17.彼は真紅を解放する
この話は難産でした。
しかし章タイトルで分かる通り二章の肝なので、どうしても拘りたかった話でした。
その所為でお待たせしてすみませんでした。読んで楽しんでくれたら幸いです。
彼女は醒めない夢を見る。
夢の中で彼女は主の膝で丸まっている。
そんな彼女をごつごつした感触の手が不器用に撫でる。
温かい優しい夢を、彼女は何時までも見続ける。
大好きな主が帰ってくる、その時までずっと――。
◆
『亡霊』がいると思わしき横穴から声が聞こえた事を話したら三者三様の反応を示す。
「亡霊さんの声~?」
「新しい情報だね。何かのイベントかな?」
「ふム。しかし俄かには信じ難いのウ」
俺達はボスエリア前のセーフゾーンで円になるようにして座っている。
「何故リクにだけ聞こえたんじゃろウ?」
「ジグさん。もしかしたらスキルレベルの高さが関係しているのかもしれません」
「成る程のウ。小僧がワシらの中で高くて関係ありそうなのは【索敵】と【調教】じゃナ」
「僕は【調教】の方だと思います。今まで火山に来た人の中にはリクよりも【索敵】の高い人は居たと思います。それに――」
二人の話を聞いていたらハルが俺のコートの裾を引っ張る。
「ん?」
「亡霊さんは何て言ってたのー?」
「いや、はっきりと聞こえた訳じゃない。無いんだけど……」
俺は思わず口篭る。口に出して明確に言われたわけではないが、それでも確信を持って言える事があるとするならばそれは一つ。
「呼ばれた、気がしたかな?」
「呼ばれた?」
「ん」
くちはを見ると相棒もこくりと頷き返してくれた。
確かに『亡霊』は俺を呼んでいた。それだけは間違いない。
話を終えたジグとユキトが俺達に声を掛ける。
「リク。亡霊に会いに行こうと思うんだけどどうかな?」
「いいのか? 声聞いたのは俺だけだし、本来の目的はここのボスだろ?」
俺が聞いたのがただの幻聴の可能性だってある。
「一切情報の無い亡霊だからね。僕達も気になるんだよ」
「ここまで来たんジャ。噂の亡霊を拝むのも悪くは無いじゃろウ」
「……そっか」
声が直接聞こえた俺は勿論気になるので、二人の言葉は助かる。
「それじゃあ、れっつご~!」
ハルの意気揚々とした宣言と共に、俺達は亡霊の出るといわれる小洞窟へと向かう。
声は聞こえたが罠である可能性は拭いきれない。メンバーの中には【罠探知】が高い人間はいないので身軽な俺が先頭を歩く。
HPも防御力もあるユキトが先頭を歩こうと言ってくれたが、俺は頑として譲らなかった。
罠の中には防御力を無視してダメージを与える貫通攻撃が存在するし、何より俺が最初に言い出した事なのに友達を囮にするのは忍びない。
俺達は何事も無く横穴を抜け、亡霊の目撃情報があった洞窟を覗く。
「……何も居ない」
「ただの行き止まりに見えるね」
「だね~」
「うム」
ひょっこりと並んで顔だけを覗かせる俺達は、居るかもしれない亡霊からしたら滑稽に見えているだろう。
一応亡霊の行動範囲は小洞窟内部だけらしいので、安全な通路から様子を窺っているのだが、特にこれと言って怪しい様子は無い。
「俺だけ入ってみるからどこからか攻撃があったら後ろから教えてくれ」
「分かった。気をつけて」
ユキトの頷きを確認して俺は恐る恐る小洞窟に足を踏み入れる。
空洞の中央まで歩いていき辺りを見回す。
(何も起こらないし誰もいないなー。大丈夫かな?)
通路で待機している皆に声を掛けようと振り返る。
俺が口を開くより早く空洞の入り口が幾本の黒い炎の柱で塞がれる。
(分断された!)
驚愕していると俺の背中に炎の塊が被弾する。
「……くっ」
崩れそうになる体勢を押しを踏ん張り堪える。
急いで背後を振り返り『涼鳴』を振るうが、空を切るだけで敵には当たらない。
(亡霊みたいに攻撃をすり抜けてたりして)
見えていないので如何とも言えないがそれだけは勘弁して欲しい。がむしゃらに空中を薙いでいくが手ごたえが無い。
すると今度は右手の地面付近の空間から黒い炎の塊が飛来する。
(見えているなら避けられる)
幸い炎の玉『ファイアボール』はそこまで弾速の速い魔法ではない。しっかりと注意すれば大丈夫な筈だ。
「がッ!?」
炎弾を回避し着地する。そんな膝を折った状態の俺目掛けて地面すれすれに炎弾が走る。
再び背中に軽くない衝撃が起こる。
その魔法の衝撃に逆らわず地面を転がるようにしてその場を離れる。
ゲームだからこんな動きが出来るんだよなー。とやや的外れな事を思いつつ見渡すが敵の影一つ無い。
(また背後を取られたら厄介だな。というか――)
俺は何か違和感を感じながら入り口近くの壁を背にするように移動する。その際牽制を込めて《雷華》を飛ばすがどれも壁にぶつかるばかり。
「リク大丈夫だったかい!?」
火柱の向こうからユキト達が心配そうな視線を寄越す。
「……体力を三割程持っていかれたけど大丈夫、かな?」
「そこで断言しないのがなんともお前さんらしいのウ」
まーね。と俺が肩を竦めると、ジグが褒めとらんワイ。と返してきた。
「リクー。どうにかなりそう~?」
ハルが『ライフウォーター』で俺のHPを回復してくれる。入り口を塞ぐ火柱はプレイヤーだけを阻んで魔法の類は通すようだ。
「んー。どうだろ?」
「亡霊じゃから物理は効き辛いんかいのウ?」
「というか見えないのが厳しいんじゃないかな?」
「ん? いやそれはそこまで問題じゃない」
「えッ!?」
寧ろ問題なのは二度も俺の背中を狙った事だ。しかも二回目はフェイントまで混ぜていた。
(そこらの雑魚MOBと違って優秀なAIだなー。もしかしたらこっちの行動でパターンが幾通りも組んであるかも)
もしそうであるなら動きを予測する事が難しい。俺としてはそちらの方がきついものがある。
「ま、何とかなるかなー」
「小僧行くのカ?」
「うん。わざわざパーティを分断したって事は俺に用があるんじゃないかな? だったら待たせたら悪いからねー」
そう言って俺は中央に歩いていく。
(話している間警戒していたんだけど攻撃無かったな)
意外と有情AIだったのかな。と俺が思っていると四つの火の玉がそれぞれ角度を変えて一斉に襲ってきた。
どうやら攻撃しないでいたのはこれの準備をしていたからのようだ。
「うそ! 《四重詠唱》ッ!?」
いつものほほんとしているハルの珍しい慌てた声が聞こえたが、俺はそれを悠長に聞く余裕が無い。
【見切り】スキルで表示される炎弾の予測軌道は俺を絡め取る様な経路で、必ずどれかに被弾するように調整されている。
カルテットがなんであるか魔法職ではない俺には分からないが、そんな俺でも分かる事がある。
(魔法を放っているのなら、今は動けない筈)
セーフゾーンでハルに教えて貰ったことだ。移動しながらの詠唱は出来ない。それに魔法を放ったなら近くに居る筈だ。
俺は正面から迫る炎弾を左腕で振り払い、出来た包囲網の隙間に強引に体を捻じ込んで突破する。
地面を薙ぐような蹴りを敵がいるであろう位置に当てずっぽうで放つ。
殆ど勘であったが運良く足に何か柔らかいものが掠めたような気配がある。
その気配は直ぐに遠退いてしまったが、これで今まで俺が抱いていた疑問がほぼ確信となる。
「……勘違いしてた」
相手は本物の幽霊系のモンスターである訳じゃない。何らかの方法で姿を消しただけの地に足の付いたモンスターだ。実体が無い訳ではない。
噂の印象と攻撃の当たらなさで勝手に浮いているものだと思っていた。
(あ、ちょうどいいものがあった。実験で作った失敗作だし駄目もとでやってみよー)
俺はそこまで考えてインベントリを開きそれをばら撒く。
ばら撒かれたのは黒焦げたクッキーであり、それらを足の踏み場の無い様に俺の周囲に撒いていく。
(肥料撒きってこんな気分なのかなー)
俺が撒いているのは失敗作のゴミで、しかも三十分程で空気に消けるように消滅して栄養にすらならないが。
今回は三十分も保てば充分役割は果たしてくれる。
じっと立ち止まる俺の背後でぐしゃっとクッキーが割れる音が鳴る。
「くーちゃん」
「きゅわぅ!」
俺の合図と共にくちはが準備していた《雷華》を音がした地面付近に放つ。
「にゃうっ!?」
《雷華》は透明な何かに命中する。空間から締め出されたかの様に衝突地点から一匹の毛玉が投げ出される。
それは空中で一回転すると華麗に着地する。そしてこちらを向くと牙を剥いて威嚇する。
「ふきゃーっ!!」
「……猫?」
俺が猫を見るとモンスター名が猫の頭上に浮かぶ。それと同時に俺の頭に【調教】スキルのアシストが掛かり、どうすれば良いか分かる。
紅い猫――『妬み猫』の姿を視界に収める事と猫に一定時間触れる事が条件のようだ。
(……一定時間、ねぇ)
俺は先ほど猫に触れた足をちらりと見る。
表面上は何ともなって無いが触れた部分が今でも異様に熱を持ち続けている。
今度は猫本体を確認する。
舞い散る黒い火の粉を纏い、猛火の黒毛を逆立てている。今すぐ襲ってくることは無いが親しげな雰囲気も無い。
(……死ぬんじゃないかな)
あんなマグマの塊を抱いたら消し炭になるか、良くてこんがり肉だろう。
どうしようかなー。と思っていると脳内にいくつか映像が流れる。
「んあ?」
それは妬み猫の視点からの映像であり、猫が妬み猫になる前の幸せな記憶。
その記憶には必ず飼い主が映っており、猫が主人の最後の時まで苦楽を共にしてきた事が分かる。
猫は主人が居なくなった後もずっと独りで待ち続け、鳴き続けた。
いつしか猫は主人の居ない世界を嘆き、恨み、妬み始める。妬んで妬んで妬み続ける内に、意識は黒く塗り潰され、恨みの黒炎がその身を包むようになった。
そうして猫は今でも目に入るもの全てを妬み続けている。
「……はあ」
俺は息を吐く。
≪Unlimited Online≫の運営は酷い演出をする。まったくもって鬼の所業だ。
こんな猫の記憶の一端に触れるような映像を見せ、そしてスキルにより救う方法まで示唆されたら助けたくなるに決まってる。
俺は『涼鳴』を鞘に収め、インベントリからクッキーを取り出す。
「……ボス前に出してドヤ顔したかったのになー」
くちはと仲良く分けて食べ終わると、俺達のHPバーの所に耐火炎を示す、炎と盾を併せたアイコンが表示される。
今日のアップデートで追加された料理効果。
ハルに運悪く予定があってコハネのパーティに誘えなかった時、その時の保険にあるものを作っていたら出来た副産物。それが今食べたクッキーである。
俺は猫に近付き、その傍に膝を付く。
逃げられると思ったが、猫は黒い炎を猛らせながらも動かなかった。
(透明化を解いた時点でイベントに入ったのかな?)
だとしたら先程の映像も、逃げない事も一応の納得はいく。もしかしたら攻撃もしないのかもしれない。
そう思って油断していたら妬み猫が俺に飛び掛ってくる。
「おわっ」
慌てて胸で抱き止める。魔法の強力さと比べて物理攻撃の方はてんで駄目のようで、俺の胸にぶつかっても一ドットのHPも削れない。
「あつッ!」
しかし抱きとめた瞬間俺とくちはに黒い炎が伝播する。そのまま俺達を飲み込み焼き尽くす。
ガリガリガリッという幻聴が聞こえそうな勢いで俺とくちはのHPが減っていく。
俺は極力HPバーを見ないように意識しつつ妬み猫に声を掛ける。
「……独りで辛かったな」
「ッ!!」
炎が一層激しくなり肌を焦がす。分かってるよ。お前がそう労って欲しい相手はただ一人だもんな。俺なんかにとやかく言われたくないよな。
それに俺の言葉を受け入れてしまったらお前が待ち続けた年月が無駄になるからな。
それでも俺は続ける。
「……もう独りじゃなくて、いいんだぞ」
「?」
「独りで寂しい想いをする必要は無い。俺は友達として一緒に待ちたいんだ」
「っ!?」
ゆらりと俺達を包む炎が風に煽られたように揺らめく。
妬み猫も本当は主人が戻らないと分かっている。分かっているからこそ、こんなになるまで主人の居ない世界を嘆いたのだ。
しかし理解はしていても感情では納得は出来ていないのだろう。その結果が妬み猫化でありこんな火山で人を襲い続けた理由だ。
猫は孤独に殺されたのだ。
だから今度は俺と一緒に現実を受け止めていけば良い。
『大丈夫だよお兄ちゃん。私はずっと一緒にいるから』
一年半前に紅羽に言われた言葉。過去に俺を救い、現在は俺と紅羽を繋ぐ鎖の言葉。
その言葉に宿った想いは尊いものだと信じている。だから俺は妹の言葉を借りる。
一層強く猫を胸に抱く。
「大丈夫。俺はずっと一緒にいるから。お前を独りにしないよ」
「――ッ!!」
長年聞きたくて、でも聞けなかった言葉が猫に届く。
妬み猫が声にならない絶叫を上げる。
俺達を包む黒炎が真紅の炎に焼き尽くされる。
妬み猫が思いのままに泣いて啼いて鳴く度に、猫の体を覆っていた黒炎が火の粉となって宙に舞い、空気に優しく溶けていく。
俺は元の綺麗な紅い毛並みになった猫を落ち着くまで撫で続けた。




