銀恋病
ある町に伝わるおとぎ話に、こんな物がある。
銀恋病。
それは少女の見た目が変化する病。その名の通り髪は銀髪に透き通り、瞳の色はその少女の好きな色になる。
そして、最も親しい相手に恋心を抱く病。恋が実っても実らなくても、その性質は消えない。
遺伝的なものなのかどうかも定かでは無い。
しかも、この病にかかった患者の恋愛の対象は女性同士に限るのだという。
「ねぇ、ティフは信じる?」
「ん、何の話」
「銀恋病。あり得るのかな?」
鮮やかなパステルカラーを背景に、町沿いの道を抜ける二人。
コツコツ、石畳を歩く音と共に学校帰りの二人は会話を弾ませていた。
「さぁ?でも、私の親戚に一人銀髪が居たよ」
「まっじぃっ!え、え?どの人?」
ぴょんと飛び跳ねて、腕を鷲掴みする少女。その目は何故か輝いている。
「うん。美大の人」
そう言って、ティフはぷいっと視線を外す。その先で、彼女が落胆する様に溜息を吐くのを聞きながら。
「……それ、髪染めただけじゃん」
「うん」
「なぁーんだ」
「でもなったらそれはそれで怖いかもね」
道沿いにある店の、ショーケースを見回しながら、彼女は何も考えていない風に言った。
「えぇー!?なんか、ロマンチックーっ!て感じしない?」
相変わらずのオーバーな反応で、少女は応える。
「そうかな。メルは朝起きて銀髪になるの、大丈夫なの?」
「う、うーん……びっくり?でもなんか、銀髪って可愛いじゃん!」
「そう……」
可愛い、は乙女の動力源なのだろうか。ティフはそんなことを考えながら、目をキラキラさせるメルを見た。
どこからともなく漂う、パンの焼き立ての香りやケーキに乗せるフルーツの甘い匂い……直ぐにその香りに目移りする様に、鼻をヒクヒクさせて。
何処からそれが来ているのか探す少女。
なんだか子供みたいと、ティフはその様子を笑った。すると、少し顔色を変えてメルがティフを見返した。
「あそうだ、思い出した……」
「何を?」
「銀恋病の話!……んーぅん」
「え、何か食べてる?」
「な訳あるかぁい!じゃなくて、その」
続きを言い出そうとして孫つくメルを見ながら、ティフは何を言いたいのか理解した。
「あー……レズ?」
「ま、まあそうなんだけどさ」
「メル、そうなの?」
「な、な、な訳あるかぁっ!大体、私が誰に恋するのッ!」
かなり態とらしく両手を横に振り、赤い顔でメルは否定した。
「んー……あっ、わた」
「しぃーはないよ、絶対ないティフは大事な友達だもん!うんうん」
「……ふーん」
「あっ私家あっちだから、また明日ね!」
「ちょっ、まっ……はぁ行っちゃったよ」
そそくさとメルは走り去って行った。その背中を消えるまでぼーっと見ながら、ティフは鞄を肩から下げ、手に持った。
中から、メルのノートを取り出す。
「これ、まだ返してないのに」
小さなハートマークの付いた、淡いピンク色のノート。丸っこい字で、彼女の名前が書いてある。
「ま、明日返せばいっか」
そのつもりで、彼女は家に帰った。
そのつもりで。
「おーい!ティフ?」
部屋の外から明るい少女の声が聞こえる。昨日、外で最後に聞いた声だ。
でも、今日は布団から出たくない。
「ごめんねぇ、なんだか風邪みたいで。今日は休ませることにするわ……」
「そ、そうですか。分かりました、帰りにまた寄りますねっ!」
少し急いだ足音が、遠のいていく。
その音にティフは不思議な気持ちを抱いていた。
今までに無い気持ち。何故か、行って欲しく無い気持ちで胸が詰まる。
(そうだ、今日提出物がある……行かなきゃ)
なんとか気持ちで無理に体を動かそうとする。
それでも、布団から出ようと伸ばす右手を彼女は左手で抑えてしまう。
理由は分からない。何故か反射的に、彼女から遠ざかろうとしている、自分がいた。
(ダメだよ、私。ほら、ノートも返さなきゃ)
それでも足が動かない。金縛りのように体が言うことを聞かない。
彼女がまだこの家にいる気がして、会いたくなって。でも、動けなくて。
ただ体育座りで、ティフは塞ぎ込んだ。
「ティフ、メルちゃん行っちゃったわよ。というか、具合が悪いなら病院行く?」
「ううん、ママ。病院はいい」
「そう?まあとりあえず出ておいで」
部屋のドア越しに会話を済ませる。ゆっくりと布団から出て、寝惚け眼の目を擦る。さっきまで怠重かった体が、不思議なくらいに軽く動く。
けれども、すぐティフは驚いた顔で崩れ落ちた。彼女の視界の中に、長く伸ばした横髪が映った時。
「っ、これ何っ!?イヤッ!?」
雪のようにヒンヤリとした色白の髪。昨日まで、真っ黒だった髪が変化している。
恐る恐る、ティフは部屋に置いてある合わせ鏡を覗いた。
そこには、自分の知らない少女がいた。
自分の感覚と同じタイミングで動く、鏡の中の少女がいた。
「これ……わた、し?」
手を伸ばして、鏡にべったりとひっつく。よく見ると、目元のホクロや顔の輪郭、口元に目元。
自分の顔であることには間違いない。けれど髪の色と目の色が、全く違うのだ。
「白くて……蒼くて……」
その色を見た時、彼女の脳裏にはある単語が過った。
「とりあえず、ご飯ここに置いとくからね?」
「……うん」
朝から同じ格好。ティフはまだ自分の部屋に居た。
「なんで、私……なのかな」
髪をもう一度見返す。しっかりと綺麗な銀髪が、そこにはあった。
「私、誰に……恋してるの?」
小さく、そして震えた声で呟く。ふと、直ぐそばに置いてあった鞄に目をやった。
開きっぱなしのチャックの中から、昨日見たピンクのノートが顔を出している。慎重にそれを取り出して、中身を見開く。
三ページ目あたりから、綺麗な字と共に可愛いデフォルメの落書きが描いてある。
何を考えながら描いたのかと思えば思うほど、メルのノートを愛おしく思う自分に気付いていた。人の物なのに、胸元でぎゅっと抱き締める。
優しく匂いを嗅いで、目を伏せた。
「私……変だよ」
ゆっくりとノートを目の前に置き、両手をぺたりと地面に付ける。
顔を見上げ変わらない部屋を見渡して、彼女は自分だけが変化した孤独感に苛まれた。
「こんなんじゃ、会ってくれないよね……ううん、会ってもからかわれるかな」
独り言をするタイプでも無いのに、今日は口が動く。
窓の外は夕暮れ時。暖色の世界の一部分だけがその窓から射し込んでいた。丁度良く、太陽の陽射しが彼女の髪に当たろうとしていた時。
「ティフ……?」
ビックリして後ろを振り返ると、同じ様に驚いた顔のメルが立っていた。ティフは跳ねるように後ろに引いた。
両腕で目と髪を隠そうとする。
「い、や!メル、見ないで!」
「ティフ、その髪……」
「駄目だよ!私、今変だからっ……」
少し間抜けな体勢でティフは硬直した。ギシギシと木の床を歩く音が聞こえる。彼女は、メルが側まで来ているのだと思って泣きそうになった。
心臓の鼓動が木霊するように、緊張感が増していく。直ぐ、その気持ちは解放されるのだが。
「可愛い……!」
「へっぇ?」
「ティフちゃん銀髪似合うよ!ねね、隠さないで見せてってばっ!」
「っダメだよ!?」
「良いから、っしょっと!」
無理矢理、ティフが作った壁を剥がされる。そのまま、メルとティフはお互いの顔を見合った。あたかも、初めて会うのに何故か知っている気になる運命の人と出会う時のように。
「目、青色……青空みたい」
メルが口を開いた。本当に、いつもと同じティフがそこに居ない事を、彼女は確信した。
「……ぅん」
ティフはただ一言、簡単な相槌を返した。
そのまま二人は黙り込んだ。互いに気まずそうな顔で。
しばらくして、メルが声を掛けた。
「銀恋病、なのかな」
「そうだと、思う」
「誰に、恋したの?」
「……」
「ねぇ、誰?」
少し辛そうな表情と共に、ティフは迷いを演じた。メルも決して、尋問している訳では無い。ティフの気持ちを確かめたくて聞いているのだ。
「お願い、教えて」
「……分かんないよ、そんなの」
「でも」
「でも私、変。あなたに貰ったノート、手離したくなかった」
「っ!それって……」
「多分、だけど。私、メルのこと……」
「そう、なんだ……そっかっ」
そう言うと、メルは咄嗟に振り返り両手を顔に持っていった。
真っ赤な顔を抑えるように覆い隠し、息を押し殺して歓びを感じた。
「や、やっぱ気持ち悪いよね、メル。ごめん」
「う、ううううんそんなことは、無いよ!」
「えっ」
「だっっ、てっ!」
振り返ってティフと同じ高さまで腰を下げる。隠していた両手を、ティフのほっぺにシッカリと引っ付けて、顔を出来るだけ近付ける。
「わったしも、す、好き……だよっ!」
「っ!や、やめて、そんな嘘っ!」
「嘘じゃない!」
「嘘じゃないと私っ!……心臓が破裂しそう」
「ふぇっ?」
「……顔近いよ。メル」
「っ!ご、ごご、ごめんっ!」
思わず、メルは後ろに逸れた。目線を外し、謝る。ちょっとして、彼女の顔色を伺おうとおもむろに視線を向けた時。
メルは初めて、彼女の顔をちゃんと見た。今更になって一目惚れするように、唖然とその顔を見つめる。
「ねぇ、もう……我慢できない」
「へ……?」
刹那、ティフとメルは唇を重ねていた。互いの体温を、色濃く感じる。そうして小さな吐息を、肌で感じ始めた頃。
二人は静かに、顔を離した。
「……ごめん」
「だ、大胆だ……よ」
「そのでも、まだ」
「え、ま、まだ?」
「……んぇ」
数本の指で艶めかしく、自分の口元を指した。見たことも無いティフの顔に、メルは困惑しながらも息を呑んだ。
恥ずかしそうに視線を外して、小さな口を開く。
「し、舌……入れるのっ、んむっ!?」
けれども、全て言い終える前にティフは体を動かした。
もう一度、今度は体ごと引き寄せるように抱き締めながらキスを交わす。目は閉じていても、熱くほとばしる気持ちを、感じて。
長引くように、悔いのないように、不快感を与えないように。
見切りをたてて二人は一息吐く前に、顔を引き離した。
腕は、互いのことをしっかりと支えている。
「……えっち」
「え?」
「今日のティフ、変態だよ……」
「ご、めん」
「でも、嫌じゃなかった」
メルはそう言って、泣きそうな笑顔を見せた。
「私も、ほんとに好きだったんだからっ」
その日から二人は、友達ではなくなった。恋人同士、になった。
ティフの変化が戻ることはなかったが、少女の思いは奇しくも病と共に成就したのだった。
銀恋病、それは最も親しい人に恋心を抱く病。
おとぎ話なのは、きっと、百合の神様の奇跡かもしれないから。
なんてことを、運のいい少女は思ったりするのだった。