5月
「会長って最高だな。特等席で体育祭を眺めていられる」
慌ただしく走り回る体育祭役員を見遣りながら呟く。生徒会会長と副会長は校庭の真向かいに本部代表として席を用意され、特にすることもなくただ静かに座っている。各委員会を取り纏める運営の本部とは言うものの、開会式での会長挨拶を終えてしまえば当日は何もすることがない。はっきり言って暇だ。
「準備で散々働いた分の役得ですかね」
照りつける日差しに対して眩しそうに目を細めて俺の呟きに答えたのは、隣に座っている副会長である島田。特段嬉しそうでも楽しそうでもなく淡々とした彼の表情からは相変わらず感情が読めない。関わってからもう1年を過ぎたが、この後輩はよく分からない。と思いつつ、同じく彼の同期で書記を務めるもう一人の後輩を思い浮かべてみたもの、そちらもかなりの淡白さだった。そういう世代なのだろうか。
「隣に座ってくれるのはお前よりも河野の方が良かったんだけど」
「それについては激しく同意します」
「言うようになったな。なんでお前が副会長なんだよ」
「それは河野が嫌だと言ったんだからしょうがないでしょう」
噂をすれば、だろうか。我が生徒会書記の河野の姿を視界の中に捉える。いつの間にか競技場が整い、次の種目である短距離走が始まろうとしていた。流行りのJ-POPとともに気合い十分の放送委員がアナウンスをする。
「河野の専門は長距離だったとはいえ元陸上部ですからね。速いですよ」
「言われるまでもなく知っている」
と大人気もなく張り合ってみたり。
「にしても小柄だな。やはり」
河野は周りの男子と比べて頭一つ分は小さい。おそらくラグビー部であろう生徒が隣にいるのもあって、筋肉の付き方からしても余計に小さく見える。
「体型のハンデさえなければ学年選抜のリレーにも出ていたでしょうね」
「もったいないな。うちの高校にも陸上部作るか」
「毎月の部長会で起こる運動部のグラウンド争奪戦を解決してからにしてください」
「冗談だよ」
いくら生徒会長とはいえ、勝手に自分が入りもしない部活を立ち上げる権限はない。……ただ河野が喜ぶ姿を見たい、とは思う。
そんなことを考えているうちに、パンっと勢いよく銃声が鳴り、1レース目の選手が走り始めた。2レース目に走る河野は軽く体を動かしながら準備をしている。校庭に響き渡る応援の声と、楽しげな実況の声が混じる。先頭の選手がゴールテープを切り一際大きな歓声が上がった後、2レース目の選手たちが位置についた。審判の合図と共にすっと腰を高くし、クラウチングスタートの姿勢をとる。再び鳴った銃声とほとんど同時に選手たちは走り出した。
『一番手は2年生の河野選手です!』
元陸上部らしい綺麗な姿勢でゆっくりと、しかし確かに他の選手達との差を広げていく。河野の学年色である青色のハチマキが風に棚引いている。じっと前を見据える瞳。一文字に結ばれた唇。真剣な表情で走る河野には、きっと周りの音は聞こえていない。
『他の選手も懸命に走っていますがなかなか差が縮まらない!!』
俺はきっとそんな河野に見とれているんだと思う。河野のことを目で追いかけるようになることも、河野から目が離せなくなることも、出会った頃には思いもよらなかった。
『おっと、河野選手転倒です!!』
実況の声が聞こえるよりも早く、河野の体が傾いだ瞬間に俺の体は動き出していたはずだったのに、既に島田は目の前の長机を飛び越えていた。俺は呆然としながら、グラウンドを横切って河野に駆け寄る島田の背中をただ見つめることしかできない。
残りの選手たちの順位を伝える実況の声で我に返り、島田が立ち上がったときの勢いで倒されたままになっていたパイプ椅子を直した。
女子の黄色い歓声を浴びながら、河野に肩を貸したまま島田が保健委員のテントへと向かう。
島田がわざわざ口に出して言ったことはない。それでも俺の比でないくらい河野のことを大切にしていることが伝わってくる。河野がそんな島田に信頼を寄せていることも。
『第3レース目の選手は位置についてください』
照らし続ける初夏の日差しは意外と暑くて、ぼーっとする頭ともやもやする感情をどうにもできずにいた。