4月
新品の制服に身を包み、新しい環境への期待と不安が入り交じったまま校門の前で一度大きく深呼吸。その横をざわざわと大勢の学生が通り過ぎていく。校門の横に力強く根を下ろした桜の木は、私たち新入生を見下ろすように大きく枝を伸ばしている。満開には少し早いけれど、枝の向こうに広がる雲一つなく澄み渡っている青空と、はらりと舞う桜の花びらはいかにも入学式らしい。中学では特別なとき以外ジャージ通学という生徒間の暗黙のルールがあったため、ブレザーとスクールバッグと革靴という学生らしい格好にとても憧れていた。今日からは毎日この格好で青春の日々を送ることができるというだけでも、喜びで胸一杯に満たされる。そのまま一歩踏み出そうとすると、
「あのー……」
「はい!?」
唐突に斜め上から小さいけれど高く澄んだ綺麗な声が聞こえて、思わず大きく返事をしてしまう。周りの視線が痛い。注目されてしまったことに目の前の彼女は気づいていないようで、マイペースに口を開く。
「1年生、ですか?」
「はい……?」
私よりも頭一つ分くらい背が高いのに、下から覗き込むように首を傾げて上目遣いで話しかけてくる様子が可愛らしいと思った。
「私も一年生なんですけど、えっと……。あ、あの、体育館まで連れて行ってくださいッ!」
最後の方は捲し立てるように叫びながら、女の子は勢いよく頭を下げる。
「……え、あ、うん。いいよ」
「本当に助かります! ありがとうございます!!」
少し戸惑いつつも頷くと、彼女は長い髪の毛を大きく揺らしながら何度も頭を下げた。すらりと足が長く、歩く度に胸くらいまである綺麗なストレートの黒髪がヒラヒラと舞う様子には、容姿端麗という言葉がぴったりくる。スッと通った鼻筋とか、一見気が強くてプライドの高そうなクール系女子にも見えるのに、視線をおろおろとさ迷わせたり声が小さい上に少し震えていたりして、見た目から受ける印象とは正反対だ。
「知らない人ばっかりだし、体育館がどこにあるか分からないしで困ってたんですよ」
横に並んで歩き始めるとほっとしたように笑顔を浮かべて話し始める。
「私も初対面だよね」
「は、はい」
「なんで私には話しかけられたの?」
「なんだかすごく浮いてらしたので……」
「あ、そうなんだ……」
話しかけやすそうだったとか優しそうだったとかかと期待したけど。うん、素直な子だ。
無事に体育館に着くと、少ししてから入学式が始まった。私がいた中学校とは比べ物にならない程の静けさの中、淡々と入学式は進んでいった。
『続いて、生徒会長による在校生代表挨拶です』
司会の生徒に紹介され出てきたのは、黒髪に細身なフレームのメガネといったいかにも真面目そうな出で立ちの男子学生。きっちりと着込まれた制服もその印象を強調している。……ただし。
「イケメン……」
きっと思わず呟いてしまったのは私だけではない。180㎝はあるだろう高身長で、すらりと長い足で壇上へ向かう姿はそれくらい美しかった。美しいという表現が本当に似合う。
『新入生のみなさん、本日はご入学おめでとうございます』
一礼するときにさらりと揺れる髪。軽く眼鏡を押し上げて直す仕草も思わず見惚れてしまうほどで。
『今年度生徒会長を務めさせていただく中村です』
低く落ち着いていて、けれどなんとも言えない色気を纏った声がマイクを通って会場に響き渡る。
『生徒全員が居心地よく、楽しい、通いたいと思えるような学校を目指していきます』
一見近寄り難そうな雰囲気なのに、にこやかな微笑みには優しく包み込んでくれそうな暖かさがあって。
『相談事などありましたら、気軽に生徒会室にいらしてください』
……どうしよう。惚れた。
入学式後は教室で担任の自己紹介と配布物を配られたくらいで、お昼前には終わった。
「同じクラスでしたね。安心しました」
絵に描いたように美しい微笑みを浮かべながら私に話しかける。
――黒須玲奈。その彼女の容姿に似合いすぎる綺麗な名前はクラス名簿を見て知った。ちなみに小宮山という私の名字のおかげで席が前後だったことは幸運だ。この子とは仲良くやっていけそうな気がする。
「これからもどうぞよろしく。あと同級生だしタメでいいよ」
「すみません。癖で。っじゃなくて、ごめん」
「ははっ。だったらいいよ、無理はしなくて」
黙っていると物凄い美人なのに喋ると実はかなりの天然で可愛らしくて、同性の私ですらそのギャップにすっかり嵌められている。これはさぞやモテることでしょう。
「良かったです。私、友達できなかったらどうしようかと」
「玲奈ちゃんみたいな子と仲良くなれるなんて、こちらこそ光栄だよ」
そんな会話をしつつのんびりと歩き、学校近くの駅に辿り着く。オープンキャンパスやら文化祭やらで何度も来た私にとっては、意識せずとも足が動く道のりだ。改札を抜けホームに向かう階段を昇りきったその時、前方に生徒会長を発見。一瞬だけこちらを向いた顔と何よりもあのオーラは間違いない。私の一目惚れだって伊達ではないのだ。
「玲奈ちゃん、あれ。生徒会長だよ」
長身の会長の背中に隠れて見えないが、誰かと二人でいることは窺える。
もしかして、彼女とか。あれだけのイケメンだったら、彼女の一人や二人いたところで不思議はない。何もしなくたって女の子がいくらでも寄ってくるだろう。厳しい恋路になるだろうことは恋に落ちた瞬間から覚悟している。
(いや、あの人なら一人だけに一途になるはずだ)
そんな的のずれた突っ込みをしていると、玲奈ちゃんが一目散に駆けていった。
「修吾ー!!」
「玲奈!? なんでっ!?」
笑顔全開で走り寄る玲奈ちゃんに振り向いた動揺全開の会長。状況が掴めず唖然として眺めていると、勢いを落とさないまま玲奈ちゃんは会長に抱きつく。
……って、待った待った待った!!
「修吾の挨拶すごいかっこ良かったー! 私も思わず惚れ直しちゃったよー」
わぁー、仲良さげだし何よりも玲奈ちゃんの笑顔がとてつもなく幸せそうだ。会長も戸惑いつつもちゃんと背中に手を回している辺り、かなり親密そう。
(微笑ましいなー)
色々と想像しては暴れ回ろうとする私の脳みそはひとまず置いておくとして、何よりも冷静になることに努める。
おいてけぼり状態のままゆっくりと歩み寄った。
「……中村先輩、彼女いたなら言ってくださいよ」
不満そうな顔で言ったのは会長と一緒にいた人。彼女ではなく男子学生だったことにとりあえず一安心。……そんな場合じゃないとかそういうことは知らない。現実逃避をして何が悪い。
「違う! 俺のい」
「修吾の彼女です!!」
玲奈ちゃんの食い気味な宣言に会長は一瞬驚いた後、手を額に当てて黙ってしまう。悩ましげな表情でさえ美しい。
「じゃあ、僕は先に帰ります。また明日」
男子学生はそう淡々と言い残すと、大きな音を立てながら電車が入ってきた反対側の線路へと振り返りもせずに向かっていく。
「ちょっと待った!」
我に返った会長は必死に手を伸ばし追いかけようとするも、会長の腕を抱え込んでいる玲奈ちゃんが離れようとしないため動けない。
「修吾は私と同じ上りでしょ。一緒に帰ろうよ」
「いい加減にしろ!」
怒鳴った会長の声に発車を知らせるメロディーが重なって、三人で振り返ったときにはもうドアが閉まっていた。電車はそのままゆっくりと動き出す。
「あー……」
溜め息を漏らした会長の視線の先には、加速しながら段々と小さくなる電車の姿があった。