主力艦隊は海賊船です(3)
全く、もう――。
辺境伯夫人が主催のお茶会が終わって、ギルバートの姿を探していたエリザベスは、ギルバートが薄ら目の下に隈を作って本を読み、その隣で眠そうに警護をしているロバートを見つけると、レベッカと二人でギルバートとロバートを叱った。
「全く、ロバートは! 二日酔いになるまで飲むだなんて!」
「レベッカ、そう怒らないであげて。トムに捕まったなら仕方ないわよ。人に食べさせるのも、飲ませるのも趣味のようなコックなの。トムに捕まったら最後、潰れるまでお酒を注がれたんだと思うわ。」
エリザベスはそう言って「レベッカも私もいるから、青い顔してないで寝てらっしゃい」とロバートに言う。
と、同じく青い顔をしているギルバートはロバートに「部屋に戻って、寝て来い」と指示した。
「で? ギル? あなたはその酒盛りに参加してないんでしょ? ただでも船旅で疲れているのに、何だって徹夜なんかしたの?」
「徹夜はしてないよ。二時間くらいは寝た。」
「それは寝たうちに入らないわよ、もう。」
「膝枕してあげるから横になって」と言えば、レベッカも「毛布をお持ちしますね」と去っていく。
ギルバートは「お言葉に甘えて横になるかな」と言うと、ソファーに足を投げ出すようにして横になり、エリザベスに膝枕をしてもらった。
「ほら、目を瞑って。」
「それはもったいないなあ・・・・・・。心配そうに覗き込んでくれているリジーの姿が見られなくなる。」
「・・・・・・もう、青い顔しているのに、そんな事、言ってる場合じゃないでしょ?」
エリザベスにそう叱られつつも、ギルバートにはあまり響かないようで、むくれている姿さえ愛しそうに眺めてくるから、居心地の悪さを覚えて身動ぎする。けれど、ギルバートは逃す気はないと言わんばかりにエリザベスの手を取るとそっとその指先に触れるだけのキスをした。
「・・・・・・君のことを考えてたら眠れなかったんだよ。」
「昨日、話したことのせい?」
「いいや、『投資』の話。」
すると、エリザベスはキョトンとし、それから「ああ、お茶か、香辛料か・・・・・・」と呟く。
「ねえ、ギルはオスマーンと取引するなら、どっちだって思う?」
「あー? そうくるのかあ。オスマーンとの取引ねえ・・・・・・。」
私掠行為で上前を跳ねるだけかと思っていたら、オスマーンまで出てくるとは思わなかったから、ギルバートは眠そうな顔のまま、眉間に皺を寄せる。
「でも、敵の敵は味方って言うじゃない?」
「・・・・・・うん、まあね。」
「それに、オスマーンは先の海戦で敗れたとはいえ、大国には変わらないでしょう?」
エリザベスは「たとえ、先代のスルタンの影響力が薄れて、いずれ勢力が衰えるとしても、今はしばらくは『交易先』として悪くないと思うの」と話す。
「・・・・・・今は時期が悪いな。あちらのお家騒動に巻き込まれたら、目が当てられない。」
そう話せば、エリザベスも「そこなのよねえ」と困り顔になる。
「いっそ『国』同士の交易ではなくて、海賊同士のネットワークで交易できてしまえばいいのだけれど。そしたら、まだるっこしいこと言わなくて済むのに。」
「・・・・・・ん?」
「まだるっこしいこと言わずに済むのに?」
「いや、違う、その前。海賊同士のネットワーク?」
「ああ、そっち?」
エリザベスはふっと笑みを零して「さっきのお茶会で聞いたのよ、海賊達はどうやっているのか怪しの技で複数の船団が連携して襲って来るって」と話す。
「だからね、きっとあると思うのよ。そういうネットワーク。そうじゃなきゃ、タイミングよく、いらっしゃるかしら? 大海賊の船長が。」
エリザベスの言い分にギルバートは眉を顰め「『無い』とは言いきれない話だな」とため息混じりに話す。
「・・・・・・で? 海賊たちまで使って、何に投資をしたいんだい? 大砲、三千五百門の買い付けじゃ足りない?」
「そうなの、足りないわ。」
「困ったな、どうやら僕の奥さんは相当な金食い虫みたいだ。」
ギルバートが「本当、参るなあ」とため息混じりに言うから、エリザベスは「だから、辺境伯邸を買い取るのはやめておくわ」と答える。
ギルバートはふふっと笑うと、髪をエリザベスに撫でられているのが心地よかったのか、うっそりとした様子でエリザベスを見上げた。
「船を買って海で暮らすのも、悪くないかもしれないな・・・・・・。」
「あら、木こりの次は船乗りにでもなるつもり?」
「ああ、悪くないだろう・・・・・・?」
夢うつつなのだろう、ギルバートの声は緩慢で 、どことなく歯切れが悪い。
「・・・・・・僕はリジーとなら、どこにでも行くよ。たとえ、世界征服しなくちゃ、ならなくなってもね・・・・・・。」
そう言ってほのかな笑みを残したまま、鳶色の瞳は静かに閉じられて、少し後にすうっと静かな寝息の繰り返しに変わる。
エリザベスはそんなギルバートの様子を見ると、胸がきゅうっと苦しくなってせつない気持ちになった。
「毛布をお持ちしました。」
レベッカに目配せをしてギルバートに毛布を掛けてもらう。レベッカは毛布を掛けても気が付かないギルバートの様子に少し驚いた。
一礼して「隣の部屋で控えております」と告げれば、エリザベスは静かに頷く。ただ、その表情は恋人といて嬉しそうといった表情ではなく、一緒にいることが申し訳ないと言わんばかりの表情だった。
◇
レベッカは、その後、三十分程度、隣の部屋に控えていたものの、特に大きな物音はなく、心配になって、そっと覗けば部屋を後にした時と同じようにして、エリザベスの座っている姿と、ギルバートの足先が見えたから、まだ同じようにして過ごしているんだと思ってドアを閉じた。
(・・・・・・三十分以上も膝枕だなんて、結構な苦行よね。)
と、幾分、顔色の良くなったロバートが「レベッカ?」と廊下の曲がり角から顔を見せるから、慌ててドアから離れるようにして、ロバートに「しぃ」っと指を立てて制した。
「覗きか?」
「人聞きが悪いわね。あまりに静かだから様子を見に来たのよ。」
「・・・・・・で? どうだったんだ?」
「エリザベス様の膝枕で、ギルバート様がお休みになっているみたい。」
「膝枕でお休み・・・・・・?」
唖然としているロバートに「本当、おふたりとも甘々ですよね」と嘆息する。
「もう、三十分ですよ? 私、あれをロバートさんと再現しろって言われても、間違いなく途中でロバートさんの額を『寝過ぎだ』って叩きます。」
「そこ、威張るところじゃないと思うんだが・・・・・・。」
「余程、お疲れだったんでしょうけれど。そろそろお起こしした方がよろしいでしょうか?」
レベッカが「お嬢様の足が痺れちゃいます」と憤然とする横で、ロバートはくつくつと喉を鳴らして「人の恋路は邪魔しない方がいいぞ?」と笑った。
「こういう時はそっとしておいてやるのが、使用人の役目。続きは俺が隣の部屋で控えておくよ。まだ仕事途中だったんだろう?」
「お生憎様。今日はお嬢様付きなの。だから、お嬢様からの指示なしには勝手はできないわ。」
「ふーん? それなら、ちょうどいいな。」
「ちょうどいい?」
ロバートは短く「ああ」と言って、レベッカに「ちょっと手伝って欲しいことがあるからついてきて」と手招く。
「手伝って欲しいこと?」
「ああ。」
そして、刷り込みされた雛のようについてくるレベッカを隣の部屋に通すと、ソファーに案内して「座ってて」と話す。
それから、ソワソワして座っているレベッカに、お湯を沸かしてお茶を淹れて、お茶菓子を添えると「召し上がれ」と促した。
「ちょっと、お茶をしてる場合じゃ・・・・・・もぐぅ。」
一緒にいることが多いからか、ロバートはすっかりレベッカの扱いが上手くなっていて、レベッカの好きそうなサクサクとしたバタークッキーを口に放り込む。
「レベッカ、今の俺たちの仕事はこれだ。」
「仲良くお茶すること?」
「いや、正確に言えば、お二人を放っておくことだな。」
「それなら別の仕事をした方が、建設的なんじゃ?」
「ミセススミスに『お嬢様はどうしたの?』って問われたら上手いこと説明できるか?」
その問いにレベッカは言葉に窮し、バタークッキーをもう一口食べて咀嚼する。
「でも、こんな風にサボってて、叱られないかしら?」
「ミセススミスにバレなければな。それ以外は大丈夫さ。」
もっともギルバートがエリザベスに手を出して騒ぎになるといったことになれば、また話は少々変わってくるだろうが、自分たちがサボっていること自体はさほど言われることは無いだろう。
「ここにはハロルドさん達は居ないし、ギルバート様の意向だと言えばいい。邪魔する方が野暮ってもんだよ。」
「だけど・・・・・・。」
「足が痺れたって、首を寝違えたって構いやしないさ。お二人とも、ああやって、誰の干渉も受けないで過ごしたいっていうのが願いなんだから。二人の身代わりしていると分かるだろう? 少しも息が付けないっていうのが。」
婚約式以降、身代わりを仰せつかったロバートとレベッカは部屋にいるようには言われたものの、次々と矢継ぎ早にくるトラブルを必死に捌く羽目になった。
「そうですね、ギルバート様の仕事量もですけれど・・・・・・。」
「ああ、エリザベス様への誹謗中傷もだいぶ酷かったな・・・・・・。」
しょんぼりとしたレベッカが「お嬢様は何も悪いことをしてないのに」と口を尖らせるから、ロバートはレベッカの頭にぽすんと手を置くと、がしがしと頭を撫でた。
「ちょ、ちょっと、急に何するんですか?」
「・・・・・・いや、レベッカはいい子だな、と思ってさ。エリントンのお邸のメイドたちはみんな、ギルバート様が気難しいから遠巻きにしてたし、エリザベス様のことも白百合姫として興味は引いていても、レベッカみたいに親身にはなってないだろう?」
それには「そんな事ない」と言いたかったものの、確かに先輩メイドたちがギルバートのことを遠巻きにしているのは感じていたから、不満をお茶とともに飲み込んだ。
「まあ、エリザベス様がいらっしゃる前のギルバート様は、仕事の鬼と言っても過言じゃなかったからなあ。」
徹夜に続く徹夜、邸に帰っても眠るだけで、また朝早くに家を出てしまう。
「一緒に付いて回る侍従の身としては『少しは休めよ』と思っていたもんだよ。」
生き急ぐかのように――。
学園生活でも、城勤めでも、ギルバートはロボットのようにして仕事を捌き、そのくせ、「優秀すぎるのも、周りのやっかみを買うから」とわざと数問間違えてトップに立つのは嫌がる。
「氷輪だなんて、綺麗な言葉で表現する人もいたけどな。以前のギルバート様はもっとこう張り詰めていて、一瞬の気の緩みも許してくれないような雰囲気の人だったんだ。」
一緒にいても「頼るつもりはない」と無言で意思表示されると、仕える側としては息が詰まる。
「ギルバート様の考えを常に先読みをし、彼の欲しいものを、欲しい時に、欲しい分だけ用意する。そして、そういう『影』が出来ない侍従なら、初めから要らないと判断するような人だったんだよ。」
だからこそ、ギルバートの侍従候補だった同僚は次々と辞めていき、彼の侍従としてそばに残ったのはロバートだけだった。
仕事は多岐に渡り、ギルバートの身の回りの事や、業務の一次仕分け、軽微な応対代行、そして、護衛業務に、身代わり。
特に身代わりを請け負うようになってからは、ギルバートが頑なに「他人を頼るまい」としていた理由がわかった。
「ギルバート様は、常に誰かの『影』をしてきた人だから。」
「誰かの『影』?」
「ああ、ある時はルーカス様の、またある時はブライアン様の、そして、何より王太子殿下のね。ギルバート様が他人を頼るまいとしていたのは、頼った結果、守りたい『本体』の方に影響が出てはならなかったからだ。」
誰かの『影』として動くなら、自分の欲望を殺し、息を潜め、ひっそりとことを進めなければならない。また、失敗は決して許されないから、石橋を叩いて渡るくらいの慎重さと、綿密なスケジューリングは欠かせない。
「けれど、エリザベス様は、それらとは違うんだよ。エリザベス様のことだけは『ギルバート様自身の意思』なんだ。」
スペンサー男爵の邸の玄関ホールで、低く唸るように自分の名を呼んだギルバートは、目の前で虐げられているエリザベスの姿に怒り心頭だったんだと思う。
『ロバート、今日の予定を全て変更する。』
そして、言い放った言葉は、いつもスケジュール通りに動くのを良しとしてきたギルバートが、それまでの全てを反故にした瞬間で、今に繋がる全てが動き出した瞬間だった。
「あれから色々とあったし、正直、数ヶ月前はブリストンにまで足を伸ばす羽目になるとは思っていなかったけれどね。先に進むしかないのなら、俺はギルバート様の侍従らしく、露払いをし続けるまでだって思っているんだ。」
それからお茶を啜り、乾いた喉を潤すと、少し口重たそうにした後で、「・・・・・・で、だ。何が言いたいかって言うと、俺は膝枕をしてくれなくとも、身代わり仕事の相棒はレベッカしかいないと思っている」と話し、グイッと残りを飲み干す。
「・・・・・・苦ッ。」
一番、渋いところまで飲んでしまったようで、少し赤くなりながらロバートはそう言うと「口を濯いでくる」と言って外へ出ていった。