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第二話

彼女が行動を始めたほぼ同時刻。

一人の少女が同じ森の中を走っていた。

少女の名前はリーリア・ホルン。

少し前まではただ単にリーリアという名前だけで、家名に当たるものをもっていなかった。

住んでいる小さな村ではそれだけで十分だったし、周りを見渡しても家名を持っているものはいなかったのでリーリアも気にすることは無かった。

それが一年ほど前に新しい街がつくられ、家族ぐるみで開拓者としてその街に移り住むことになった。

その際に便宜的に家名をつけることになった。

家族と色々と悩んだ末に、生まれ故郷である村の名前をもらって名乗ることにした。

リーリアと同じ村からやってきたものは他にいなかったので、村の名前を冠した家名はまるで彼女が村の代表にでもなったような気分にさせ大変誇らしいものだった。

以来彼女は待ちの全ての住人、とまではいかなくても半分のそのまた半分くらいの人には、自分の名前を知ってもらおうという密かな野望があった。

そして現在、もし今この場で足を止めればその野望も叶えるを永遠に失ってしまうだろう事態に陥っていた。

そんな望まない未来を避けるためにリーリアは全力で走っていた。


「はぁ、はぁ、はぁ」


息が苦しく呼吸が荒く乱れる。

幼いころから山野を駆け巡り若いながらも優秀な狩人といわれている彼女にしてみれば、いっそ無様ともいえる状態だった。

故郷の村から持ってきた愛用の弓でさえとうの昔に放り捨てていた。

これほどまでに真剣に走った記憶は今までの人生でもない。

事実、自己最高の速さで走ることができていた。

だが、体に疲労は確実に蓄積しておりリーリアも気が付かないうちに僅かに足が鈍る。

そんな彼女の様子を見越したかのように、背後から彼女を追いかけてきているものの気配が強まる。


「――っ!!」


歯を食いしばって体に鞭を打ち諦めそうになる心に活をいれ、鈍った足を気合で強引に動かす。

リーリアが元の勢いを取り戻すと、背後から迫る気配もまた少し遠のいた。

普段とは立場が入れ替わっていた。

今リーリアは追い立てられる側の獲物であった。

背後からリーリアを狩りたてているのは銀狼とよばれる尋常ならざる獣だった。

銀狼はその名前のとおり銀色の毛皮を持った狼に似た外見を持っているがまったく別の生き物とだとされている。

体長は2メートルを優に超える程に大きい。

頭の高さも、リーリアとさほど変わらないくらいにあり、まるで大きな岩を目の前にしているような威圧感がある。

大きくなった分、力の強さも相当なもので、爪であろうと牙であろうと食らえば一撃でこちらの体を引きちぎり、致命傷を与えてくる。

しかし、その巨体の割りに動きは素早い。

普通の狼より俊敏なくらいだ。

全身を器用に使い、木々の生い茂る中を平気で追いかけてくる。

そしてその名前の由来となっている銀色の毛皮は、素早い身のこなしと合わさると鋼鉄製の剣でも容易には貫けないほどに頑丈だ。

普通の狼と違って群れを作らず単独で行動するのだが、そのことが彼らの脅威を下げるといったことはない。

彼らが群れを作らないのは、単に狩りを行うのにその必要がないからにすぎないからだ。

その強さと生態からときには森の主と呼ばれることもあった。

そんな恐ろしい生き物になぜ追われる事になっているのかというと、純粋にリーリアの不運だった。

街で皮職人を本業としている彼女は、仕事の合間の息抜きと小遣い稼ぎを兼ねて時折狩りに行っていた。

主な獲物はウサギやイタチといった小動物だ。

始めのころは慣れ無い狩場に苦戦していたが、今はでは故郷の山での狩りと変わらないくらいの成果をあげられるようにもなっていた。

今日もこれまでと同じように狩りを行っていたのだが、なかなか獲物を見つけることができずに普段より少しだけ森の奥の方へと足を伸ばしていた。

そして森を進むうちに遠く木々の切れ目に鈍く光る何かを見つけることになった。

好奇心に惹かれるままその光る何かの元へと向かっていくと、そこで見つけたのが地面に倒れた大きな猪とそれに食らいつく銀狼の姿だった。

銀狼のことは噂話にしか聞いたことが無かったが、白銀色の毛皮を纏ったその姿をみて一目でそれが銀狼なのだとわかった。

ある種の美しさに思わず見とれてしまっていたが、一瞬で自分の置かれている危機的状況を理解した。

噂話を半分に聞いたとしても、退治しようとするなら軍隊が必要になる相手であるし、追い払うにしてもやはり軍隊が必要になる。

自分ひとりではどうこうできる相手ではない。

それどころかリーリアの住んでいる城壁のある街はともかくとして、この周辺にある出来たばかりの小さな村にとってはちょっとした存亡の危機になりうる。

リーリアはことここにいたるまで、銀狼に出会うということは頭の隅にも無かった。

銀狼の存在は街で噂話にさえなっていなかった。

その存在の痕跡がカケラでも見つかっていれば、その日のうちに当たり一帯にその話が広まっているはずだ。

にもかかわらず、リーリアはそんな話は聞いていない。

出会った人々が全て食い殺されているか、あるいはあまりの不運に考えたくも無いが自分が最初の犠牲者ということになる。

自分のためにも、ここに住むほかの誰かのためにもリーリアは目の前の銀狼の情報を誰かに伝える必要があった。

ちなみに、リーリア悪い予想はあたっていて、この銀狼はつい最近自らの縄張りを求めてやってきた若い個体で、彼女が第一発見者であり被害者であった。

静かに後ずさりその場から逃げ出したが既に手遅れだった。

銀狼の鋭敏な感覚はリーリアのことを捉えていた。

銀狼は適当に食い散らかした猪から興味の対象をリーリアへと移すと、新たな獲物を狩りにその後を追い始めたのだった。

リーリアは生きるために走ることに全力を尽くしていたが、同時に狩人としての冷静な部分がこのままでは自分が助かる術が無いと告げていた。

今のところは一見するとギリギリのところでリーリアが逃げおおせているように見えるが、実際のところは背後から追いかけてきている銀狼に遊ばれているだけだった。

鼠とそれを戯れに追い回している猫のような関係で、相手が興味を失うか手元から逃れるようなことになれば、即座にリーリアを仕留めに掛かってくることだろう。

追い詰められた鼠と違って、こちらは相手に噛み付いて一矢報いるようなこともできない分状況はより悪いといえる。

銀狼に見つかり、追いかけられた時点でリーリアが自身の力でこの窮地から助かる術はない。

そうなる前に相手の視界から消え去ることだけが、リーリアの助かる道だったのだ。

もし、今からリーリアが助かるとすればそれは何か他の要因が必要になる。

天変地異などの神の気まぐれか、もしくわそう、こんなときに森を歩いているリーリアと同じくらいに不運な誰かだ。

リーリアが茂みを抜けると、進路から少し外れた方向に人影を見つけた。

木々の合間に見えたのは僅かな時間だったが、極限まで集中力を高めていたリーリアはその姿を確かに見た。

相手はリーリアよりも少し年上と思われる女性だった。

少女といってもいい年齢のはずなのだが、そうは言わせないような雰囲気があった。

女であるリーリアからしてみても整った容貌も一因かもしれない。

リーリアが普段接している街の住人とは、明らかに人種が違う。

強いて言うなら、街の祭りのときに少しだけ目にすることができた、見た御領主様方のような貴族が近いと思った。

こんな森の中にいることが不釣合いに思える彼女は、とても上機嫌に歩いていた。

その様子からは自分に迫っている危機に気づいている様子も無い。

リーリアは最初に彼女がいると気づいたときから、特にどうしようということは考えなかった。

自分はただひたすら走っていくだけ。

途中でちょっと毛色の違う人影が見えたが、それだけのこと。

彼女がこのあとどうなるかは埒外のことだった。

だが、リーリアが彼女から意識をはずす最後の一瞬でお互いの目が確かに合った。

彼女はリーリアを見ていたし、リーリアもまた彼女を見ていた。


「――くっ」


目が合った。

ただそれだけのことだった。

相手は見ず知らずの人物で、声に出して求められたわけでもない。

だがリーリアは彼女のほうへと向かうための進路をとるために、大きく足をけりだしていた。


「走ってェェッ!」


呼吸が苦しいにもかかわらず、肺から搾り出すようにして大声を上げて呼びかけた。

説明をしている暇も、足を止めている暇も無い。

声に反応して彼女がただ付いてきてくれることだけを祈った。

少しだけ驚いているような表情を浮かべている彼女の腕を取ってリーリアは走った。



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