03.隠された想い
短いです。
夕暮れ時。
白のトップスにロング丈の黒のプリーツスカートを着た少女が、寂寥に染まる土手を歩く。
清楚な印象を受ける少女は、黙々と帰路を進む。
歩きながら思い返すのは、先程までのお見舞い。笑顔を作ろうとして失敗した事だった。
(今日も、笑えなかった……)
そっと自分の頬に触れる。
柔らかく、石になった様子はない。
そんな当たり前の事を確認して、少女は溜息をつく。
昔から笑えなかった訳では無い。
寧ろ昔はよく笑顔を褒められていた記憶がある。
笑えなくなったのは、両親が倒れてから。
泣きもせず、笑えてもいない。
大切な両親が倒れた日から、少女の時間は止まっていた。
漠然とこのままではいけないと感じながら、しかしどうしていいのか分からないでいた。
「あらー。渚ちゃん奇遇ねー」
「周防先生?」
柔らかい物腰の女性が、少女の後ろから声を掛かる。
周防由美。高等部の先生である。
普通なら中等部の渚とはあまり接点が無いが、この女性は少し違う。
「由美さんでいいわよっ。学校じゃないからね。朱鷺子ちゃんは元気かしらっ?」
「はい。先日フランスから手紙が届きました。息災だそうです」
「あの子は相変わらず世界を飛び回ってるのねー」
「そこが叔母さんの凄い所ですから」
まあね。と周防は笑う。
叔母と旧友である彼女には、言わずと知れた事だっただろう。
そして周防は、渚の家の事情も把握している。
「病院からの帰りよね。このまま家に帰るのかしら?」
「はい」
周防は渚を見ると、暫し黙考する。
「……夕飯はまだ?」
「え? はい」
周防の問いを不思議に思いながら首肯する。
渚の返事を確認した周防は、携帯を取り出すと、何処かに連絡を始めた。
「ちょっとごめんね渚ちゃん。…………あ、もしもしっ! 紅ねーさん? 私よ。わ、た、しッ! ちょっ!? 待って待ってッ!! 詐欺じゃないから切らないでッ!? 旦那さんとの会話を邪魔したのは謝るからッ!!」
渚は状況が掴めず、ただ電話越しに謝る周防を眺める。
「そう。それで今夜の件なんだけどっ。…………うん。……うん。ねーさん、よく分かったわね。……ごめんなさい。ありがとう」
周防は最後に笑顔で電話を切ると、渚に向き直る。
「待たせてごめんなさいねっ」
「いえ。気にしてませんけど……」
「良かった! それじゃあ一緒に食事に行こーっ!」
「え? え?」
渚が困惑する中、周防は渚を引き摺って歩いた。
◆
自動ドアを潜り、熱気と冷房の混合空間から脱出する。
黄昏の冷えた空気が、肌に心地いい。
「うぅ……。お腹いっぱいです」
「あらあら。あの量の肉でギブアップなんて、渚ちゃんは食が細いわねー」
会計を済ませてお店から出てきた周防が、肉が焼ける音から逃れようとする渚を笑う。
「由美さんが沢山食べるのもあると思います」
「そうかしらねー」
次々と料理を注文して平らげていく様は、見ているだけでお腹いっぱいになる。
「何処に入ってるんですか……?」
「んっふーっ! 当てて見なさいっ」
えっへんと自慢げに体を反らす周防。
こんな細い体の何処に入るのだろうかと周防のお腹辺りを見て、そこから視線を上にして、立派な双丘辺りで悟って目を逸らす。
「……そこですか。そこの違いですか」
渚の視線に気づいた周防が、反らした体を戻して眉尻を下げる。
「えっと……。まだ若いからこれからよっ! これからっ! ほ、ほら貴女のお母さんの京さんみたいになるわっ! あっ、でも渚ちゃんは朱鷺子ちゃん似だから、もう……」
「……帰りましょうか。周防先生」
「あ、待ってッ! 冗談だからッ!!」
奢って貰った手前、いつまでも不機嫌なのは失礼なので、渚は足を緩める。
そもそも、そんなに気にしていない。少しだけである。少しだけ。
二人で並んで歩きながら、食事中に終わらなかったお互いの近況を話し合う。
話は尽きることなく、渚の家の前までやってきた。
渚は門の鍵を外しながら、周防に尋ねる。
「今日は御馳走さまでした。その上送っていただいて、ありがとうございます」
「無理矢理誘ったのはこっちだもの。気にしなくていいわよー」
周防は礼をする渚を笑顔で見る。
「渚ちゃん。元気になって良かった」
「え?」
思わず周防の顔を見ると、変わらない笑みを保っている。
ここで渚は、周防が自分を食事に誘った理由に思い至る。
渚の顔を見て、周防はさらに笑みを濃くする。
「お話ならいつでも聞くわよー。私でもいいし、朱鷺子ちゃんでもいい。貴女が相談したいって思った人に話せばいいわ。話すだけで楽になるからねーっ」
「……由美さん。ありがとうございますっ」
簡単に拭えそうな一塗りの親切心に、渚は心から感謝を述べる。
「それじゃあ帰るわねー」
「はい。お気を付けて」
渚は周防の姿が見えなくなるまで見送り、門の奥へと姿を消した。
◆
一人の女性が、土手を軽快に歩く。
彼女のポケットが震え、女性がそこから携帯を取り出す。
《輝夜》
液晶に映った名前を確認し、女性は電話に出る。
「はいはーい。由美ですよー」
『我じゃ。相変わらず軽薄そうな様子で安心したわい』
「あははー。輝夜ちゃんも変わらず面倒臭い話し方だねー」
こつんと足に何かが当たる。
小ぶりな石だと気づき、何となく蹴りながら歩く。
『それで? 会ってみてどうじゃった?』
「うん。輝夜ちゃんの言った通りだったよ。京さん達が倒れた時と比べて、さらに元気が無くなってるね。今すぐどうって訳じゃないけど。知らせてくれてありがとね」
『構わん。しかし、……ふむ。そうか……』
「…………」
考え込む友人の声を電話越しに聞きながら、周防は軽い音をさせながら石蹴りを続ける。
『……やはり両親の見舞が心労の原因ではないか?』
「だよねー」
自分と同じ結論を出した友人に、周防は思わず苦笑する。
『看護師達の話によると、ほぼ毎日病院に来ておるそうだ。しかし両親はずっと小康状態のまま変わらず。あの子は病院に来る度に、目を覚ましているかもしれないという期待を裏切られ続けておる』
「…………」
渚は素直過ぎる。そしてその素直さが、彼女の心を圧迫している。
『友人としての忠告じゃ。暫くは病院には行かせるな』
「無理よー」
友人の有難い忠告に、私は用意していた言葉を返す。
「行くなって言っても聞かないわよ。あの子見かけによらず頑固だもの」
『……あそこの家系はそんな女ばかりじゃの。面倒臭い』
「あははー。朱鷺子ちゃんが聞いたら怒るよ~」
『……その冷徹女は、この状況を何と言っとる?』
「うん? 『渚さんの意志を尊重します。好きにさせて構いません』だってさ」
『あの女……。我らには、「姪をお願いします」とか言ってたくせに、薄情というか何というか……』
「それだけ渚ちゃんを信頼してるんだよっ」
蹴っていた石が、暗闇の中に紛れ、見えなくなる。
周防は立ち止まると、星の瞬き始めた空を見上げる。
「結局、本人の問題よね。あとは良いキッカケがあればいいんだけどね〜」
◆
「ふぅ……」
湯船に浸かると、気持ちよさに息が漏れる。
纏めた髪が崩れない様に気を付けながら、体の力を抜いていく。
「心配をかけてしまいました……」
天井を見ながら、周防の様子を思い出す。
そして彼女のアドバイスも。
「話すだけで楽になれる、ですか……」
渚の問題は、人に相談したからといって、解決するものではない。
だから、誰かに相談する気は無かった。
渚は親しい人々の顔を思い浮かべてる。
無意識の内に、濡れた膝をそっと抱き締める。
「……止めておきましょう。私の事情で、皆さんに迷惑をかける訳にはいきません……」
少女はそう決めると、何かから目を背ける様に静かに目を伏せた。




