めざせお茶会マスター(1)
ジョンの訪問から数日。
ギルバートはトムとロバート、サムの四人でエリントン子爵領へと向かい、残ったエドガー、フランシスは辺境伯、ジョンなどと部屋に籠って船の設計について話し合ったり、物資の調達などを手配したりと毎日忙しそうにしていた。
「本日はいかがなさいますか?」
ここ数日、何となくそわそわとしていたレベッカも、ギルバートがマナーハウスに向かってからはいつものように戻っていて、今日は落ち着いて髪を梳いてくれている。
「・・・・・・そうね、昨日は刺繍もし終えてしまったし、これが本当にスペンサーのお邸なら、庭の散策とか、少しを足を伸ばして街でショッピング、とか言ってたんだけど。」
よく似ていてもここは辺境伯領で、護衛となるトムやサム、ロバートが居ないとなるとお邸で大人しくしている方が賢明だと思えた。
「今日は辺境伯夫人に先日のお茶会のお礼に刺繍したハンカチをお渡しして、それから考えようかと思うわ。」
「承知致しました。」
そして、簡単に髪をまとめてくれたあと、ギルバートの仕立ててくれたドレスのうち、また先日のドレスとは別の形のシフォンのドレスを持ってくる。
エリザベスはレベッカにそれを着付けてもらいながら「ギルのおかげで着るものには困らなくなったわ」と笑えば「まだまだ選び放題ですよ?」とレベッカが笑った。
「そんなにドレスを持ってきたの?」
「はい、しばらく着回しする必要が無い程度にはございます。ただ、それでも数が多そうでしたので、一部はエラルド公国の別荘に直接送っております。」
「エラルド公国の別荘・・・・・・?」
「はい。ステファニー様が『近い内にあちらの邸で絶対に必要になるから』と仰っられまして、もう少し寒い時期に着るものをお送り致します。」
レベッカは当たり前の事実と言わんばかりに答えたが、グニシア王国内だけでなく、エラルド公国にも別荘を持っているエルガー公爵家の権勢に驚いていた。
(ああ、でも、ギルがエラルド公国の公世子になるほどの間柄なわけだから、エラルド公国に別荘があってもおかしくはないか・・・・・・。)
とはいえ、田舎のしかも山間にあるスペンサーのお邸で、粗末な型遅れのドレスをリメイクして仕立てた物や、冬場でも木綿の薄汚れたワンピースに毛織物のガウンを羽織っていたのを思えば、こうして同じような作りの部屋ながら、すきま風もない温かな部屋で、最新のドレスに身を包み、レベッカに丁寧に身繕いされていると違和感を覚えてしまう。
「私自身は何も変わってないと思っていたのに・・・・・・。」
昨日の自分と、今日の自分と――。
ギルバートに出会ってからは目まぐるしく「周りが変わってしまっただけ」と感じていたのに、こうして似たような部屋にいながらも、全く違う扱いをされていて、いつの間にかそれが当たり前になってきている自分にドキリとさせられる。
「あら最近のエリザベス様はお会いした頃より、よくお笑いになるようになりましたよ?」
「・・・・・・そう?」
「ええ、それにギルバート様も。ロバートに聞いたんですけど、昔は『仕事の鬼』だったらしいですよ。」
「仕事の鬼?」
「はい、『もっとこう張り詰めていて、一瞬の気の緩みも許してくれないような雰囲気の人』でいらしたと申しておりました。」
「ああ、『仕事の鬼』なのは確かね。たまにガス抜きしてあげないと、この間みたいに徹夜しちゃうから。」
根を詰めるところがあるから、程々のところで切り上げさせないと無理をする。
「・・・・・・でも、膝枕、三十分以上は大変じゃありません?」
「うーん、それがそうでもないのよ。」
「そうなんですか?」
「うん。私ね、ギルが甘えてくれると嬉しいの。」
彼のさらさらの髪を撫でていると、とても心が落ち着くし、寛いだ表情の彼を見るのが好きだ。
「それでね。『ああ、幸せだな』って思うのよ。」
頬を薔薇色に染めて、熱っぽく話すエリザベスの様子に、レベッカはくすくすと笑い「ご馳走様です」とデイキャップを最後につけてくれる。
「・・・・・・もう! そう言うレベッカもロバートと、いい雰囲気なんじゃないの? それともまだサム狙い?」
「へッ?!」
「『ヘッ?!』って、バレてないと思っていたの?」
ワタワタしているレベッカにエリザベスはそう話すと、「ロバートの方が気苦労しなくて良いんだろうけど、サムのいい加減さはレベッカくらいしっかりしてないと心配なのよね」とぼやく。
「サムは今まで仕えてきた主がお祖父様だし、世話役として付いていたのが私でしょ? 公爵家の御者見習いになって、少しは礼節を学んだみたいだけど、このお邸の件もそうだけど機転は効くけど、いかんせん自由すぎるのよね。」
本人も「お嬢の事が片付いたら、旅に出たい」と言って憚らないし、黙々と庭を弄っているベンの子供と言うより、先日会った自由奔放そうなジョンの子供と言われた方が納得できてしまう。
(あ、でも、土弄りは好きだから、エイダとは仲良くやりそうよね・・・・・・。)
エイダとサムとレベッカと。勝手な妄想ながら、レベッカがサムを選んで、あのヴェールズの家のようなところで仲良く暮らしている姿を想像してみる。
(・・・・・・ああ、だめ。やっぱりレベッカが苦労するのが目に浮かぶわ。)
目を離すとすぐサボるサムを追いかけて、叱っているレベッカを想像すると、ぶんぶんと首を横に振り、今度はロバートとの生活を想像してみる。
(きっとロバートはギルの侍従を辞めたがらないだろうから、街中で暮らすとして・・・・・・。)
それはそれでなかなか帰ってこない旦那を待って、やきもきしているレベッカが想像されて眉間に皺を寄せる。
「お嬢様?」
「んー!! やっぱりサムもロバートもダメね。」
「ダメって?」
「レベッカの旦那様にするのにはダメってこと!」
「サムさんはお話の流れで分かりましたけど、ロバートさんもですか?」
「ええ、ロバートはギル以上に仕事人間だもの。レベッカを放ったまま、なかなか帰ってこない可能性があるじゃない? 私が妬けちゃうくらいにロバートはギル一筋だもの、有り得そうでしょう?」
「・・・・・・ええ、まあ。確かに。」
「でっしょーッ! そう思ったら二人ともダメダメよ。二人にはレベッカは勿体ないわッ!」
エリザベスが息巻けば、レベッカはふふッと肩を揺らして笑い、「エリザベス様のお眼鏡に適う人だと、随分とハードルが高くなりそうですね」と話す。
「そうね、前だったら、そうでもなかったんだけど、主にギルのせいで、ぐんぐんハードルが上がっているわね。」
エリザベスもレベッカと同じようにして笑う。
「それに、私、レベッカのことも気に入っているのよ?」
初めて会った頃こそ警戒していたものの、今ではすっかりレベッカに信用を置いている。
「いつかレベッカが誰かに嫁いでこの仕事を続けられなくなっても、私、レベッカには幸せに過ごして貰えるように取り計らうつもりよ。」
それを聞くとレベッカは、目を見開き、「勿体ないお言葉です」と話す。そんなレベッカの様子に、エリザベスは「そんなにかしこまらないで」と言うと「私ね、ずっと居候令嬢だったの」と続けた。
「自由に出来るのは、お祖父様が内緒で下さるお小遣いとか、キャロルからの差し入れとかそれくらいで。」
自分付きの侍女としてベスが手伝ってくれると言っても、母のこともあったから信用出来ず、基本はベスに上手く言って、彼女が部屋から出て行ってから、逐一、毒が仕込まれていないかチェックする癖がついていた。
「邸の中にあるもので、他の物はおいそれと触れなかったし、口にできなかった。」
髪も自分で鏡を見て整え、一人で着られる服を身に纏う。飲み水や食事はアンかサムの用意したものしか口にしない。
「華美に飾り立てれば、伯母様がすっ飛んで来てしまうし、かなり気を使って生活していたわ。」
実家なのにおかしいでしょうと笑えば、レベッカは首を横に振る。
「だから、エリントン子爵領のお邸にいらした際、お人払いなさる事が多かったんですか?」
エリザベスはこくりと頷き「それもあるわ」と返事する。
「でも、それよりも新しく人間関係を作るのが怖かったの。」
キャロルのお茶会ぐらいにしか参加しないのも、陰口が叩かれるのがよく分かっているからで、それなら、邸で静かに暮らしている方が性に合っていると思っていた節もある。
「嫌な目に合うくらいなら、カタツムリみたいに殻に籠って、ひっそり暮らしている方が良いんじゃないかって・・・・・・。」
エリザベスは「そんな奴らのこと気にかけなきゃ良かったのにね」と苦々しげに言い、刺繍し終えたハンカチを手にすると「辺境伯夫人の元に向かうわ」と告げ、「先触れをお願い」と依頼する。
レベッカは「承知しました」とお辞儀をして部屋を後にした。
◇
「先日はお茶会でありがとうございました。」
エリザベスが膝を折り挨拶をすると、グロースター辺境伯夫人は「あら、そんなにかしこまらないでちょうだい」と言って、応接室に通してくれた。
東の棟はこの辺境伯領の伝統的な建物なこともあって、西の棟とは違って繊細なレリーフが飾ってあって、全体的に優美な雰囲気で思わず「ほう」とため息が漏れる。
(まるで別のお邸に来たみたい・・・・・・。)
正直、暑苦しいまでのグロースター辺境伯を思うと、この建物は似合わないなと思えるものの、なかなかどうして上手くいっているのか分からないものの、目の前のおっとりとした貴婦人である辺境伯夫人にはこの部屋はしっくりして見えた。
「こちら、先日のお礼としてお持ちしました。心ばかりの品ではございますが、どうぞお納めください。」
本来なら招いてくださったその日にこうしたプレゼントやお茶菓子の差し入れをするのだが、招待されたのがお茶会の前日の夜だったことや辺境伯夫人の「参加してくれるだけでいいの」との申し出もあって、お茶会後にせっせと刺繍を施したのだが、だいぶ日が空いてしまっている。
エリザベスは緊張した面持ちでハンカチを渡したものの、辺境伯夫人はそれを見ると、とても嬉しそうな顔になった。
「まあ、素敵な刺繍だこと! うちの紋章まで刺してくださったのね。これを私に?」
「ええ、遅くなってしまいましたが・・・・・・。」
「とんでもない。こんな素敵な品、今まで頂いたことがないわ。他の方に自慢してしまいそうよ。」
そう言って、辺境伯夫人は刺繍したハンカチを眺めて、侍女に「マーサ、お茶をお願い出来る?」と訊ねる。
マーサと呼ばれた侍女が部屋を後にすると、辺境伯夫人は「それにしても、ビーと瓜二つね。こうしていると、学生時代に戻ったような心地になるわ」と笑う。
「お茶会でも皆さん驚いてらしたでしょう?」
「え、ええ。あれは急に参加したからではないのですか?」
「それもあるけれど、それよりもビーの生き写しだから、皆様、そちらに驚いていたのよ。」
ふふふっと悪戯が成功したのを喜ぶ辺境伯夫人は、グロースター辺境伯と近しい笑みを浮かべ、「あ、こういう所が似た者なのかしら」と悟る。
「夫たちは何か面白そうな事を企んでいるみたいで忙しくしているみたいだけれど、私には教えてくださらないし、あなたも同じで手持ち無沙汰かしらと思ってね。ビーの服を着たあなたを見たら、皆様にご紹介したくなったのよ。」
ああ、それで「参加する時は母のドレスを着てきて」と言われたのかと、今さらながら納得する。
「土地柄や主人のお付き合いの関係で、うちは中立派の方とお付き合いが多いのだけれど。あのギルバート様の溺愛ぶりと、フィリップ様の傅きっぷりと言ったら。」
そして、くすくすと笑って「ギルバート様にね、『あまりリジーを他の人の目に晒さないでください』と釘を刺されたわ」とも話す。
「けれど、我ら婦女子の戦いの場は社交界。人目に晒されなければ、戦えないというのに。」
「・・・・・・それは、正教会の事があるからだと思います。」
「ああ、あの眉唾な託宣のことかしら?」
「はい、異端審問だなんて家名にも大きく関わるでしょうから。」
すると「確かに『家名』を出されると男性陣は煩そうね」と言ったものの、「でも、女性同士の付き合いでそんなのは関わりないわ」と話す。
「評判が良い事も大切だけれど、それよりも相手が信頼の置ける相手かどうか、夫が付き合う相手を間違えるとそれこそ家門に関わってきますからね。」
お茶会や夜会で情報交換をしつつ、付き合いを続けるか否か、夫にアドバイスをするのも大事な役目だと話す。
「その辺りはフィリップ様ね。あの日、あなたのサポートに回って、あれこれ場を繋いで下さってましたでしょう?」
「え、ええ・・・・・・。」
船酔いで体調不良だった前日とは打って変わって、エリザベスがお茶会に参加すると知った途端、めかしこんでやって来た事には驚いたが、ギルバートがフィリップの同席を認めた事にも驚いた。
表に出したがらないギルバートに、エリザベスの不足を補うように振る舞うフィリップ。ギルバートは始めの挨拶の時だけの参加だったが、なるほど、かなり印象深い状態だったろう。
「あの私は先日お話したとおり、お茶会初心者で、場数を踏まないといけないと思っているんです。」
いつまでもフィリップに頼っても居られないし、そのうち、きっとお茶会の主催をしなくてはならなくなる。
「でも、その辺りを教えてもらう前に母は亡くなってしまって・・・・・・。」
キャロルというお茶会上手な友達はいるものの、自分自身で主催したことはなく、どういう風にしたらいいのかいまいち分かっていない。
そう話せば、辺境伯夫人はにこりとして「私もちょうどその事を話そうと思っていたの」と目を細めた。