プロローグ
私は、小海原 睦海。私立高校の一年生。
うちの学校、ちょっと変わっていて、女子の方が断然多い中高一貫の共学校。元々、女子校だったのが少子化とかで入学者が減り、一昨年から男子を受け入れたのにあまり集まらず、しかも定員割れの危機が続いている。いかに男子が少ないかは、私のクラスに高校から入ってきた男子が三人しかいないので、察してね。
何? そんなにレアな男子と、お付き合いの方はどうなのって? うーん、うちのクラスの男子は、女子の中にぽつんといるので気後れするのか無口な人ばかりで、話しかけても会話がすぐ途切れる。よそのクラスに気になる男子はいないこともないけど、どうお付き合いしていいのかわかんないし、きっかけもないしで、今んとこ彼氏ゼロ。なので、共学なのに女子校みたいなノリの学校生活。
クラブ活動は女子しかいないファッション研究会っていう同好会に入っているけど、活動らしい活動もせず、毎日お茶してだべってる感が半端ない。話題は恋バナかって? 全然。……変かしら?
こんな毎日を送る私にも、心ときめく瞬間がある。
それは、中一からずっと憧れの一つ上の先輩で、名前は清澄 湖透。フルネームを口にするだけで顔が火照ってくる。みんなは下の名前で「湖透先輩」と呼んでいるので、私もそうしている。
先輩は、中学・高校と連続して生徒会長に当選。学校のテストは小学校から満点しか取ったことがないという才女。
珠算は十段。囲碁も将棋もチェスも校内で負け知らずで、アマの有段者にも勝利している。記憶力の凄さは、円周率を10万桁言えるというのだから、推して知るべし。さらに運動神経抜群で、毎年水泳の全国大会に出場して上位に入賞している。そんな湖透先輩は、人前で才能をひけらかすようなことは一切しないし、私たちを見下すようなこともしない。
才能に恵まれているだけではない。それはもう、例えようのないほどの美人。
キラキラ輝く眼とすべすべの肌と艶のあるセミロングの黒髪に、ついうっとりと見とれてしまう。しかも清楚で、上品な言葉遣いや優雅な身のこなしが素敵。
私には、とてもとても真似なんか出来ない。せいぜい真似出来ることといえば、同じセミロングの髪型にするとか、食堂で同じメニューを食べるとか。って、あんま意味ないか……。
そんな湖透先輩の魅力が人を惹き付けるので、周りに生徒がいっぱい集ってしまう。廊下でも校庭でも、いつも生徒たちが追っかけのようにゾロゾロと付いて歩く。もちろん、私もその一人。
でも、残念ながら、先輩を妬む生徒は少なからずいる。
以前の話だけど、ある女生徒が先輩に嫉妬して暴力を振るい、先輩に怪我をさせた事件が起きてしまった。その傷害事件があってから、生徒会役員、もしくは女友達四、五人がSPみたいに先輩を囲んで校内を歩くようになった。
常に守られていることは、裏を返せば、学校の中を自由に歩けないことと同じ。そんな先輩が、とてもかわいそうに思えてくる。
生徒会役員に警護された湖透先輩の後ろを、口々に先輩の名を呼ぶ生徒たちが付いていく。そして、先輩がこちらを振り向いて笑ってくれたと言っては喜ぶ。私もその一人。
ところが、先週から、私が先輩に声をかけても笑ってくれなくなった。振り向いてもらえないときもある。いつも通りに先輩の名前を呼ぶだけなのに、原因がわからない。他の生徒には笑顔を向けるのに。
――なぜ、私にだけ。
何か、先輩の気に障ることを言ったとか? それは絶対にあり得ない。
意気消沈し、自席に戻って打っ伏す毎日。今日もそう。
さすがに涙が出て来た。すると、私に近づく足音と服のすれる音がして、頭の上から声が降ってきた。
「こーみ。また撃沈?」
声の主は、クラスの学級委員で親友の蔵前 心湖。あだ名は「ココ」。ちなみに、「こーみ」とは、小海原の小海を「こうみ」と呼んで変化したあだ名。
私が「えーっ?」って疑問形で答えつつ声の方へ顔を上げると、ココは右肩にかかっているセミロングの髪の毛を、両手の親指と人差し指で作った2つの輪で髪の2カ所を挟み、その指を交互にリズミカルに滑らせていた。そんなことをしてると今にそこだけ髪の毛がちぎれるぞと思いつつ、ため息交じりに嘘をついた。
「いつものことよ。追っかけが多過ぎて近寄れない」
本当は違う。私にだけ振り向いてくれないのだ。
「嫌われてるの?」
心臓がズキッと音を立てた。気にしていることをズバリ突いてくる彼女の直感は鋭い。
「ごめん、もしかして図星?」
彼女の直感が外れたと嘘を言いたいが、言葉が喉に詰まる。
「振り向かせたかったら、声が届くように先頭に立ちゃいいじゃん」
他人事だと思って安易に提案している彼女に向かって、私は睨み付ける。
「やったの、こないだ。そしたら、後ろから押されてSPにぶつかって、SPにど突かれた」
「そりゃ、お気の毒さま」
「あれ、絶対わざとだよ。しかも上履きの踵、しっかり踏まれたし。こけさせる目的で手の込んだことされた」
声が荒くなった私は、もう一度机に顔を伏せ、頬骨の辺りで頭を安定させる。
すると、前方の椅子がゴトゴトいう音とドカッと腰を下ろす音が聞こえて、私の頭を載せた机が揺れた。ココが前の座席を占拠して何を言うのかと耳をそばだてていると、少しの間合いの後で彼女が囁く。
「話あんだけどさ」
小声なのは、まだ教室にチラホラ残っているクラスメイトの耳に入れたくない内容なのだろう。もし、湖透先輩を振り向かせるための思いつきの作戦でも伝授するのだったら聞き流そうと構えていると、頭のてっぺんに息が吹きかかった。
「チャット見なよ」
スマホのチャットを見ろと。これまた手の込んだ作戦伝授だ。一応、内容確認のためポケットからスマホを取り出すも、今の体勢では読みにくい。でも、顔を上げれば、その間抜けな顔を撮るぞってスマホのカメラがこっちを向いているはずだ。そんな隙を与えないため、スカートの上にスマホを置いて、下向きに画面を覗き込みながらチャット画面を開く。
ログの一番下にポコンと表示されたココの新しい書き込みは――、
『海洋VRMMORPGやらない?』
私は、机に額をつけて、わずかに首を傾げた。