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春風のわすれもの

もう春だというのに、冷たい雨が降り続いている。咲き始めた桜の花びらは、寒そうにその小さな体を震わせていた。

「ちょっと、あんたいつまでメソメソしてるの?」姉ちゃんが不機嫌そうに、私に言葉を浴びせる。

外の冷たい雨が、私の心の中にも降り続いているようだった。傘をさそうにも、傘に手を伸ばす気力さえない。雨は既に心から溢れ出し、私の頬を濡らし続けていた。

「だって、姉ちゃん……」私はそう言葉を並べるのが精一杯だった。

「母さんも何か言ってやってよ」姉ちゃんは呆れた様子で、母さんに助けを求める。

「泉美は父さんっ子だったからね。父さんも喜んでいるだろうよ。でも、そんなんじゃ父さん、泉美が心配でいつまでたっても成仏できないよ」

「分かってるけど……」

母さんは私がこうして悲しみ続けていることに対して、それほど否定的ではない。むしろ、嬉しそうですらあった。対照的に、姉ちゃんはあからさまに悲しみを表現する私に、イライラしているようだった。姉ちゃんだって本当は私のようにこうして泣きたいのだ。でも我慢している。みんなの言いたいことや気持ちは分かる。悲しみを抑えきれない私が、子供なのだということも。でも、どうしても私は我慢が出来なかった。

「そうだよ。泉美は父さんが死んでから泣いてばっかりで、ろくに外にも出ないじゃない」

「うるさいな~。お姉ちゃんが薄情過ぎるんだよ」売り言葉に買い言葉で、思ってもいないことを口にしてしまう。

母さんも、姉ちゃんも涙をあまり見せない。もちろん悲しんでいないはずはなかった。きっと、一人の時に泣いているのだろう。しっかりしなくちゃ、という思いなのか、オンとオフとの気持ちの切り替えが上手いのかは分からないが、私が大人になりきれていない、ということは確かだった。

「それじゃあ泉美、今日仏壇にあげるお花買って来てよ。父さんも泉美が買って来てくれたら喜ぶよ。たまには外に出て気分転換してきなさい」

気は乗らなかったが、母さんにあまり心配ばかりかけるわけにもいかない。

「うん……分かったよ。行ってくる」少しはしっかりしないと、と自分の体に鞭を打ち、私は外に出ることにした。


外は相変わらずの雨。どんよりと分厚い雲に灰色の景色。頭の中には、父さんが笑顔で私を呼ぶ姿ばかりが浮かんでくる。私の頬には暖かい雨が降り続いていた。幸いなことに顔は傘で隠せる。


私は遠山泉美。23歳。現在は無職である。今の私は父さんの面影に縛られ動けなくなっていた。何も手につかない、とはこういうことを言うのだろう。先月父さんが死んだのだ。交通事故。飲酒運転の車との正面衝突だった。父さんっ子だった私は、何も手に付かないようになり、仕事も先月退職をした。母さんも姉ちゃんも辛いのは分かっている。私がもっとしっかりしなくてはいけないことも。でも父さんとの思い出ばかりが頭に浮かび、今の私はため息と涙ばかり。姉ちゃんが私のことを見て、イライラするのも当然だった。


花屋のある繁華街へは、徒歩15分ほど。久しぶりに外出をする私の気分転換には、母さんの言うとおり、最適な距離なのかもしれない。

それにしても、久しぶりに外に出た。いつもと何も変わらない街角。だがそれですら、父さんはもうこの世界の何処にもいないのだ、という思いに駆られ、悲しく思えてくるからたまらない。

 繁華街に着くと、私はなんとも言えない違和感を抱いた。いつもと何も変わらない街並みなのに、何ともいえない違和感を。

「なんだろう……あっ」私はその理由にすぐに気が付いた。

道路を挟んだ反対側の道を、不可思議な人物が歩いていたのだ。50歳くらいのサラリーマン風のスーツを着た男性。しかし、その頭には猫の耳が付けられており、お尻には尻尾のような物までがプカプカと浮いている。男性は雨が降っているにも関わらず、傘もささず、ずぶ濡れであった。

「コスプレなのかな?」

周りを気にする様子もなく堂々と歩いている男性。何かのパフォーマンスや、宣伝なのであろうか。だがその割には、男性は無表情で黙々と歩いている。

私は立ち止まると、彼の様子を観察した。周りには目もくれず、ただ一点を見つめるように歩く彼。何処を目指しているのであろうか。傘をさしていないのに、急ぐ様子も全くない。

しばらく見守ると彼は本屋の隣の、喫茶店のような店に入って行った。雨宿りに立ち寄ったのかもしれない。

「あんなお店あったかな?」

今まで気にしたことがなかっただけで、前からあったのかも知れないが、私にはあの喫茶店をこれまでに目にした記憶がなかった。

 辺りを見渡し記憶をたどる……と同時に、私に衝撃が走った!

「父さん!」

道路を挟んだ反対側の道を父さんが歩いていたのだ。傘もささず、ずぶ濡れであったが、その姿はどこからどう見ても父さんだった。

「どうして? 私おかしくなっちゃったの?」目を擦るがその姿が消えることはない。

父さんがここにいるはずがない、ということは分かっている。だが目の前には確かに父さんが歩いているのだ。似ているなんてものではなく、父さんそのものが。私の瞳に映るあの人物は紛れもなく父さんだ、そう私の脳が確信を持つと、私の中の矛盾点なんてものは、もうどうでもよくなっていた。

「父さ~ん」父さんに気付いてもらおうと、ぴょんぴょんとジャンプをしながら、大声で手を振る。

しかし、聞こえていないのか、父さんはちらりともこちらに視線を向けることはなかった。ただ決められた道をまっすぐ歩くロボットのように、前を見据え歩き続けている。その様子は先程のコスプレ男性のそれとも良く似ていた。

私は急いで向こう側に渡ろうと、交差点まで走り、信号が変わるのを待った。父さんを見失わないように、と視線は常に父さんへと向ける。

すると父さんは先程のコスプレ男性と同じ、喫茶店へと入っていった。

私は信号が変わると、急いで父さんを追い喫茶店へと向かう。

「あれっ?」

しかし店の前に着き、私は自分の目を疑った。そこに先程のコスプレ男性や父さんが入っていった店がなかったからだ。さっきは喫茶店のような店が確かにあったはずなのに。本屋の隣は喫茶店ではなく、お茶屋であった。

「ふふふっ」私は思わず笑い出す。

「そんな訳ないか」

父さんのことばかりを考えているから、幻覚でも見たのだろう。ここまで来ると私もいよいよ重症だ。

「さあ、お花屋さんに行こう」

私は気を取り直し、花屋を目指すことにした。

途中、繁華街の中にある神社の前にさしかかると、「そんなんじゃ、父さんいつまでたっても泉美が心配で成仏出来ないよ」という母さんの言葉を思い出す。

「ちょっくら、お願いしますか」私はそう呟くと、神社に入りお財布を出した。

喪中なのに鳥居を潜るのが非常識だとか、父さんが亡くなったばかりなのに神社に行くなんて、と怒る人もいるだろう。だけど私は特定の宗教に入っている訳でもないし、初詣にも行けば、クリスマスもする。簡単に言えば、私の基準は私。私が行きたくなかったら行かないし、行きたかったら行く。人や宗教に左右される話ではないのだ。

「奮発するか」

私は五百円玉を賽銭箱に投げ入れるとお願いをした。

「父さんが成仏出来ますように。いつか父さんにまた会えますように」と。

そうして神社を出ると、私は花屋で仏壇用の花を買い、そのまま家へと帰った。


その夜、私は夢を見た。

――「ここは何処?」

どこもかしこも真っ白で何も見えない。

「よく来たね」

「誰?」不意に背後から声をかけられ、振り返る。

すると目の前に、優しそうな笑顔でこっちを見る、白いタキシードを着たおじいさんが立っていた。

「神様ですか?」

何故だか私はそんな気がした。昼間に神社に行ったからなのかも知れない。

おじいさんは小さく頷くと、私の頭を撫でながら「可哀想に。過去に縛られ、動けなくなってしまったんだね。それじゃあ、君にこれをあげよう」と言い、古びた鍵を私の前に差し出した。

「君の前に扉が立ちはだかったら使いなさい」おじいさんの声が頭の中にぐるぐると響き渡る――


そして、私はベッドの上で目を覚ました。私の部屋……朝だった。部屋の壁にかけられた時計を確認すると時刻は午前6時。

「夢か……」

でも何だかとても清々しい気分。こんなに目覚めの良い朝はいつぶりだろうか。私は寝転がったまま小さく伸びをすると、寝返りを打った。

「痛っ!」

すると背中に小さな痛みが走る。何かが背中に当たったようだった。手でまさぐり、そこにあった何かを布団の外へと引きずり出す。

見ると、それは夢の中で神様がくれた鍵であった。

「あれ? この鍵……。あれは夢じゃなかったの? どういうこと?」

もちろんあれが現実であるはずがない、ということは私でも分かる。きっと姉ちゃんのキーホルダーか何かが、私の布団の中に紛れ込んだのだろう。


外はもう雨が降っていないのであろうか。雨音は聞こえず、心なしか窓の外も明るいように感じられた。

私はベッドから起きると、身支度を済ませ、すぐに家を出た。特に用事があった訳でも、行き先が決まっていた訳でもない。ただ昨日、父さんの幻覚を見た場所へと吸い寄せられるように向かっていた。幻覚とはいえ、父さんの姿をもう一度見たかったからだ。

しかし繁華街に着いたものの、期待とは裏腹に、父さんの幻覚はいつまで経っても現れず、あの喫茶店も見つけだすことはできなかった。

一時間くらいが経ったであろうか、ぽつぽつと、また雨が降りだした。私はお気に入りの真っ赤な傘をさすと、父さんの姿を見ることをあきらめ、仕方なく家へと引き返すことにした。

その時であった。

「あっ、昨日のコスプレの人」

昨日と同じ、猫のコスプレをした人が、こっちに向かって歩いて来る姿が見えたのだ。私は意を決して、男性に声をかけてみることにした。

「すみません」

しかし、彼は答えることも、視線をこちらに送ることもなく、そのまま昨日と同じ道を歩いて行く。そして本屋の前を通り過ぎると、昨日と同じように隣の店へと入っていった。

ただ昨日と違ったのは、彼の後ろを、私がつけていた、ということ。そこにはさっきまではなかった喫茶店が、本屋とお茶屋の間に確かに建っていた。

店名などは書かれていない。ただ店の扉には『持ち込み禁止』とだけ書かれたプレートがぶら下がっている。

私は店の扉を開けようと手を伸ばした。『ガチャガチャ』しかし鍵が閉まっているのか、扉は開かない。さっきの人は普通に入っていったのに……。

 ――君の前に扉が立ちはだかったら使いなさい――

すると、私の頭の中に夢の中で出会った神様の言葉がふと浮かんできた。私はポケットに手を突っ込むと、布団の中で見つけた鍵をとり出す。

その瞬間、手の中で鍵が七色に光り出した。それと共に響く『ガチャッ』という鈍い音。どうやら鍵が空いたようである。私はすぐさまドアを開け中へと入った。

普通ならば、コスプレの人や、昨日はなかった店、神様がくれた鍵など、不思議なことだらけで、入店することに躊躇するものなのかもしれない。だが今の私にはそんなことを考えている余裕はなかった。ただ父さんにまた会いたい、という気持ちだけに支配されていたからだ。

店はやや大きめではあるが普通の喫茶店といった感じで、店内はお客さんで込み合っていた。先程のコスプレ男性と同じように、犬や猫のコスプレをした人たちの姿もちらほらと確認することができる。近くで何かのイベントでもやっているのであろうか。

私はお客さんの中に父さんがいないかを確認しながら、店の奥へと進んでみることにした。

しばらく店内を見回ると頭上からも声が聞こえてくることに気が付く。吹き抜けとなった天井を見上げると、二階にも席があるようで、テーブル席で楽しそうに会話を楽しむ人々の姿が見えた。よく見ると四十代くらいの女性と共に楽しそうに話をしている、先程のコスプレ男性の姿も二階席に確認することができた。どうやら相手の女性もコスプレ男性と同じように猫のコスプレをしているようである。

「だから、あそこの魚すごく美味しいんだって。騙されたと思って食べてみなよ」

さっきは話しかけても無視したくせに、今はやけに楽しそうに女性と話をしているようだ。でも、魚の話って……。猫になりきって会話を楽しんでいるのであろうか。不思議な世界観である。まあ人の趣味をとやかく言うつもりはない。私は小さく口角をあげると、さらに店の奥を目指した。

一階の奥へと進むと、角のテーブル席に、一人で座る男性客を見付けた。男性はこちらに背を向けた状態で座っているので、顔までは確認することができない。だがその後ろ姿だけで、私にはその人物が誰であるのかが直ぐに分かった。私は足を止めると、目の前のその懐かしい背中を見つめる。まだ父さんだと決まった訳ではない。よく似た背中、というだけかもしれない。だが私の頬には既に涙が流れ出していた。

すると背後に人の気配を感じたのか、目の前の人物が突然振り返った。

「父さん……」

振り返った人物の顔を見て、私は感情を抑えることが出来ず、嗚咽の声をあげる。

目の前の人物は紛れもなく父さんであった。

私の様子に驚いた様子の父さんは急いで席を立つと、私の元へと駆け寄ってきた。

「大丈夫? 何かあったの?」

 私のことを心配してくれているようだ。私は嗚咽のあまり、何も答えることが出来ない。

「良かったらおじさんが話を聞くよ。一緒にコーヒーでもどう?」

 父さんは優しく私に語り掛ける。だが、その言葉はどこかよそよそしく、父親が娘に語りかけるそれとは明らかに違っていた。どういうこと? 私のことが分からないの? いや、そんな筈は絶対にない。目の前にいるのは紛れもなく父さんなのだから。

「父さん、私だよ! 泉美」店内に私の声が響き渡る。

しかし父さんは意味が分からない、といった様子で、ぽかんとしている。私はそんな父さんの肩を揺すりながら、叫んだ。

「分からないの? 私は娘の遠山泉美。あなたは私の父さん、遠山裕昭」

「ごめんね。おじさん分からないや」父さんは小さい子供を優しく諭すように、そう言うと、私の頭をなでなでした。

「何で! 私や、母さ……」

私が再び父さんに向かい大声で泣き叫んでいると、私の二の腕を誰かに突然強い力で引っ張られた。そのまま引きずられるように、奥の厨房の入り口へと連れて行かれる私。

「何をするんですか!」

私は腕を振りほどくと、文句を言いながら、相手の顔を確認した。

どうやら私を無理やり引っ張って行ったのは、この店の男性店員のようである。店員は腕を組み、怒ったような様子で私を睨んでいた。

「お客さん、駄目だよ!」

怒っていたのは私のはずなのに、なぜだか店員は逆に私を叱り付けた。私が騒ぎすぎた、ということなのであろうか。

「持ち込みは困ります。店のドアに書いてあったでしょ?」

 店員の予想外の言葉と、自分の感情の乱れにより、私は店員の言葉を理解することが出来なかった。

「えっ? いえ、私は何も持ち込んでなんか……」

「記憶だよ! もしかして、あんた生きている人かい?」私の態度にイライラしたように、店員が言った。

「あの、どういうことですか?」私は店員に質問を返す。

「ここは狭間の店。現世とあの世の狭間の店だ。死んでしまったが、この世に未練があってあの世に行けない人たちが集う場所。ただし、この店は記憶の持ち込みは禁止。この店の中の客はみんな生きていたときのことは何も覚えていないんだ。自分が今生きているのか、死んでいるのかさえ。普通はこの店に入った次点で記憶を失うはずだし、君みたいに生きている人間は入れないはずなんだけどね……」店員はそう言うと、私が手にしている鍵に目をやった。

「もしかして、それは『忘れ物の鍵』かい? それを何処で?」

忘れ物の鍵? 店員はすごく珍しい物でも見た、と言わんばかりの驚きようだ。

「神様がくれました」私は素直に答える。

「それでか。だから君の記憶はなくならなかったし、この店にも入れたのか。まあ神様が決めたことなら仕方がないね。でもこの店の客は皆、記憶がない。君の知り合いがいたとしても、思い出話や、生きていた時のことを話しては駄目だ。約束してくれ」

 だから父さんは私のことが分からなかったのか。でも、父さんがこの店にいるということは、父さんもこの世に未練があって、あの世には行けてない、ということ。父さんの未練って一体なんなのだろう。

「父さんはもう、私や家族のことを、ずっと忘れたままなんですか?」亡くなったからといって、私たちのとの思い出まで消えてしまったのなら悲しすぎる。

「いや、この店を出れば記憶は戻る。店の外では自分が死んでしまったことも理解できているはずだよ。もちろん霊体だから話をすることはできないし、生きている人間のような振舞いを見せることもないけどね」

「そうですか。でも覚えていてくれているなら良かった」

「そういう訳だから、この店の中に君の知り合いがいたとしても、過去のことや、彼等が生きていた時の話は、口にしない、と約束をしてくれるね?」

「はい。分かりました。ちなみに、あの犬や猫のコスプレをした人たちも、亡くなった方々なんですか?」

店内ではちらほらと犬や猫のコスプレをした人たちの姿も確認ができた。彼等も亡くなってしまったが、この世に未練があってあの世に行けない人たちなのであろうか。

「彼等は生前、犬や猫だったんだ。動物でも死んだ後は皆人間の姿になるからね。耳も尻尾も全て本物だよ」

 全てが夢のようであり、現実のようでもある何とも不思議な出来事ばかりであった。だが店員の説明を聞き、私はすぐにこの状況を受け入れることができた。どちらにしても父さんと再び話すことができる。それだけで私は満足だった。


父さんの座る席へと再び向かうと、私を心配してくれていたのか、「落ち着きましたか?」と、父さんが直ぐに声をかけてきた。

「はい。さっきはごめんなさい」

私は父さんに促されるように、隣の席に腰を下ろす。

「コーヒーでいいかい?」

「はい」

 父さんは店員にコーヒーを注文すると、優しい微笑を私に向けた。どうやら先程の涙の理由を詮索する気はないようだ。

父さんとたくさん話をしたい。だがその感情とは裏腹に、言葉がなかなか出てこない。何を話せばいいのか、何を言っていいのかが分からなかった。父さんにとってみれば、私は見知らぬ人間。初対面なのだ。自分自身のことすら覚えていない父さんに、私は一体何を語りかければいいのだろうか。

「こんなおじさんに急に話しかけられたら警戒しちゃうよね。ごめんね」

「ううん、そんなことない」

「なら良かった」

私の様子を気にかけてくれているのか、選ぶように言葉を紡ぐ父さん。なんだか父さんと話をしているのに変な感じだ。

「ここにはいつも来るんですか?」

「ううん。今日が初めてだよ」

 つい分かりきった質問をしてしまった。例え父さんが毎日ここに来ていたとしても、今の父さんにはその記憶がないのだ。よく考えたら当然の返答だった。

「何を読んでいたんですか?」

 私は父さんが手にしていた文庫本に視線を落とす。おそらく父さんは私が現れるまで本を読んでいたのであろう。

「ああ、これかい? この店の本なんだけど、読んでみたら面白くってね」父さんは本の表紙を私に見せた。

『あなたの音色がきこえる街に』父さんが好きだった本だった。もちろん今の父さんはこの本のタイトルはおろか、自分が読書好きであったことすらも忘れてしまっているのであろう。だが記憶はなくとも自分が好きだったものなどは、体のどこかが覚えているものなのかもしれない。少なくとも父さんは自分が好きだった本を手に取ったり、私のことを気にかけてくれたりとその片鱗を伺わせている。

本のタイトルを確認した途端に不意に流れ出た涙を、悟られまいと、私はすばやく手で拭った。そして、それを払拭するかのように笑顔を父さんに向ける。

「私もその本大好きです。主人公の花音が凄く真っ直ぐで、何だか読んでいて元気が出るんですよね? その本、最後にすごく感動するんですよ」

「それは楽しみだ」父さんは優しそうな笑みを浮かべる。

 この本は私にとっても大切なものの一つだった。3年ほど前に、はじめて父さんに進められてこの本を読んだ私は、直ぐにこの本を気に入り、これまでに何度も読み返している。それが今は私が父さんにこの本のことを教えているとは。やはり変な感じがした。

「私もう大丈夫なんで、本の続きを読んでください」

「そうかい。それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな。途中で話しかけてくれてもいいからね」

「はい。ありがとうございます」

再び読書を始めた父さんに、私がそれ以降話しかけることはなかった。何を話していいのか分からなかったことはもちろんあるが、話をしたとしても他人行儀な言葉で話す父さんには、どうしても違和感を抱いてしまい、父さんを遠くに感じてしまうのだった。それに話をしなくとも、ただ隣で父さんの存在を感じることができ、横を向けば父さんの顔を見ることができる。その環境にいられるだけで私は嬉しかったし、満足だった。

私は一度席を立つと、少し離れた場所に置かれている店の本棚へと向かった。客が自由に読めるように、と店側が設置しているものだ。本棚には、ご自由にお読みください、と書かれた紙が貼られている。

私は本棚から文庫本を一冊選ぶと、それを手に再び父さんの隣の席へと戻った。もちろん本が読みたかったわけではない。私が何もしないで隣にいては、父さんは気になって読書に集中できないだろうし、私が本を読んでいるフリをしていれば、父さんのことをちらちらと見ていても気付かれにくい。それに喜びの感情からなのか、悲しみの感情からなのかは分からないが、時折無意識に流れて出てくる涙を父さんに悟られないためにも、読書をしているフリをすることは私にとって都合が良かったのだ。

そうして父さんの存在を感じながら数時間がたった。

父さんがそばにいるという安心感。父さんが本のページを捲るたびに聞こえてくる心地のよい紙の音。父さんが死んで以来、夜眠れないことも多かった。そんな小さなきっかけが重なり合い、私をいざなったのだろう。私はいつの間にか、テーブルに突っ伏して眠り込んでしまっていた。

すると突然、小さな振動と共に、ガタッという物音が聞こえる。私は驚いて目を覚ますと、自分が眠ってしまっていたことに気が付き、急いで隣に視線を移した。

しかし隣の席には既に父さんの姿はない。私が眠っている間に帰ってしまったのだろうか。だが他の本を探しに本棚に向かったのかもしれないし、トイレに行っている、という可能性だってある。

私は父さんを捜そうと席を立った。すると、「ごめん。起こしちゃったかな」という声が直ぐに背後からきこえてくる。振り返ると、そこには申し訳なさそうに微笑む父さんの姿があった。おそらく先程の物音と振動は父さんが席を立った際に生じたものだったのだろう。

 父さんの顔を見て安心した。帰ってしまったわけではなかったようだ。しかしそう思った矢先、「さっきの本読み終わったから、おじさんもう帰るね。君の言っていたとおり、後半すごく感動したよ。いい本だった」と、父さんは言うと、店の入り口に向かい歩いて行ってしまった。

「えっ、ちょっと……」

 私は突然のことにどうすればいいのか分からず、一瞬立ち尽してしまう。しかし父さんの姿が見えなくなったことに気が付くと、居ても立ってもいられなくなり、直ぐに父さんのあとを追いかけた。

既に店を出てしまったのか、入り口付近にも父さんの姿はない。

すると先程の店員が声をかけてきた。

「お帰りですか?」

「はい。お会計お願いします」財布を取り出すため鞄に手を入れる。

「御代は頂いておりませんので、そのままお帰りになられて結構です」店員はそう言うと、深々とお辞儀をした。

「あの、父さんは……。私と一緒に居た男性が今出て行ったと思うんですけど、何処に行ったか分かりますか?」私は父さんの行き先について、店員に質問をした。

「さあ、場所については分かりかねます。皆さんそれぞれですからね。しかし未練がある場所、もしくは一番安らぐことの出来る場所に帰られた、ということは間違いないと思います」

「分かりました。ありがとうございます」私は店員に御礼を言うと、急いで店を出た。

 小走りをすれば直ぐに父さんに追いつくことはできるはずだ。それにしても父さんにとっての『未練がある場所、もしくは一番安らぐことの出来る場所』とは一体何処なのだろうか。

 店を出ると、直ぐに父さんの後姿を見つけることができた。私は急いで父さんに追いつくと、距離を取り尾行を開始した。もちろん父さんの行き先を確認するためだ。

後を付け始めて直ぐにあることに気が付いた。それは、父さんの体を通行人が何事もなかったようにすり抜けて行く、ということ。どうやら他の人には父さんの姿が見えないようだ。

しばらく後を付けるうちに、父さんが向かっている場所が何処であるのかが、何となく分かってきた。なんてことはない。父さんが帰った場所、それは私の家だった。

なんだかすごく安心した。父さんはいつも私たちの側にいてくれたんだ。私が仏壇の前で涙する姿も毎日見ていたのかもしれない。

そこで私はあることに気が付いた。もしかして父さんが成仏できない理由は私? 昨日母さんに言われた『父さん、泉美が心配でいつまでたっても成仏出来ないよ』という言葉を思い出す。

どちらにしても、店から出た今の父さんならば、私たちに関する記憶も戻っているはずだ。直接父さんと話をしてみよう。

父さんが家に入ったのを確認すると、後を追い、私も家の中へと入った。

しかし家の中を捜してはみたものの、何処にも父さんの姿がない。確かに父さんは家の中に入った。それは間違いない。外でないと父さんの姿を見ることはできないのだろうか。それとも、また父さんの姿を見ることができなくなってしまった、ということなのであろうか。私はどうしてもそれを認めたくなくて家の中を捜し続けたが、やはり父さんの姿は見付からない。あとでゆっくりと父さんから話を聞くつもりでいたのだが、こんなことになるのであれば、もっと早く話しかけておけばよかった。父さんが家にいることが分かっても、姿が見えないのならばこれまでと何も変わらない。あの喫茶店に毎日通えば、また父さんの姿が見えるようになるのだろうか。

私は後ろ髪を引かれる思いであったが、もう一度さっきの喫茶店へと戻ることにした。可能性は低いかもしれないが、また父さんが現れるかもしれない。それに今の父さんについて知っているのは、唯一あの喫茶店の店員だけ。もしかしたら父さんの姿が見えなくなった理由や、何か父さんに関する新たな情報を教えてもらうこともできるかもしれない。


一度訪れたことがあるからなのかは分からないが、今度は一人で来ても喫茶店はあの場所に存在していた。もちろんドアに鍵がかかっているようなこともない。

店に入ると、直ぐにさっきの店員が私に気付き、近付いてきた。

「どうなさいましたか? お忘れ物ですか?」

「いえ、父さんが……、父さんの姿がまた見えなくってしまったんですけど」

「そうですか。もともと生きていらっしゃるあなたに、亡くなられた方の姿が見えるほうが不思議なことですからね」

「もう父さんに会うことはできないんですか?」

「あなたがお父様の姿を見ることができなくなってしまった理由は、私にもわかりません。ですから、また見えるようになる、と断言することはできません。ですが、あなたがこうして今もこの店に来れている、という事実から考えると、多少なりとも可能性はあると思います」

「でもこの店で再び父さんと会えたとしても、父さんはまた記憶を失っていますよね? 記憶のある父さんと話す方法はありませんか?」

「そうですね」店員は少し考えるような仕草を見せた。

「どんな方法でもいいんです」

「そういうことなら、形はどうであれ、記憶のあるお父様と話せる方法が一つだけあります」

「本当ですか? 教えて下さい」

「神様にお願いするしかありません。そうすれば再びお父様と会うことも、記憶のあるお父様と話すことも出来るでしょう」

「神様ですか? どうしたら私、また神様に会えますか?」

「あなたがお持ちの忘れ物の鍵です。その鍵をお持ちのあなたが強く望むのなら、再び神様とお会いすることもできるでしょう」

 強く望む。一体どうすればいいのだろうか。私が昨日神様と会ったのは夢の中だ。やはり神様と会えるのは夢の中なのだろうか。

 店を出ると辺りはもう薄暗くなっていた。私は神様に再び会う方法を考えながら帰り道を歩く。すると神社にさしかかったところで、ふとあることを思い出した。そうだ私は昨日の昼間、神社でお参りをしたのだった。もしかしたら、あれが神様と出会えたきっかけだった、という可能性もある。私は鳥居をくぐると、昨日と同じように賽銭箱に五百円玉を投げ入れ、お参りをした。もちろん神様に再び会えますように、という願いを込めて。

父さんが家にいるとしても、姿を見ることはできない、ということは分かっている。だが家に着くと、どうしても期待してしまい、もう一度室内に父さんの姿がないかを確認してしまった。もちろん父さんの姿を見つけることはできなかったのだが。

私は昨日、夢の中で神様と会った。おそらくまた神様と会えるとするならば、次も夢の中なのだろう。喫茶店の店員は、あなたが強く望むのなら再び神様に会うことができる、と言っていた。具体的には何をすればいいのだろうか。強く望む。強く願う。強く祈る。眠る前に神様から貰った鍵にお祈りでもすればいいのであろうか。

その夜、私は部屋の電気を消し布団に入ると、神様からもらった鍵を強く握りしめ祈った。『神様、どうかまた私と会って下さい。お願いします』と、何度も。そして、鍵を枕の下に忍ばせると、瞼を閉じ、手を合わせた。

 そうして私はそのまま少しずつ、深い眠りの中へと沈んでいった……。


 ――しばらくすると、ふわふわと体が浮遊するような感覚にとらわれ、私は目を開く。辺りは深いもやに包まれ何も見えない。その中を私の体はふわふわと宙に浮かび彷徨っていた。

すると急に何かに引っ張られるように、私の体が激しく上下左右に動き出した。まるで急に滝つぼにでも放り込まれてしまったような衝撃だ。

 どれだけの時間もみくちゃにされただろうか。何とか感覚が掴めてきた、と思い始めた矢先、私の体は突然床に叩きつけられた。

 床が柔らかかったおかげで痛みはなかったが、叩きつけられた衝撃から床に転がった私は、なんとか立ち上がると、辺りを見渡す。間違いない、ここは私が昨日神様と会った場所。あの光の中だ。

「いらっしゃい」声をかけられ振り返ると、そこには昨日同様、優しく微笑む神様の姿があった。

「あの鍵はお役に立ちましたか?」

「はい。おかげさまで父さんとまた会うことができました」

「それは良かった」

「でも父さんは記憶を失っていて、親子としての会話は出来ませんでした。それに父さんの姿もまた見ることができなくなってしまって……」

「そうですか」なおも優しく微笑み続ける神様。

「神様なら、私がまた父さんの姿を見れるようにできるんですよね? 私たちのことを忘れていない父さんとどうしても話がしたいんです」私は神様の目を見つめ懇願する。

「そうですね。確かにまた、お父様の姿を見ることができるようには、して差し上げられます。ですが、お父様を生きていらっしゃる当時のお父様に戻すことは、私にもできません」

「生き返させろ、とまでは言いません。せめて親子として話ができるようになりませんか?」

「そう言うことでしたら、全く方法がないわけでもありません。完全に元通り、というわけにはいきませんが、それでもよろしいですか?」

「どういうことですか?」

「この世界はいくつも存在します。所謂パラレルワールドと呼ばれるものです。あなたのお父様が交通事故で亡くならない世界。あなたのお父様とお母様が結婚しない世界。人生の選択肢の数だけその数は無限に存在します。ですから、あなたをお父様が生きていらっしゃる別の世界に存在させてあげれば、またお父様と話をすることができるようになるでしょう。ただし、あくまでもそれは別の世界。何から何まで今の世界と同じ、というわけには行きません」

「それでも構いません。というか、また生きている父さんと暮らせるのなら、それ以外に何も望むことはありません」

 多少何かが違う別の世界だとしても、父さんが生きている世界ならば、それらは大した問題ではない。私は神様の言葉の意味を深く考えることもなく、ただ楽観的に、父さんとまた暮らせるのなら、と神様に頼み込んだ。

 私を父さんの生きている別の世界に行かせてくれるように、と。父さんとまた話がしたい。私の頭の中はそれだけでいっぱいだった。

「分かりました。あなたが目を覚ました時には、あなたの世界は変化しているはずです。また何かありましたらいつでもいらしてください……」

神様の穏やかな笑みに見送られ、私は夢の世界を後にした――


翌朝、目を覚ますと、私は飛び起きるように部屋を出た。急いで階段を下り、下の部屋へと向かう。するとそこには椅子に座り、何事もなかったように新聞を読む父さんの姿があった。まるで父さんのいなかった日々が嘘だったかように、生きていた当時と何も変わらない父さんの姿が。

「父さん!」私は小さな子供のように父さんに抱きついた。匂い、温もり、全てが懐かしく、愛おしかった。

「泉美、おはよう! 今日は朝からやけに元気がいいな」

「うん」嬉しそうに目を細めて笑う父さんの姿も以前と何も変わらない。満面の笑みで答える私の瞳は涙で潤んでいた。

「母さんにもおはよう言っとけよ」

「は~い」

嬉しくて、嬉しくて堪らなかった。ただ家族が揃っている、というだけの何気ない日常が、こんなにも幸せだとは思わなかった。

「姉ちゃんは?」

「また母さんの所だろう? 香澄にも早く御飯食べるように言っといてくれ」

「うん、分かった」

 母さんにもおはようを言う為、おそらく二人がいるであろう和室に向かってみることにする。廊下に出ると、線香の匂いと共に、和室のドアが開け放たれているのが確認できた。やはり二人は和室にいるようだ。

 私は和室を覗き込みながら姉ちゃんに声をかけた。「姉ちゃん、父さんが早く御飯食べちゃえ、だってさ」

姉ちゃんは膝を抱えて座布団に座わり、泣いているようであった。

「どうしたの?」母さんと喧嘩でもしたのであろうか。それにしても姉ちゃんが泣くなんて珍しいこともあるものだ。この世界の姉ちゃんは、涙もろいのだろうか。

「また母さんのことを思い出しちゃってね」姉ちゃんがゆっくりと視線を送る先に、私も視線を送る。

「えっ?」

仏壇に上げられた線香の煙。その奥、父さんの遺影があった場所には、母さんの写真が飾られていた。

 廊下に出た時点で気付くべきであった。父さんが死んで以来あまりにも日常的に嗅いでいた匂いであったので、その違和感に気付かなかった。父さんが生きている、ということは、もうこの家に仏壇が存在しているはずはないのだ。つまり線香の匂いがするはずはない。

「違う! 違う! 私が望んだのはこんなことじゃない。父さんが生きていても、他の誰かがいないんじゃ意味がないんだ」私は大きく首を左右に振りながら叫んだ。

こんな現実受け入れるわけにはいかない。これじゃあ駄目なんだ。また夜になったら、神様にみんなが生きている世界に変えて貰おう。きっと私の説明が足りなすぎただけなんだ。

 突然私が叫びだしたことで驚いた様子の姉ちゃんや、何処か出かけるのか? と問いかける父さんを無視して、急いで身支度を整えると、私は家を飛び出した。

姉ちゃんの姿も、あれだけ会えて嬉しかった父さんの姿も、偽者にしか見えなかった。こんなの現実なわけがない。絶対に認めるわけにはいかない。

気が付くと、私の足はあの喫茶店へと向かっていた。

現実を現実と認めない為に。現実と距離をとる為に。そして今日一日をやり過ごす為に。私はただ無心に喫茶店で本を読み続けた。


帰りに神社でお参りを済ませ、帰宅したのは夜9時を少し過ぎたころだった。父さんと姉ちゃんは夕飯を食べているところであった。夕飯を取るには少し遅い時間なので、もしかしたら少し前まで私の帰りを待っていてくれたのかもしれない。

「泉美、おかえり。遅かったな。ご飯食べるか?」玄関で靴を脱いでいると、直ぐに父さんが声をかけてきた。

「ううん、友達と食べて来たからいいや」もちろん嘘だ。

「じゃあ風呂沸いてるから先に入っちゃえ」

「頭痛いから、今日はもうこのまま寝るよ」

「風邪か? 薬出してやろうか?」

「大丈夫。少し疲れただけだから」

「そうか。それじゃあ、ゆっくり休めよ」

今朝の私の様子から、母さんが亡くなったことを受け入れられず、精神的にダメージを受けていると思っているのかもしれない。父さんは明らかに私を気遣ってくれていた。

これは現実じゃない、と自分に言い聞かせるものの、申し訳ないという気持ちに押しつぶされそうになる。罪悪感から父さんに心を開いてしまいそうになる自分を必死に押さえ、私は部屋へと向かった。

ベッドに腰を下ろすと、私は直ぐに神様がくれた鍵を握りしめながら祈った。『神様、どうかまた私と会って下さい。お願いします』と。そして昨日と同じように、鍵を枕の下に忍ばせ、私は眠りに付いた。


――「いらっしゃい」今日も神様は優しい笑顔で私を出迎えてくれた。「その御様子だと、またお気に召さなかったようですね」

「ごめんなさい。私の説明が足りませんでした。父さんが生きていても、母さんがいないんじゃ駄目なんです。今度は家族全員が生きている世界に私を行かせてくれませんか? もちろん我儘だということは分かっています。でもどうしてもお願いします」

大切な誰かを失い、心が空っぽになってしまったような、胃が締め付けられる思いだけはもう二度としたくなかった。

「それくらいお安い御用です。あなたの気が済むまで何回でも変えて差し上げますよ」

 神様は拍子抜けするほど呆気なく、私の身勝手な願いを受け入れてくれた。

「ありがとうございます」

「今度の世界はあなたが望むものになるといいですね」

「はい。毎日押しかけた挙句、我儘ばかり言ってすみませんでした」

「構いませんよ。旅立つ方も、残される方も、死を受け入れるには時間がかかりますからね。別れが突然ならばなおさらです。たくさん足掻いて御自分が納得できる答えを導き出してください」

「どういう意味ですか?」

「人生は勉強です。別な世界の別な人生を経験することで、あなたなら正しい答えを出せるはずです」

「難しくてよく分かりませんが、これでまた私は家族みんなで暮らすことができるんですよね?」

「はい。あなたが望むものかどうかは別として、再び御家族で暮らすことはできるでしょう。あとはあなたのお心しだい。またお待ちしていますよ」

「ありがとうございました」

これでまた家族みんなで暮らせる。私は幸せな気分に包まれながら、深い眠りの中へと落ちて行った――


 目を覚ますと辺りはまだ暗闇に包まれていた。スマホを手に取り、ディスプレイを確認すると、時刻は午前4時14分。早く眠ったので少し早く目が覚めてしまったようだ。

だが再び眠りに付く気にはなれなかった。神様の言うとおりならば、この世界は私の家族が全員生きている世界。もちろん時間的に、みんなはまだ眠っている頃だろう。だが私は家族全員の存在を確認せずには要られなかった。

まず居間へと向かった私は仏壇がないことを確認し、胸を撫で下ろした。次いで家族1人1人の寝顔を確認してまわる。

まさかということもある。だが私の心配を余所に、家族はみな気持良さそうに眠りについていた。

良かった。みんないる。これで元通りだ。また家族でみんな仲良く暮らすことが出来るんだ。

私は一旦部屋に戻ると、暇潰しにテレビを付けた。放送されているのは通販番組ばかりであったが、大した問題ではない。あと2時間もすればみんな起きてくるはずだ。楽しみに待つことにしよう。


何処かがおかしかった。いつもなら6時過ぎには起き出す家族が誰も起きてこないのだ。時刻はもう7時になろうとしている。

今日は平日。父さんや姉ちゃんは仕事には行かないのだろうか? 一体どういうことだろう。

私は姉ちゃんの部屋に様子を見に行ってみることにした。

自分の部屋を出て、隣にある姉ちゃんの部屋のドアをそーっと開ける。姉ちゃんはまだ眠っているようだった。それにしても汚い部屋だ。あの綺麗好きだった姉ちゃんも、違う世界だとこうも変わってしまうのだろうか。

「姉ちゃん、まだ起きないの? 仕事に遅れちゃうよ」私は姉ちゃんの体を軽く揺すり、声をかけた。

「何だよ。うるせ~な! こっちは3時に帰って来たばかりなんだよ! 勝手に部屋に入ってくんじゃねえ」そう言うと、姉ちゃんは布団を被り、私に背を向けた。

何だか凄く怖かった。こんな姉ちゃん初めてだ。優しいいつもの姉ちゃんとはまるで別人。この世界の姉ちゃんは、今までの世界の姉ちゃんとは性格的に、真逆なのかもしれない。

 突然怒鳴られ、びっくりした私は、それ以上姉ちゃんに話しかけることはせず、静かに部屋をでた。

寝ているところを突然起こしたので、不機嫌だっただけ、という可能性もあるが、実際に変わってしまった姉ちゃんを目の当たりにしたことで、私は多少ショックを受けた。

私は姉ちゃんのことはあきらめ、父さんと母さんを起こしに行くことにする。父さんと母さんも変わってしまったのではないか、と多少の不安はあったものの、それはいずれにしても遅かれ早かれ分かること。両親を起こしに行こう、と私は意を決し、両親の寝室へと向かった。

父さんと母さんは同じ部屋で布団を並べて寝ている。

私は両親の寝ている寝室へと入ると、直ぐに父さんに声をかけた。

「父さん、まだ起きないの? 仕事に遅れちゃうよ」しかし父さんは無反応だ。

私は少し強めに父さんの体を揺すってみる。

「何だよ、うるせ~な! 殺すぞ!」そう言うと、父さんは突然私を突き飛ばした。

「痛っ!」体勢を崩し、倒れる私。

今までに見たこともないような恐い父さんだった。それにお酒臭い。

やはり父さんも私の知る優しい父さんではないようだ。

私には母さんに声をかける気力はもうなかった。おそらく母さんも別人のように変わってしまっているに違いない、という諦めの気持ちが働いてしまい、声をかけることが恐かったからだ。

別人のようであった父さんと姉ちゃん。もしかしたら、二人とも寝ているところを突然起こしてしまったが故に不機嫌だっただけ、という可能性もある。私は無理やりそう信じようと考え、みんなが起きるまで待つことにした。


全員が起きる頃には、午後3時をまわっていた。

やはり父さんと姉ちゃん、そして母さんも私の知っている人物とはまるで違っていた。

みんな起きだしてもほとんど会話もなく、各々機嫌も悪いようだった。家族の間に笑顔なんてものは何処にもない。寝起きで機嫌が悪いというよりは、普段からあまり仲が良い家族ではない、といった印象を受ける。

たまに交わされる会話も誰もが攻撃的で、口が悪く、私が思い描いていた家族とは無縁のものであった。


午後6時。

「おい、そろそろ行くぞ!」父さんがみんなに声をかけた。

意外だった。家族の仲が悪そうだったので、みんなで何処かに出かけたりはしないものだと思っていた。

「え? 何処に行くの?」

「お前大丈夫か? 頭イカレてんじゃね~だろうな!」私の問いに対して、父さんは不機嫌そうに答えた。

きっと父さんが行く、と言った時点で家族はみんな何処にいくのか分かっているのだろう。おそらく私も知っていて当然のことなのだ。この世界に私が来たのは今朝からなので、もちろんこれまでこの世界で過ごした記憶が私にはない。言ってみれば、私は部分的な記憶喪失みたいな状態なのだ。周りに合わせて当然のように振舞うことが、みんなに不審がられず、この世界で普通に暮らせるポイントなのかもしれない。

「あ、ううん、大丈夫」私は父さんに悟られることのないように、当たり障りのない返答をした。

 父さんの運転する車に乗り込み、私たちが着いたのは近くのスーパーマーケット。

「何だ、買い物か」私は少し安心した。

店に入っても家族に変わった様子もない。普通に買い物に来ただけのようだ。無愛想で、口が悪いけど、みんなで一緒に買い物に行くくらいには仲が良かった、ということなのだろう。

すると買い物用のカートを押していた母さんが突然立ち止まった。姉ちゃんは母さんの直ぐ後ろで棚に陳列してあるレトルトカレーを選んでいる。父さんは母さんの前に立ち、カレー用の香辛料を見ているようだった。

「おい、泉美! 何してる」すると小声で父さんが私に怒鳴った。

「えっ?」意味が分からず、立ち尽くしていると、お前はこっちだ、と強い力で引っ張られた。

次の瞬間、私は自分の目を疑う。

「え~っ! ちょっ、ちょっと母さん! 何してるの!」

母さんは私たちを盾にし、店の商品を自分の鞄に放り込んでいたのだ。

「ちょっ、駄目だよ」私は母さんの手を取ると、周りに聞こえないように小声で制した。

 だが母さんは無言で私の手を振り払うと、何もなかったように買い物を続ける。もちろん商品は鞄の中に入れられたままである。

 結局、私の言葉は家族に無視され続け、誰かを盾にしたり、物陰に隠れたり、誰かが店員を引き止めたりと、様々な方法で家族は万引きを繰り返した。

母さんが万引きすることなく普通に買い物かごに入れたのは牛乳と食パン、そしてチーズのみ。それらの商品は最後にレジで会計を済ませたものの、家族の鞄やバックに入れられた商品が会計に通されることはなかった。

完全に犯罪行為である。


車に戻ると父さんは私をおもいっきり殴った。

「お前何してんだよ! バレたらどうする! ぶち殺すぞ!」

「だって……」

私には何も言い返すことができなかった。


その後、家に戻ったものの、家族に団欒などという言葉はなかった。分かったことといえば、私たち家族が常習的に万引きを繰り返しているということ。父さんが家族を殴ったり、蹴飛ばしたりする、DV父親になっていたということ。そしてやはり家族が皆バラバラであったという現実。

家族は各々何かを口にすると、皆直ぐに家を出て行った。

姉ちゃんによると、父さんは愛人のマンションへと、母さんは主婦専門のデリヘルで働いており、待機場所のマンションへと向かったのだろうということであった。

この家ではお金は自分で稼ぎ、家に毎月10万ずつ入れる、という決まりがあるらしい。それさえすれば後は個人個人の自由。何をしても構わない、ということらしかった。

姉ちゃんは仕事をしておらず、日々遊び歩いているようだった。家に入れるお金や、遊ぶお金は援助交際で稼いでおり、今日も携帯サイトで援交の相手を見付けると、嬉しそうに出かけて行った。

当然、私は姉ちゃんを止める。

「姉ちゃん、援交なんてダメだよ!」

「何それ? あんた大丈夫?」

「本当にやめたほうがいいって」

「あんたそれマジで言ってんの? 援交なんて別にたいしたことじゃないじゃん。それにあんただってしょっちゅうやってんだから人のこと言えないでしょ? 分かった、自分が援交の相手が見付からないからって、私に八つ当たりしてるんでしょ? くだらねえ」姉ちゃんはそう言うと、私の足をおもいっきり蹴飛ばした。

 ショックだった。蹴飛ばされたことはもちろんだが、この世界では私も援助交際をしている、と姉ちゃんから告げられたことが。

もう駄目。こんなの家族じゃない。みんな生きてるけど、こんなのは嫌。このままじゃ大好きなみんなのこともどんどん嫌いになっちゃう。

私はもう限界だった。まだ少し時間は早いが、この世界にこれ以上いたくはない。

急いで部屋に戻ると、直ぐに鍵を握りしめ、布団に入り込んだ。

さすがにまだ眠くはなかったが、目を閉じ、眠りに落ちるまで祈り続ける。また神様に会わせてください……。


 翌朝午前5時。私は目を覚ました。

「あれ? 神様に会えなかった。どうして?」布団から飛び起きると寝起きの頭をフル回転させる。

神社にお願いに行かなかったから? もしかしてもう神様に会えない? だとしたらこれからもずっとこの世界で暮らさないといけないってこと?

私は多少パニックになっていた。今までと違ったことといえば、神社に行かなかったことくらいだ。

居ても経ってもいられなかった。急いで家を飛び出し、神社へと向かい走る。

早朝ということもあり、商店街は静まり返り、人の姿も確認することが出来ない。閉まったシャッターの壁がまるで万里の長城のように永遠と続いていた。

空気は澄み、冷えた空気が肌に突き刺さるようであったが、気が張り詰めているせいか気にはならない。

神社に着くと、急いで賽銭箱の前へと駆け寄った。息の上がった呼吸を整えながら財布を取り出し、鐘を鳴らした後、500円硬貨を賽銭箱へと投げ入れる。二礼二拍手一礼……神様どうかまた私と会ってください、と何度も何度も祈った。

だが神社での参拝を済ませたものの、私の心が晴れることはなかった。

「そうだ。あのお店」

この世界にもあの狭間の店が存在しているかもしれない。あの店の店員ならば私が神様に会えなかった理由も分かるかも。

他に行く当てもない。あの店に行ってみよう。

 まだ気は焦るものの、今度は走ることなく早歩きで商店街を進む。もう店の場所が分からないということもない。

 そこで私はあることに気が付いた。シャッターは下りているものの、商店街の店の並びが私の知るものとは違っていたのだ。いや違っているというよりは店自体が全く別の店になっている。

今までなかった場所には昔ながらの円柱型のポストが置かれ、ファストフード店があった場所には古びた一軒家が建っていた。全く違う世界だということは分かっていたが、違っているのは人の性格だけだと思っていた。まさかそれが建物などにも及んでいるとは。

こうなると狭間の店の存在までもが疑わしくなってくる。存在していればいいのだが。

狭間の店は本屋とお茶屋の間に建っていたはずである。だが案の定、その場所に本屋とお茶屋は存在してはいなかった。代わりにあったのは和菓子店と文房具店。だが幸いなことにその両店の間には見覚えのある扉があった。

 違う世界であってもその存在は変わらず、それはそこに存在していたのである。狭間の店。

 私はリタルダンドのように、呼吸のテンポを整えると、扉を凝視した。磨り硝子からは店内の光が漏れている。恐らく狭間の店は営業中なのであろう。

 私は迷うことなくドアノブに手をかけると、その扉を開いた。

 店内は私の知る狭間の店と全く違いがないように感じられた。そして何よりもこんな時間なのにたくさんの客が居ることに私は驚く。

まあ、客のほとんどが亡くなっている人ばかりであることを考えると、夜中や明け方のほうが繁盛している、ということにも納得がいくのだが。

「いらっしゃいませ」

突然声をかけられ、私は小さく飛び跳ねた。見るとこの間と同じ店員が微笑んでいる。

「また神様に会うことはできましたか?」

「あれ? 違う世界のはずなのに、私のことが分かるんですか?」

「はい。外の世界はパラレルワールドとして、たくさん存在しますが、この店は一つしかありませんからね」

 正直、嬉しかった。本当の私という人間を知っていてくれる人と会えたこと。そして私の今の状況を一から説明しなくとも、状況を理解してもらえる人がいることが。

「私はあの後、神様にお願いして、私の生きている世界を、父の生きている別の世界に変えてもらいました。だけどその世界も私が望むものではなくて……。また神様に無理を言って別な世界に変えてもらったんです。私は今その世界の中にいるんですけど、この世界も私が望む物とはかけ離れていて……。私わがままですよね」

「そんなことはありませんよ。少しでも良い環境に自分を置きたいと望むことは、人間が生きている以上、誰もがごく自然に抱く感情ですからね。おそらく御自分の人生を見つめ直すためにも、様々な世界を経験することは、今のあなたにとって必要なことなのでしょう」

「そういえば神様にも同じようなことを言われました。だから、わがままなのは重々承知で私、また神様に会って、違う世界に変えてもらおうと思ったんです。でも神様に会うことができなくて……。」

「だから今日はここにいらした、というわけですね」

「はい。どうすればまた神様と会うことができるか知っていたら教えていただけませんか?」

「私にも正確なことは分かりませんが、もちろん知っている範疇でよろしければお答えしますよ。おそらくあなたは規定の回数を超えてしまったのではないでしょうか。神様に会えるのは年に四回までと決まっていますからね」

「そんな決まりがあるんですか? でも私、まだ三回しか神様と会っていませんけど…」

「そうですか。でも私にはそれくらいしか思い当たる節がありません。お力になれなくてすみませんね」

「でも私がその規定の回数を超えてしまっているとして。その場合、私は神様に来年まで会うことができない、ということになるんですか?」神様に会える回数が決まっているなんて知らなかった。私は来年までこの世界で我慢して、生きていかなければならないのだろうか。

「そんなに落ち込まないでください。他に方法がないわけでもありませんから」態度に出したつもりはなかったのだが、私がショックを受けたことに気付いた様子の店員は、優しく微笑むと答えた。

「本当ですか? 他にも神様に会える方法があるんですか?」水を得た魚のように、店員の言葉に飛びつく私。

「ポイントを貯めればいいのです。つまりあなたが神様の役に立つことを1回すれば、神様に1回会える回数が増える。2回すれば2回増える。簡単なことです」

「私が神様の役に立つ? そんなこと出来るわけがないです。無理ですよ」店員の言うことは理解ができた。だが、ただの人間の私が、神様の役に立つことなんて出来るはずがない。 

「いいえ、あなたなら出来るはずです。この店のお客様はあなたのような方を除くと、皆様お亡くなりになられています。この世に未練があって成仏出来ないでいる方々ばかり。ですから、あなたはこの店のお客様の未練を取り除き、成仏させて差し上げればいいのです。そうすれば、あなたは1人を成仏させるごとに、また神様に会うことができるはずです」

 成仏させる? そんなことが私にできるものなのだろうか。だが迷っている余裕はない。可能性が少しでもあるのならば、やれることはやってみよう。

「分かりました。やってみます」不安は大きいが、来年までこのままなんて耐えられない。

 私の言葉を聞くと、店員は微笑み、2度頷いた。

 そうと決まれば、まずは誰を成仏させるか決めなくては。なるべくなら、たいした未練を抱えていない人で、簡単に成仏してくれそうな人がいい。

 私は店内を一通り回り、客の顔を1人1人確認して回った。

 客には犬や猫、大人、子供、高齢者など、ありとあらゆる人がいる。記憶を失っているからだろうか。皆共通して明るく楽しそうだ。自分の未練さえ今は忘れてしまっている、ということなのだろう。

 そうなると見た目から判断することはほぼ不可能。一体誰を選べばいいのだろうか。

私は店が見渡せる席に腰を下ろすと、客の様子をしばらく観察した。

すると1人だけ、誰とも話をしていない中年の男性がいることに気付く。男性はうつむき何かを見ているようだった。

他の客とは違うその様子に興味を持った私は、彼に話しかけてみることにする。

店の中央、テーブル席に1人で座っている中年の男性。その向かいの席に私は腰を下ろした。

私の存在に気が付いた様子の彼は、軽く微笑むと小さく会釈をした。だが彼の視線はすぐ下へと戻っていく。

彼の手には小学生くらいの女の子が写った写真が握られていた。娘さんだろうか? だがそれを覚えている、ということは、彼も私のように記憶を失ってはいないことになる。

「可愛いらしい女の子ですね。お子さんですか?」私は彼に声をかけた。

「分からないんですよ。ただこの写真を見ていると、落ち着くというか、なんだか暖かい気持ちになるんですよね」

やはり彼も他の客と同じように記憶がないようであった。そして記憶がなくとも写真に写る人物をどこかで覚えている。それだけの執着。つまり写真に写る女の子が、彼の未練と関係している可能性は非常に高い。

正直な所、他に誰を選んでいいのかも分からない。だったら写真という手がかりがあることだし、成仏させる相手に彼を選んでもいいのではないか。私はそう考え、彼から情報を収集することにした。

 もちろん記憶を失っている以上、彼に話を聞いても無駄だろう。出来ることといったら、この店を出た彼を尾行することくらい。そして証拠を確保すること。

「あの、その写真見せてもらえますか?」

「あっ、どうぞ」断られるかとも思ったが、彼は私に写真を手渡した。写真を裏返すと『詩織七歳』との記述がある。

「可愛い~。私、子供大好きなんですよ」写真に写る女の子を褒める私に、満足そうに微笑むことで答える彼。

「スマホでこの写真の女の子、撮ってもいいですか?」

「どうぞ、いいですよ」彼は嬉しそうに、私の願いを了承してくれた。多少不自然であった私の芝居も少しは役に立ったようだ。

 私はそそくさとスマホで撮影をすると、彼に写真を返す。

「ありがとうございました」

「いえいえ、そもそも私にもこの子が誰だか分からないんですから、お気になさらず」

 写真を手にした彼は、幸せそうに微笑み、再び視線を落としていった。

 これで女の子の写真は手に入った。後は、他の人からは見えない彼の姿をなんとか撮るだけ。もちろん死んでしまっている彼が、写真に写るかどうかは分からない。だが彼の所有物である『写真』は撮影することが出来た。もちろん、女の子の姿もばっちり写っている。ならば彼も写真に写るのではないだろうか。とにかく、誰かに彼のことを尋ねるにしても、彼の写真がなければ説明のしようがない。彼の姿を写真に撮れる可能性があるのならば、撮っておくべきだ。私はそう考え、彼の姿をこっそりと撮影することにした。

 しかし試しては見たものの、どうにも彼に気付かれないように写真を撮ることが出来ない。そもそも盗撮なんて私に出来る訳がないのだ。私が敏腕女性探偵だったのなら、こんなこと軽くやってのけるだろうが、私は生憎ただの女の子。ホームズでも、金田一でもない。

考えた私は小芝居を打つことにした。私は探偵ではないが、元演劇部の部長だ。なんとかやれるはず。

私は立ち上がると、手当たり次第に店の中をスマホで撮影した。何度も響くシャッター音。当然、彼は私の行動が気になるはずだ。

「写真好きなんですね」私の作戦通り、食いついてくる彼。

「分からないんです。大切な何かを忘れてしまっているようで、心がモヤモヤとするんですけど、何も思い出せなくて」私はさらに記憶がない芝居を重ねた。

「分かります。私も同じです」彼のその言葉を聞くと、私はまた撮影を始めた。

色々な場所を撮りつつ、さりげなくスマホのレンズを彼に向ける。それに気付いた彼は笑顔でスマホに向かいピースをした。騙しているようで申し訳なかったが、彼に成仏してもらう為だ。私は迷うことなく彼を写真におさめた。

 私の心配を余所に、彼はしっかりと写真に写っていた。よくある心霊写真などというレベルのものではなく、彼が生きた人間なのでは、と思うほどにしっかりとした姿が。

 さあ、準備は整った。後は彼がこの店を出るのを待つだけ。

 私は彼が帰るのを待つ間、色々なことを考えていた。父さんが生きていた頃の家族のこと、変わってしまった家族のこと、神様、そして目の前の中年男性……。

 私はそもそも彼を本当に成仏させたいのだろうか? 私が彼を成仏させようとしているのは自己中な理由からだ。また神様に会いたいが為だけに、彼を成仏させようとしている。彼の気持ちなんて分かりもしないのに。まるで偽善者だ。

 私が自己嫌悪に陥りかけた頃だった。

「私、帰りますね」彼が席を立つと、私に挨拶をした。

「あっ、はい。じゃあ、私もそろそろ……」私も彼に合わせるように席を立つ。

一緒にという訳ではなかったが、彼の後ろ姿を追うように、店の出口を目指した。

この店を出れば、彼は店の中の記憶を失い、未練によって成仏出来ないただの霊へと戻るはず。恐らく先程までのように話すことも出来ないだろう。それ以前に、私のことすら覚えていないだろうし、霊がどれほど意志や思考を持っているのかも分からない。

私は彼に続き、店の扉を開けると、外に出た。

すると驚いたことに、彼は既に30メートルほど先にある、円柱型のポストの角を曲がる所だった。とても徒歩で移動したとは思えないほどの移動距離。霊は高速で移動することもできるのであろうか。

とにかく彼を見失うわけにはいかない。私は急いで後を追いかけた。

振り返ることもなく、ただ何かに引き寄せられるように道を進んで行く彼。度々ワープしたかのように数メートル先に移動することはあったものの、見失うほど距離が離れることはなかった。寧ろ彼は何故だか、私との距離がやや離れると、まるで私のことを待つように立ち止まることがあった。

かなりの距離を一緒に歩いていて気付いたのだが、もしかしたら彼は私の存在に気が付いていて、何処かに連れて行こうとしているのかもしれない。

30分ほど歩いただろうか。民家が密集する場所にポツリと建つ、アパートの敷地内に彼が入っていった。

私は一瞬躊躇したものの、彼の後を追いかける。やはり彼は私を待つように立ち止まっていた。相変わらず私に背を向けてはいるものの、近付くと再び歩き出す。

向かった先は6部屋あるアパートの裏手。物干し竿がかけられ、雨戸の開けられた1階奥の角部屋。そこに彼は吸い込まれるように消えていった。

ここが彼の家なのであろうか。窓越しに中を覗き込むと、カーテンが開けられているため、中の様子が確認できた。中には誰もいないようだ。窓に手をかけてみるが、中から鍵がかかっているのか開きそうにはない。そもそも開いていても、不法侵入になってしまうので、もちろん入ることはできないのだが。

再び窓越しに中を覗き込むと、ワンルームの部屋の奥に、彼の姿を確認することができた。おそらく彼がいるのは台所だろう。だが暗くて中の様子はよく分からない。

私は表札を確認するため、玄関のほうに回り込むことにした。

「こら! そこで何をしている」しかし窓から離れた私に、突如言葉が浴びせられた。

 驚いた私は、軽く飛び上がると、声の出所を捜す。

声の主は隣の部屋の窓から顔を出し、いかにも不審者を見つめるような眼差しで、私を見ていた。中年の男性で、やや小太り。いかつい顔で作業着姿。一見すると、頑固そうな印象を受ける。

「あっ、すみません。ちょっと伺いたいことがあるんですけど」不審者のレッテルを剥がそうと、努めて余裕のある穏やかな物言いで話しかける。

「この方、ご存じないですか?」私はスマホを出すと、彼の写真を見せた。

「ああ、新見さん。あんた新見さんの知り合いかい? もしかして娘さん?」初めこそ怪訝そうにスマホを除き込んでいたが、スマホに映る人物を見て、私がとりあえず泥棒などではないと理解をしてくれたようだ。

「いえ、ただの知り合いです。新見さんが亡くなったって聞いたんですけど、何かご存知ありませんか?」

「うん。一応部屋も隣同士だし、会社も一緒だったからね……」亡くなった人の話をしているためか、心なしか声のトーンが下がる。

「2ヶ月くらい前になるかな。新見さん無断で何日か仕事を休んでね。だから私が同じ会社の奴と2人で様子を見に来たんだよ。ここ会社の社宅だから。でも玄関に鍵がかかっていたし、いくらチャイムを押しても新見さん出てこなくてね。だから、裏に回ってさっきのあんたみたいに、部屋の中を覗いてみたんだよ。そうしたら部屋の中で新見さんが倒れていてね……。肝硬変だってさ。きっと寂しかったんだろうね。小さい頃の娘さんの写真を握って亡くなっていたよ」

 隣の部屋の男性は、親切に色々と教えてくれた。私が成仏させようとしている彼の名前は新見克敏。享年五51歳。娘さんが小学校の5年生くらいの頃に、奥さんと離婚したらしい。娘さんの親権は奥さんが持っており、今は疎遠になっているようであった。

 新見さんが握って亡くなっていたという写真を確認することはできなかったが、おそらくその写真が狭間の店で新見さんに見せてもらった写真なのだろう。もちろん写真に写っているという女の子は詩織さんに間違いない。

 葬儀には別れた奥さんも娘さんも参列しなかったようだ。別れた奥さんは既に再婚しており、実家も引っ越していた為、連絡が付かなかった、というのが現実らしい。

 つまり元奥さんも娘さんも新見さんが亡くなった、という事実を未だに知らないでいる、ということになる。

「新見さんも、奥さんや娘さんの連絡先を知らなかったんですか?」

「いや、多分知っていたと思うよ。別れた奥さんが再婚したことも知っていたし、娘さんが1人暮らしを始めたことも心配していたからね。でも会ってはいなかったみたいだよ。20歳になったらお父さんに会いたいって娘さんが言い出したみたいで、元の奥さんから連絡が来たって喜んでいたよ。今年の6月で、娘さん20歳だって言ってたっけ。誕生日に娘と会う約束をしたって、そりゃあ嬉しそうに言ってたよ。たしか、10年ぶりに会うとか」

 何となく彼のことが分かってきた。そして彼の未練についても。きっと、彼は娘さんに会いたかったんだと思う。なのにもう少しという所で、その願いは叶わなくなってしまった。

「何だか可哀想ですね」

「うん。会いたがっていたからね。だから俺も、何とか娘さんに亡くなったことだけでも知らせたくて。部屋もしばらくそのままにしてもらってるんだよ。お父さんは死にました。葬儀も終わって今はもうお墓の中です、って言われても、実感がわかないと思うんだよね。せめて娘さんが事実を知るまでは、新見さんが生きて生活していた場所くらい残しておいてあげたいじゃない。娘さんが拒否するなら別だけど、遺品を整理したり、お父さんの生活を感じたり、お父さんを思って涙したり。そういった時間はきっと必要だよ。それに、きっとここが生きていた頃のお父さんを知ることができる最後の場所だから」

 顔はいかつく怖い印象だったが、話してみると優しい良い人だ。

本当に新見さんのことを思っている。おそらく新見さんの人間性が良かったからこその関係性なのだろう。

部屋はしばらくそのままにしてもらっている、ということであったが、このアパートは会社の社宅ということであった。この男性が会社の役員なのかどうかはわからないが、社長でもない限り、いつまでも部屋をそのままに、という訳にもいかないだろう。つまり時間があまりないはず。

私は自分勝手な思いから、新見さんを成仏させようとしていた。神様に再び会う為だけに。でも今の私は、新見さんと娘さんをどういう形であれ、心から会わせてあげたいと思っている。

「私も心当たりを探してみます」当然、心当たりなどはなかった。だが新見さんの願いを叶えてあげたい、という思いからか、私は気が付くと、そう言葉を発していた。

「ありがとう。何か分かったら教えてくれる?」

「はい、分かりました」私がぺこりと頭を下げると、隣の部屋の方は自分の部屋の中へと戻って行った。

 スマホで時刻を確認すると午前7時30分を少し過ぎたところ。隣の部屋の方の服装が作業着姿であったことから考えるに、おそらく彼はこれから仕事に向かうのであろう。つまり朝の忙しい時間帯に私の相手をしてくれたということになる。隣の部屋の方の為にも、新見さんや、娘さんの為にも何とか頑張って絶対に手がかりを見つけなければ。

 正直、娘さんを見つけ出す為に、この後何をすればいいのかは分からない。だが私の心境の変化がそう思わせるのかは分からないが、

私にはやれる気がした。もちろん根拠などはない。私は部屋の中に佇んだままの新見さんを見つめ、ただやらなければ、と心に誓った。

 すると、そのタイミングを見計らったように、先ほどまで部屋の中で動かず、立ち尽くしていたはずの新見さんが、こちらに向かって歩いて来きた。

新見見さんの体は、私の目の前の窓をすり抜けると、私には目もくれず、アパートの敷地を出て行ってしまった。

何処に行くのだろうか。確かあの狭間の店の店員は、霊は未練がある場所や、心が落ち着く場所に帰るようなことを言っていた。ということは、このアパートの部屋が、新見さんにとって未練がある場所なのであろうか。いや、新見さんの未練はきっと娘さん。このアパートの部屋じゃない。だとしたら、このアパートは新見さんにとって落ち着く場所? 自宅ならばありえない話ではない。だが、どうも腑に落ちない。まあ、どちらにしても、このアパートに何かがあるのは間違いないだろう。それに、まるで私に何かを教えるかのように新見さんが立ち尽くしていた台所付近も気になる。

ともあれ、今私がやるべきことは、娘さんを探し出すこと。そして今新見さんが何処に向かうのかを確かめることだ。

私は新見さんの後を追った。

私がアパートの敷地を出ると、新見さんの姿が目に留まる。視線こそ合わせはしないが、やはり私を待っていてくれているようだ。私が新見さんに近づくと、当然のように新見さんは歩き出した。

それにしても、本当に何処に行くのだろう。帰る場所がさっきのアパートだとすると、他にはあの狭間の店くらいしか思い浮かばない。未練がある場所や、落ち着く場所など、言ってみれば本能のままに霊は行動をしている。つまり霊になった新見さんがあちこちに出向くとは考えにくい。となると、新見さんがこれから向かう先は、やはり狭間の店? 新見さんは毎日、アパートと狭間の店を、行ったり来たりしているのだろうか。

今のところ狭間の店へと向かう道を進んでいる新見さんのあとを追いながら、私は娘さんをどうやって探し出そうかを考えていた。

名前は詩織さん。苗字は元奥さんが再婚したことから再婚相手の姓を名乗っている可能性が高い。1人暮らしをしており、今年の6月で20歳になる、新見克敏さんの娘。私が今知っている詩織さんの情報はそれだけだ。一体どうすればいいのだろう。

あれっ? 私は考え事に夢中になるあまり、ここで始めて気が付いた。新見さんが向かっている場所が狭間の店ではない、ということに。さっきまでは、狭間の店からアパートまでの道のりを、逆に進んで戻っていたはず。だが、私が今新見さんの背中と共に目にする光景は、明らかに別の場所だった。

霊である新見さんが道を間違えた、ということは考えにくい。ただ何かに導かれるように新見さんの足は、何処かへと向かっている。

予断だが、新見さんは霊だが足がある。正確に言えば、私にはあるように見える。というのが正しいのかもしれない。その姿自体が他の人には見えていないようなので、足があるのかないのか以前に、体があるのかないのか、そもそも本当に存在しているのかいないのか、それさえ微妙と言えば微妙だからである。

そうして、私は新見さんの背中を、40分ほど追いかけ続けた。

新見さんには疲れた様子は見られない。というか、霊はきっと疲れることなどないのだろう。逆にただ歩いているだけとはいえ、私はもうヘトヘトだった。途中、2度ほど疲れから足を止めたが、幸いなことに新見さんを見失うことはなかった。新見さんが相変わらず私の姿が見えなくなると、足を止め、待っていてくれたからだ。新見さんが私に何かを伝えようとしているのなら、私はそれをきちんと受け止めなければ。

新見さんが向かった場所は、住宅街の中にひっそりと建つ、一軒のアパートだった。新見さんが住んでいたアパートはお世辞にも綺麗とは言い難かったが、このアパートは概観も綺麗で、可愛らしい造りをしている。新見さんは躊躇する様子も見せず、至極当然といった様子で、外階段を2階へと上って行った。

そして、2階の1番奥の部屋の前に立つと、玄関ドアに吸い寄せられるように、部屋の中へと消えていった。

「誰の部屋なんだろう?」表札はない。

新見さんがここに来たということは、こっちの部屋が新見さんの未練がある場所なのだろうか。それとも、心の落ち着く場所。まあ、考えていても仕方がない。私はインターホンに手を伸ばした。

ピンポーン、よく聞く、軽めの音が響き渡る。一呼吸置くと、中から物音が聞こえた。

「はい」若い女性と思われる声が返事を返す。

「あの、私……。お伺いしたいことがあるんですけど、開けてもらえますか?」どう説明していいのか分からなかった。

ガチャッ、彼女はチェーンを外してくれているようだ。そして、優しく開いた扉の中から、1人の可愛らしい女性が姿を現した。

「はい、どちら様ですか?」私は彼女の顔を見てすぐにピンと来た。

歳は私と同じくらいだろうか。可愛らしい感じの女性で、髪は肩より少し上のカールストレート。黄色いカーディガンを着ており、化粧などはしていないようだった。私が何をしに来たのか分からず、困惑しているのか、きょとんとした様子だ。

「あの……この方、新見克敏さんというんですけど、ご存じないですか?」私は新見さんの写真が写るスマホの画面を彼女に見せた。

「しばらく会っていないので顔までは分かりませんけど、新見克敏でしたら私の父です」やはり彼女は詩織さんであった。

 新見さんは詩織さんが何処に住んでいるのか知っていたんだ。そして、亡くなってからは詩織さんのことをずっと見守っている。

「父がどうかしたんですか?」

「ふた月ほど前、亡くなりました。肝硬変だったそうです。部屋の中で発見された時には手遅れだったみたいで……」

「えっ? 何で? うそ。本当のことですか?」詩織さんは突然のことで、理解が出来ずにいるようだ。

「あなたのお母さんや、あなたにも連絡をしようとしたらしいのですが、連絡がつかなかったらしくて……。もう葬儀や納骨も済んでいるようです」正確には新見さんは詩織さんのそばに今もいるのだが、私はそれを口にはしなかった。そんなオカルトチックな話をしたところで、不審がられるのがオチだからだ。私を信じてもらえなければ、新見さんが亡くなったという事実ですら、彼女は本当のことなのか信じられなくなってしまう。

 私の言葉を聴きながら、徐々に状況を理解してきているのか、詩織さんの目にはいつの間にか涙が溜まっていた。

「もうすぐ……もうすぐ、やっと会えると思ったのに……」詩織さんの心から悲鳴のような言葉が絞り出される。

 父さんが死に、泣き続けていた私には、色々なやるせない思いと後悔に潰されそうになる、詩織さんの気持ちがよく分かった。痛いほどに。いつでも見れると思っていた笑顔に、もう2度と会うことが出来ないという喪失感。

「新見さんの会社の方のご厚意で、新見さんの住んでいた部屋は今もそのままになっています。辛いとは思いますけど、お父さんのことを感じることが出来る最後の場所です。きちんとお別れをする意味でも、私と一緒に行ってみませんか?」新見さんはまだ詩織さんの近くにいる。そして何かを伝えようとしている。私にしか出来ないのなら、私がしっかりと2人の思いを結び付けてあげないと。

 詩織さんの目から涙がこぼれ出し頬を伝った。詩織さんは涙を拭うこともせずに、私の言葉に耳を傾けると、うつむき、泣き声を押し殺すように無言で2度頷く。

 私は一度徒歩で新見さんのアパートへと戻ると、住民の方に会社の連絡先を教えてもらい、新見さんの働いていた会社に電話をかけた。会社の方に状況を説明し、詩織さんと連絡が取れたこと、さらに詩織さんと共に、新見さんの部屋に入りたい上の趣旨を説明した。

その結果、会社の方立ち会いのもとでなら、と新見さんの部屋に入ることも了承してもらえた。

詩織さんとは、2時間後の10時30分に約束をしてある。

 私は詩織さんのアパートへと戻る途中、休憩と時間潰しを兼ね、コンビニでおにぎりと飲み物を購入し、公園のベンチで少し遅めの朝食と、大分早めの昼食をまとめて取ることにした。

 私が詩織さんのアパートに着いたのは約束の5分前。

タクシーなどを使えば楽だったのだろうが、私はあえて徒歩で向かった。別にお金の問題ではない。まあ、あまりお金に余裕がない、ということは否定しないが、理由は他にあった。

新見さんが霊として歩いている道。詩織さんと新見さんを繋いでいた道。生前、新見さんはこの道を通り、こっそりと詩織さんのアパートを見に行ったはずだ。新見さんにとっては、思いがたくさん詰まった道。そんな道を何というか、楽をして通るのは駄目な気がした。私には関係ない、と言えばそれまでなのだが、今日くらいは新見さんの詩織さんに対する思いを噛み締めながら、この道を通りたかったのだ。

 アパートの前ではすでに詩織さんが待っていた。私に向かい、ペコリと頭を下げる詩織さん。その顔には先ほどとは違い化粧が施されているものの、目は赤く腫れ、2時間の間に、詩織さんがどれほど悲しんでいたのかを安易に想像させた。

 私は詩織さんの背中にそっと手を置き、微笑んでみせる。頑張っている人に、頑張ってと声援を送るのと同じで、こんな時に元気を出して、と言うことほど無意味な言葉はない。解決するのはあくまで自分自身なのだから。他人ができることといえば、そっと寄り添ってあげることくらい。それだけで十分なのだ。

「それじゃあ、行きましょうか」私のその言葉に詩織さんは無言で頷き、私たちは歩き出した。

詩織さんは、今日は特に予定がない、ということだったので、行きだけでも、と新見さんのアパートまで歩いていくことを、私は提案した。始めは意味が分からない様子であった詩織さんであったが、私の考えを伝えると、詩織さんも共感し、納得してくれた。

 今日はとりあえず詩織さんが1人で部屋を確認し、後日お母さんと一緒に片づけをする、ということになったらしい。

私と詩織さんは、始めこそお互い何を話していいのか分からず、無言が続いたが、なにせ片道40分の長い道のり。自然と会話が生まれ始めた。

「あの、気になっていたんですけど、あなたと父はどういった関係なのですか?」そう言えば、自分のことを説明するのをすっかり忘れていた。気になるのも無理はない。だけど、どう説明すればいいのだろう。

「私は遠山泉美。23歳です。私と新見さんはある喫茶店で知り合いました。新見さんは珈琲を飲みながら、何をする訳でもなく、あなたが小さかった頃の写真を愛おしそうに眺めていました。

近くの席に座っていた私はそれがすごく気になって。可愛いお子さんですね。と、声をかけたのがきっかけです。

 新見さんは嬉しそうに微笑むと、詩織さんのことを色々と話してくれました。それから、喫茶店で見かけるとお互い、声を掛けるようになって。そのたびに色々と話を聞かせてくれました。詩織さんの1人暮らしが心配だとか、詩織さんのお母さんが再婚した話とか。だけど今日になって、新見さんが亡くなったと聞いて……。私びっくりして。最近、喫茶店で見かけないなとは思っていたんです。

会社の方に聞いたんですけど、詩織さんの連絡先が分からず、まだ連絡が出来ていない、ということだったので、私が詩織さんを捜すことになりました。

詩織さんのアパートの場所は、新見さんからなんとなく聞いていたので、比較的簡単に見付けることが出来ました。私と新見さんは同じ喫茶店の常連客。それだけの関係です」だいぶ脚色したが、そんなに嘘は言っていないはずだ。悪意がある訳ではないし、新見さんもこれくらいならば許してくれるだろう。

詩織さんは、そんなにも新見さんが自分のことを思ってくれているとは、思ってもみなかったのだろう。押さえきれていた感情が溢れ出し、再び涙が詩織さんの頬を滑り落ちた。 

「私たち親子の為に、なんだかすみません」詩織さんは少し落ち着くと、涙声で私に謝る。

私は神様に再び会う目的で詩織さんを捜した訳で、詩織さんたち親子の為に100パーセント動いていた訳ではない。なのに、そんなことを改まって言われると、こちらこそ申し訳ない、という罪悪感のような感情に襲われる。

「私の気まぐれだし、気にしないでください。それに私と詩織さんは歳も近いし。友達だと思って何でも言って」

「ありがとうございます」

ぎこちなくではあったが、私と詩織さんの距離が少しだけ近付いたような気がした。

 詩織さんは、どうもお母さんの再婚相手と馴染めず、1人暮らしを始めた、ということであった。別に再婚相手が嫌いだとか、そういうことではないらしい。ただ自分のお父さんは新見さんだと受け入れていた詩織さんにとって、複雑な気持ちだったことは間違いないようだ。

 詩織さんは以前から、20歳の誕生日になったら新見さんと会い、再び親子として関係を築いていきたいと考えていたようである。なのに、こんなことになってしまった。待ち望んでいた日が目前に迫っていたのに。

 新見さんだけでなく、詩織さんも未練を抱えたまま、そのやり場のない悔しさを自分にぶつけるしかないのだ。辛くない訳がなかった。

 11時30分。私と詩織さんが新見さんのアパートに着くと、会社の事務員らしき女性と、今朝話を聞かせてくれた隣の部屋の方が待っていてくれた。軽く会釈をする私に気が付き、隣の部屋の方が話しかけてくる。

「ありがとう。よく娘さん見付けられたね」

「今朝はありがとうございました。こちらが新見さんの娘さん、詩織さんです。新見さんのことは私からお話ししてあります」私は2人に詩織さんを紹介した。

「ご迷惑おかけしてすみません。娘の垣谷詩織です」詩織さんは礼儀正しく、深々と頭をさげる。

「お父さんのこと、ショックだっただろう。新見さんも会えるのを楽しみにしてたんだよ。だから、今日来てくれてきっとお父さんも喜んでるよ」隣の部屋の方は、詩織さんの気持ちを気遣ってくれているようだ。

「早速で申し訳ないけど、私は仕事に戻らないといけないから、鍵を渡しておくね。部屋の中は自由に見てもらって構わないから。片付けは来週お母さんと一緒にやるんだよね?」隣の方の言葉に合わせるように、鍵を詩織さんに差し出す事務員さん。

「はい。そのつもりです」

「じゃあ、鍵はそのまま持って帰っちゃっていいや。来週片付けが終わったら返してくれれば。何かあったら会社の方に電話してくれる?」

詩織さんが事務員さんから鍵を受け取ると、隣の方は自分の名刺を私と詩織さんに差し出した。

 名刺には『朝倉ダンボール、工場長 鏑木政徳』と書いてある。

「はい。分かりました」

鏑木さんは詩織さんの返事を聞くと、優しそうに微笑み、じゃあ、と言わんばかりに、開いた手のひらを少しだけ上にあげ、ペコっと頭を下げた。

そして、事務員さんと共に、そそくさと車に乗り込むと、去っていった。きっと忙しい仕事の中、時間を割いてきてくれたのだろう。

詩織さんと共に、去って行く車を会釈で見送ると、私たちは同時に軽くため息をついた。何故だかは分からないが、緊張から解き放たれたような気分だった。それは恐らく詩織さんも同じであったのであろう。私たちは目を合わせると小さく微笑みあった。

「それじゃあ、お父さんの部屋に行きましょうか」私の言葉を合図に、玄関の方へと移動する。

ちなみに詩織さんのアパートで消えて以来、新見さんは姿を見せてはいない。在宅していない詩織さんのアパートに今も1人でいるとは考えにくいことから、もしかしたら先に自分の部屋に戻ってきているのかもしれない。

「ここが新見さんの部屋です」新見さんの部屋の前へとやってくると、詩織さんは先ほど受け取った鍵をドアの鍵穴に差込み解錠した。

「私も部屋の中にご一緒してもいいですか?」ドアを開き、部屋へ踏み入ろうとする詩織さんに私は話しかける。

 他人の私が一緒に部屋に入る、ということがおかしいということは分かっている。だが新見さんの未練を解消するための手助けをしなくては。私にしかできない何かがここにはあるはずだ。

「もちろんです。むしろこっちからお願いしたいくらいです。いくら私の父とはいえ、父とは10年近く会っていませんでしたから。遠山さんも好き勝手に見ていただいてかまいません」詩織さんは、当然私も一緒に部屋に入るものだと思っていたようである。私の言葉に寧ろ驚くような様子を見せると、私が一緒に部屋に入ることを了承してくれた。

こうして私は新見さんを成仏させる上で、おそらく最後になるであろう場所へと、詩織さんの後に続き、足を踏み入れた。 

 部屋の中は、私の予想に反し片付いていた。男の人の1人暮らしと聞くと、もっとゴミやら着替えなどが散乱していて、汚いイメージがある。これじゃあ私の部屋のほうがよっぽど汚いかもしれない。何もないといえばないのだが、洗濯物が干してあったり、本棚に本が並べてあったり、食器や調理器具、洗剤など、人が生活していた痕跡は確かにそこにあった。

 そして新見さんは部屋の中、台所付近に立っていた。やはり先に帰ってきていたようだ。新見さんに詩織さんを意識しているような様子は見られない。

詩織さんは、テレビ台の上に並べられた写真たてを手にすると、泣いているのか、涙を拭うようなしぐさを見せている。どうやら写真に写っているのは小さい頃の詩織さんのようだ。

テレビの横に置かれた棚の上には卓上カレンダーがあり、2ヶ月先の6月のページが開かれていた。20日の所に、赤く丸が書かれている。詩織さんにわざわざ確認するようなことはしないが、おそらく6月20日は詩織さんの20歳の誕生日、または2人が親子として再会する予定日、そのどちらかであったのだろう。

私は台所に新見さんが立っていることが気になり、部屋から台所へと移動した。

賞味期限までは確認しなかったが、新見さんはきちんと自炊していたようで、冷蔵庫の中は充実していた。一応確認してみたが、冷蔵庫に怪しいところは見られない。

洗剤や電子レンジ、炊飯器の中などにも変わった様子はなかった。

そこで、ようやく私は台所の違和感に気付く。流しの下の扉に南京錠が取り付けられていたのだ。何ともいえない違和感。この中に何かがあることは間違いない。

「詩織さん、ちょっと来てもらえますか?」私は詩織さんに呼びかけると、南京錠を指さした。

詩織さんは流しの下の扉の前にしゃがみ込むと、「これですか?」と言い、扉に手を掛けた。

「駄目です。鍵がかかっているみたいで開きません」

「ちょっと見せて」私は詩織さんと入れ替わると、南京錠を確認した。

「何処かに鍵があるのでしょうか?」詩織さんは鍵を探しているのか部屋に戻り、辺りをきょろきょろと見回している。

私は南京錠に手を伸ばす。やはり南京錠は開きそうにない……あれっ? するとポロッと、いとも簡単に南京錠が外れてしまった。

 太ももの辺りが暖かい。ポケットには確か、神様がくれた鍵が入っていたはず。

『君の前に扉が立ちはだかったら使いなさい』そういうことか。なんとも便利なものだ。

「詩織さん、開いたみたい」私はテレビの辺りを探している詩織さんに呼びかけた。

再び詩織さんと入れ替わった私は、詩織さんの肩越しに様子を見守る。扉の中にはお煎餅が入っているような、大きな缶が入っていた。

缶を引き出し、中身を確認する詩織さん。しかし、その手はすぐに動きを止めた。一体何が入っていたのだろう。私からは詩織さんの体が重なってよく見えない。すると、詩織さんの体が小さく揺れだした。

「お父さん……」詩織さんは嗚咽と共に、まるで子供のように大声で泣き出した。

缶の中には空白の二人の時間を繋ぐ、愛情が込められていた。毎月一万円ずつ貯金された、詩織さん名義の預金通帳。新見さんが詩織さんに書いたが出せなかった手紙。詩織さんの運動会や卒業式などの写真も入っていた。

 遠くからきっと隠れて撮ったのだろう。まるで「ウォーリーを探せ」のような写真で、私にはどれが詩織さんなのかも分からないくらいの写真。写真の裏には「詩織。運動会、足速くなったな」などと一枚一枚感想も書いてあり、それらは小学校、中学校、高校とすごい枚数が揃っていた。きっといつも遠くから見守っていたんだろう。まるでストーカーのようだが、相思相愛の親子の愛。誰も傷付くことのない愛情。

 詩織さんは缶の中に入れられていた、会えなかった間の自分への愛情を感じながら、手紙や写真1枚1枚を、涙を流しながら眺めていた。詩織さんにとってはお父さんの愛情がこもった宝箱。詩織さんは2時間以上そこを離れることはなかった。

そんな詩織さんを、私はもらい泣きをしながら見つめていた。すると急にオレンジ色の暖かい光が台所を包み込む。

 詩織さんに気にする様子は見られない。恐らく私にしか見えていないのだろう。光は新見さんの体を包み込むように光っており、新見さんの表情は今までのような無表情ではなく、優しい笑顔に包まれていた。

 まるで頭の中に流れ込んでくるように、新見さんの声が聞こえてくる。

「君だったんだね。ありがとう。おかげで娘と会えたよ」

 あの狭間の店の記憶があるのだろうか。新見さんは私にそう言い残すと、より一層輝きを増した光に包まれ、その姿は光の中へと徐々に消えていった。

これで新見さんは成仏できた、ということなのだろうか。それならば、良かったのだが。

 詩織さんの顔は涙でぐちゃぐちゃになっていたが、その表情はこれまでとはどこか違っていた。きっと新見さんの死を受け入れることが出来たのかもしれない。

 これからも詩織さんは私のように、新見さんのことを思い出すたびに、涙を流すかもしれない。でも、それでいいんだと思う。新見さんは詩織さんの心の中で生きている。今も、そしてこれからも。

 詩織さんはさすがに涙でボロボロになってしまった顔で帰るのは恥ずかしいらしく、帰りはタクシーで帰っていった。宝箱をしっかりと抱えて……。

 私が家に帰ったのは、午後3時30分を少し過ぎたころ。幸いにも家族は誰もいなかった。車がないから、またスーパーか何処かに皆で万引きにでも出かけているのかもしれない。

 私は部屋に戻ると、ベッドに転がった。あれで新見さんが成仏したのならば、きっと私はまた神様に会うことができるはず。

 思えば今日はたくさん歩いた。疲労から目を閉じると、睡魔が私を深い眠りへといざなう。薄れていく意識の中、私は神様にお願いをした。

「また会ってください」と。


――私が目を開けるとそこは、あの場所だった。

「おやおや、また気に入りませんでしたか。今度はどんな世界がご希望ですか?」

神様はいつでも優しく私を出迎えてくれた。

「いえ、私が間違っていました。これ以上家族を嫌いになりたくはありません。全てを受け入れることにしました。元の現実に戻して下さい」

変わってしまった家族や、新見さん親子を見ていて私は間違っていた自分に気が付いた。私が好きなのは今までの家族。今までの父さんなのだ。たとえ離れてしまっても心は繋がっている。現実をきちんと受け入れなければ、死んでしまった父さんにも申し訳がない。

「本当にいいのですか?」神様は私を心配してくれているようだ。

「はい」だが、私の意思は固かった。もう迷いはない。悲しみを受け入れる覚悟も出来ている。

私の返事を聞くと神様は優しく私の頭を撫でた――


翌朝、私は目を覚ました。本当の世界で。もうパラレルワールドではない、父さんのいない世界。でもこれで良かったんだ。さあ気持ちを切り替えて、父さんに「おはよう」を言ってこよう。

私が居間に行くと、すでに仏壇には線香があがっていた。傍らには姉ちゃんが座っている。珍しく泣いているようだった。

「姉ちゃんどうしたの?」私が呼び掛けていると、母さんがやって来た。

「香澄、あんたがそうやって毎日泣いてばかりいると、父さんも泉美も成仏出来ないよ」

「そうだよ、姉ちゃんもしっかりしないと……。えっ? 私も?」

驚く私の目に飛び込んできたのは、仏壇に並べられた父さんと私の遺影。

「どういうこと? また別の世界なの?」


…………「ふふふふっ」私は笑い出した。私は今まで何をやっていたのだろう。これは間違いなく現実だ。全てを思い出した。

私は父さんと同じ車に乗っていたんだった。死んだのは父さんと私。私は自分が死んだことを受け入れられなくて、神様にお願いして、父さんだけが死んだパラレワールドの中にいたんだった。父さんは成仏出来なくて狭間の店にいた訳じゃなかったんだ。ただ私のことを待っていてくれただけ。

「泉美」振り返ると父さんが優しい笑顔で立っていた。

「あっ、父さん」やっと父さんと話すことが出来た。父さんと話すことが出来なかったのは、父さんが死んでしまったからではなくて、私が自分の死を受け入れなかったから。父さんには死んでからも迷惑をかけちゃった。

「待たせちゃって、ごめんなさい。もう大丈夫」

私は父さんの横に並び、母さんと姉ちゃんを見つめた。もうお別れしなきゃね。

「姉ちゃん、母さん、今まで本当にありがとう」私は大好きな2人に向かい微笑んだ。

すると、まるで私たちのことが見えているかのように、姉ちゃんの視線がこちらに向けられた。姉ちゃんは驚いたような表情を浮かべると、口を開き、目を見開く。

「泉美?」突然私の名前を呼ぶ姉ちゃん。

「母さん! 今、泉美と父さんが、そこで笑ってた……」姉ちゃんは少し考え込むような姿を見せると、鼻をすすった。

「あははは、そんな訳ないよね」残念そうに涙声で話す姉ちゃん。

「意外にそうかもしれないよ。ほら……」

母さんの視線の先にはヒラヒラと舞落ちる桜の花びら。

花びらは、いつの間にか床に置かれた、神様がくれた鍵の上にそっと落ちた。

「母さん、私は父さんと母さんの子供として生まれてきて、本当に幸せでした。先に死んじゃうなんて親不孝者だよね。ごめんなさい。私は母さんのことが大好きでした。いつか、愛する人と結婚して、私も母さんみたいに……なんて考えたりもしてたんだよ。もう叶わなくなっちゃったけどね。でも悔いはないんだ。私は十分幸せだったし、父さんにも母さんにもたくさん愛してもらったから。母さん、体に気をつけて長生きしてね」

輝かしい暖かい光が、次第に私と父さんの体を包んでいく。

「姉ちゃん、悲しませてしまってごめんなさい。私が好きだったのは家族みんなの笑顔。だからあんまり泣かないでね。姿は見えなくなっちゃうかもしれないけど、ずっと傍にいるから。私の分まで幸せになって、母さん孝行してあげてください」

遠山泉美としての人生。私は家族の愛に包まれて幸せに生きることができた。間違いなく誇るべき人生だった。死んでしまうことは今でも嫌だけど、これが私の寿命ならば仕方がない。この先どうなってしまうのかは分からないけど、受け入れようと思う。大好きな家族とのこれまでの物語に悔いはないし、母さんや姉ちゃんが幸せに生きてくれればこんなに嬉しいことはない。

「父さんと先に行ってるね。何十年先か分からないけど、いつかまた会える日を楽しみにしています。それじゃあ、行ってくるね」

こうして私は満開の桜に見送られ、新しい世界の一歩を踏み出した。春風に吹かれて何処までも広がる大きな世界へと……。



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