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それって駆け落ちですか?(5)

 美しい宗教画、ステンドグラス、彫像――。


 ギルバートとエリザベスの二人は、離宮近くの街に下りると何軒か洋服店を見て回ったあと、正教会の聖マリアンヌ教会に立ち寄っていた。


 不幸な話は意外とあちこちに転がっている。

 年の離れた夫の元に慰み者にされるようにして嫁がされる子。一夜限りの関係で授かり、父親に認められなかったばかりに庶子として不遇な目にあう子。政敵に陥れられて、悪事を暴かれた結果、婚約破棄されて修道院に押し込められている子。

 そのどれもが通るのが、こうした教会である。とはいえ、信心深い人が多いのかと聞かれれば、そうでもなく、このグ二シア王国においての教会は、街の『互助会』といった体のものだった。

 ある時は婚約請願書の受理を、ある時は貧民救済を、またある時は神の名のもとに悪事を糾弾する場所。そして、一部の建物は『観光名所』としてもまた有名であった。

 この聖マリアンヌ教会も、そのひとつで天井や柱の細部に至るまで、丁寧な彫刻や彩色が施されていて、思わずため息がこぼれる程だ。

 エリザベスは大きな釣鐘型のステンドグラスに見とれていて、ギルバートはその隣で満足そうにその姿を眺めていた。


「綺麗・・・・・・。」

「気に入りましたか?」

「ええ、こんなに素晴らしいものが見られるだなんて思いませんでした。」


 花の蕾が綻びるようにして笑うエリザベスの様子に、ギルバートも嬉しそうにする。

 入口近くで護衛をしているロバートは、そんな初々しさの残しながらも、甘々な二人の様子に「離宮に閉じ込めて置いても、それはそれで二人で幸せに過ごしてたんじゃないのか」と思い始めていた。


(あんな楽しそうなギルバート様は見たことがないな・・・・・・。)


 始めこそ、身をやつしていることもあるので、商家の娘さん達が出入りするようなカジュアルなブティックで何着かドレスを作らせたり、露天商に出ていた普段使いなら使えそうなアクセサリーを買ったりと、ギルバートがエリザベスを連れ回すようなデートをしていたものの、後半はゆったりとお茶をしたり、こうして教会に立ち寄って散策をしたりして、なかなか良い雰囲気でデートが進んでいる。


 ロバートもショッピングに付き合わされて、大量の荷物持ちをさせられていたものの、エリザベスが「こんなに買っていただいても持ちきれないわ」という一言のおかげで、荷物持ちの役目を最低限に免除してもらったので、付かず離れず、二人を邪魔しないようにして警護をしていた。


(エリザベス様もだいぶ打ち解けてらしたみたいだし・・・・・・。)


 珍しく楽しそうにしているギルバートの様子に、うっかり繁華街など治安の悪い所に二人が迷い込むのではと心配もしていたものの、エリザベスの方が気を遣っているのか『のどかな小道の方がいい』と警護しやすい道を選んでくれているし、立ち寄るところもこういうところとなるとどうにも気が抜けてしまう。


(さすがにこう穏やかだと、二人だけにしてやったほうがよかったかなあ。)


 大きなステンドグラスを眺め見ているエリザベスの横で、彼女を眺める方が楽しいと言わんばかりのギルバートの様子にロバートもつい気が緩む。


 そう、ロバートは油断していたのだ――。


 だから、急にガタンと物音がしたかと思うと、祭壇脇のドアが開き、シュミーズ姿の女が飛び出して来た時には初動が遅れてしまった。


「ギルバート様ぁぁぁッ!!」


 そして、初めからギルバートを狙ってか一直線に突進してくる。


(な・・・・・・ッ?! 教会の奥からって・・・・・・ッ?!)


 ロバートは教会の入口に立っていたのを後悔した。


 走り込んでくる女の顔立ちはどこかエキゾチックな美人で、長い黒髪が印象的な女性だった。

 一度、会ったことがあれば、忘れられないだろう女性。しかし、仕事柄、ギルバートの傍近くに控え、各国の大使やその家族の顔と名前を叩き込んであるロバートでも覚えのない顔だった。


「危ない・・・・・・ッ!!」


 一方、エリザベスも咄嗟にギルバートを庇おうとしたのだろう、妨害するようにして突っ込んできた女を突き飛ばす。その拍子に女の指先が引っかかり、エリザベスのカーチフを引き剥がすようにして倒れ込んでしまった。


 広がるのは豊かなストロベリーブロンドの髪――。


 エリザベスもハッとした様子でカーチフを倒れ込んでいる女から奪い返そうと手を伸ばす。

 パニックになった観光客の一人が外に向かって「誰か来て」と叫ぶ。


(まずい、エリザベス様の髪は目立つッ!)


 素性がバレれば、氷華の離宮に隠した意味がなくなってしまう。

 しかも、ばたばたと人が集まってきたところで、黒髪の女はよろよろと立ち上がり、エリザベスの姿を見ると目を見開いた。


「ちょっと、なんで、悪役令嬢のエリザベスがギルバート様といるの!?」


 そして、目を三角にして「あんたは今ごろ修道院に軟禁されているか、あの変態侯爵の後妻にされて監禁されているはずでしょうッ!?」と喚き出す。


 詰んだ――。

 相手は彼女が何者かを知っているみたいだ。


 しかし、エリザベスはそんな女を無視して、奪い取ったカチーフを拾い上げて、手にしたまま、呆然としているギルバートに「大丈夫? 怪我はない?」と訊ねた。


「ああ、大丈夫だ。」


 そして、ギルバートがこくこくと頷いたのを確認してから、ホッとしたのか、「良かった」と柔らかに微笑む。


「ちょっと、聞いてるのッ?!」


 黒髪の女が食ってかかってくる。

 すると、エリザベスは、この間、スペンサー男爵邸で見せていたしおらしさはどこへやら、キッと黒髪の女を睨むと大声を張り上げた。


「それはこっちの台詞だよッ! いきなり突進してくるだなんて、何を考えてるんだいッ?!」

「は? 何を考えてるって、決まってんじゃない! このバグってる世界で『推し』のギルバート様が助けに来てくれたのよ? ねえ、そうですよね、ギルバート様?」

「助ける? 何から? むしろ、このお兄さんをあんたから守ったのは私なんだけど?」


 すると、女は目を据わらせて「うるさいわね、ギルバート様は私を好きになるのよ。あんたはオリバー王子ルートか、アルバートルートの時の悪役令嬢でしょ? なんでギルバート様と一緒に現れるのよッ!」と騒ぎ出す。


(この女、ギルバート様のストーカーか何かか? しかし、それにしては見たことがない女だ。)


 ロバートはそう思って狼狽したものの、エリザベスは不愉快そうな表情はそのままに、突っ込んできた女を憐れみの目で見下ろした。


「可哀想に気が触れてしまっているんだねえ。下町生まれの私がどこかのご令嬢に見えるだなんて。」

「な! 気なんて触れてないわッ!」

「じゃあ、周りの人に聞いてご覧よ? こんな私がどこぞのご令嬢に見えるか、ってッ!」


 そこに至ってようやく、ロバートもエリザベスが下町訛りの言葉を流暢に使っていることに気がつく。


「だいたい、私はあんたの言う『エリザベス』なんて大層な名前じゃないし、しがない流れの商人の娘さ。『エラ』って名前がついているんだよ! 私みたいなお貴族様がいるなら、会わせてみろって言うんだ。」

「だって、そのストロベリーブロンドに、その顔立ち・・・・・・。」

「ああ、この髪? 確かにこの辺りじゃ珍しい色だと言われるけど、他の国には結構いるわよ。あんたの知った顔に似てるのかもしれないが、他人の空似って言葉、知らないの?」


 そう言ってせせら笑うようにして「もしかして、この髪のせいで、そのエリザベス嬢とやらと見間違えたのかい?」と訊ねた。


「で、でも、あそこにいるのはギルバート様よね?」


 その言葉にエリザベスはギルバートの方をちらりと見る。そして、いつもの彼女からは想像が出来ないような他人行儀っぷりで「あんた、この嬢ちゃんと知り合い?」とギルバートに訊ねた。


「い、いや、知らない・・・・・・。」


 ギルバートは黒髪の女の突撃よりも、流暢に下町訛りで喋る、他人行儀なエリザベスの方に面食らったのか、ぱちぱちと瞬きをしている。


「ギルバート様はオリバー王子の側近よッ! サブキャラだけど人気があって、イザベラをやっつければ攻略できる人ッ! この際、ここから出られるなら、誰でもいいのッ! ねえ、私をここから連れ出してよッ!」


 そして、子供のようにして「うわあああ」と泣き出す女の様子にギルバート様はたじろぎ、一方、エリザベスは「なんだ、それならこのお兄さんに頼らなくても、そこの出口から出ていけばいいんじゃない」と教会の出入り口を指さした。


「出て行きたいっていうだけなら、このギルバート様とやらに頼らなくても、この時間、教会は誰もに門戸を開いている。出て行きたいなら、出て行けば? こっちはせっかくの観光してたっていうのにあんたのせいで台無しよッ!」

「なッ! それなら、私の邪魔をしなければ良かったでしょう?」

「お生憎様。そんなシュミーズ姿で飛び出してきて、急に人に襲いかかろうとしているのを見たら、止めにも入るさッ!」


 こうなるとあとは「エラ」こと、エリザベスの独擅場(どくせんじょう)だった。

 黒髪の女が訳の分からない屁理屈を()ねる度、エリザベスが論破していく。


「私は聖女なのよ!」

「はは、聖女様? それはとんだ聖女様ね。聖女様なら何してもいいってわけ?」


 騒ぎを聞きつけて、止めに来た警邏隊(けいらたい)に、黒髪の女は両脇から抑えられて引き立てられて行く。ロバートが部屋に残された二人に「大丈夫ですか?」と近づくと、背後から警邏隊の隊員の一人に呼び止められた。


「そこのお嬢さんとお兄さんは居残ってもらえませんか? 事情聴取に付き合ってもらいたいんです。」


 それを聞くとロバートはハッと我に返って「俺も一部始終を見ていた」と説明する。


「この二人だけよりも、客観的に話せると思うけど、俺も残ろうか?」


 その申し出に警邏隊の隊員は「おお、それはありがたい」と「是非、残って欲しい」とお願いされる。そんなわけで穏やかなデートはそこで打ち切りとなり、教会の一室に、互いに初対面のフリをしたものの、実は顔見知りの三人は、そんな事は微塵も疑っていない警邏隊の隊員と聖堂脇の小部屋に籠った。


 そして、身元確認用の書類を出されたエリザベスは(わざ)とらしいくらいにため息を吐いて「私、まだこの国に来て日が浅いし、ここいらの文字は書けないんだけど」と悪態を吐く。

 ここまで読んで、異国の商人の娘だと名乗ったのなら、なかなかどうして大した肝の据わり方と機転の利かせ方だ。


「へ? そんなに流暢に喋るのに、書けないのか?」

「お褒めに預かって嬉しいけど、書けないもんは書けないのよ。私は父さんと違って契約書は書かないからね。数字は使えるし、商品名は読めば分かるけど。正しい綴りでかけるか、って聞かれたら怪しいわ。お兄さん、代わりに書いとくれよ。」

「・・・・・・ったく。」


 そう言いながら「まあ、あの黒髪の娘絡みだし適当でもいいか」と言いながら、「異国からの流民、商人の娘、エラ」と代筆する。


「それで? そっちのお兄さんもあの娘とは関係ないんだね?」

「ああ、知らないな。始めてみる顔だ。」

「自称聖女さんはあんたを知ってるようだったが?」

「俺の名前は確かにギルバートだが、そんな名前あっちこっちにあるだろう?」

「ま、そうだよな・・・・・・。」


 そう言いながらやはり調書にさらさらと書いて、「で? あんたは?」と差し出された書類を見て「ふむ、スチュアート商会の人足(にんそく)か」と呟く。


「で、さっきの黒髪の娘が急にそのお兄さんに突進し、このお姉ちゃんが庇って口喧嘩していた、って事でいいか?」


 その話にロバートは「ああ、あっている」と答える。


「ふーん、じゃあ、目撃者の話とも整合性が取れているようだし、三人とも帰っていいぞ。」

「え、もういいの?」

「ああ、構わない。あの子に関わった案件はどうせお偉いさんに『心神耗弱』で片付けられるだろうしな。形式的な聴取なんだ。」

「心神耗弱? 本当に気が触れているってこと?」

「あー、あれは気が触れているって言うのとも違うかもしれないんだが。まあ、妄想の世界にいるな。」

「私を見て、エリザベスだ、修道院だと騒いでたけど、それもそのせい? 街で絡まれても嫌だから、この国でこの髪の色が騒がれるなら、染めようかとも思ってるんだけど。」

「確かに珍しい髪色だが、そこまでは心配ないだろう。あの子に絡まれたって話せば、ここらの奴らは、逆にあんたの方に同情してくれるはずさ。」


 聞けば、黒髪の女の子の名は「サラ」と言い、今から五年ほど前、離宮の傍の街道のど真ん中に倒れていて、初めは街の住人に助けられ、次に教会へと場所を移されて保護されたらしい。


「あの子は初めから珍妙な事を言っていてだな。自分は前世の記憶があるだの、学園に連れて行けだの。」

「学園?」

「ああ、モリス伯爵家は後継者の一人娘が死にかけていて、その子に似た自分を庶子を迎えてもらえるはずだから、連絡をとってくれと言ったこともあってさ。でも、周りにそんなお偉い方とコネのあるものも居ないし困ってしまってね。教会が見兼ねて身元を引き受けてくれたのさ。それからはこの教会で保護されてるってわけ。」


 最近の日常生活は落ち着いてきており、今日みたいにぶっ飛んだことをすることは減ってきていた事もあり、普段より警備が甘くなっていたらしい。


「へえ、そんな風に騒ぎ立てられたら、モリス伯爵家も大変だね。」

「いや、そうでもないよ。ただ、モリス伯爵はちょうど話に出た一人娘が東洋の黒い薬とやらで回復したばかりだったからね。彼女の話を聞くとカンカンに怒ってしまって『そんな不吉な娘は篭め置け』と一蹴し、それまでだったさ。だいたい娘さんと似ても似つかないんだ。どうしたらそんな妄言を吐けるのか分からないよ。」


 そんな哀れな子に会いに来たのはたった一人、目深にフードを被った老人だけ。


「老人・・・・・・?」

「ああ、髭のある、いかにも訳ありっぽい雰囲気のな。でも、その老人も彼女を引き取るようなことはなくて、ただ一時間くらい話して帰っていったんだ。」


 ただ、それからのサラの様子はそれまでと変わり、「来るべき日が来るまで待つ」と言い出したのだという。


「諦めてこの街に馴染めば、見た目が酷く悪いわけじゃなし、それなりに嫁の貰い手も来ただろうに、その老人と会ってから、ますますサラは『いつか自分は聖女として認められ、オリバー王子と結婚し、王后となるんだ』と言うようになってさ。」


 警邏隊の隊員は「胡散臭い老人に何を吹き込まれたのか分からないが、本当に不憫な子さ」と話す。しかし、エリザベスは黙り込み、酷く考え込んでいるようだった。


「そろそろ行かなくちゃなんだが、構わないかい?」

「ええ、引き止めて悪かったわね。」


 無理に笑みを作り、エリザベスがひらひらと手を振ると、警邏隊の隊員もひらひらと手を振って去っていく。そして、その姿が完全に見えなくなると、エリザベスは「ギル、酷く嫌な予感がするの」と呟いた。


「あの子の会ったっていう老人。たぶん、私も会ったことがある方じゃないかしら。」


 名はアーサー=サリヴァン=ハミルトン。

 ボイル家寄りのハミルトン家の当主だ。財力も権力も手にしながら、彼には子がおらず、色々なところに養子縁組を申し出ていると噂される人物。

 しかし、話を受けて邸に足を踏み入れた者のうち、多くは行方知れずになっているとも噂されて、爵位ある家のものなら彼の申し出は断る傾向にある。


「五年前、お母様が流行病で亡くなり、お祖父様も体調を崩した際に、ハミルトン伯爵は私を養女にと申し出てきたわ。結局、気合いでお祖父様が持ち直してくれたおかげで、話は立ち消えになったけれど。」


 ギルバートとロバートは顔を見合せた。

「あるあるな展開」と言われそうですが、今回はサスペンス仕立てでお送り致します。

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