ガライド編 第十五話
懸命な看病にもかかわらず、アルペトラの容態は日が経つにつれ徐々に悪化していった。身重の体での旅の疲労が、皮肉な事に住処を落ち着けた事で一気に噴出してしまったのだろう。
エレノアはそんなアルペトラを、誰よりも熱心に看病した。アルペトラと一緒に元気な赤ちゃんを産むというのが、エレノアの口癖になっていた。
看病の中で、二人はすっかり仲良くなった。もし男の子が産まれたらクラウディオと名付けると、アルペトラは言っていたらしい。
だが――本当は屋敷に暮らす誰もが解っていた。今のアルペトラの体では、出産にはとても耐えられない。
生きられるのは母か子、どちらか一方。もしかしたら、どちらも助からないかもしれない。
今にして思えば、アルペトラは既に死を覚悟していたのかもしれない。自分の命と引き換えにしてでも我が子を産む、そう決意していたのかもしれない。総ては憶測でしかないが。
そして遂に――運命のあの日はやってきたのだ。
「アルペトラ、具合はどうだ?」
「あ……領主様……」
その日の政務も一通り終わり、アルペトラの部屋を訪れると、弱々しい声が俺を出迎えた。部屋にはベッドに寝ているアルペトラ以外、誰の姿もない。
「エレノアは? 今日はいないのか」
「エレノア様は今、水差しの水を替えに行って下さっています。じきに戻られるかと……」
「そうか」
テーブルからもう一つ椅子を持ってきて、既にベッドの横にある椅子に並べる。そこに座ると、アルペトラが柔らかだが儚げな笑顔を浮かべた。
「ありがとうございます、領主様。本当に良くして下さって」
「どうした、急に」
「領主様が私を受け入れて下さったお陰で、私は生きてこの子を産む事が出来ます。エレノア様も、私のような得体の知れない女にこんなに親身になって下さって……感謝してもし足りません」
言いながら、膨らんだ自分の腹をさするアルペトラ。私はそんなアルペトラにかぶりを振って答えた。
「そう思うのならば、是非、元気な子を産んでくれ。私達の子と兄弟のような仲に育ててやってくれ」
「……そう、ですね」
そう言った時のアルペトラの顔は、今でもどう形容していいのか解らない。嬉しそうな、だが何かを諦めたような……敢えて言葉にするなら、そんな顔をしていた。
「領主様」
その顔のまま、アルペトラは真っ直ぐに俺を見る。見るものを捕らえて離さない、真剣な眼差し。
「もしも……もしも私がこの子を残して死んだら。その時は、どうか……っ!?」
しかし、アルペトラの言葉が最後まで告げられる事はなかった。突然アルペトラは体を折り曲げ、酷く苦しみだしたのだ。
「まさか……陣痛か!?」
「あらあなた、いらして……アルペトラさん!?」
そこに水差しを持って戻ってきたエレノアが、慌ててアルペトラに駆け寄ろうとする。だがその途中、エレノアもまた苦しみだし水差しを絨毯の上に落としてしまう。
「エレノア!? まさか!」
「……うっ、あなた……お腹が……私の、お腹が……」
「くそっ……誰か! 医者と産婆を呼んできてくれ! 大至急だ!」
エレノアの体を支えながら、俺に出来たのはただそう廊下に向かって叫ぶ事だけだった。
エレノアとアルペトラ、二人は同じ部屋で出産をする事になった。急遽二人部屋を空けてそのベッドに二人を寝かし、エレノアには産婆が、アルペトラには医者がそれぞれ付きっきりになった。
無論俺も、出産に立ち会う事を選んだ。俺に出来る事など殆どなかったが、それでも二人の側にいてやりたかった。
「あなた……アルペトラさん……アルペトラさんは……」
「隣で一緒に子を産もうと頑張っている、だからお前も自分の子に集中するんだ!」
こんな時まで自分よりアルペトラの心配をするエレノアの手を、強く握って励ます。だが、俺には気掛かりな事が一つあった。
ベッドに寝かせて解った事だが、エレノアは出血していた。事前に得た知識では、破水に血が混じる事は通常はないという事だった。……嫌な予感が、胸をよぎる。
やはり、無理をさせすぎたのか。強引にでも、エレノアを大人しくさせるべきだったのか――。
そんな後悔を抱きながら、どれほどの時間が過ぎた事だろう。荒い呼吸音と励ましの声だけが木霊していた室内に、遂に、その声は響き渡った。
「……ホギャア、ホギャアアア!」
「!!」
声のした方に顔を向ける。そこには、胎盤にまみれた一人の小さな赤子が産声を上げていた。
「ああ……赤ちゃん……私の赤ちゃん……クラウ……ディオ……」
赤子の母――アルペトラが産まれたばかりの我が子に手を伸ばす。しかし――。
その手は、途中で力無く垂れ、そのまま二度と上がる事はなかった。
「……旦那様……」
動かなくなったアルペトラを呆然と見つめていると、産婆が声をかけてきた。その声が心なしか沈んでいるのに、ますます嫌な予感が募る。
振り返る。見えるのは、産婆に抱かれたもう一人の赤子。しかしアルペトラの子と違うのは――いつまで経っても、泣き出す気配がない事。
「……おい……嘘だろう? なあ? 泣いてくれ……泣いてくれよ……」
「……旦那様。残念ですが……奥様の子は……」
それ以上は、もう聞きたくなかった。耐え切れず、俺は叫んでいた。
「嘘だ……嘘だああああああああっ!!」
――その日、俺達は、大切な友人と我が子を一度に失った。




