liberté
暴動の中心人物は農具や工具を持った者たち、武器を持ち合わせていなかった商人たちは、野次を飛ばす側に回る。その声にはやし立てられるがまま、教皇を守る兵士たちのもとへ向かってハンマーを振りかざして走りこむ鍛冶屋。その前に、緋色のローブを着た少女が現れ、これを片手で差し止めて見せた。それと息を合わせて支配階級の胸元に煌めく、ラピスラズリの青く透き通った光。光の壁が凱旋パレードの列を覆い、巨大かつ強力な結界が現れた。結界に阻まれて、民は思わず後ずさりをする。近づけない。壁に実体はなく、向こう側の様子も見えているが、分厚い氷の壁のごとく、中に攻撃を与えることができない。攻撃を阻まれた鍛冶屋の男は、緋色のローブの少女に向かって、苛立ちと憤りを露わにする。
「ふざけるなっ!これ以上、理不尽な差別なんて沢山だ!
そこをどけ!殺すんだ!殺すんだよ!今まで悪戯に俺たちを
殺してきた、薄汚いお前たちをなぁああっ!」
「武器を捨ててください」
荒々しく唾を吐き捨てる男に、凛とした少女の声が。先ほどまで殺していた気迫が、ローブの中からどくどくと脈を打つように溢れ出すのを感じ、鍛冶屋の男はさらにに三歩、後ずさり。だがそれでも、完全に降参するわけには行かず、ハンマーを握りしめる拳に青筋を走らせる。
「……武器を捨ててください。それを振り下ろせば、あなたたちも
地に落ちてしまいます。あなた方から大切なものを
奪い続けてきた、あたしたちのように……」
少女は、男の前でローブを取り、そのたおやかな金色の髪を日輪のもと振り乱した。
「……あ、アズナ……。おまえ……」
現れた娘の姿に、教皇は目を血走らせる。まだこの娘は抗うのか。この国を治めてきた理に。まだ抗うのか。この父に。憤る教皇を前に、アズナは自分の本来の身分より、はるか下であるはずの鍛冶屋の男に向かって、深々と頭を下げる。
「奪われ続けたあなたたちが、奪う側になっては、
また奪われるものが増えるだけです。
同じ苦しみを誰かに与えるということは、自分と同じ惨めな存在に
誰かを貶めたいということ。報復。復讐。そんな言葉は栄誉になんかなりません。
だから、捨ててください……。その手に持った武器を」
同じ王族の身でありながら、己より身分が下の者に頭を下げる。これ以上の屈辱があるだろうか。ついに怒りのままに、浅ましくも教皇は怒号を浴びせる。
「この王である私に何度泥を塗るつもりかっ!この馬鹿娘がぁ!
こんな王家でありながら、薄汚れた衣を身にまとった
娘の言うことを聞くのか!さすがは地を這いつくばるしか脳のない、
こ汚いねずみどもの低俗な脳味噌だ」
「殺されたくなければ、もとの姿に直れ!
地面に額をこすりつけろ!自らの所業を泣き喚いて詫びろ!」
だが、その浅ましい叫びに。聖職者としての尊厳、いや人間としての尊厳を失った小物の叫びに耳を貸すものはいなかった。奥歯を噛みしめ、もうひとつ声を上げる。
「なんだ、殺されたいのかっ!」
「殺せばいい」
弱弱しくなってしまった声を叩き落とすかのようにして、アズナの力強いアルトボイスが響き渡る。思わず教皇は、蛇に睨まれた蛙のように脚をすくませた。なおも蛇は、蛙を威嚇する。
「ここで、凱旋式の理に逆らい、面を上げている者すべてを
殺せばいい。そうして自分の気に入らないもの全て捻りつぶして
ひとりきりになってしまえばいい」
蛙は腰を抜かして、地面に尻餅をつき、蛇が睨みを利かせるだけで後ずさりをし始めた。もう自ら玉座から転げ落ちたということにすら気付かず、蛙はげこげこと空しい叫びを上げる。
「ええいっ!生意気な!皆殺しにしろ!兵士どもよ!魔女どもよ!
私の言うことが聞けぬのか!動かぬのなら、殺せ!
私の命令を受けていながら動けずにいるものを殺せ!
全てだ!全て殺せ!殺されたくないなら動け!私の命ずるがままに動け!
泣き喚け、歯向かうな!屈服しろ!
どうした、どうしたぁあっ!早く、早く動かんかぁあっ!」
浅ましい声が響き渡った。何とも無様だ。そんな支配階級の頂点の哀れな姿を見下ろし、青い鳥は空を離れようとしていた。もう限界が近づいている。高度が下がりきってしまう前に着陸に移らなければ地面に激突し、死は免れない。ハワードは少し焦る気持ちを押さえながら、舵の向きを変えようとしたその瞬間だった。
「うっ!」
右ひざに走る鋭い痛み、矢のように鋭いものが刺さって、血がしたたり落ちている。あまりにもの突然のこの事態に、機体は大きくバランスを崩し、大きく高度を失った。
目に見えて分かってしまった、青い鳥の負傷。アズナは我を忘れて急降下するそれに向かって大きな声を上げた。
「は、ハワードさぁああああんっ!」
その一瞬の隙を教皇は見逃さなかった。たとえ、自分に付き従う兵士がいなくとも、見せつけてやればいい。この私に歯向かえばどうなるかを。矯正催眠。アズナの心をへし折り、屈服させるための邪悪な魔力を右手に込めて、それをアズナの後頭部に目がけて放とうか構えた。その右手を引っ掴む少女。その少女は、アズナのよく知る唯一の友人だった。
「やめてくださいっ!」
「あ、アイリスっ!」
思っても見ない助太刀に、アズナは驚きを隠せない。そして、さらに驚いたことには、アイリスの瞳には、かつてのアズナが知っていた引っ込み思案な彼女などどこにもいないかの如く真っ直ぐと澄んでいたのだ。
「それでも教皇ですか、自らを守る兵にも、自らの国を支える民にも
あなたは何も与えようとせず、ただただ屈服だけを浅ましく希う。
それでもあなたは、この国の父ですか。
この人の……、アズナの父ですかっ!」
声も力強い。内気な性格が蓋をしていた、彼女の本当の強さが産声を上げたかのようだった。自分を慕ってくれる唯一の同年代の理解者として、彼女を守ってあげたいと思っていたアズナ。それが今この瞬間、一種の頼もしささえ感じるのだった。
「……貴様には関係ないだろ!これは親子の問題だっ!」
「いいえ、国の父の問題とあらば、国に住まう身として助言いたします。
……お引き取り願えますか」
そして、この一瞬で完全に頭が昇り、右手に込めていた魔力も風にまみれて抜けてしまった教皇。再び、力のない蛙となり、地面に尻餅をつき、げこげこと空しい声で鳴く。今や二匹に増えてしまった蛇の前で。
げこげこげこ。げこげこげこ。
「さきにこの小娘を殺せっ!どうした!殺さないのか!あはははは。
王が!王が命じた相手を殺さずして……ははは…ははははは……。
だ、だれを……ははははははははは、誰を殺す、あははははは……。
誰を殺すと、あはははは。言うのだね、あははははは……はははは」
もはや、自嘲に任せて身体の全身が痙攣するように笑ってしまう。教皇の視界の中で自らを睨み付ける蛇は、ネズミ算のように増えて行った。鼓動が脈打つのが異様に速くなり、息がつまり、呼吸ができなくなる。そのまま教皇は腹を抱えて、不甲斐ない自分を笑ったまま、気を失ってしまった。
それとともに、クラウガの立っていた建物の屋上にバレッタが現れる。なぜかその顔はひどく疲労している。まるで突貫工事でもやらされたかのような顔だ。そして、クラウガとともに建物の壁面に、皆から見えるほど馬鹿でかい垂れ幕を垂らした。そこには、崩れ去る壁とともにでかでかとこう書かれていた。
"liberté(自由)"
民衆はどよめいた。支配階級の者もそれに続いて歓声を上げる。
そんな喧騒に敗北を読み取り、路地裏でふてくされて笑うヴィンセント。彼の右手には青い鳥を射抜いたボウガンが握られている。激しい取っ組み合いの中一瞬の隙をついてボルガの鳩尾にヴィンセントの膝が突き刺さった。ボルガがあえいでいる隙に、ヴィンセントはボウガンを構え、青い鳥を射抜いたのだ。だが教皇が玉座から、転げ落ちた今、それを称えてくれる者はどこにもいない。
「……、僕の負けだ。ハワードの仇として殺せばいい。
最後にあなた方の革命を汚して死ねるなら、僕はそれがいい」
自嘲を交えながら、武器を捨て、その場に膝を折ってへたり込むヴィンセント。自分が仕えていた教皇の惨状を見て、戦意を喪失したのだろう。殺してくれと要求するも、ボルガはそんな安い挑発に乗るつもりはなかった。
「……、断る」
その言葉を聞いて、ヴィンセントは懐に隠し持っていた薬瓶に詰め込んだ草を食んだ。すぐさま口の中に手を突っ込みそれを掻き出そうとするボルガの手を噛み、同時に草を飲み込んだ。ヴィンセントは、もがき苦しみ、泡を吐いて倒れたのだった。彼が中身を口の中に流し込んだ薬瓶が地面に転がる。彼がクラウガに服用させようとしたトリカブトだった。
(ボルガ、大丈夫か)
ライアの通信が入る。撃ち落とされた青い鳥の居場所が分かったという。
「ああ、わかった」
そう返事して、ボルガはその場を後にした。
*****
市場街を少し外れた小高い丘の上の牧場。牧草を詰め込んで発酵させて貯蔵しておくサイロの屋根が大きく崩れて穴が開いていた。よく目を凝らしてみると屋根から青い鳥の亡骸と思わしき部分がはみ出ている。間違いない、あの場所だ。
アズナは、革命に喜びを上げる街を背に、息を切らしてこの場所までひた走った。いち早く彼の無事を確認するため。結界を張るために使っていた魔力を、すぐさま彼を探すために移したのだった。
「ハワード、ハワードさんっ!」
木造のサイロは屋根から外壁に至るまで大きく崩れており、半壊といっても過言ではない状態だった。牧草があたりに散らばり、牧場独特の匂いが鼻を刺す。特にサイロの中で発酵途中の牧草は匂いが強く、思わずむせ返ってしまいそうだ。だが、そんなことを気にしてはいられない。アズナは半壊したサイロの中に、崩れた壁の穴から入る。すると、そこに彼はいた。牧草に埋もれながら、目を閉じて倒れている。
「ハワードさん!無事ですかっ!」
呼びかけると彼は、ううと唸った。幸いにもやわらかい牧草が衝撃を和らげてくれていたようだ。彼はもうろうとする意識の中で記憶を探るようにして、瞳をぎこちなく動かし、自らの現在と過去をかろうじてつなぎ合わせた。
「……、アズナ……。終わったのか……。勝ったのか……」
「……ええ、青い鳥は空を飛んだのよ」
アズナの返事に、唇を噛みしめ、牧草に仰向けになって寝転がる。屋根に開いた大穴から見える空と、殉職したブルーバード。ふたつの青を視界にハワードは熱い河を瞳から流して笑った。
「そうか……。良かった……。私は……、生きている」
「生きて、生きているぞぉ!」
かすれた声で叫びながら、ベッドではしゃぐ子供のように身体をぐるぐると回転させるハワード。そんな彼の姿をアズナは、慈愛に満ちた微笑みで眺める。
「ふっ……、興ざめでもしたか。革命に成功したと思ったら
こんな臭い匂いまみれの私に……」
その微笑みはハワードには、からかっているかのように捉えられたらしい。いや、それとも彼がアズナをからかっているだけなのか。どっちにしろ、腑に落ちないアズナは、頬を膨らませ、乱暴にも起き上がりかけた彼を牧草に押し倒した。
「……あたしは、気にしないですよ。そんなこと……。
とっておいた続きでもしますか」
妖艶に微笑みあうふたり。折り重なる身体の距離が近づいていく。
「あ~あ~あ、ふたりしてお熱いの見ちゃったわよ」
だが、その唇は重なることはなく、女の声に差し止められた。顔を真っ赤にして、崩れた穴から覗き込む見物人に、すっかり冷めてしまった表情を差し向けるふたり。そこにはふたりのやり取りを食い入るようにして覗き込んでいたボルガとライア、ドクがいた。皆が皆、にんまりとしたり顔を浮かべている。
「おい、続きしろよ。見てっからよ」
「ハワードの理性が抑えられなくなったなら、あたいが止めてやんよ」
もちろんそう囃し立てられては、興も覚めてしまう。互いに目を背けながら、身体にまとわりついた牧草を叩き落とすと、落胆のため息が三人の口から漏れた。
「なんでい、いいじゃねえか。もうバレちまってんだからよ」
つまらないと声を漏らすボルガに、ハワードはふてくされたように笑う。
「少し、もったいなくなってしまいましてね」
「じゃあ、いつまで"取っておく"んだい?」
ドクが、アズナとハワードの間で合言葉となっていた取っておくという表現を発すると再びふたりのときが止まってしまう。ふたりが鏡を合わせたように間抜けな顔をするものだがら、三人は腹を抱えてけらけらと笑う。
「……いつから、見ていたんだ?」
「ツチボタルの天井の下のときから」
「ほとんど全部じゃないですか……」
「ああ、あたいも、いい目の保養になったよ」
あっけらかんとした口ぶりですべて見ていたという三人。ふたりのなで肩がさらにずり落ちる。ふたりは、半壊したサイロを出て、青々とした草原に並んで立ち、生まれ変わった国に降り注ぐ陽の光を仰ぎ見る。そう、もう革命は終わったのだ。
「もう馬鹿らしいな……取っておくのも」
「そうね……」
その栄誉を称えるかのような光に包まれて、そっとふたつの唇が重ねられる。祝福の鐘が遠くの教会から鳴り響いた。
新しい国の産声を祝ったものか。
ふたりを祝福してのものか。
どちらかと言えば、間違いなく前者なのであろうが、両方とも正解ということにしておこう。唇が離れ、ふたりがもう一度空を見上げると、小さな羽を目いっぱいに伸ばして、一羽のオオルリがさえずりながら飛んでいた。
本物の、青い鳥が。




