベスは自分の身体に巻き付かれている彼の腕に取り縋るようにして「もしかして、お母様は殺されたのかしら?」と訊ねた。
「どうだろうな? 本当に流行病だったのかもしれないが、今は何とも言えない。だが、毒殺された可能性も残るね。君を我が家にお預かりする話をした時に、君のお祖父様が『リジーを自分の元に置いておきたいが、それではいずれ君に危険が及ぶだろう』とも話していた。あれはグレイ侯爵のことかと思っていたが・・・・・・。」
「まずは身内。そして、ハミルトン家や、下手するともっとそれ以上の方が背後に控えていると見た方がいいということですね?」
ギルバートは険しい顔をして、コクリと頷き、ぎゅうっとエリザベスを抱き締めてくる。
「あと、あの自称、聖女様。彼女にももう接触しないようにしないとな・・・・・・。」
気が触れている割には、エリザベスのことも、イザベラのことも知り過ぎている。
「今日は君に助けてもらった身の上だから、そう強くは言えないんだけど。もうあんな無茶はしないでね。心臓がいくつあっても足りないよ。」
首筋にかかる吐息が少し擽ったい。
「・・・・・・分かりました。」
そのエリザベスの返事に安心したように、ギルバートの腕の力が少し抜け、代わりにそのままこめかみに軽く口付けされる。そして、そっと抱き締めてきていた拘束が解かれると、はにかんだように微笑むギルバートにドキリとさせられる。
けれど、エリザベスの心中は嵐のように不安が渦巻き、ギルバートに宥められても複雑な気持ちだった。
ああ、このまま、何事も起きなければいいのに。