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青い鳥が空を舞うその日まで

 その深い青色はたとえ青い空に飲まれようとも異彩を放つほど鮮やかだった。まさにブルーバードの名にふさわしく、上空を舞う青い鳥にその機体はなろうとしていた。計画はこうだ。ブルーバードのフライトは教皇が市場街からそれをさらに越えて港のある漁師町にまで出向き、庶民に感謝の意を説くという儀式に合わせて執り行われる。


「あのかったるい凱旋式のことね」


 計画の説明にはどこかの廃校から持ち出したという滑車のついた移動式黒板を用いている。物理学の重力加速度を使った計算式や、翼の形状。寸法。それらから見積もられる揚力の大きさ。などなどの設計の走り書きを、ハワードが乱暴に襤褸切れでかき消した後、でかでかとブルーバード計画と書き記す。


「アズナ様ももちろん参加されておりましたよね」

「……初めてを除いて王家の列に参加したことはないわ」


 凱旋式の名目ばかりは立派だが、実態は残酷だ。教皇を乗せた馬車は、護衛の兵士や王族も混じってパレードのごとく長蛇の列となっている。そのパレードが過ぎ去るまで、庶民の者は公道に頭をこすりつけて三つ指を立てる姿勢を崩してはならない。たとえ子供をはらんだ女であろうが、腰のまがった老人であろうが、じっとしていられない小児であろうが、容赦せず剣が振り下ろされる。貴様らがごとき愚民どもに教皇たる私が感謝をしてやっているのだから、表さえあげるな。こんな厚かましい謝礼があって良いものか。結局は支配階級の傲慢さに民が付き合ってやっているだけではないか。


「跪く者の中に大きくお腹の膨らんだ妊婦がいた。子宮に負担のかかる

 土下座の姿勢を強要される折り、内臓が圧迫され妊婦は嘔吐き、悶えはじめ

 耐え切れなくなってその場で吐いてしまった。皆が皆妊婦を気遣い

 医者に運ぼうかと立ち上がったのが行けなかった」


「……あたしの前で妊婦を含む十数人は皆殺しにされた。

 ご丁寧に妊婦のおなかの中の子供にまで、刃を突き刺してね……」


 それがアズナの参加した最初で最後の凱旋式である。凱旋式は影では殺人パレードと揶揄されており、毎回このような理不尽なお裁きによって死者が出る。アズナはこれを阻止せんと凱旋式に王家の列ではなく跪く民衆に混じる形で参加していた。


「凱旋式はそれから、あたしにとって最も警戒するイベントになりました」


「……いつもは強気に啖呵を切っちゃいるけど……嫌なだけなんです。

 目の前でいたずらに人が暴行を受け……

 殺されるのが、見ていられないだけなんです……」


 幼いころにその虐殺現場を見たアズナの胸に、この国の狂い様はトラウマとなって深く刻み込まれた。それを彼女の唇の震えとうるんだ瞳が体現している。


「ならば、この凱旋式を民に自由をとり戻させる革命に

 利用しようではありませんか。支配の瓦解を成功させる儀式には、最もその支配が

 色濃く表れる儀式に合わせるのが望ましい」


「空を飛ぶという支配階級の行為を庶民がやってのける。

 それで民を勇気づけるって……。あんた、それじゃあ民の不満をため込んだ

 火薬庫に火種を投げ入れて傍観するというのがこの革命かい?

 それじゃあ結局は人が殺されちまうよ」


 バレッタの言う通り。このブルーバード計画は、その危険性が最も高い。なにしろ教皇や王族に貴族、魔女や魔導士など支配階級の者と庶民が同じ場所にいるのだ。その場で内戦に発展しかねない。


「栄誉革命を目指すものとして、私もそれは避けたい。

 アズナ様……そこで、あなた様の類まれなる魔術の力を

 お借りしたいと思っている」


「あたしひとりで……、民衆の暴動を止めろと……」

「……媒体を使えば、不可能ではありません。既に手配は済んでおります。

 ライア、仕事はきっちりとやっただろう?」


「この場に魔術を使えるものが、あたいしかいないことをいいことに

 こき使って、いい迷惑だよ……」


 急きょ始まった、新入りを迎えたこの作戦会議に、革命団体の面々は総集結していた。団体とはいっても少人数で、アズナとバレッタを除けばたったの六人。この革命が武力によるものだったとするなら絶望的な人数だ。その中での紅一点であり、澄ましたような冷淡な目つきと、肩を越えるくらいまで伸ばした長いソバージュの髪が特徴的なのがライアという女性だ。年のころは二十代前半。なんと独学で簡単な魔術の一部を施せるまでになったらしい。この世界で魔術に血統は関係なく、道具と素質と努力さえあれば素質に応じるところまでは、使えるようになる。だが、例によって民衆はそんな魔術教育を受けられるはずもない。そんな中で独学したというのはアズナをしても称讃できる。


「遠隔魔術を行える媒体としてラピスラズリを支配階級の者に献上すべく

 大量に用意した。おそらく支配階級のあほどもは何の疑いもなく

 お守りとしてつけるだろうさ。まあ、本当にお守りなんだけどね。

 ったく、なんで虐げられている身のあたいが、こんなことを

 しなきゃなんねえんだか……」


 切れ長の目の中で透き通るように青い目が動く。頬杖をついてため息を吐く。その仕草からものぐさな彼女の性格が読み取れるが、なんだかんだ言って頼まれたことはきっちりこなすというタチらしい。


「ありがとう。ライア……。遠隔魔術を駆使すれば、ひとり分の魔力も

 増幅されるはずだ。アズナ様にはそれを介して結界をパレードの列の

 周りに張り巡らせてほしい」


「あんた、……最初からアズナちゃんを誘う気でいたのかい?」


 民の血が流れることなく革命が成功するというのなら、協力はしたい。そう思うのはバレッタもアズナも同じだ。だがしかし、民に人を殺させないためなら協力をしろという脅迫ともあながち取れなくもないハワードの口振りは、バレッタは少々気に入らないところがあった。


「……バレッタさん、あたしはいいですよ。

 改めて、この革命の一端ありがたく引き受けさせていただきます」

「あ、アズナ……」


 バレッタのアズナを守りたいがための必死なフォローだったが、アズナ自身の発言によってそれは効力を失ってしまった。自らを火中に置くような役回りを進んで受け入れるというアズナに、バレッタは狼狽を隠せない。


「あ、あんた……そんなことしたら、帰る家がなくなっちまうじゃないか」

「帰る家はもう、二度も失いました……。それに……

 この言葉を言うのは口惜しくてたまりませんけれど

 あたしは……、あの城を自分の家と思ったこともありませんし

 教皇を自分の父親だと思ったことも……ありません」


 震え声で話すアズナにライアが流し目を差し向ける。


「……王族の娘のくせに……、あなた苦労をしたのね」

「支配階級の者でありながら、常人の道徳的価値観を持ってっしまったのが

 あたしの不幸の始まり。ただそれだけです……」


「笑っていました……。みんな……妊婦を必死に守ろうと

 囲むようにして逝き倒れた死骸の山を見て……笑っていたんです……

 みんな……み……んな……」


 頬を伝う涙。教皇の娘という支配階級の頂点に立つアズナを、ハワードとバレッタを除くほかは懐疑的な眼差しを向けていたが、その皆の目つきが変わり始めた。ライアが頬杖をつく腕を入れ替えるのと同時に、アズナに向け、真っ直ぐな視線を送りつける。それを皮切りに、皆、アズナに信頼の眼差しを差し向けるようになった。


「ありがとうございます……」


 それに答えるかのようにして、アズナは頭を下げる。


「……これで、アズナ様の意志も固まりました。これで革命に必要な人材も

 揃いました。あとは計画とブルーバードの完成作業を進めるのみ。

 まずはライアが集めたラピスラズリを献上するため、教皇のもとに向かう

 この行程には少なくとも二人が欲しい。一人はライアで異論はないだろうが、

 もうひとりは誰が行く?」


「俺が行こう」


 名乗りを上げたのは先ほど巻尺の測り紐を持って、アズナの頭に不時着した飛行機の飛行距離を測っていた男だ。ハワードよりも背は低いがガタイのいい男で、筋骨隆々とした太くたくましい腕が袖をぴっちりと引き伸ばし、頭には白いバンダナが巻いてある。


「ボルガ、行ってくれるか」

「よし、あとのものは残ってブルーバードの完成に徹してくれ。

 それでは今日は新たなメンバーを迎えた酒宴を開こうではないか」


 ハワードの言葉で会議は終了し、酒宴の準備に取り掛かる。正直言ってアズナもバレッタも夕飯をまだ済ませていなかったため、お腹と背中がひっつきそうなほど空腹だった。やっと食事にありつけると、自分のお腹をさすりながら安堵のため息を漏らすバレッタだったが、彼女の前にハワードが現れ、深く礼をした。バレッタはハワードの行動に何か嫌な予感を感じていたが、見事それは的中することになる。


「あのー……料理……作ってくれません?」

「あたしゃ祝われる立場じゃねえのかよ!」


 結局祝われる立場でありながら、アズナとバレッタは台所に立つことになった。男女比を考えれば、こうなることは予想はついていたのだが、改めてそうなると少し腹が立ってくる。嫌々ながらも、バレッタの手際は良く、アズナが切った野菜を干し肉でだしを取った鍋でぐつぐつと煮込み始める。


「何をつくってるのですか」

「ポトフだよ、ポトフ。それ以外は食材が少なくてできやしない」


 洞窟の中に、石をくみ上げて作られた簡素なかまど。半ば探検隊のビバークのような台所にハワードがやってきた。どうやら酒を取りに来たらしい。冷たい地底の川でキンキンに冷やされたワインやウイスキーの瓶を、しゃがみ込んで指でなぞりながら背中越しに呼びかける。


「ちょっと!勝手にあんたらで酒を飲み始める気かい?」

「ああ、すみませんすみません。酒宴と言ったら光の速さで

 酒を飲むような連中ばかりでして……」


 もう、祝われることは諦めてさっさと料理を済ませて食事にありつこう。そう心に言い聞かせていたそのとき、一本の殻になった酒瓶が、ハワードの背中に向かって勢いよく飛んできた。


「いだっ!」

「は、ハワードさん!大丈夫ですかっ!」


 その場に大の字になって、うつ伏せでへたり込むハワード。慌てて駆け寄るアズナ。


「ひどいじゃないですか、誰ですか!こんなものを投げつけたのは!」


 すると、きつい酒の香りとともにアズナの背後に忍び寄る影が。振り返るとそこには酩酊し真っ赤に色づいた顔で、首をかしげながらしきりにしゃっくりをしているライアの姿があった。どうやらこいつが下手人らしい。


「はやぁく、しゃけもってくぉいって、つってんだよぉ。

 このやさおとこがぁあっ!おい、そこの小娘もだよぉ、

 さっさと酒もってこんかぁい!」

「え……えっと……ライアさん?飲み過ぎですよ」


「いいやあ、底がないのかというほどのウワバミな上、酒癖が悪いので

 決して飲ませるなと言っているのですが、結局こうなりましたか」


 背中に剛速球ならぬ剛速瓶を投げつけられたにもかかわらず、ハワードは何事もなかったかのようにむくりと起き上がる。頭をポリポリとかきむしりながらへらへらと笑っており、顔色一つさえ変えない。ライアの酒乱にはもう慣れっこと言ったところか。


「誰ですか、こいつに酒を飲ませたのは」

「ボルガがよぉ、これ見よがしに目の前で酒をのむきゃらりょぉ。

 あたいだってもう我慢のげんくぁいさね……、酒瓶ぶんどってやったわ」

「訂正、こいつに酒は飲ませるなじゃなくて、こいつの前でこれからは酒飲むなー」


「じゃあ、もう俺たち酒飲めねえじゃねえか!」


 遠くの食卓からボルガの声が聞こえる。どうやらこちらがポトフを仕込んでいるうちに、勝手に他のメンツで一足先の酒宴を始めていたらしい。抜け駆けをされてあまり気分は良くないが、バレッタの声でポトフの仕込みが終わったことが告げられると、そんな些細なことは吹き飛んでいった。


 相も変わらず酒臭い息を吐き出しながら、ライアは食卓の上にでこを引っ付けた状態でううううと唸っている。もうこのまま大人しく寝てくれればいいのだが、ハワードの話だとここからがライアの真骨頂で、どう見てもダウンしているこの状態からまだウイスキーの瓶を一本涸らすほど飲むという。


「おい、しっかりしなふたりとも」


 そしてもうひとり酒にやられて虫の息となっているものがひとり。ボルガだ。


「うぃ~い、ひっく……なんだ、ライア……もう終わりか……」

「ボルガ……お前こそやびぇんじゃねえのか……あたいはまだ

 60パーセントくらいの力しか出してないよ……」


「もう、半分越えてんじゃねえか、俺なんてまぁ~だ30パーセントだよ、ひっく」

「いいや、あたいの残りの40パーセントのほうが、おみゃ~の70パーセントより

 大き~い。おみゃ~の70パーセントの500パーセントくらいはあるわぁ~……」

「うぃ~い、ひっく口だけは言うじゃねえかぁ……なら飲めよ」

「ああ、飲んでやるさ。やってやろうじゃないのよ……」


 ボルガとライアは、互いのグラスに互いの酒を注ぎ、それを一思いに喉に流し込む。それもウイスキーという度数の比較的高い酒だ。どうやらこちらが食卓につくまでに、勝手に飲んでいたのがこのふたりの飲み比べに発展したらしい。


「こりゃ、こいつらの食事はいらないね……」


 バレッタが呆れて、ボルガとライアの分の料理を取り下げ、それをアズナとハワードのところへ配膳する。つづいて自分のところと残りの三人のところに。


「いっただきまーす」


「いたぁらきやぅす~」

「いだだきまふもふ~」


 元気な掛け声に続いて間の抜けた呂律の回っていない掛け声が二声。こうしてやっと夕飯が始まった。食べ物はポトフとパンだけで酒宴とはお世辞には言えない。だが、成人年齢を越えているアズナ以外の皆にはグラスに酒が注がれている。ボルガとライアは、相も変わらずぶつくさとくだをまきながら、ウイスキーの飲み比べをしているが、他の者はワインを嗜んでいる。


「さて、そう言えばまだ紹介していないメンバーがふたりいましたね」


「どうも、ヴィンセントです。街の教会で司祭をやっておりました」


 この革命団体はほとんどが二十代前半の者。おそらく酒の味を覚えて数えるほどの年月しか経っていないものの集まりだ。ヴィンセントも若く、司祭という肩書には到底見えない。しゃらりと音を立てる左眼にかけたモノクルが彼のトレードマークだ。


「教会と言っても、僕が付近の民衆のために勝手に作ったもので、

 十字架があるだけの汚い小屋ですがね……」


 くすりと鼻にかけた笑み。ハワードと気質は似ているがどこか異質だ。そしてもうひとり、若い者が先ほどの飛行機の飛行距離を測るくだりで巻尺の本体の方を持っていた男だ。


「おいらの名前は、ドミニク。呼びにくいから愛称のドクを使うと良い。

 メカニックをやっているからその愛称のほうがこっちも分かりやすい」


 ドミニク、通称ドク。ハワードとともにブルーバードの設計および製作に主に当っている。仕事の分担はハワードが原案し、それをドクが手を加えながら修正し、製図を行う。力仕事が主となる工程では、腕っぷしが自慢のボルガが手伝う。その他の根回しや事前交渉、細かい作業にライアやヴィンセントが入るといった形だ。そして、もうひとり最後に忘れてはならないのが、この若い衆において、ひとりだけ平均年齢を吊り上げている初老の人物。


「そしてやはりわしが最後か。こんなかでは老いぼれだが革命では最も重荷を

 任されていてね。新政府総統という誠におこがましい立ち位置だ」


 新政府総統。つまりは教皇が王位を退いた後に、政を行う身だ。教皇が王位を追われれば国の頭がいなくなる。すぐさま混乱を治める政府がいなければ、教皇が玉座に座していたときよりもさらに国が荒廃してしまうだろう。それを防ぐために、政治のスペシャリストたる人物が必要だった。そして、この人物は市場町の者ならば誰もが知る人物だった。


「アズナ様以前にもお会いしたことがありますね。

 市場町の町長を務めている、クラウガだ……」

「ちょ……町長……」



 *****



 夕食が終わると、ハワードは残りのワインを嗜みながら、ランタンを持って澄んだ水を蓄える深い青色の地底湖を眺めていた。食糧庫からくすねた干し肉も少々つまみながら、ひとりきりの静けさに耽っていたところに、アズナが現れる。


「……ハワードさん、隣いいですか」

「これはこれはアズナ様……、あ、お飲み物は?」


「大丈夫です、紅茶持ってきましたから。ハワードさんこそ

 酔い覚ましにいかがですか?」

「まだ大丈夫さ」


 そうは言うものの、ハワードの顔は酒気を帯びて紅く色づいている。ハワードとはまだほとんど初対面の上、酒を口にしたことのないアズナは、酔い加減というものが分からない。だが、本人がまだきちんと回っている舌でそういうのなら、おそらく問題はないのだろう。紅茶を入れた真鍮製のタンブラーを片手に、ハワードの隣にアズナは体育座りをする。本当に湖岸線の近くで服の裾が濡れてしまうかと思うくらいだ。


「何かお話があるのですか……、アズナ様」

「ちょっと気になっただけ。こんな馬鹿げた国をひっくり返すなんて

 馬鹿なことを考える人が……、どんな人なのか。

 それから、アズナ様なんて呼ばないで。もう王家を追われた身よ。

 それに革命家が古くくだらない支配階級への敬意を払うのはがらじゃないわ」


「ふっ、随分と気持ちいいことを言ってくれますね。

 あなたを見限った教皇様を見限りたい気分ですよ」

「もうとっくに見限っているんでしょ?新政府として町長を抱き込んだんですから」

「革命をしようと人を集めたのは町長です。私はその一端を請け負っただけです」


 てっきりハワードが革命を掲げて人を募ったのかと思えば、発端は町長のクラウガだというハワードの発言に、アズナは少し驚く。とはいってもクラウガ自体は、計画にはあまり関わっておらず、ただ国を変えるということをはじめに提唱したということらしい。ハワードはクラウガの誘いに迷うことなく乗ったのだという。


「どうして革命をしようと?」

「……可愛い甥か姪が生まれるはずだったんです……

 歳の離れた姉が十二年前の凱旋式で身ごもった子供とともに惨殺されました」


 それがハワードに革命を決意させたきっかけなのだという。だがアズナは奇妙な一致に気づいた。十二年前とは、忘れもしない自分の目の前で妊婦が惨殺されたあの凱旋式と同じではないか。


「……そ、それって……」

「……ええ、そうです……」


 互いに断言はしていないが、もはや確信となってしまった。どう言葉をかけていいかわからなかった。確かに自分は幼かった。凱旋式の実態もこの国の狂い様も、対抗するための魔術も、何もかもすべてを知る前だった。それでもアズナは自分の無力さに居直ることなどできなかった。だからと言ってなんと言えばいいのだろうか。目の前で振り下ろされて血に染まり、白刃が凶刃へと変わっていくその様を、恐れおののいて傍観するしかなかった自分は、なんと言えばいいのだろうか。分らなかった。


「……ごめ……んなさい、……ごめんなさい……」

「謝らないでください。あなたを憎むつもりはありませんから。

 むしろ探していたんです。心優しいあなたのことを」

「……えっ……」


 憎んでいると思っていた。恨みつらみを言われるかと思っていた。あまりにも想像とは違ったハワードの言葉に、アズナは間の抜けた声を出してしまう。


「あの一件のあと、教皇と大喧嘩して折檻を喰らったそうですね。

 それから毎日のように折檻折檻で、街では王族きっての問題児だなんて

 ささやかれてね……、でも何となくわかったんです」


「あなたは心優しいがゆえに、折檻を受けていたのだと」

「変わり者ね。支配階級の頂点だったあたしに、そんな想いを抱くなんて

 ……ちょっと夢見過ぎじゃないかしら」


「ははは、夢を見ない革命家はいませんよ」

「それもそうね」


 互いに互いを笑うとともに、お互いを信頼のまなざしで見つめる。


「あなたに抱いていた誤解が少し解けたわ」

「私も安心しました。私があなたに抱いた夢が正夢であったことに」


「そう?こんな気の強いじゃじゃ馬を夢に見るなんて物好きね」

「物好きとか変わり者とかあなたに言われたくないですよ」


 そこでまたふたりは笑った。もとより口のうまいところのある者同士。言い得て妙な言い回しが互いのツボに触る。


「ねぇ……なんで、革命と空を飛ぶことが結びついたの?」

「それも少年の頃からの夢でしたからね。海まで歩いて

 空を飛ぶ鳥たちを眺めるのが好きでした。海猫の声に耳を澄ましたり……。

 ああ、自分もこの大空を自由に飛べたらいいのになぁって、

 そのまま個人的な願望を、無理くり組み込んだんですよ。

 笑いたきゃ笑って構いませんよ。自分でも子供っぽいと思っていますから」

「うん、子供っぽい」


「……、そこまであからさまに言われると傷つくなあ……」


 額に手を当てて困り顔をつくって見せるハワード。


「でも、悪い意味じゃないよ。

 ハワードさんは、栄誉ある血なんてないということを

 理解している……。空を鳥のように飛ぶ方が、人を殺すことなんかよりも

 ずっと素直に、称えることができる。

 それはきっといい意味で子供っぽいから。

 まっすぐで純粋で、子供から大人まで夢とわかる夢を

 あなたは追いかけて……実現させようとしている」

「ふっ、褒めても何も出ませんよ」

「そんな意図で言ったんじゃないわ」


 ふてくされるハワードに、アズナはふくれっ面を差し向ける。するとおもむろにハワードはランタンの灯を吹き消してしまった。突然真っ暗になる洞窟の中。狼狽するアズナにハワードはこう言った。


「空を見てください。星が綺麗ですよ」


 何を世迷言をと思って、騙されるように洞窟の真っ暗な天井を見上げた。何も見えないのっぺりな黒を塗りつぶした闇が見えるだろうと思ったが、アズナの目に飛び込んできたのは、ハワードが言う通りの無数の星が瞬く星空だった。


「……す、すごい……綺麗……」


 期待していなかった満天の星空に、思わず声が漏れる。だがここは紛れもなく洞窟の中だ。ランタンがついていたときはただの鍾乳石の岩肌だったというのに、なぜ、星空がそれも視界いっぱいに広がっているのだろうか。種明かしは、ハワードの口からされることになる。


「グローワームですよ。ツチボタルとも言いますがね。

 綺麗ですが、本体はただの蛆虫です」

「……聞かなきゃよかった」


「じゃあ、今は忘れてください。グローワームは大変珍しい生物で

 この光っているものは、餌となる蛾などを捕らえるためのもので、

 チョウチンアンコウのチョウチンにあたるようなものです。

 光の粒は、粘液の鎖でつながっていて暖簾のように天井から垂れ下がっています。

 でも捕食者を謳歌できるのは幼虫時代のみで成虫になると

 交尾をするだけのウスバカゲロウのごとく儚い存在に……」

「忘れさせる気ないよね!思いっきり生態説明してるよね!」


 せっかくの幻想的な光景も、ハワードの種明かしによって素直に見れなくなってしまった。目を凝らしてみれば、確かに星空とは違って数珠つなぎになった光のすだれの一本一本が見えてくる。さらに目を凝らすとうねうねと動く気持ち悪い毛虫がうごめいているのが浮かび上がってきそうなのでやめた。諦めて、これは星空だと自分に言い聞かせて、その綺麗さを素直に楽しむことにした。


「……ねぇ、ハワードさん」

「なんだ?」


「いろいろとあなたにお礼を言いたくなった。助けてくれたことも

 ここに迎え入れてくれたことも」

「私の方こそあなたが計画に参加してくれたことに心から礼を言いたいよ」


「でもいいんですか?もし、この革命が失敗に終わったら

 あなたは私を恨むことになりますよ」

「そうね、じゃあ、青い鳥が空を舞うその日まで」


 その星空を掴もうとするかのように暗闇の中でふたりは口先から飛んで行った言葉を掴んで胸元に引き戻す。互いが互いの姿を確認できないほどの闇の中、ふたりの動きは共鳴し、息を合わせる。そして、天井を彩る星空のタペストリーに向かって呟いた。


「この胸に取っておくよ」

「この胸に取っておきましょう」


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