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それって駆け落ちですか?(1)

昨夜のうちに投稿しようとして、途中で寝落ちました(汗)。

 お茶会の日の翌日。ギルバートは王太子殿下のオリバーの襲撃を受けていた。


「おい、ギル。姉上とはその後どうなんだ? 何故、報告に来ない?」

「それについては兄を通じて国王陛下に状況を報告しています。それと彼女を『姉上』と呼ぶ事は国王陛下も禁じたのではないですか?」

「この部屋には俺とギルだけじゃないか。姉上は姉上だろう?」


 それまで仕事優先で書類の文字を追っていたギルバードは、聞き分けのないオリバーの様子に手を止めて険しい表情をした。


「殿下が彼女をそう呼ぶから、彼女の立場がここまで悪くなっていると、ご自覚はなさっていらっしゃらないのですか?」

「立場が悪く? ギルの婚約者になったのなら、逆に立場は良くなっただろう?」

「いいえ、彼女は私との婚約請願書にまだサインはなさっていません。エリザベス嬢は私との婚約を躊躇(ためら)われていますから。」


 呑気なオリバーは本気で理由に思い至っていないのか、「何故、躊躇う必要がある? 姉上の身の上からしたら、玉の輿だろう?」と寝ぼけた事を言い出す。


「侯爵家と婚約の話があると噂された彼女がどのように蔑まれていたか、本当にご存知ないのですか?」


 ギルバートが声に憤りを乗せると、ようやくオロオロとし始めるあたり、この『王太子殿下』は少し貴族内でのパワーバランスに鷹揚過ぎると思う。


 そして、それは彼の美徳であり、その一方、危うい点でもあった。


「か、金目当てに、親子ほどの侯爵家に身売りさせられた令嬢?」


 モジモジとして小声で返してくるオリバーの様子に「それが分かっているなら、私と婚約が成立した場合に、彼女が再び蔑まれるリスクもお分かりなりますよね?」と話す。


「いや、まあ……。だが、今回は先に国王陛下の承認がある状態だぞ?」

「国王陛下が承認して、確かに表向きはそれで通せましょう。けれど、裏側ではそうはいかない。現に昨日出席したウィンザー伯爵家のお茶会で、私も彼女が周りから散々に言われているの目の当たりにしています。彼女が躊躇するのは道理ですよ。」


 彼女が平穏無事に暮らすなら、幼なじみのコックス子爵の令息とゴールインするのが、一番安泰だったのだろう。


 その道筋を華麗に目の前のオリバーが王太子殿下として潰してくれたおかげで、エリザベスと知り合いになれたわけだし、その意味では若干は感謝もしているのだが、迷惑を被っている量がその何倍も多いから気持ちの整理が難しい。


「ともあれ、この件は私めにご一任くださいと、先日も申し上げましたでしょう?」


 ギルバートが溜め息混じりに文句をつければ、オリバーはムスッとした表情になって、やや投げやりに「ああ、確かにそうだったな。分かったよ」と返事はしてきたものの、恐らく納得してはいなそうだった。


(こういう時はきっと三日ほどしたら、全く同じことを聞いてくるパターンだな。)


 しかし、今回ばかりは困る。このまま彼が迂闊に彼女を「姉上」と呼び続けると、下手をすればエリザベスの命に関わってくる。


「ご心配なお気持ちは分かります。ですが、殿下の言動は、彼女にとって命取りになりかねません。軽々しく『姉上』などと呼ばないでいただけませんか?」

「命取り?」

「ええ、先日の件もそうですが、グレイ侯爵が他の貴族に『あの娘は王族を騙った令嬢だ』と吹聴したら彼女の立場はどうなります? ましてや本当の出自がバレてしまえば、彼女を祀り上げる輩も出てきましょう。それを避けるなら彼女は修道院送りに甘んじるでしょうし、下手すれば国外追放や極刑に処せられるリスクも出てきますよ?」


 そこまで話して、オリバーはようやく自身のしでかしたことが、エリザベスの命を危険に晒す行為だと思い至ったのか、オリバーは目を見開いて固まった。


「……殿下が彼女に肉親への情として、慕わしい気持ちをお持ちなのも存じておりますが、接触は慎重になさってください。今の彼女はスペンサー前男爵の庇護下にあるご令嬢に過ぎないんです。今はあくまでも、その身分に応じた扱いをなさってあげるのが優しさというものです。」

「分かった……。」


 今度の「分かった」は本当に分かってくれたらしく神妙な面持ちで頷く。


「ご理解いただけたのなら、この話はこれで終いにしましょう。誰の耳に入るか分かりませんから。」

「あ、ああ。」

「それとお話がそれだけでしたら、昨日の分の仕事が残っている状態ですので、また後日にお願いできますか?」

「ううッ、ギルが冷たい……。」

「元はと言えば、殿下の『王太子』としての書類仕事も混じっております。その分を引き受けてくださるというなら、もう少し優しくも出来ましょう。」


 すると「書類仕事は苦手なんだ」とそそくさと扉の方へと近付き、「訓練所にでも行ってくる」というと口を少しばかり尖らせて部屋から出ていく。


(また、逃げたな……。)


 けれど、いつものように頭に来ないのは、代わりに脳内でエリザベスが両腰に手をやって、「あのダメ王太子ッ!」と叱り飛ばす姿が脳裏を掠めたからだ。


 オリバーの態度に怒る代わりに笑いが込み上げてくる。


(やっぱり、二人は姉弟なんだろうな。)


 エリザベスとオリバー。どちらも、良くも悪くも自分のことを翻弄する。


 そして、そのことを嫌がっていない自分もいる。


(いつか、堂々と二人が姉弟として過ごせる日が来ればいいのに。)


 そしたら、逃げ回るオリバーを叱るエリザベスの姿を眺めながら、楽しくすごせるかもしれないのに。


 ギルバートはそんなことを夢想しながら、再び書類仕事に専念することにした。


 ◇


 一方その頃、スペンサー男爵邸の中庭ではエリザベスが四阿(あずまや)でぼんやりと過ごしていた。


「お嬢様。このようなところでいかがなさいました?」


 その声に視線を向けると、本来、その場に控えていないといけないはずのベスの姿はすでになく、代わりにアンが洗濯かごを持って立っていた。


「アン……。」


 その声はエリザベス自身でも少し驚くほど、切羽詰まっている声で、アンはそれを聞くと、持っていた洗濯かごを足元におくと四阿の中にまでやってきた。


「ちょっと、失礼しますね。」


 アンのひんやりとした手に、エリザベスは思わず目を伏せる。


「熱は無いようですね。頭が痛いとか、気持ちが悪いとか、どこかお加減が悪いのですか?」

「いいえ、そうではないの……。」


 この気持ちを何と表現したらいいのだろう。ただ苦しくて、切なくて、たまらない。


「昨日の夕飯もあまり食が進んでいないようでしたし。また東の対のものが何かいたしましたか?」


 エリザベスは「そうじゃないの」と首を横に振った。


「……旦那様にもお話出来ないことですか?」


 その言葉にこくりと頷く。


「お嬢様、このアンがお聞きしてもよろしいですか?」


 エリザベスは、アンの申し出に両腕を伸ばすと、昔、夜に眠れない時に甘えていたみたいにして抱きついた。


 柔らかくて、温かくて、石鹸の香りがする。


 すると、アンも心得たもので、エリザベスが安心出来るように背中をそっと(さす)りながら「それで、どうしました?」と宥めてくれた。


「私ね、どうしたらいいか分からないの。」


 そう言うとアンはふふっと笑いながら、「何が分からないのですか?」と優しく問われると、うるうると目の前が涙に滲んでいく。声も自然と涙声になって、上手く言葉にならなくなる。


「あのね、私ね、ギルバート様を我が家の事情に巻き込みたくないのよ……。」


 たどたどしく話しても、アンは催促するようなことはせず、静かに話を聞いてくれる。


「……あの人は何ひとつ悪くないのに。なのに、私と居たら、それだけで迷惑をかけてしまうし、きっと嫌な思いをさせてしまうわ。」

「そう、公爵家のご子息に言われたのですか?」

「いいえ、彼が仰ったわけじゃないの。けれど、お茶会に出たり、街に出たりしてみて、身の程がよく分かったの。」


 私は彼に相応しくない。馬車ひとつをとったって雲泥の差だ。家格どうこうの問題じゃなくて、そもそも住む世界からして違うのだ。


「……彼と私は住む世界が違うんだわ。一緒にいても家格も合わないし、沢山、無理をさせてしまう。」


 「利害が一致している」と、予防線を引いていたのに。


「お茶会の日に何かあったんですか?」


 エリザベスはアンの胸元に顔を埋めたまま、「色々と言われたわ」と囁いた。


「でも、それ自体はいいの。お茶会自体は、自分がなんと噂されているのか自覚して行ったから、ある程度の覚悟も出来ていたわ。けれど、街でまで言われているなんて思っていなかった……。」

「街でですか……?」

「ええ、曰く、『英傑も金に困ったら孫娘を売り飛ばす』だそうよ。」


 アンは目を丸くする。


「お茶会で聞かされたのだけれど、グレイ侯爵は結納金を伯父様に渡しているようなの。」

「そのお話は旦那様にも?」

「ええ、ご存知のはずよ。お茶会の帰りに送ってくださった日に、ギルバート様も『エドガー様にご挨拶を』と仰っていたでしょう? 私がすっかり気落ちしてしまっていたから、ギルバート様からお伝えくださるっておっしゃっていたの。」


 「馬車に酔ったみたい」とはぐらかしていたものの、本当は街で聞いた噂話に傷付いたからだと話すと、アンはエリザベスの身体をぎゅうっと抱き締めてくれる。


「口さがない奴らの言葉を鵜呑みにしてはいけませんよ? 農村部の方ではお嬢様の信奉者も多くいますし。」


 そう言って慰めてくれるものの、心はささくれだったままで、苦々しげに「世の中は、その口さがない奴らばかりなのよ」と呟く。


「農村部の人達だって、エドガー=スペンサーの孫娘だから可愛がってくれたのかもしれない。」


 厭世的(えんせいてき)な気分になって、何もかもを放り出したくなる。


「婚約など話が上がる前に、修道院にでも逃げ込めばよかった。そしたら……。」


 こんな風に悲しくなる事もなかったのに。


 そう口にする前に、エリザベスはアンはきつく抱き締められた。


「お嬢様、そんな悲しい事を仰らないでください。万一、そのような事になったら、旦那様も私もガックリして一気に老け込んでしまいますよ?」


 そして、エリザベスの(まなじり)に溜まっていく涙を拭う。


「アン、それなら、どうしたらいいというの? 私、もうこんな自分が嫌なのよ。」


 ただひっそりと暮らせればそれでいいのに。


 社交界にあっては「母の恋の過ちの子」「父無し子」と蔑まれ、今は「男爵家の居候令嬢」だの、「身売りさせられそうな令嬢」などと揶揄される。


 いっそ、自分が貴族の家の出でもなんでもなくて、祖父が母を勘当でもして市井に暮らしていたなら、似たような境遇の娘などゴロゴロしていると言うのに、そうなれない身の上なのも腹立たしい。


 アンを前にすると、弱音がポロポロと出てきてしまう。


「生まれくる家が、公爵家に釣り合うような家柄だったら良かったのに。いっそ、王太子殿下の言うように、私も国王陛下に認知されて、『王女』として過ごしていたら、ここまで悪し様に軽んじられなかったかしら?」


 エリザベスは眉間に皺を寄せて苦しげにそう呟いてから、「どうしたら彼を悪く言われないで済む?」とアンに尋ねた。


「お嬢様、今からギルバート様にお手紙を書かれて、お会いになる約束を取り付けてはいかがですか?」

「お手紙?」

「ええ、お嬢様はギルバート様に恋をなさっているんですよ。そして、お嬢様の抱えている思いに白黒つけて下さるのは、ギルバート様だけです。無理をしていらっしゃるのかどうかは、ギルバート様に尋ねるしかないですよ。」


 分かっている。頭では理解できているものの、自分はこの恋心を受け入れられない。


「そんなの迷惑をかけてしまうだけだわ。彼の立場が悪くなるだけなのに。」


 すると、アンはくすりと笑って「悩み事までベアトリス様とお揃いですね」と話した。


「お母様と一緒?」

「ええ、一緒です。」


 アンはエリザベスをあやしながら「普段、明るく向日葵のように笑い、負けん気の強いところもおありでしたのに、本当に好きな人の前では酷く臆病で泣き虫でいらっしゃいました」と話す。


「素直に『そばにいて欲しい』とか、『また会いたい』とかおっしゃればよろしいのに、今のあなたのように『彼の立場を悪くしてしまう』とよく仰っていました。」

「……それは、本当に同じね。」

「ええ、人は恋をすると臆病になるものです。普段は気にならない些細な事が気にかかるものですから。」


 風に揺れて木立が揺れる。四阿の中も風が吹き抜けていき、アンはふふっと笑うと「青春ですわね」と話した。


「私もリチャードとそういう甘酸っぱい時代があったはずなんですけど。」

「甘酸っぱい……。」

「それにギルバート様は、私の見立てではございますが、気骨のあるお方とお見受けしています。まあ、王太子殿下であられるオリバー様のお世話役を担っていらっしゃるからかもしれませんけれど。お嬢様の悩みなんて、『お気になさらないでください』とおっしゃるんじゃないですか?」


 アンはふふっと笑い、宥めるようにエリザベスの背に回していた腕を解くと、今度は力付けるようにポスポスと軽く叩いてくれた。


「それにしても、ついこの間『利がないから、婚約解消するのでは?』と仰っていた方と同じ方には見えませんね?」

「あ、あの時は……。」

「ええ、『満更でもない』と思っていらっしゃるご自身の気持ちに気付かれる前だったんですよね?」

「……へ?」


 くすくすと笑うアンに言われて、エリザベスは確かに最初からギルバートのことが気にかかっていたことに思い至る。


「あ、あれは……。」

「それまでエリントン卿と呼んでらしたのに、急にギルバート様呼びされたら分かりますよ? 話の馬の合う方だったのでしょう?」


 エリザベスがこくりと頷くと「直感は大事です」と話しながら、「さあ、善は急げと申しましょう?」と元気づけてくれる。


「少し風も出てきましたし、お手紙は中で書かれたらいかがですか? 美味しいお菓子とお茶もお部屋にお持ちしましょうかね。」


 少し居心地悪い気持ちになったエリザベスを茶化すことなく、親身にアドバイスに乗ってくれるアンの様子に、エリザベスも笑みを漏らす。


 ここで留まっていても、彼との距離は開くばかりだ。


 前に進まなきゃ。 そう踏ん切りを付けると、エリザベスはようやく立ち上がった。

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