01.彼は原生湿地に挑む1
夏休みも残すところ二週間。
リビングでアイスを食べながらぼんやりとテレビを見る。
フルダイブを利用した心的外傷のケアの特集をしている。
これが元々のフルダイブシステムの運用方法なのだが、ゲームの影響が強くて忘れていた。
今は対人恐怖症の患者がNPCと話をしている場面で、NPCに本物のプレイヤーを混ぜる事で、徐々に慣らしていくというものだった。
その際、演劇俳優を雇い、NPCの中の人を担当してもらうとか。
「たっだいまーっ!」
玄関から元気な声が家に響く。
どたたたっと足音をさせて紅羽がリビングに駆け込んでくる。
「あ、お兄ちゃん居たんだっ! ただいまーっ!! アイスいいなー一口頂戴っ!!」
「……おー」
俺は気だるげにキッチンを指差す。
きゃっほーい。とハイテンションで俺の首から離れた紅羽は、意気揚々とキッチンに姿を消す。
「どれ食べていいのーっ?」
「……抹茶は父さん。いちごは母さんのー」
「ん。おっけーだよっ」
紅羽はソーダ味のアイスを持って、俺の隣に座る。
頭一つ分低い位置にある妹の頭を眺める。
(俺と同じで平均よりも背が小さいな。やっぱこれは母さんの血かなー)
この小さい体で俺よりも多く食べるのだから驚きだ。
(いや、そうでもないか)
彼女の活発な言動を鑑みれば、食べたカロリーがどのようにして消費されているかは一目瞭然である。
アイスの包みに四苦八苦していた紅羽が俺の視線に気付き見上げる。
「うん? どうしたのお兄ちゃん?」
「……ん。貸してみ」
紅羽からアイスを受け取り開けてやる。
紅羽は受け取りながら喜色満面で言う。
「ありがとうお兄ちゃん」
「ん」
視線をまたテレビに戻す。
そういえば、とにこにことアイスを食べていた紅羽が口にする。
「お兄ちゃんお兄ちゃんっ! もうすぐイベントだよっ!!」
「……夏祭りならもう行ったろー」
「そうじゃなくて《UO》の話だよっ」
ああ、ゲームの話ね。
「お兄ちゃん公式HP見てない?」
「ん。最近は沼攻略で忙しいから確認してなかったなー」
「いつからお兄ちゃんはギャンブラーになったのかな? それにあそこは沼じゃなくて湿地だよ」
そうだった。原生湿地とかそんな名前だった気がする。あと俺の鼻はあそこまで鋭くない。
「んーとね。採取、戦闘、生産。それぞれのプレイヤーが活躍出来る内容らしいよ?」
「……ん? という事は協力前提のイベントなのか」
「だよだよー。たぶん初期プレイヤーと新規プレイヤーの交流が目的じゃないかなっ?」
《Unlimited Online》の初期プレイヤー数は約一万。これは近今数あるVRMMOの中では少ないほうである。
少ない理由はサーバーの負荷を懸念しての販売数の制限であり、一ヵ月以上経った今では多少販売解禁され、プレイヤーの数は倍の二万にまで増えている。
つまり大雑把に言えば、今の《Unlimited Online》は経験者と初心者が半々の状態なのである。
こういったVRMMO――オンラインゲームは、人との繋がりがあるから続けようと思うものだ。
運営もそれは理解しているからこそ、協力イベントにしたのだろう。
先程の紅羽の発言はつまりそういうこと。
「イベント限定アイテムとかあるかもねっ」
「限定アイテムか……」
楽しみに話す紅羽同様、俺も限定という言葉に弱い。
しかしそういった物を手に入れるには、並々ならぬ熱意かリアルラックが必要だと思う。
そして俺にそれが有るかと言えば――、
紅羽が俺の膝に頭を乗せてくる。
「楽しみだねー」
「紅羽。行儀悪いし危ない」
「もう食べ終わってるよー」
ぷらぷらとアイスの棒を掲げて振る。
「これはお兄ちゃんにあげるよっ――あたっ!」
どうやら俺は妹に変態だと思われているらしい。とりあえず頭に手刀を落としておく。
「……ゴミをくれる妹を持って俺は幸せだよ」
「違うよっ。ほらっ」
くるっと棒を回すと、『あたり』の文字が書かれている。
相変わらず運のいい妹だ。
「アイスはお兄ちゃんが買ったものだから、お兄ちゃんにあげるのがいいと思ったんだよっ」
「ああ、そういう……」
早合点していた。謝ろうとする俺に更に紅羽は言う。
「妹の唾液つきだよやったね――あたーーッ!! 冗談だよっ! 冗談ッ!!」
今度は強めに落としてやった。
俺は息を吐き、自身の食べ終わったアイスの棒を見る。
何も書かれていなかった。
「……無いみたいだな」
「ほえ? 何の話?」
膝の上で猫みたいにごろごろしていた紅羽が不思議そうに俺を見上げた。
◆
原生湿地『ミストスワンプ』。
黄金平原の北に位置するこの湿地は、一見するとマングローブである。
しかし一度足を踏み入れると、鬱蒼と生い茂る木々と晴れる事の無い濃霧により日中でも仄暗い。
また水面を埋め尽くす水草の所為で地面と水辺の境が曖昧で、気を抜くと足を取られてしまう。
所々に存在する倒木も進行を妨げる要因となっている。
そして何よりも――
「んー。やっちゃったなー」
上下反転した視界で俺は唸る。
足には蔦が絡み、体は逆さ吊り。
何度も引っ掛かってある程度慣れたが、それでも完璧に地に足が着いていない不安が消えた訳ではない。
現実と違って頭に血が昇ることが無いのがせめてもの救いか。
(ボスエリア前で油断したなー。久々に引っ掛かった)
典型的な、でも有効なトラップに引っかかっってしまった。
「ん。んー。んー……」
逆さ吊りの状態でくるくると体を回す。一見すると余裕そうに見えるが、内心ではかなり焦っている。
何しろソロの俺が身動きの取れない状況はかなり不味い。モンスターに見つかってフルボッコ待った無しである。
俺を吊り下げている木の根元に二匹の影が駆け寄ってくる。
トラップで離れ離れになった朽葉と浅緋である。
俺を見上げてた二匹は目が合うと嬉しそうにこちらを見返す。
微笑ましい光景だが、今はそんな状況ではない。
(ペットだから自発的には助けてくれないよなー)
「あーたん。この蔦燃やしてくれないか?」
「にゃう?」
あさひが首を傾げる。
命令ミス。
ペットには個別になつき度が設定されているらしく、懐いていないと命令を無視したり、今のように指示が通らなかったりする。
(これが【召喚】と【調教】の違いか……)
同じ使役スキルでも召喚魔法と調教には幾つかの相違点がある。
これもその一つで、召喚魔法は召喚されたモンスターや妖精が召喚者に絶対服従なのに対し、調教は捕まえたら即こちらの言う事を聞いてくれる訳ではない。
一方召喚魔法も、召喚にMPを消費したり、召喚時間に制限があったりと不便な点があるので、一概にどちらが優れているとは言えないが。
(こういう弊害もあるんだなー)
もっと二匹を溺愛しないとなーと決意していたら視界端から何かが飛んで来た。
「ッ!」
反射的に短刀を振り抜く。
飛来物は真っ二つになり地面へと落ちる。
「……出やがったな」
飛来物はサッカーボールを一回り大きくしたような大きさの肌色の植物の種子。
今度は別の角度から同じ物が飛んでくる。
慌てて武器を振るい、飛んできた種子を切り落とす。
飛んできた方角を見ると、のっそりと人程の大きさの花が姿を見せる。
(相変わらず高い隠蔽能力だな)
警戒して奇怪な花に向けて武器を構えるが、逆さ吊りでは上手く構えられない。
(あさひに頼んで蔦を焼き切らなきゃッ!)
そうは思うが次々と飛来する種に苦戦し、中々タイミングが出来ない。
体勢の不利もあり、防戦一方でいると、種に混じって赤色の飛来物が接近する。
思わず凉鳴で切り裂くと水っぽい音と共に、俺に液体が掛かる。
甘い香りと不快にべとつく液体に思わず眉を寄せる。
(忘れてたっ)
HPバーの横に表示されているアイコンを見て、苦虫を噛み潰した表情になる。
装備劣化。
これまでのように切り払おうとして、武器を振るう。
刃が通らない。
衝撃を逃がすことが出来ず、ダメージがダイレクトに体を貫く。
好機と判断したのか、花のモンスターが一斉に種砲撃の散弾をお見舞いしてくる。
(踏破困難な地形に隠蔽された罠。それに装備を駄目にする隠遁モンスターとはね。これじゃあ多くのプレイヤーが避けるのも分かる気がするなー)
分析しながら俺はあっさりと死んだ。
期間の修正。
十日→二週間




