ガライド編 第十三話
エレノアを連れて戻った俺を、父や使用人達は温かく迎えてくれた。特に父などは、生きているうちに俺の妻が見られるとは思わなかったと涙を流して喜んだ。
ムスリムで『聖女』と呼ばれていたとは言え平民出身のエレノアを妻とする事に反対する者もいるのではないかと懸念もしたが、杞憂だった。どうやら俺の思っていた以上に、我が家の者達は地位だの身分だのに執着がないらしい。
家人だけのささやかな結婚式を終え、家督を継いで間も無く、父は亡くなった。まるで俺が帰ってくるまで気力だけでもたせていたと思えるぐらい、あっという間の事だった。
幼少期に母を亡くした俺を、父は後添えを貰う事もなく愛情を持って一生懸命育ててくれた。俺の貴族らしからぬ価値観は、父のお陰で育まれたと言っても過言ではない。
その父を亡くした事に、どうする事も出来ない喪失感はあった。だが、いつまでも悲しんではいられないとも思った。
何故なら、俺にはやらなければならない事があったからだ。父から受け継いだこのアウスバッハ領を、今よりもっと住み良く豊かな土地にする。それが当主となった、俺の責任だと思った。
それから、俺の多忙な日々は始まった。毎日領地を見て回り、領民からの要望と現実に行える政策との妥協点を探り、旅で得た知識を元に新たな試みに取り組む。
それは旅暮らしとはまた別の意味で大変で。だが同時に、同じぐらいやり甲斐があると感じた。
エレノアは、非常に良き妻だった。俺には勿体無いぐらいの妻だと、何度思ったか知れない。
領地の視察には必ずついてきたし、家の者を始めとした領民達の事をよく気にかけ、積極的に触れ合った。皆も、そんなエレノアを俺の妻というだけでなく慕うようになっていった。
結婚して一年が経った頃、エレノアが子を妊娠した。領地改革も軌道に乗り始め、総てが順調過ぎるほどに幸せだった。
――そう、あの日がやって来るまでは。
「最近、雨が続きますね、あなた」
窓の外の空を見上げながら、エレノアが呟いた。明け方から降り始めた雨は、今も止む事なくざあざあと降り続けている。
「ああ。作物に悪い影響が出ないといいんだが」
「こう雨が続くと、視察にも出られませんしね」
そう言って、大きくなった腹を優しく撫でるエレノア。臨月を迎えても、エレノアは変わらず俺の視察についてきていた。
休んで安静にしているようにと再三言っているのだが、どうしても直に領地の様子を見たいと譲らないのだ。エレノアのこういう頑固さには、俺だけじゃなく誰も敵わなかった。
「特に南の土地は改良した作物を植えて今一番大事な……あら?」
エレノアの言葉が、途中で止まる。どうしたのだろうと、俺も書類から顔を上げエレノアの方を見た。
どうやらエレノアは、屋敷の入口の方を見ているようだ。何を見ているのか確認しようと俺が立ち上がったその時、エレノアが猛烈な勢いで振り返った。
「エレノア?」
「大変ですあなた! 急いで助けないと!」
そう言うや否や、エレノアは身重の体を抱え部屋を飛び出していってしまった。一拍遅れて、俺も急いで後を追う。
「何を見たんだ、エレノア!」
エレノアの背に声をかけるも、自分の見た何かで頭が一杯で聞こえていないらしい。一階に降り、玄関の扉を開けると、エレノアは雨にも構わず外へと飛び出していく。
「エレノア、戻れ!」
「しっかりして下さい、大丈夫ですか!?」
相変わらず俺の声が聞こえていないように、エレノアが地面に跪く。そうする事で、俺は何故エレノアがこんなに必死になっていたのかを知る事になる。
玄関からそう遠くない地面に、一人の女性が倒れていた。意識を失っているのか、エレノアの呼び掛けにも反応は全くない。
俺もまた外へと飛び出し、直ぐ様女性の傍らに座る。そして、女性に声をかけ続けるエレノアの肩を掴んだ。
「お前は先に中に戻っていろ。急いで着替えとベッドを用意させるんだ」
「は、はい……解りました。あなた……」
「ああ、彼女は俺が連れていく。心配するな」
俺のその言葉にエレノアはまだ不安そうにしつつも、大人しく屋敷の中へ戻っていった。それを見届けると、俺は倒れている女性に視線を戻す。
まだ若い女性だ。歳は恐らくエレノアと同じか少し下。雨風に晒されでもしたのか、身に付けた衣服はすっかり擦り切れ、色褪せている。
「旅の者か? どこから来たのかは解らないが、今は一刻も早く手当てをしなければ……ん?」
抱き上げようとして、不意に気付く。女性が、大事そうに庇っているその腹。
それは、エレノアとほぼ同じ大きさに膨れていた。
「……妊娠、しているのか?」
思わず呟いた言葉は、雨の音に流され消えた。
――これが俺達の運命を大きく変える事になる女性、アルペトラとの出会いだった。




