公爵家ってどういうことですか?(7)
エリザベスはギルバートに手を引かれるようにして、ウィンザー伯爵家の見事な薔薇の庭を抜け、玄関前のアプローチ前に向かった。
「……大変お聞き苦しい話をお聞かせしました。」
あんなお茶会、もう二度と嫌だ。
こんな痛くない腹を探り合うお茶会に出ろと言われるより、領民と一緒になって田畑の開墾の手伝いでもした方がどれほど有意義な事か。
「そうだね、エリザベス嬢の言う通り、領地の復興作業を手伝っていた方がずっと有意義だ。」
そこで自分が心の内をそのまま口にしていた事に初めて気が付き、ハッと我に返り、「今のは聞かなかった事にしてくださいませ」とごにょごにょと濁す。すると、ギルバートはハハッと声を上げて笑った。
「いや、僕もそう思っていたから気にしなくて良いよ。君も疲れただろう? 送っていくよ。」
エスコートする事が板に付いているギルバートに対して、ぎこちなくエスコートされる自分。しかも、その格好も型遅れのドレスをなんちゃってリメイクした逸品だったから、気が引けてしまう。
(ああ、それに……。)
お茶会の最中に気がついてしまった、自分の感情を思い出して小さく溜め息が漏れる。
これは、大それた感情。こんなに優しくしてくれる彼に、これ以上、一体、何を求めるというのか。
(自分と彼は利害が一致している合間の、仮初の恋人に過ぎないと言うのに。)
エリザベスはそう思いながらも、もう少しギルバートといたくて、「邸の者にギルバート様に送っていただけることになったと伝えて参りますね」と話す。そして、その場を逃げ出すようにして、質素な馬車の方へと向かった。
「サム? サム、いないの?」
しかし、なかなかサムの姿が見つからず、荷台を覗き込めば、「馬を休ませている間、昼寝」と決め込んでいたのだろう、大量の荷物に囲まれてぐうすかと眠っているサムを見つけた。
「サァムゥ……? ベンに言いつけるわよぉ?」
「んあ?」
ギルバート様に送って貰える事になったから、サムに「先に帰ってて」と告げに来たらこの状態だ。さっきまでこっちは修羅場だったというのに、呑気に昼寝されて腹立たしいことこの上ない。
それに、長年庭師をしているベンは勤勉な性格だから、この怠け者の息子が本当にベンの息子なのかも信じ難い。
「お嬢? 心の声が漏れてますぜ? もう帰ってきたんですか? 修羅場って、お茶でも頭から掛けられてきたんで?」
「それでいうと前者の方。ギルバート様をお待たせしているから、先に帰って。」
「え、ギルバート様も抜けてらしたんで?」
「ええ、邸まで送ってくださるって仰っているの。」
すると、サムは急にパァンッと自分の顔を叩き、「そりゃ、めでたい。こちらはお任せください」と言い放つ。
「はあ?」
「荷物はちゃんと届けるんで、お嬢はさっさとあの公爵家のご令息を誑し込んじゃってください。」
「ちょっと、言い方ッ!! だいたい、その言い方、さっきまでのご令嬢方みたいで癪に障るから止めてちょうだい。私はギルバート様とは利害が一致しての付き合いなのよ?」
すると、サムは大きく頷いて「うんうん、そうっすね。俺みたいに自由気ままに過ごしていたら命がいくつあっても足りないって仰っていましたもんね。貴族社会は、打算的に逞しく、性悪に生きないと」と言い出す。
「はいはい、結論、私が性悪って言いたいわけね?」
「いやぁ、お嬢はご自身の性格をよくご存知でッ! あの優しそうなギルバートの旦那を前に『利害の一致』とか言っちゃうわけですから。」
「もうッ! そんな風にしみじみ言わないでッ!」
気心知れている事もあってか、そんな感じで軽口を叩いてから、少し離れたところで待っているギルバートの元へ戻る。
しかし、ギルバートの視線は自分の背後に向けられたままで、振り返って見れば、サムが使い古した帽子を胸に殊勝な態度で頭を下げていた。
(ん、もう……ッ! 本当、何なのよ!! その「不束なお嬢をどうぞよろしくお願いします」的な態度……ッ!!!)
エリザベスは思わずムッとした表情になり、サムに一言申したくなったが、ギルバートがすぐそばに居ることを思い出して、令嬢らしくにこりとすると「お待たせ致しました」と挨拶した。
「彼は?」
「ああ、あれは庭師の息子のサムです。普段は父親のベンに付いていて、庭仕事の手伝いをしてることが多いんですが、時折、ああして御者や従者の真似事もしてくれるんです。」
さっきのサムの態度のせいで思わずトゲのある言い方になる。すると、ギルバートは「御者や侍従の真似事を任せられるほど、ご信頼なさっている方なんですね?」とくすりと笑った。
「んー、先日、お茶を運んできたベスよりはマシってくらいです。一応、私とお祖父様の窮地を助けてくれた実績はあるんで。」
「窮地を助けてくれた実績?」
ギルバートが片眉を上げる。エリザベスは「サムは庭師のベンの息子なんですが、乳母の養い子でもあるんです」と答えた。
「乳母の養い子? 乳母児ではなく?」
「ええ、サムの母親は、サムの妹を産む際に亡くなったんです。しかも、その際に産後の肥立ちが悪くて母子ともに亡くなってしまったらしくて、急に父ひとり、子ひとりの生活に。とはいえ、庭師として通いで働いていたベンは、まだ幼いサムを一人置いて仕事をする訳にもいかなくて、祖父に『息子も邸に連れてきていいか』と相談したんです。」
意気消沈したベンから話を聞かされたエドガーは、二つ返事でその話を受け入れて、その場に控えていたリチャードに「お前さんの奥さんに、もう一度、奉公に来てもらえんだろうか?」と、アンをスカウトしつつ、ベンにも「家財一式持ち込んで、昔みたいに住み込みで暮らせ」と『命令』したらしい。
「その頃、乳母のアンもちょうど流行病で子供を亡くしてしまって、お祖父様は両方にいいと思ったんでしょうが、残念なことに育った養い子はあんな感じでして。先日も『お嬢がどこかに嫁に行って、エドガー様が隠居なさったら、俺は放浪の旅にでも出るんだ』って、雇い主とその孫娘に面と向かって言っちゃうような不良使用人なんですよ。」
ギルバートはそれを聞くと、くすくすと笑い「それはだいぶ気の良さそうな方ですね」と笑う。しかし、エリザベスは、それには不満を示して首を横に振った。
「あれは『気が良い』のではなく、『調子が良い』って言うんです、ギルバート様。先程も『ギルバート様を誑し込んじゃってください』だなんて言い出すし、本当、失礼しちゃうッ!」
「おや、何を楽しげに話しているんだろうと思ったら、そんな事を話していらしたのですか?」
と、再びの失言にハッとして、慌てて「ご、ごめんなさい」と再びごにょごにょと言い淀む。しかし、ギルバートはお茶会の時とは違って、始終楽しそうにくすくすと笑いっぱなしだった。
「と、ともかく……。」
サムは従者もどきと兼ねていて信頼を置いている使用人には違いなかったから、「あんなんですけど」と口を尖らせながらも、「伯父一家の雇い入れた使用人よりは、ずうっと、ずうっと、信頼が置けるし、軽口を叩けるくらいには気心が知れているのは確かです」と認めた。
「そうですか。それは少し妬けますね。」
「いえ、妬かなくて大丈夫です。サムのことは足ふきマットくらいに思っておいてください。」
「足ふきマットって……。」
ギルバートは笑いを堪えきれなくなったのか、あははと声を立てて笑う。
それから、「うちの馬車はこちらです」というと手を取って公爵家の馬車へとエスコートしてくれた。
(うわぁお……。)
思わず、ぽかんとしてしまったのは許して欲しい。
磨き上げられた車体、引いている馬も良く手入れされてツヤツヤとしている。油をしっかり挿してあるのだろう音のしない蝶番。
エリザベスは乗り込んだ最高級の馬車に、思わず「ほう」とため息を漏らした。
公爵家の馬車の窓は景色が見やすいように大きく、けれど外から中は見えないように薄布のカーテンが施されており、座面のクッションもふかふかとしている。
「出してくれ。」
ギルバートが短く声をかければ、静かに馬車は進み出し、それなのに少しの揺れもない公爵家の馬車に、エリザベスはギルバートと自分の生活の水準の違いをまじまじと感じて黙り込んでしまった。
ふかふかの椅子に、触れれば分かるが、布地もベルベットで滑らか。どれも特級品の材料を使って作られているのだろう。
(うーん、やっぱり、着替えてくれば良かったかしら。)
けれど、着替えに用意してきた服もそこまで上等な品ではなかったから、あまり変わらないかなんて思ってしまう。
(住む世界からして違うのよね……。)
家格が合わないことは最初から分かっていたものの、こうしてその水準の違いをまざまざと味わうと苦いものが胃の腑から上がってくる。
「本日は何から何まで、ありがとうございました。」
令嬢らしく、所作に気を付けて挨拶すれば、ギルバートはそっとエリザベスの手を取った。
「どうしたのだろう?」と思うのと同時に、クイッと引き寄せられる。
「ギルバート様?」
しかし、ギルバートは首を横に振ると、耳元で「ギル」と口にして、そっとエリザベスの手を取るとその甲に口付けた。
「恋人同士なのに他人行儀に過ぎます。どうか、ギルと呼んで下さいませんか?」
絶句する、と言うのはこういう事を言うのだろう。エリザベスは目を見開いたまま、ギルバートの顔をまじまじと見た。
え、ちょっと待って? 一体、何が起こっているの?
エリザベスがキョトンとして言葉を失っていると、ギルバートはくすくすと笑い出す。途端、かあっと顔が火照って、エリザベスは口を尖らせた。
「か、揶揄うのはおやめください……ッ。」
「揶揄ってなどいないですよ?」
「けれど、お笑いになってるではないですか。」
「これはあなたがあまりに可愛らしいから。」
「な……ッ。」
なんでもない事のようにギルバートが囁くから、エリザベスは目を白黒させる。
「僕とあなたは恋仲なのでしょう?」
「そ、そう話しましたけど。ですが、あれは……。」
フリでしょう?
そう言いかけて、真剣な眼差しのギルバートと目が合って、最後まで言葉を紡げずに飲み込む。
え、待って、ちょっと考えがまとまらない。
「……わ、私の評判は先程の通り最悪ですわ。」
「それが何か?」
「それが何かって……。あれが私に対する世間一般の認識ですのに……。」
ウィンザー伯爵家との事が上手くいかなくても、ギルバートは引く手あまただろう。
「今回のことでウィンザー家とはうまくいかなくなっても、モイラ家やピール家のご令嬢方が婚約者候補として上がってくるのではないでしょうか?」
「最有力候補がこちらにいらっしゃるのに、なぜ他のご令嬢を候補に加えるんです?」
ああ、なんてこと。 明るい鳶色の瞳で見据えられるとどうしたって抗えない。
スペンサー領の復興のため、持参金も用意できないし、爵位も貴族階級の底辺だし、評判も最悪だというのに、淡い期待がじわじわと胸の内から 湧いてくる。
「『恋仲だ』と思ってくださるなら、愛称で呼んでくださってもよろしいのでは?」
それでもエリザベスが答えを渋っていると、ふっと目の前が影になり、耳元で「ねえ、リジー」とテノールの声が甘く響いた。
「君が僕を誑し込むというなら、僕はそれを歓迎するよ。」
(な……ッ!?)
まるで頭を殴られたかのように、ぐわんとぐわんとする。
ギルバートは真っ赤になって固まっているエリザベスに気を良くしたのか、ふっと耳元で笑う声がする。
「というか、もう半分以上、誑し込まれてるんだよね。僕は、君のことをもっと知りたいんだ。」
身を捩って少し距離をとろうとしたものの、逃げ場の無い馬車の中、座席の隅に追い詰められた事に気がつく。
こんなつもりじゃなかったのに――。
彼に見つめられるだけで「このまま爆発するんじゃないの?」ってくらい心臓は早鐘を打つし、身体は緊張でガチガチになっていく。
それにここまで近いと、彼の息遣いも聞こえるし、首元につけているのだろう、シトラスの香水もふわりと香ってきた。
耐えきれなくなって瞼を閉じると、そっと瞼に触れられるだけのキスを落とされる。
「今すぐ結論なんて出さなくて構わない。どうやら生理的に嫌いというわけでもなさそうだし。」
ギルバートがゆっくり離れていく気配に、そろそろと目を開ける。そして、自分が随分と息を止めていたことに気付いた。
「でもいつか、心が決まったら君の本心を聞かせて欲しいかな。」
「本心……?」
「ああ、そうだよ。僕が君を生涯の伴侶に選ぶとして、君は受け入れてくれるのか、を。」
そして、エリザベスが呆然としている様子にギルバートが、再びくすりと笑う。
「エリザベス嬢、この後、もし宜しければ二人きりでお茶の仕切り直しをしませんか?」
「え、でも、王太子殿下が?」
「ああ、あれはあの場を切り抜ける口実。それに今帰ったら、殿下は調子に乗りそうですし。」
柔らかく笑うギルバートに、思わず見蕩れながらこくりと頷く。
(えーっと、この人、なんだか王太子殿下より、王太子殿下っぽいんだけど。)
気品溢れると言ったらいいのか、並み居る令嬢達がキャーキャー騒いでいた理由が分かる。
彼の微笑みはきっと鬼をも笑わせる。
アン、どうしよう――? 私、この方から目が逸らせないの。