悪役令嬢は病弱設定
私は6歳の時、転んで頭をぶつけて前世の記憶を思い出した。実にありきたりで、この世界は中世ファンタジー風乙女ゲームの舞台、そっくりそのままだったのだ。
――――何故そうだと分かったのか、理由は単純明快で、私自身が乙女ゲームのライバルキャラ、悪役令嬢『テレシア・エルメリンス』だったからだ。記憶を思い出して、自分の名前で嫌な予感がして、鏡を見て、前世から現世の間通じて、初めて自分の顔を見て叫んだ。……それはもう、テレシアの面影しかなかった、私の顔は。
幸いだったのは、まだ6歳のテレシアは、ゲームのように傲慢で意地が悪い女ではなかったことだ。むしろ、人より少し身体が弱くであまり外へ遊びに行った記憶が無い。記憶を思い出した今では、だからこそ他人と交流することが少なく、わがままになった節があるとも思える。
さて、そんな悪役令嬢に転生した私には、勿論のことながらありきたりな破滅エンドが用意されている。当然だけど、そんなのはごめんだ。小説とかでは、破滅フラグ回避とか、裏で色々工作したりとか、そういうのを読んだことがある。
では、私もそうすれば良いのでは?
……確かに、それも方法の一つだ。
しかし、今ここに重大な問題が一つ発生している。
前世の記憶を思い出した今、テレシアの人格は完全に前世の私になってしまった。
――――前世の私は、それはもう面倒なことが大嫌いだった。
そんな私が今考えているのは「わざわざ、今は知りもしないキャラのせいで、被る可能性が高い被害の回避に、労力を注がなければならないのか?」ということである。確かに、前世ではそれなりに好きだった乙女ゲームだ。ただし、ここは現実だ。私の人生をそんなことに使いたくない。
……私が主人公サイドのキャラに転生していたら、もっと考えようもあったかもしれないけど。生憎私は悪役令嬢だ。
考えるまでもなく、一番リスクが低い選択肢を選ぶことが最善。
つまり、舞台に上がらないという選択を私は選んだ。
▽
テレシア・エルメリンスは病弱である。
幼い頃から人より身体が弱めで、あまり社交の場に出ていなかったが、成長してからそれに拍車がかかった。社交の場に出ることは無く、いつ容体が悪くなるか分からない為、家で大人しくしているらしい。本来なら郊外で療養に努めるべきだが、公爵家の長女であるためそれも難しく、今はほんの一部の人間としか関わっていない。
――――というのが、16歳になった私の設定だ。
そしてそれから一年経ち、今は17歳。
「まあお嬢様の場合、ただの引きこもりですが」と、私付きの侍女に冷ややかに言われるけど、気にしない。断じてニートではない。幼い頃は人より体が少し弱かったのは本当だし、今でも軟弱だという自覚はある。なので、二割ぐらいは本当だ。
……ただ、ちょっと風邪をひいたり体調を崩した時に大袈裟に寝込んだり、仮病をたくさん使って、周りの心証操作をしただけだ。幸いにもこの世界の医療はたかだか知れているので、バレたことは一度も無い。おかげで周りからの評価はすっかり『病弱令嬢』だ。
そんな私は学校にも通わず、今でも家でだらだらしている。とても平和な日々だ。
この世界では15歳から18歳の三年間、貴族は学園に通わなければならない。この、学園というのは、教養を深めるのが主な目的で、日本の高校のような側面と大学のような側面がある。週の7割は高校のようにクラスで授業『通常授業』を受けて、残りの3割は大学のように自分で好きな授業を選んで大講義室で授業『特別授業』を受ける。学園は18歳で卒業だが、20歳までは後者のみであれば授業を受けることが許されている。
私は一応、学園に在籍だけしている。一応というのは、実際のところ学校に通うと倒れた時に何かあったら困るので、家で家庭教師に勉強を教えてもらっているからだ。……といっても、大学を出ている私にとってはどれもこれも簡単なものばかりだった。家庭教師もびっくりなスピードで勉強が進む。なので、特別勉強することもない。それより、マナーや貴族として必要なあれこれを覚える方が大変だった。
病弱設定を覆さない程度には色々やってきてるし、何より前世の知識がある。私はそれなりにちゃんとした令嬢である、と自己評価している。
こんな感じで、今日はすることもなくベッドでゴロゴロしていると、ドアがノックされた。
「お嬢様、ただいま帰りました。」
「いいよー入ってー」
「失礼します……って、こんな時間からベッドに寝転がって、はしたないですよ」
「いいのいいの」
私にお小言を言ってくるのは、私と同い年の侍女『リンダ』だ。私に引きこもりなんて言ってくる、侍女にしては失礼な子だけど、とても優しくていつも私のことを想って行動してくれていることを知っている。私には側近の侍女、騎士が一人ずついて、彼らの前では私は普通のテレシアとして振る舞っている。立場上難しいけれど、友人のような関係でありたいと思っているのは内緒だ。
「今日は学校どうだった?」
このままだとまたお説教されそうなので、さり気無く話題を変えた。
「どうって……いつも通りですよ」
「そっか。男爵令嬢は?」
「男を侍らせてますね」
リンダの直球な言い方に思わず笑ってしまった。
今日は特に興味深いこともなかったようで、学校の話題はそれで終了。リンダは着替えるからと部屋を出ていった。
私の希望で、リンダは侍女だけど学園に通っている。一応、元の身分は男爵家だから通っても問題ない。彼女には学びの才があると私は踏んでいるので、是非とも学園で学を深めてほしかった。というのもあるし、私に尽してくれるのはいいけど、少しでも普通の女の子の生活を送ってほしかった、というのもある。
勿論、本人も周りも難色を示していたので、「私、学園に通えないから……リンダから、学園の話を聞きたいのです。駄目かしら?……少しでも、学園に通う気分が味わいたくて……」と涙ながらに言ったら通った。やったね。今は、リンダは生家の名を借り、男爵令嬢として学園に通っている。
私の内心はともかく、一応表向きはそういうことになっているので、こうしてリンダは学園での生活を私に報告してくれているのだ。
―――そして、これが思わぬ収穫を生んだ。
リンダが学園に通い始めて一年経ったある日、彼女こう言ったのだ。「クラスに男爵令嬢の転入生がやってきた」と。
ああ、そういえばゲームが始まる時になっていたのだと、忘れかけていた当初の目的を思い出した。男爵令嬢である主人公は転入生として学園に入学し、第二王子や宰相の息子、騎士団長の息子などなどと身分違いの恋愛をする。ちょうど、今がその転入の時期なのだろう。
折角だから悪役令嬢がいない物語はどうなるのかと、時たまさり気無くリンダに主人公のことを聞いていたら、これまたびっくり。主人公は次々と国の要人の息子――つまりは攻略キャラ――を落としているらしい。無自覚なのか自覚があるのかは知らないけど、話を聞く限り逆ハーエンド一直線だ。邪魔をする悪役令嬢もいないことだし、トントン拍子に進むのではないだろうか。
あくまで他人事なので、私はそう楽観的に捉えていた。
▽
「お嬢様、大変だ」
そろそろ肌が冷える季節になってきた頃、私の側近の騎士『ルイス』が真剣な面持ちで私にそう言ってきた。
リンダの授業中は、こうしてルイスが傍に居るし、騎士だけど執事のように世話もしてくれる。三歳年上だけあって頼れる、有能な男だ。
そして私は相変わらず。この頃になると、自分でも少しニートだと認めざるを得ないような生活をしていた。家庭教師に教えて貰えることを全部教えてもらってしまったから、やることが全くなくなったのだ。
今日の夕飯は何かなあなんて考えながら、ルイスに向き合う。
「何が大変なの?」
「リンダが――――嫌がらせをされているかもしれない」
その言葉を聞いた瞬間、私の頭が切り替わった。ニート……じゃない、自宅警備員ではなく、公爵令嬢の頭に。
「それは、どういうこと?」
「実は―――……」
ルイスの話を総括すると、こうだった。
ここ二週間、リンダの様子がおかしいこと。ルイスが聞いてもなにも答えてくれないが、鞄からちらりとボロボロになった教科書が見えたこと。ずぶ濡れで帰ってきて、運悪く水やりの水がかかってしまったと言っていたこと。その他挙動不審なこと。さすがに誤魔化せなくなってきて、リンダがルイスに「何故か私が例の男爵令嬢に嫌がらせをしていることになっていて、彼女の取り巻きが自分に嫌がらせをしてくる」と言ったこと。ちなみに、「お嬢様には言わないでほしい」と口止めもされたこと。
私はこの話を聞いて、どういうことか大方予想がついた。と同時に、自分の愚かさに後悔した。
「それは、男爵令嬢が絡んでる。間違いない」
「やっぱりお嬢様もそう思うか?」
私はよくある転生をしたのに、忘れていた。ほら、よくある展開であるじゃない。―――悪役令嬢が嫌がらせをせず、痺れを切らしたヒロインが自作自演。
なんの因果か、不幸にもリンダが生贄に選ばれたのではないだろうか。
予想だが、これは確信と言うに近かった。
「ルイス」
「はい」
「明日、学園に行きましょう」
私の心は決まった。リンダがこうなったのは、物語の舞台へ上がることを放棄した私のせいだ。責任を取らなければならない。それ以上に、私の大事な人を傷付けられたことが許せない。リンダは、私が守ってみせる。
生きていて16年間、初めて、外に能動的に動き始めた瞬間だった。
―――自作自演をしたヒロインは、「ざまぁ」され、舞台から引きずり降ろされるのが定石。もちろん、よくある展開の、話だけどね?
▽
ルイスは念のために特別授業のみで学園に在籍、私も学園に在籍はしているので、ひとまず特別授業の時間帯に学園に行くことにした。勿論、私は変装をして。ルイスもリンダも、私の付き人だから他の貴族に知られることは殆どない。そして私は謎に包まれた病弱令嬢だ。私に関してはいきなり通常授業に参加しても目立つだけなので、色んな人がごちゃごちゃしている特別授業が適切だということになった。
悪役令嬢キャラなだけあり目立つ見た目をしているので、平凡に見えるように化粧を施して、お忍び用に作られた一日用の髪染め剤を髪に馴染ませた。こうして私の見た目は、どこにでもいる令嬢そのもの。
まずは、リンダと男爵令嬢の事実確認からだ。
リンダが通学してからしばらく、特別授業の時間になって、私とルイスは学園へ向かった。……勿論、家族には内緒である。
馬車で20分程揺られて、学園に着いた。
「貴族は全員通うだけあって、大きいわね」
お外なので、公爵令嬢スタイルで行く。気を抜かないことは大事だ。ちなみに、初めて学園の敷地に足を踏み入れる。
「ああ、そうだな」
リンダが今日どの授業を取っているか、何故か男爵令嬢たちも同じ授業を取っていることはリサーチ済みなので、授業開始数分前に教室に入る。一番後ろで、それでいて彼らの様子がよく見える席へ座った。彼らはゲームのままの姿なので、現世で一度も見たことがなくてもすぐ分かったのが幸いだ。
ほどなくして授業が始まる。
簡単すぎて眠かったので、私は授業中ずっと彼らの観察をしていた。どうやら、授業中は静かに授業を受けているらしい。まだ常識は残っているのだろうか――――
――――と思っていた時期が私にもありました。
「おい、リィに嫌がらせをするのもいい加減にしろ」
「私は何も知りません」
「先程の授業のあと、リィの鞄からボロボロになった教科書が見つかった。どうせお前だろう」
いやいやいや、いつそんな暇があったの?
さっきまでずっとリンダは授業受けていたでしょう?お前の目は節穴か?
前世騒いでいたキャラだけど……校舎裏で、冤罪でいたいけな少女を問い詰めてる姿を見たら、百年の恋も冷めるレベルだ。というか、こんなのが第二王子というのも信じがたい。ちなみに、リィというのは男爵令嬢の愛称だ。
今すぐにでも後ろから蹴り飛ばしたい衝動を堪えて、私とルイスは草むらに潜んでいる。屋敷の人が見たら卒倒するだろう。
「あいつ……蹴り飛ばしてやりたいな」
ぼそっと隣のルイスが呟いている。私たち、同じ気持ちだね、安心したよ。
そうして怒りを抑えながら潜んでいると、「次は無いと思え」と第二王子が去っていき、リンダも教室に戻っていった。二人の気配が完全に消えて、そろそろ私たちも帰ろうかと思っていた時だった。
「あーほんと!あの女ってばしぶとい!」
なんと、独り言をぶつぶつ言いながら男爵令嬢が通りがかったのだ。
「あの女はクラン様の婚約者じゃないし、そもそも学園にはいないし、適当な女でイベント済ませようとおもったけど……これでうまくいくのかな……まあ、最後までやるしかないけど」
私たちに気付くことなく、通り過ぎていく。
「あー……なるほどね」
「お嬢様?」
「ルイス、帰りましょう。作戦会議よ」
男爵令嬢はどうやら記憶を持っているようだ。そうであるなら、あとは簡単だ。彼女はゲーム通りイベントを起こすだろうから、そこを潰すだけ。
―――そういえば、ゲームだと私ってあの第二王子の婚約者だった。すっかり忘れてたよ。婚約前に病弱設定付け始めていたから婚約話は上がったけど無くなったので、よく考えたらこの辺りからもうゲームの筋書は狂っていたのかもしれない。第二王子の婚約者なんて、こっちから願い下げだけど。
家に帰ってから作戦会議をし、ひとまず、証拠集めのためにルイスには聖夜祭まで毎日学園に行ってもらうことになった。―――聖夜祭、前世で言うクリスマスパーティーのようなもの。学園を上げてパーティーが行われるが、第二王子ルートと逆ハールートではそこで悪役令嬢の断罪イベントが起こる。第二王子ルートでは婚約破棄のおまけ付き。今回は後者で起こる断罪イベントだろうから、悪役令嬢の社会的評価を下げ、彼らを周りの人間に認めさせる効果を生じさせるためのものになる。
とにかく、男爵令嬢の言い草から察するに、聖夜祭の二週間前に階段から突き落とされる自演をし、そして予定通り断罪イベントを起こすのだろう。日付が分かっているのがありがたい。
いつもは憂鬱なアレも、リンダの為だと思えば、今回ばかりは助かったという気持ちでいっぱいだ。
▽
聖夜祭当日。
リンダを見送ってから、私は準備に取り掛かった。
私の瞳と同じ青色のドレス。銀色の髪の毛は結い上げて、大粒のサファイアのイヤリングとネックレスをした。出来る限り、原作のテレシアを思い出して作ってもらったもの。
どうしてもと親にお願いして、両親は社交の場に娘を行かせたかったと思っていたこともあり、なんとか今日の聖夜祭に参加できることになった。ただ、一時間で帰って来るように言われている。……そのためにこんな豪華なドレスと装飾品を用意してくれるのだから、少しだけ親に申し訳ない気持ちになった。ごめんね、娘がニートで。
会場に着くと、もう既にパーティーが始まったあとだった。私はまだ会場に入らず、先にルイスを入らす。そうして待っていると、ルイスが私の元へ戻ってきた。
「男爵令嬢がリンダにぶつかった。そろそろだ」
「分かったわ」
ルイスに付いて会場の中を覗き込む。
真ん中に人だかりができていて、人の怒鳴り声が聞こえてきた。
「お前、このような場でどういうつもりだ!」
第二王子って癇癪持ち?そんなに怒鳴り散らして、周りにどう見られてるのか分かっているのだろうか。
「知りません。そちらの方が私にぶつかってきただけです」
「そんな……リンダさん、酷い……私、同じ男爵家の人間だから、リンダさんとお友達になりたくて……ひっく」
「リィ、泣かないで下さい。あんなひどい女と友達にならなくても良いでしょう」
「そうだよ。どう見てもリィと釣り合わない」
取り巻きたちはリンダのことを良いように言ってくれてるようで、どうやらリンダのバックに私たち公爵家がいることは知らないらしい。少し位調べれば分かることなのに。ああ、戦闘意欲が高まっていく。
「リンダ・ベルツ!リィへの数々の嫌がらせ、知らないとは言わせないぞ。今謝罪するなら許してやる!」
上から目線に腹が立つ。リンダが謝る必要なんてない。
「ルイス、行きましょう」
「ああ。お嬢様」
私とルイスは、人だかりへと向かった。
「これは一体何の騒ぎですか?!」
わざとらしくルイスがそう言うと、こちらに視線が集まり、ほどなくしてざわざわと会場がざわめいた。
あれは誰だ?という声が聞こえてくる。
「リンダ……!このような場で、どうしたのですか!?」
「おっお嬢様!?何故ここに!!」
黙ってたから当然だが、リンダは本気で驚いている。
「最近体調が良かったから、今日はお父様とお母様に頼み込んで参加させて頂くことにしたの。一時間だけ、って言われてしまったけれど。……失礼致しました。私はテレシア・エルメリンスですわ。私の侍女――リンダがどうかしたのですか?」
「は……?侍女?」
取り巻きたちはぽかんとしている。間抜け面。
「私、身体が弱くて、残念なことに学園に通えなくて……だから、リンダに通ってもらって、学園の様子をたくさん教えて貰っていましたの。ベッドで寝てばかりだから、それ位しか楽しみがなくって……ごほっ」
「お嬢様、無理なさらないで下さい」
ルイスに支えられながら、そっと目を伏せる。野次馬たちから、「あれが噂の……」「病弱というのは本当だったんだな。あんなに色白で、日に当たってないに違いない」など声が聞こえてくる。掴みは上々らしい。
「では貴女に言わせて頂こう、テレシア嬢。貴女の侍女が、こちらの令嬢に嫌がらせをしていたようだが?」
「まあ……!リンダがそのようなことをするはず、ありませんわ!失礼ですが、証拠はありますの?」
「証人ならいる」
まさか、被害者とか言わないよね、この人たち。
「被害者のリィがそう言っている――何よりの証拠ですね」
いや、馬鹿としか言いようがない。宰相の息子さんよ、そんなことでは、この先宰相なんて務まらないと思うけれど。
「では、証拠は無いと」
「だからリィが」
「被害者の証言は証拠にはなりませんわ。司法長官の息子の貴方ならお分かりになるのではないですか?」
司法長官――日本で言う最高裁の裁判長のようなもの――の息子がぐっと黙る。
「で、でも、私本当に……!」
彼らに守られるようにして、男爵令嬢はさめざめと泣いている。……口元、笑ってますよ?
茶番を続けるのもいいけれど、そろそろ最後のカードを切ろう。こちらもリンダの身内だから、あまり長引くと発言を疑われるかもしれない。
「ではお聞きしてもよろしいですか?一番最近、されたことで何か酷いこと、記憶に残っていることはありますか?」
あくまで優しく、男爵令嬢に問いかける。
「えっと、あの……か、階段から突き落とされて……私……」
「リィ、思い出すと辛いだろう」
騎士団長の息子が男爵令嬢の背中をさすっているが、気にしない。
「それはいつのことか、覚えていますか?」
「に、二週間前です……!」
「それは間違いない、ということでよろしい?」
「私からも言わせてもらおう。間違いない。」
「なら、彼女の発言は嘘ですわね」
本当に二週間前に起こったようで良かった。まあ、男爵令嬢は馬鹿だから何も考えずにやるだろうと思ったけれど。
「どうして嘘だと言い切れる!」
はいはい、殿下はそう怒らない。
「ええ、リンダと私は、お茶会に呼ばれて参加していましたから。その日は学校に行ってませんわ」
「お茶会とは?」
宰相の息子が聞いてくる。
……………とても、とても言いたくない。
言いたくないあまり一瞬押し黙ると、その隙に相手方が騒ぎ始めた。
「ああ、そうだ。先程証拠は無いと言ったが、リィが突き落とされた現場にはこれが落ちていた」
「それはお嬢様から頂いたブローチ!」
あっ、リンダが反応しちゃったよ……私のものですと言っているようなものだ。しかも、犯行現場に落ちていたものを。
司法長官の息子はドヤ顔でブローチを掲げている。先程、証拠はないかと聞いたときに出さなかった時点で、頭の回転はお察しだろうけど。
「それをどうしたのですか!?まさか、盗っ……」
「でたらめを言うな!お前がリィを突き落とした時に落としたのだろう!失礼だが、貴女の発言はこいつを庇っているようにしか聞こえないな。その茶会とやらが何かをきちんと言わないのも、本当は存在しないからじゃないか?」
本当にこの人たちは好き勝手言ってくれる。
言いたくないけど、仕方ないか――――
――――腹を括った、その時だった。
「派手にやっているな?醜聞を広めるだけだぞ」
「兄上!?何故此処に……」
「何故って、テレシアが久しく社交の場にいると聞いたものでな」
……どうして、ここにこの人がいるんだ?もしかして茶番の観劇でもしに来たのだろうか。それなら納得だ。私の名前を出したことには忌々しさを感じるけれど。
「なあ、テレシア?それにリンダ、ルイスも。二週間ぶりだな」
「お久しぶりですわ――――殿下」
嫌味の一つでも言ってやりたかったが、今の私は病弱令嬢。ぐっと堪えて、殿下――この国の第一王子、フォルカー様に挨拶をした。
「先程からお前たちの茶番は見ていたが、リンダがちょうど二週間前学園に来ていなかったというのは本当だ。なんせ、王妃が主催する個人的な茶会に、テレシアと共に呼ばれていたからな」
「なっ……」
「国に誓っても良い。俺もだし王妃もだし、使用人も彼らの姿を見ていただろう。……つまり、その女は嘘を言っているということだな」
冷たい目で、殿下は男爵令嬢を見る。
「階段から突き落とされたのは私の、勘違いだったかもしれません……!でも、他のことだって…フォルカー様は、私のこと信じて下さいませんか?」
潤んだ瞳で殿下のことを見上げる。男爵令嬢は意外としぶとかった。
「ああ、その件だが――ルイス」
「はい」
え?なんでここにルイス?
「お前も調べたか」
「そうですね。ここ数週間だけですが……結論だけ申し上げますと、彼女の自作自演かと」
「そうだな。こちらも同じ見解だ。
――ということだ、分かったか」
「兄上!どういうことですか!」
まるでそれで解決した風にいある殿下に、第二王子が詰め寄る。
「テレシアの命でルイスが、俺の命で俺の部下が、そこにいる令嬢の行動を調べていたが、自分で自分の教科書を切り刻んだり、水を被ったり、奇怪な行動をしていたぞ?」
「まさか、リィがそんなことするはずがありません!」
恋は盲目とはこのことだ。
彼らは完全に気付いていない、男爵令嬢――可愛い可愛いヒロインの化けの皮が剥がれかかっていることに。
殿下に詰め寄る取り巻きたちから少し離れて、彼女は俯いていた。口元は小さく動いていて、ぶつぶつと何かを呟いている。
私は、そんな彼女にそっと近づいた。
「どうしてファンディスクキャラの王子が私のことを疑ってるの……どうして……どうして……」
何を言っているかは聞こえないが、「どうして」と繰り返していることは分かった。……もう、終わりにしよう。
「ねえ、ヒロインさん」
彼女にしか聞こえないように、そっと呟くと、彼女が目を見開いてこっちを見る。
「貴女の敗因は、悪役令嬢イベントに固執しすぎたことね……リンダに手を出さなければ、私は永遠に出てこなかったのに」
「っ!お前!!」
顔を真っ赤にした男爵令嬢に掴みかかられて、私は大袈裟に尻餅をついた。
「きゃあ!」
悲鳴を上げると、ルイスが男爵令嬢を取り押さえる。
「お前も転生者か!私の邪魔をして!!許さないんだから!!」
「黙れ。―――お嬢様、大丈夫か」
「ごほっ…だ、大丈夫ですわ……ごほっごほっ、少しびっくりしただけよ」
「お嬢様、無理なさらないで下さい」
リンダに背中をさすられる。ちなみに、今のは本物の咳だ。演技ではない。勢いよく尻餅をつきすぎて、咳込んでしまった。これだから軟弱な身体は、と思う。
「大丈夫ですか?と声をかけようとしたら、急に掴みかかられて……」
あのあと大丈夫ですか?と声をかけていたかもしれないので、嘘は言っていない。肩を震わせて、怯えてるようにふるまった。
「嘘!この女が悪役なのよ!!」
ヒロインはまだ喚いている。五月蠅い。
「おい、その女を連れていけ。―――お前たちもこれで分かっただろう。少し頭を冷やせ」
殿下は近くにいた兵士に指示をして、ヒロインは退場となった。最後まで叫んでいたが、意外とあっけなかった。
それよりも、面倒なのは取り巻きの方だ。彼女が連れていかれたことに対して、文句を言っている。先程、彼女の醜い様子を見たはずだというのに。ここまでくると可哀想だ。
「どうして兄上がそのような権限を……!相手はたかが侍女でしょう!」
そうだそうだ、と第二王子にその他も同調する。
―――――ん?待てよ?
なんだか嫌な予感がする。
「あのっ私、」
まずい、と思い声を発したが、既に時遅し。
「決まっているだろう。リンダは俺の婚約者の侍女だからだ。それに、俺の婚約者を突き飛ばし、数々の謂れのない暴言を吐いた。捕えるには十分な理由だ」
会場がざわりと大きく揺れて、してやられた、と思った。
「なあ、テレシア」
騒然とする会場中、にやりと笑ってこちらへ歩み寄ってくる男が、今は憎らしくて仕方ない。
「……その件は何度もお断りしているはずですが」
「母上も茶会に呼ぶ位お前のことを気に入っているし、お前の両親も、お前が良いと言うなら、と言っている。あとはお前だけだ。―――まあ、公衆の面前で宣言すれば、もう後には引けないだろう?」
「性悪」
「なんとでも言え。早々に処理できた害虫をここまで泳がせて、ようやくお前を表に引き出せたからな」
「リンダのことも見て見ぬ振りをしていたということですか」
「リンダの教科書や私物は俺が補填したし、身体的な害をもたらす奴らは予めこちらで処理しておいたし、目立たないできる限りのことはしたぞ?お前の大事な侍女だからな」
……ちゃんとしているところに、腹が立つ。
―――公爵家という十分な身分と、家庭教師が両親に私の学力について褒めちぎったのが始まりだった。病弱ながら賢く、貴族としてのマナーもなっていると、参加した数少ない社交の場で王妃に気に入られてしまったのだ。
それから何故か殿下にも目を付けられ、今に至る。
病弱だからと婚約を断ろうとしても、何を言っても、ちょっと本性を見せても、殿下は引き下がらない。
ついには、決まってないのに、婚約者とか言い出した。一応、婚約者になるかもしれないレベルなので、こんなことを言ってしまっては、婚約するも同然の意味合いになってしまう。
「さあ、帰ろうか。お姫様」
強引で自信に溢れている、この男が、私は苦手だ。けれど、ここまできたら諦めるしかない。……私は、面倒事が嫌いなのだ。
「絶対、後悔しますよ?」
苦し紛れにそう言って、私は殿下の手を取った。
―――ヒロインを舞台から降ろすつもりが、どうやら悪役令嬢の方が舞台に引きずり上げられていたらしい。
ヒロインも取り巻きたちも、この後何らかの罰は受けることになりましたとさ。めでたし、といった感じです。勢いで書いたので少々粗めでした。すみません。