それって駆け落ちですか?(3)
エリザベス=ベアトリス=スペンサー、18歳。今はなんでか公爵家の次男坊であるギルバート=ブラッドレイ=エルガー、20歳と「駆け落ち」中だ。
とはいえ、別に本来の保護者である自分の祖父や、彼の家族に婚約を反対されているわけではない。
いや、はじめこそ「バイロン卿とギルバート様は受け入れたけど、他の方が納得してないのかもしれない」と思っていたものの、途中、立ち寄った公爵家のタウンハウスで、公爵夫人に満面の笑みで出迎えられ、彼の姉のステファニー嬢にも熱烈歓迎を受けた後では、とてもそうは思えなかった。
「・・・・・・あの、これって本当に駆け落ちですよね?」
「ええ、そうですよ?」
乗り換えに用意された馬車は、公爵家の紋が入ってない小ぶりの馬車だったが、辻馬車の御者とは違って、御者の立ち居振る舞いは洗練していたし、外観とは違って内側の装飾は質がよく「お忍び用」に作られた馬車だとは分かる。
「どうぞ、こちらへ。」
ギルバートにエスコートされて、馬車の中に入ると二人で座るのにも窮屈で、ギルバートは何度か居場所を確かめてから、エリザベスを横抱きにして腰を下ろした。
「・・・・・・え、あの?」
「こうして乗る方がゆっくりと出来ますでしょう?」
そう言うとギルバートはなんでもない事のように御者に合図をし、馬車が動き出す。
エリザベスが「いや、でも」と困惑の声を上げても、ギルバートは「動くと危ないですよ?」と笑った。
(・・・・・・えーっと。)
この状態、どうしたらいいのだろう。
心臓がさっきからバクバクとうるさい。
と、馬車が大きく揺れて、ギルバートの腕の力が強くなる。途端、彼の付けているムスクの香りをより近くに感じてエリザベスは身を固くした。
「そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ。あなたが嫌がるようなことはしません。ただ、この馬車は造りが狭いですし、格好つけて乗ったはいいものの、身動きが取れなくなったと言うのが正直なところ。」
苦笑して「女性と乗車するのが家族以外で二回目なんで、情けない話でしょう?」とギルバートが茶化す。
「ああ、でも、この事は二人だけの秘密にしておいて下さいね。世に席巻させたい噂の方が行き渡ってからにして頂きたいので。」
「世に席巻させたい噂?」
「ええ、このあと、兄に流してもらう手はずになってるんですよ。『次男がエリザベス嬢と共に行方知れず』だって。」
「わざと行方知れずだと噂を流すんですか?」
「ええ、そうですよ。」
ギルバートは「令嬢には令嬢の戦い方があるように、公爵家には公爵家なりの戦い方があるんです」と微笑んだ。
筋書きはこうだ。
エリザベスはコックス子爵家で知り合ったエルガー公爵家の次男、ギルバートと恋仲だった。しかし、資金繰りの事もあり、スペンサー男爵に意に染まない婚約に追い込まれたエリザベスは、世を憂いて修道院に駆け込もうと画策する。
しかし、一度、修道院に入ればギルバートと添う事もできなくなる。憔悴し思い詰めた様子のエリザベスの様子に乳母のアンが気が付き協力。
「アンが事態に気が付き、エリザベス嬢をスペンサー男爵家から逃がすべく、秘密裏に私に相談した、という筋書きです。」
一方、「ギルバートの方は身分違いの恋に身を焦がした扱いにする」と話す。
次男坊とはいえ公爵家の令息だ。男爵家、しかも、表立っては後ろ盾のない娘となると親に相談しづらく、言い出せずにいた。
けれど、アンから「グレイ侯爵との話は婚約請願書にあとはサインするだけの状態になっている」と聞かされると、一大決心をして出奔。
エリザベスと手に手を取って駆け落ちしたというシナリオだ。
「・・・・・・で、翌朝、登城してこない僕の事を不審に思って事件発覚って感じですね。」
「ですが、それではギルバート様に咎が行くのではなくて?」
「そうですね、無事に婚約式に至ったら、国王陛下から恩赦を受けて、登城できるようになる予定ですが、二週間くらい『登城禁止の上、謹慎』の予定です。とはいえ、これは公爵家一同で家族会議も開いて決まった大芝居ですから、お付き合いください。」
そして「だから、本気で修道院に行ってしまいたいと思い詰めないでくださいね?」と言われる。
「確かにあなたのお祖父様も、我が家の面々も私とあなたの婚約を認めていますから、これを乗り切れば丸く収まる予定です。」
グレイ侯爵も、エリザベスの叔父のキースも、エリザベスに危害を加えられなくなる。
「グレイ侯爵やあなたの叔父上に動かれて、あなたを奪われると困りますからね。エルガー公爵家が、世間の目には駆け落ちに見えるように上手く対処致します。」
政治的には引退したとはいえ未だ各方面に顔の利くエルガー公爵。現宰相として辣腕を振るうバイロン侯爵。社交界一の人である皇后に継いで影響力のあるエルガー公爵夫人。そして、次期王太子妃候補と思われているステファニー嬢。
ギルバート様が「いずれの方向からも働きかけをすれば嘘も真になる」というから、エリザベスは軽い目眩を覚えた。
「何の心配もいりません。一、二週間もすれば、各方面、手筈が整うでしょう。僕らはただ隠れ家でゆっくりして待っていればいいだけ。」
「そんなところが、どこにあると?」
「僕らには強い味方がいらっしゃいます。」
「強い味方?」
「ええ、この件には伯母である第一王妃がご協力下さっています。」
エリザベスがくらりとしたところで、ギルバートは「僕も伯母様が協力してくれるとは思いませんでしたが」と話し、「そうでなかったら、あの二人がこれから向かう所へ行くのを許すはずがない」と笑う。
「先程の歓待からも、想像は固くないでしょう?」
それにはエリザベスも頷かざるを得なかった。
◇
この馬車に乗り換える前、ギルバートは公爵家のタウンハウスに立ち寄っていた。
中から現れたのは、髪を一纏めに結い上げた壮年の女性で、どことなく顔立ちがギルバートと似ている。
しかし、落ち着いた雰囲気のギルバートとは違い、出迎えてくれた女性はもっと気さくで華やいだ印象の人だった。
「あらあら、まあまあッ! あなたが話に聞いていた子ね。可愛らしい。」
出会いがしらにワントーン高い声で声を掛けられ、許可もなく抱き締められる。
「ちょっと、母さん。リジーが固まってますよ? それにそうのんびりしているつもりはありません。計画を台無しになさるおつもりですか?」
ギルバートが横合いから口を挟めば「ん、もう! ギルったら!」と文句を言う。
「ギルがうちに女の子を連れてきたのよ? しかも、こんなに可愛らしい子を。可愛がって当然でしょう? 少しくらい良いじゃない。」
「可愛がるのは、事が済んだら、いくらでもできますから、今は手筈通り伯母様にご連絡ください。その間にこちらも準備しますから。」
すると、「母さん」と呼ばれた女性は「はいはい、分かったわよ」と腕の力を緩め、「これだから男の子は詰まらないわ」とぼやいた。
「でも、私のことを紹介する時間とお互いに挨拶するくらいの時間はあるんではなくって?」
「ああ、もう! 急いでるのに。」
ギルバートはソワソワとしながら、「今は本当に急いでいるんですからね」と言いながら、「リジー、こちらは母のジェニファー」と話す。
「母さん、こちら、ご存知だと思いますが、あの英傑『エドガー=スペンサー』の孫娘、エリザベス嬢です。ところで、姉さんは?」
そう言われた瞬間、ギルバートとは反対から人影が目に入ったかと思うと、ドーンと衝撃が来る。ギルバートが支えてくれなかったら、転倒していたのに違いない。
「ちょっと、姉さんッ、いきなり何するんですか?!」
驚いて見れば、ジェニファーと同じく亜麻色の髪をしたゆるふわ系な女性が、蜂蜜色の目をキラキラさせて立っている。
「あなたがリジー? ちっちゃくて、色白くって、ああ、もう、本当にお人形さんみたいッ!!」
えーっと、それはこっちの台詞では?
レモンイエローのドレスに身をまとい、自分よりは背丈があるものの、存在そのものが蜂蜜のような甘く可愛らしい印象を与えてくる。
「ギルバートのお嫁さんには勿体ないわッ! 行儀見習いに変更して私のお話し相手になって頂戴。」
その間にも、ギルバートは「姉さん」と何度か声を荒らげて静止する。なかなかにパワフルな一家だ。
「姉さん!! こっちの話も聞いてって!!」
「あら、もう焼きもち? 良いじゃない、ギルはリジーといい事、色々、してるんでしょう?」
「そんな事してませんよッ!!」
「ええ? そうなの? 本当、うちの弟はヘタレねえ。」
そう言いながらも、姉弟して、ぎゅうぎゅうと抱き締めてきて、歓迎されて悪い気はしないけれど、ちょっと苦しい。
「姉さんってば、そんなに抱き着いたらリジーが目を回すッ!!」
それに顔を赤くして、ムキになって怒るギルバートの姿に新鮮さを覚える。
これはこれで、珍しいものが見られた。
「え、あ? ああ!? ごめんなさい、リジー。大丈夫??」
「・・・・・・え、ええ。」
「ごめんね、リジー。本当、姉さんは加減ってものを知らないんだから。」
そう言って騒いでいる様子をジェニファーはくすくすと笑いながら眺めていて、「母さんも見てないで止めてくださいよ」と文句を言うギルバートに、「あら、ブリジット姉さんに知らせを入れろって言ったのはギルじゃない」と去っていった。
「あー、もうッ!!」
グレイ侯爵も王太子殿下も黙らせたギルバートなのに、この家ではちっとも上手くいかないらしい。
「ギル、そんなに怒りん坊だと、リジーに愛想尽かされるわよ?」
「誰のせいだと思っているんです?」
「可愛いリジーのせい。」
ギルバートは「これ以上の議論は無駄だ」と判じたのだろう、眉間に皺を寄せて「はあ」と深いため息を吐く。
「リジー、こちらは三つ年上の姉のステファニー。それでこっちが・・・・・・。」
「よく知ってるわよ。キャロルからも聞いているもの。スペンサー家のエリザベス嬢でしょう? ずうっとあなたを私の行儀見習いに誘ってお話し相手にしたいと思っていたのに、まさか弟に先を越されると思わなかったわ。」
表情をコロコロ変えるステファニーの様子につられて笑みが込み上げてくる。
しかし、その一方で「うちもこんな風だったら良かったのに」と寂しさも覚えた。
◇
馬車はコトコトと揺れながら進んでいく。
エリザベスが寂しげな表情をしたからだろう、ギルバートは「何も説明なく連れ出してしまいましたから、ご不安ですよね」と宥めてくれた。
外からこちらが見えないようにとの配慮か、馬車にはカーテンがきっちり閉まっている。
一体、どこへ連れていかれるのだろう。
ギルバートは「まるで子猫のようですね」とくすりと笑った。
「あなたが危惧している噂など、初めから折り込み済みですし、こうした情報戦もまた仕事の内です。」
それでもまだ不安げな表情に見えたのだろう。
「大丈夫ですよ」と言ったあと、思いもよらない爆弾発言を放り込んできた。
「僕らをモデルにロマンス小説を一本書いてもらうことになってますから、民衆も僕らの味方になりましょう。」
ギルバート様は目を細めて「それくらいスキャンダラスな婚約なら、グレイ侯爵も文句を言わないでしょう?」と笑う。
一方、エリザベスはギルバートの発言にポカンとしてしまった。
えーっと、誰をモデルに何を書くって?
「・・・・・・心が決まったら、と仰せだったのは嘘でしたの?」
「いいえ、未だ、あなたのお心一つのままですよ。けれど、あのように急ぎの使者を立ててまで、私を呼んでくださったのです。」
花言葉が「あなたについていきます」のジャスミンの花も、一房、添えて。
「自惚れてもいいのでしょう?」
目を細めて訊ねてくるギルバートの、熱っぽい吐息が耳にかかる。
「え、あ、あの・・・・・・。」
鳶色の瞳と目が合うと、上手く息が出来なくなる。心拍数があがり、エリザベスは耳まで赤くしながら、咄嗟に顔を背けた。
「・・・・・・私が、修道院に逃げ込んでいたならどうなさるおつもりだったんですか?」
眉間に皺を寄せて、少し拗ねたようにしてエリザベスが訊ねると、ギルバートはエリザベスの片手を捕えて、その甲にひとつ口付けをした。
「そうですねえ、あなたが本当に修道院の門戸を叩いていて、僕の手の及ばぬところに行ってしまっていたなら、僕はあなたを守れなかった己の不甲斐に打ちひしがれていたことでしょう。それこそ邸に引き篭ってしまったかもしれません。」
一方、エリザベスは手の甲に落とされた唇の感触に、先日の馬車での口付けを思い出して、顔をますます赤くする。
心臓に悪い人――。
言いたい事は色々あるのに、今、口を開けば、心臓が飛び出て来てしまいそうな心地がして開けない。
「正式なお答えを頂くまでは、ここまでにしておきましょう。お待ちしてますね。」
熱を帯びた鳶色の瞳に囚われる。
エリザベスはごくりと喉を鳴らして生唾を飲み込んだ。