ガライド編 第十六話
一体どれほどの時間が過ぎたのか。何とか自分を取り戻した俺は、未だ泣き続けていたアルペトラの子を見た。
――俺達の子供は死んだのに、何故お前だけが。そんな醜い思いが、全くなかった訳ではない。
だがこの子の母は、アルペトラは死んだ。この子は生まれながらにして、天涯孤独の身となったのだ。この子を守る者は、もう誰もいない。
そう思えば、憎しみよりも憐憫が勝った。短い間だったとは言え私達の大切な友人だった女性の子の、力になってやりたいと思った。
「……あなた……」
不意に、力無く横たわっていたエレノアが口を開いた。出産の疲れとそれが死産だった事がショックだったせいだろう、その顔に血の気は殆どない。
「どうした、エレノア」
「赤ちゃん……アルペトラさんの、赤ちゃんを……」
エレノアはそう言って、震える手を懸命に伸ばす。……何をしたいのかは解らないが、今は、エレノアの望む通りにしてやろう。
「……アルペトラの赤子を、エレノアに」
医者に告げると、医者は戸惑いながらもエレノアに赤子を渡した。エレノアは受け取った赤子を、自分の胸元へと抱き寄せる。
「ごめんね……お腹が空いてたのよね……? 今お乳をあげますからね……」
エレノアが服をはだけ、赤子の顔を露になった自分の胸へと近付ける。すると赤子は泣くのを止め、エレノアの乳を吸い始めた。
「エレノア、お前、乳が……」
「……はい。死産だとしても、お乳は出るという事なんでしょうね……」
そう言ったエレノアの瞳は、深い悲しみと目の前の赤子への慈しみがない交ぜになっていて。やがてその瞳から、大粒の涙が溢れ出た。
「うっ……ひ……っぐ、私の……赤ちゃん……っ」
啜り泣くエレノアをそれ以上見ていられなくて、赤子に視線を落とす。赤子はまるでエレノアを本当の母だと思っているかのように、大人しく乳を吸い続けている。
「ん……?」
その時俺は、赤子の右腕に奇妙なものを見た。それは産まれたばかりだと言うのに、柔肌に鮮明に刻まれている星の形をした痣――。
――待て。
不意に脳裏によぎる、ある可能性。それに気付いた瞬間、自分の頭から我が子の死骸を見た時以上の血の気が引いた。
まさか……まさかこの子の父親は……!
「……皆、聞け。エレノアもだ」
重々しく、俺は口を開く。自分の声が震えているのが、自分で解った。
「今日死んだのは、アルペトラの子だ。俺達の子ではない。この子は、俺達夫婦の子だ」
「!? 何を言い出すのです、あなた!」
泣いていたエレノアが、顔を上げて俺を見る。それは、今俺が言った事が信じられないと言った顔だった。
「自分の子供を失ったのは勿論、とても辛いです。だからと言ってアルペトラさんの子を奪おうだなんて、私は……!」
「アルペトラの子は……生きていてはいけない。生きていると知られてはいけないんだ」
「……あなた……?」
俺の言葉に、エレノアの戸惑いが更に深くなる。俺はそんなエレノアに、決定的な一言を告げた。
「この子の父親は、現グランドラ国王だ」
「……え?」
「グランドラ王家の血を継ぐ者は、体のどこかに必ず星形の痣があると聞いた事がある。……そしてこの子にも、その痣がある」
「……!」
「恐らくアルペトラは総てを隠してこの子と二人、生きるつもりだったのだろう。だが――」
――アルペトラの死により、この子だけが残された。
「そんな……それじゃあ、この子は……」
「ああ。今国王の子は、王太子エンデュミオン様ただ一人。ここに腹違いの兄弟が加わったとなれば、ただでさえ荒れたこの国が更に荒れるのは免れない。……この子は、俺達の子として育てるのが一番いいんだ」
この場にいる全員が、息を飲むのが伝わった。同時に思い出す。陣痛の来る直前、アルペトラが言いかけた言葉を。
アルペトラは、こうなる事を予見していたのではないか。それで最も信頼出来る者――俺達に、我が子を託そうとしたのではないか。
エレノアの顔を見る。紫色に変色した唇が、わなわなと細かく震えている。
彼女にとって、酷く酷な事を言っているのは解っている。自分の子を亡くした直後に、他人の子を自分の子として育てろなどと。
だが――だが。この国の為、アルペトラの為、何よりこの子の為には、こうするより他に道はないのだ――。
「……クラウスです」
やがて、静かな声でエレノアは言った。その瞳には、強い決意の色が宿っている。
「この子はクラウス。私の子です。私が……必ず、いい子に育ててみせます……必ず!」
「……ああ。俺達の手で、愛情を一杯与えてやろう」
俺は頷き、赤子の――クラウスの頭を撫でる。いつの間にか眠ってしまったクラウスの体は、小さいが確かな温かさに満ちていた。
この温もりを、俺達の手で守っていこう。俺は静かに、そう決意を固めた。




