表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
宵闇の練習曲  作者: 由希
41/64

マルモ編 第五話

「ふう……もう食べられない」


 初めて感じる心地好い満腹感に身を委ねながら、椅子の背にもたれ掛かる。綺麗だった服は、ソースや脂で汚れてすっかりベタベタになっていた。


「はは、いい食べっぷりだったな。見ていて気持ちが良かった」


 そう笑うエンデュミオンの前の料理は、あまり減っているようには見えない。……こんなに美味しい料理なのに、どうしてだろう。


「エンデュミオンは食べないのか?」

「私か? 元々あまり食べない方なんだ。今日はマルモの為に、これだけ用意させただけだからな」


 言われて、殆ど料理のなくなった自分の前の皿を見渡す。この料理を、全部私の為に……?


「……」

「ん? どうした、マルモ?」


 突然俯いた私の顔を、エンデュミオンが覗き込む。そんなエンデュミオンの目を真っ直ぐ見れないまま、私は言った。


「エンデュミオンは……どうしてこんなに私に良くしてくれる?」

「え?」


 エンデュミオンが、虚を突かれたように目を丸くする。目頭が、だんだんと熱くなってきていた。


「今まで関わってきた大人は皆私に冷たいか、はした金で玩具のように扱うかのどっちかだった。でもお前は違う。どうやったのかあの女達に言う事を聞かせて、私を綺麗にして、ご馳走まで用意してくれた。どうしてなんだ? どうして今日会ったばかりの私に……」


 そこまで言って、服を握り締めた手の甲に雫がポタリと落ちた。ああ、泣いているのか、私は。降って沸いたようなこの幸せが、あまりに信じられなくて。

 ……幸せ? そうか、私は今この時が幸せだと思っているんだ。

 美味しい物が食べられたから? ……違う。綺麗にして貰えたから? ……それも違う。

 じゃあ、私は何に幸せを感じているというんだ……?


「……何故だろうな」


 暫しの沈黙の後、エンデュミオンが呟く。顔は涙でよく見えないが、その声にはあの悲しい色が混じっている気がした。


「貧民街には時々こっそり視察に行くが、ここまでした事は今までなかった。余計な揉め事は起こさないよう、父上からも固く言われていたしな。だが……」


 そこでエンデュミオンは一度言葉を切る。そしてぼやけた視界の中、真っ直ぐに私に顔を向けた。


「あそこで踞っているお前を見た瞬間、不思議と放って置けないと思った。この娘の為に、何かをしてやりたいと思った……自分でも理由は解らないが、何故だかそう思ったんだ」


 ああ、そうか、解った。私が何を幸せだと感じたか。

 私は私を見つけて貰えた、それが幸せだったんだ。あの貧民街にいた大勢から、たった一人の私を。

 大勢の可哀想な子供達の一人としてではなく。大勢の哀れな娼婦達の一人としてではなく。

 私を一人の人間として、ただ一人のマルモ・・・・・・・・として扱ってくれた。そんな大人、今までどこにもいなかった。

 思えば、名前を呼ばれたのなんてどのぐらいぶりだろう。私をマルモとそう呼んでくれた子供達は、とっくの昔に全員死んでしまった。

 あの頃は、ただの記号だと思っていた名前。今になって、これだけが自分を示すものだと気付くなんて。


「……う……」


 それに気付いた瞬間、より一層の涙が洪水のように溢れてきた。見つけて貰えた幸せが半分、私に名前をくれた仲間の大切さに気付かなかった後悔が半分。

 私は、愚か者だ。一人の人間として扱われる事が、こんなに幸せな事だったなんて。


「ああ、マルモ、泣かないでくれ。私はお前を泣かせたいんじゃないんだ。お前を笑わせたくて、こんな所まで連れてきたんだ」


 エンデュミオンが困ったように言って立ち上がり、急いで私に近付いてくる。そして自分の服が汚れるのも構わず、泣きじゃくる私を優しく抱き締めてくれた。

 その体温が温かくて、ますます私は泣いてしまう。涙を止めないとエンデュミオンが困ってしまうのに、どうしても止められなかった。


「ひぐっ、ひぐっ……ふえぇ……っ」

「ど、どうしてもっと泣くんだ!? な、何か嫌だったのか!?」

「ちがっ、ちが……うええええっ」


 焦るエンデュミオンに自分の気持ちを伝えたいのに、上手く言葉にならない。それでも抱き締められるのが嫌じゃないのだけは伝わったらしく、エンデュミオンが離れる事はなかった。

 エンデュミオンの手が、恐る恐る私の頭を撫でる。戸惑いが掌から伝わったものの、その感触はとても心地好かった。

 そのまま、私が泣き止むまで、エンデュミオンはずっと私を抱き締めてくれていた――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ