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剣と魔法の国

 空には箒にまたがった魔女たちが飛び回る。唐突に何をと思われるかもしれないが、これはこの世界の空ではごく当たり前の光景だ。魔女や魔導士たちが空を飛び、地面に這いつくばる民を見下ろす。これは彼らによって民が奴隷のように扱われ、支配されていることの象徴。無力な民は皆、その空をただただ仰ぎ見ることしかできず、自身の凄惨な境遇を享受するしかない。


 ここは剣と魔法を治める者たちが、民を虐げている世界。


 何の罪もない少女が、魔女だ魔女だと囃し立てられて、鋼鉄の処女と称される内側に鋭いとげのついた金属の器に押し込められたり、生身で火あぶりにされたりしたのとは、ちょうど逆の世界だ。



 その世界の空を、白い綿菓子のような雲が風に流れる空を、ひとりの魔女が箒にまたがって空を飛んでいた。魔術をかければ、それが人を乗せて易々と浮き上がるほどの力で飛び回る。でもそれがなぜ、箒にかけられたのかは分らない。ただ、魔女というものは、慣習的に箒にまたがって空を飛ぶものだ。そんな形骸的な習わしが代々伝わって、少女もまた箒にまたがって空を飛んでいた。


「ふぁ~あ……」


 まだ太陽も登り切っていないような早朝。少女があくびをして思いっきり背伸びをすると勢い余って箒の上でバランスを崩す。


 まったく、誰がこんな不安定なものにまたがって

 空を飛ぶなどという習わしを思いついたんだか。

 もっと安定性のあるものを乗り物に選べばいいものを。


 心の中で悪態をつく。口に出せば、独り言でも誰かが雲に紛れて聞いていたらおしまいだ。そんな問題発言をすれば、この国を治める教皇の前に突き出される。もっとも、少女にとっては教皇など畏敬の念を捧げる相手ではない。相手をすることが阿保らしく面倒くさい愚君とさえ思っている。だがもし、これを口外に出せば、いくら支配階級の魔女である少女自身もおとがめなしというわけにはいかないので、それも心中にとどめておく。



 早朝の夜の闇と陽の紅の織りなすペイルブルーの雲を突っ切ると、目下には鮮やかな日干し煉瓦で彩られた町が。教皇の住まう城を取り囲む城下町は、だだっ広い壁で囲まれており、中には貴族や魔導士たち、国を守る剣士たちが住んでいる。それを抜けてさらに外側に、民衆の暮らす市場街というものが見えてくる。


「よぅし、今日は早く着くかも」


 少女は朝早くにこの市場街に出かけるのが日課だ。目的は薬の調合に使う生薬の仕入れ。薬売りが店じまいを朝早いうちにしてしまうわけではないが、珍しいものや質の良いものはすぐに買い手がついてしまう。少女はそれを逃したくなくて、毎朝寝ぼけ眼で箒にまたがるのだ。



 市場街の一角に降り立つ少女。やっと太陽が顔を出したぐらいの時刻から早くも露天商は賑わっている。フードのついた緋色のローブは、支配階級である身の上を隠すためのもの。しかし、支配階級のものが、市場街に出ても何ら問題はなく、むしろ日常茶飯事のことだ。支配階級とは言えど、下々の者から税を取り立てねば、ないしは、下々の者がつくりしものを買わねば、自らの暮らしを成り立たせられない。


 ならばどうして、少女はその身の上を隠すのか。


 支配階級として見られることが嫌いだからだ。民から税をむしり取り、民が汗水をたらしてつくった品物を唾を吐きつけて二束三文で買い占める。そんな厚顔無恥も甚だしい所業を平気で繰り返す彼らと同じ次元に並べられることが。自らを虐げる支配階級のものだと恐れられることも居心地が悪い。そして何よりも、少女には、この世界にはびこる差別というものがすこぶる気に入らない。


 ローブの胸元から、錆びついた鎖につながれた懐中時計を取り出し、時刻を確認する。朝の六時。こんな早くから市場街はこの盛況ぶり。道という道に露天商が御座を敷き、客を寄せるために鈴やドラを鳴らしたりしてどんちゃん騒ぎ。囃し立てる声と、上りかけの朝陽が漁師町の競りをも彷彿とさせる。


「……相も変わらず、早いなー。ここの朝は……」


 庶民風情を装うためにわざと使っている錆びた鎖の懐中時計。端正な顎の下に伸びる首元には、赤茶けた錆の跡がついてしまっており、少し金属かぶれも起こして皮膚が赤く色づいている。自分は、瞼をぴくぴくとさせながら、それが閉じないように踏ん張っているというのに。ここの皆はよくも威勢のいい声を出せるものだと、呆れているやら尊敬しているやらのため息をあくびに溶かすと、背後から声をかけられた。


「おはようさん」


 少女の周りを覆っていた眠気の霧がさあっと引くのと同時に、肩がびくりと跳ねあがる。そして、両の掌を組んでまるで木の実を抱える小動物のような恰好でくるりと振り返る。そこには、失礼ながら特徴を表わすために言うが、丸々と太った中年の女が。皺が少々寄りながらも、肉がついているのが肌のハリを保たせているらしいその顔は、人の好さそうな微笑みを満面に浮かべている。いかにも気のいいおばちゃんといった具合だ。


「おふぁようございます……、バレッタさん……」

「相変わらず、柄にも似合わない早起きね。あなたの知り合いさんは

 皆まだ夢の中でしょ?それに……」


「あたしの本当の身分を使えば、露天商の者が店をたたんだ後で、

 その者の家を、直接脅し立ててやればいい。

 瞼をこすって目やにをとりながら、こんなところに並ばなくて済む……。

 でもあたしは、そういうの嫌いなんです。

 あたしは皆と対等に暮らしたいの。みーんなが早起きしているなら、

 あたしだって同じように早起きしてやるわ」


 少女の言葉に、バレッタはやれやれと言った様子で微笑む。バレッタとこの少女は毎朝のように顔を合わせる顔なじみの仲のようだ。


「はぁ……、あんたのような気丈な奴なら、どうぞ独裁でも

 やってくれていいんだけどね」

「あんまりそんなこと言っていると支配階級の人たちがやってきますよ。

 あたし以外の人に聞かれでもしたら、刃を差し向けられても

 文句は言えないんですから……」

「こんな朝早くに活動しているのは、あんたみたいな物好きだけよ」


 バレッタが言う言葉は本当だ。市場街がこの朝早い時間帯に盛況するのは、支配階級の者たちがまだ寝静まっている早朝だからこそ道にどっかと御座や風呂敷を広げて露天商ができるからだ。陽が昇りきり、八時か九時を過ぎれば、地方からの献上物をはこぶ馬車や、治安維持と称して徘徊する兵士たちが道を歩き出す。そのときになって、今のように店を広げていたのでは、誰彼かまわず店の者の首を跳ねたところで、誰も文句を言えない。そんな中でいつまで店を開いて客を集めるか、いつ店をたたむか。テナントのない露天商はそのせめぎ合いだ。


 とはいっても、時刻はまだ6時を過ぎたところ。まだまだ露天商の書き入れ時かと思えた。だがしかし、ぱからぱからと石畳に蹄鉄を打ち付ける音が響いてきたのである。それに気づいた露天商の者どもは急いで店をたたみ始める。少女とバレッタが並んでいた薬屋も同じだ。買いたいのは山々だが、客も手伝って店をたたみ始める。馬車には護衛兵がついている。馬車の進行を妨げでもしたら、護衛兵の腰に携えた鞘から抜身の刃が引き抜かれることになる。


 それは、薬屋の二軒隣の果物屋だった。思ってもみない早くの馬車のお出ましに慌ててしまったのか、商品の果物を転がしてしまったのだ。道端に転がる林檎や、洋ナシを慌てて拾おうとする果物屋の店主。だが、空しくも道路にごろごろと勢いよく転がった果物に馬はその足並みを止めて、いなないた。すぐ横につきまとう護衛兵のまたがる馬は、鞍に乗せた主の憤りを表わすかのように荒い鼻息を立てている。


 果物屋の店主は地面に頭をがりごりと音がするくらいにこすりつけて、詫びた。それを詰る冷徹な眼差しが、馬とそれにまたがる護衛兵から差し向けられる。馬車の御者も冷ややかな目を差し向ける。この世界では、地方からの献上品を運ぶのは、兵士たちの仕事であり、御者はとくに馬の扱いに長けた人物が務めることになっている。兵士たちは、魔女や魔術師、貴族王族よりは下ではあるものの、市場街の民衆からすれば支配階級の者だ。


 馬から護衛兵が降り立ち、土下座をして詫びる果物屋の店主の様子を、鼻にかけた笑みで嘲笑いながら口上を述べる。


「汝よ。これは国を治める教皇がために献上されし、神聖たる

 清めを受けた絹の法衣なるぞ。汝何をもってしてこれを阻まんと。

 否、如何なる理由があろうとも、これを阻みしは許すまじ」


 腰に携えた鞘から、ぎらりと光る剣を引き抜いて、その刃先で果物屋の顎を引き上げ、その顔を睨み付ける。鋭く尖った剣先が皮膚にあたり、じんわりと血が滲みだす。


「故に、汝が命をして、教皇のもとに首を突き出してこそ

 詫びを入れてもらおうぞ」


 馬車の通行の邪魔をし、献上物の到着を遅らせた罪を、ご丁寧にもここで口上を述べて罪人を斬首することで裁こうとする。常人の良識を以って考えれば、そんなお裁きは放っておいて献上物を教皇に届けるのが先だろう。だが悲しいかな。この世界の支配階級にそんな常人は存在しない。このまま、果物屋の店主の首は跳ねられて、教皇の前に突き出されるというのか。何とも理不尽な話だ。

 奥歯をギリリと噛みしめ、拳を握りしめるバレッタ。ところがここで彼女はあることに気づく。隣にいたはずのフード付きの緋色のローブを着た少女が姿を消していたのだ。少女はどこに消えたのか。それを気にする間もなく、いよいよ刃は果物屋の首に向かって振り下ろされようとしていた。


 朝陽の光を反射して、光る汚れた剣。

 それが風とこすれて音を立てる。

 そして、罪人の首元に届かんとしたそのときだった。



 何か固い、金属同士がぶつかり合うような音が鳴り、護衛兵の持つ刃はその斬撃を阻まれたのだ。護衛兵は自分の目を疑った。果物屋の店主もまた、まるで狐につままれたような顔をしている。無理もない。刃を受け止めていたのは、あの緋色のローブを着た少女の右手だったのだから。


「……お、お前……魔女か。支配階級の者が、愚民に手を下すのを

 何を以って邪魔立てすると申すか」


 そして、さらに驚くべきことが。少女は、刃を引っ掴んでそのまま、まるで小枝をそうするかのように、剣先をぽきりと折ってしまったのだ。これには、護衛兵も果物屋の店主も呆気にとられて口をポカンと開けてしまう。


「あなたこそ何を以って、こんななまくらを携えているの?

 仮にも教皇を守る兵士じゃなくって?」


「こんな鈍で事足りるのは、もとより無抵抗な庶民をいたぶるだけの

 汚れた剣だから。戦のために使う剣は、状態が悪くならないように

 別で使い分けている。だからあたし程度の魔力で砕け散る。違うくて?」


 剣を失った上に、自分が携えている剣が鎬を削り合うような戦では全く役に立たない刀身の脆い鈍であったことを見破られ、護衛兵はいら立ちを露わにする。


「ええい、兵士より上の立場をいいことに、一端の魔女がつけあがりおって!

 お前を、献上物の遅延の責として、首を跳ねてくれるわっ!」


「もう、剣ならさっき折ったわよ」


「……、あ……」


 ここでもう一度刃先が折れて無くなってしまっている無様な己の鈍を二度見。いら立ちの青筋が、徐々に焦りの鳥肌へと変わっていき、冷たい汗を皮膚がかき始める。


「それに、あたしは一端なんかじゃないわ」


 少女はそこでフードを脱いで、自らの顔を露わにする。艶やかな金色の、肩口まで伸ばした髪。どこまでもまっすぐ透き通っていて、眼力の鋭い蒼い瞳。目鼻立ちの整った端正で気品あふれる顔立ちから、彼女の品位が読み取れる。そして、追い打ちをかけるようにローブの右袖に隠していた紋章の刻まれた腕輪を護衛兵に見せつける。


 国鳥であるフクロウの紋章の刻まれた腕輪だ。



「あたしの名前は、アズナ=アスタニスラス。

 教皇クロード=アスタニスラスの第三子にして、

 由緒正しきルイーズ魔術高等学校の門下生であるぞ」




 *****



 教皇に献上するはずの法衣が定刻通りに届かない。これを大変に不届きな事態として、手の甲に青筋を走らせ、玉座の肘掛けを爪でカリカリとこするのは当の教皇本人。クロード=アスタニスラス。彼もまた由緒正しきルイーズ魔術高等学校にて魔術を治めた門下生。王家の血筋を引く者は皆、その学び舎で魔術を治めるのだ。そして王家の皆は皆、崇められるべく存在として、成績優秀でなければならない。


 クロードは優秀だった。


 そして優秀な彼は今、甚大な問題を抱えている。着用している法衣は、経年で黄ばんでいる。神聖な教皇の、神聖たる象徴である法衣のくすみは、すなわち王家の真っ白な御旗を汚すこととなる。これはゆゆしき事態だ。なんとしても八時の定刻の朝の謁見に間に合わせなければならない。


 朝の謁見は毎朝行われる大事な儀式だ。教皇の座る、今も指をカツカツといら立ちのままに肘掛けに打ち付ける玉座の鎮座する謁見の間から、貴族たちの住まう城下町に向かって突き出たバルコニーに向かい、眩いばかりに白く輝く法衣を身にまとい貴族たちから喝采をもってして出迎えられなければならない。そして、台本通りの形骸的な口上を述べる。これが一日の中でも、教皇の支配者の象徴としての自分を見せつける、もっとも重要な公務なのだ。


「まだか……。法衣はまだか……」


 時刻は六時半を過ぎて十分ほど。

 法衣が到着する定刻を過ぎて十分ほど。


「教皇様、ただいま献上の荷が参りました」


 謁見の間の扉が勢いよく開かれる様子から、護衛兵の焦りようが見て取れる。教皇の苛立ち様は削れて剥がれてしまった、肘掛けの金箔からまざまざと伝わってくる。護衛兵は、ささくれた金箔に己の喉をごくりと鳴らし、咳払い。呼吸を整えた後、法衣よりも先に教皇の憤りをなだめさせる供物を捧げる。緋色のローブをまとった少女アズナが自ら教皇の前に跪き、そして口を開いた。


「申し訳ありません。教皇様の法衣が積荷であるとは知らずに

 馬車を引き留めてしまったことを、誠に深くお詫びいたします」


 落ち着いた表情のない口調からは、反省の意よりも形骸的な口上を述べる無の感情が読み取れる。少女の姿を見て、教皇クロードは額に掌を押し当てて大きくため息をつく。


「また、そなたの仕業か。前にもこんなことがあったな……。

 アズナよ、我が娘ながらその所業にはほとほと呆れ果てる」


 前にもこんなことと言ったのは、つい二か月ほど前に、ある貴族の長者が祝賀会のためにある酪農家にチーズを献上するよう頼んでいた。だがわずか数日で数百人分のものを用意しろという至極理不尽な要求。それもその酪農家は規模も小さく、乳牛の頭数も限られている。半ば最初から無理だとも思いつつも酪農家は支配階級の要請だからと渋々受けたのだ。熟成期間の比較的短いモッツァレラを夜通しで3日間寝る間も惜しんで作り続けたが、わずかに数量が足りないまま期日を迎えた。酪農家は土下座し、地面にこすりつけて間に合わなかったことを詫び、せめて今できている分だけでも献上すると述べた。しかし、貴族の長者は、衛兵にこの酪農家の頭を踏みつけるよう指示し、動けなくさせた上で別の衛兵にあろうことか、献上品のモッツァレラを牛糞を堆肥用に溜めていた肥溜めにぶち込むように命じたのだ。

 ここに、アズナは牛乳を買いに来ていた。彼女はこの酪農家の常連で、たまに酪農家の作業を手伝ったりもし、互いに親しい仲であった。彼女はこの貴族の所業を許せなかった。憤る感情をのままに酪農家の頭を踏んづけていた衛兵の脚をすくい取り、転倒させ、肥溜めにはモッツァレラではなく、衛兵がぶち込まれた。そして献上されるはずだったモッツァレラを飢えていた民に分けて回ったのだ。


 アズナの行動は、酪農家や市場町の庶民には称賛された。だが面白くないのは支配階級の者。衛兵の顔に泥どころか糞を塗った彼女に、教皇に取り入って二週間の監禁をさせたのだ。支配階級が奴隷たる庶民に如何なる所業をしたとしても、それを見逃すどころか加担するべきというのが、この国の理。それからたった二か月。監禁が解かれてから考えれば一か月強ののちにこの体たらくだ。教皇は、回想の後にもう一つため息を付け加える。


「そなたは、なぜ王家の血を引きながら、それに泥を塗るマネをする。

 そなたを除いて私の血を引く者は皆、優秀だというのに」


 優秀というのは、ルイーズ魔術高等学校での成績を意味する。アズナの成績は、王家の者ならば常に頂点であってしかるべきものが底辺であった。


「……深く己の愚行を悔いております。謹んで自戒を申し上げいたします」


 アズナは、俯いたまま見えぬように歯を食いしばった後に口上を続けた。教皇は立ち上がり、俯けたアズナの、朝陽を反射するたおやかな頭髪を見下ろし、唾を吐きつけるかのようにして、こう言った。



「貴様は、王家を勘当だ」



 アズナは、親として子である自分を捨てるという教皇の言葉に、顔を上げ、かつての父であった冷淡な表情を浮かべる顔を上目づかいで仰ぎ見る。


「媚びているのか」

「いいえ、許しを請うつもりはございません」


 妙に落ち着いたアルトボイスでそう返し、膝をはらってすくっと立ち上がる。


「それでは娘として、教皇様に最後の口答えを申し上げいたします」

「……、勝手にしろ」


「民を軽んずれば、いずれ国は死に絶えます。

 教皇様に献上されし法衣も、民が紡ぐ絹でできております。

 これが滅べば、あなたも民と同じくボロ切れを身にまとうこととなるでしょう。

 このまま支配階級としておごり高ぶり、いたずらに民衆の怒りを

 買い続けることが王族の務めだというのなら、私めはそんなもの。

 王家アスタニスラスの名前など、喜んで捨てさせていただきます」


 王家を追われる身に自ら進んでなるという意思を込めて、先ほど護衛兵に向かって見せつけていた国鳥のフクロウの紋章の入った腕輪を教皇に返上する。それを受け取った教皇は、ブロンズでできた銅像のように動けなくなっていた。だが、決してアズナに魔法をかけられたわけではない。そんなことは彼の額に噴きだす冷汗を見ればわかること。


 振り返らずして、謁見の間を去るアズナの後ろ姿に向かって手を伸ばそうとするも、それさえも敵わないほど彼は狼狽していた。彼女が地面に頭をこすりつけて懇願する様を、浅ましくも彼は望んでいたのだろう。


「……教皇様……。アズナ様をいかがなさいますか?」


 献上品を届けに来た護衛兵が尋ねる。教皇は顔を俯け、怒りに肩を震わせて、法衣を待っていたときと同じように、手の甲に青筋を走らせる。


「……一度泳がせてから見つけ次第、連れ戻せ……」


「あのような聞かん坊には、もはや手段を選ばぬ……。

 この手で矯正催眠を施し……、あの邪悪な意思を摘み取ってくれるわ」


 眼は、口と同じように悪魔のようにひん剥かれ、父親どころか半ば人間にも見えない。それどころか神聖な教皇にはとても思えないような形相で、言葉の間に荒い息を混じらせる。そしてそのすべての怒りを握りつぶしてから拳を開く。深呼吸をし、自らの取り乱しを抑え込む。


「では、法衣を見せよ」


 時刻は七時になろうとしていた。そろそろ、朝の謁見に向けて着替えと色直しをしなければならない。



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