07.彼は心から笑わない
すみません遅くなりました(土下座)。
俺は『青き海猫亭』の厨房で中華鍋を振っている。
具材の焼ける小気味良い音と香辛料の香ばしい匂いがキッチンに漂う。
きつね色に炒め終わった料理を皿に盛り付け、カウンターへと運んでいく。
「シアちゃん。これを三番テーブルにお願い」
「分かりましたリクさん。あ、一番さんから鬼鰆と彩り野菜の香草焼きのオーダー入ります」
「ん」
「ではお願いしますね」
そう言ってお店のウェイトレスであるテレシアは持っていた空き皿を置き、料理を持ってフロアに舞い戻る。
俺は置かれた皿を流しまで持って行き、汚れた中華鍋を素早く洗った後に料理に準備に入る。
俺の一連の流れるような動きを見ていた女将は腰に手を当てて呆れた様子である。
「あんたも慣れたもんだね。まだここに来てから四日しか経ってないのにこの上達ぶりとはね」
「先生と施設が優秀ですからね。俺みたいな奴でも成長します」
「嬉しい事言ってくれるのは良いけどちゃんと手を動かしなよ」
「はい」
俺は肩を竦めると慣れた手つきで冷蔵庫から食材を取り出していく。魔法で動いているらしいが【魔道具】スキルの低い俺には詳しい事は分からない。
伝説の家具職人特製のキッチンにより難なく下ごしらえから調理までスムーズにこなす。
ここ三日程で分かったのだが≪海猫亭の味≫のクエスト中は【料理】スキルが伸びやすくなるようだ。弟子入りという形なので経験値に補正が入っているのは間違いない。
またこのお店は予想よりも繁盛していて【料理】を鍛えるのにとても適している。
ちらりとフロアを見ると席は殆ど水夫や冒険者で埋まり騒がしく、そのテーブルの間をテレシアが引っ切り無しに動き回っている。
ここ数日の俺は、お店の閉まっている午前中は『悠久庭園』で戦闘や『シエスタ』で釣りをして過ごし、午後は酒場で料理を習っている。
そのお陰で【短剣】や【見切り】などの戦闘スキルだけでなく、【釣り】や【料理】のスキルも上がっている。
特に【料理】の成長は元々レベル0でレベルアップの必要経験値が少ないのもあるが、それを差し引いても目覚しいものがある。
(今では【料理】Lv7だからなー)
調べた所によるとLvは0で素人、5で見習い、10で一人前となり、30で二流、そして50が一流であると考えるのが分かり易い。50から先は伝説とかだったが基本的にプレイヤーはそれ以上伸ばそうとはしない。
何故なら下級スキルを30、50まで上げていくとその上位である中級スキルが新しく発現するからである。
当然性能や有効なアビリティなんかは中級スキルの方が豊富だし経験値効率もいいので、中級スキルを優先して上げるのが一般的である。
(でも訓練場であったギルフォード――『武帝』は全武器スキルをマックスの100まで目指してるらしいな)
これは本人から直接聞いたのではなく、以前掲示板で『武帝』がそう宣言したらしい。最初は掲示板でその非効率さを馬鹿にされていたが彼は努力により今では殆どの下級武器スキルを30以上まで上げているらしく、その愛すべき馬鹿さ加減と熱意を称えていつしか『武帝』と呼ばれるようになった。
(でも馬鹿だよなー)
俺がそんな無駄な事に思考を割いていると女将に咎められる。
「こらあんた! ボーッとしてんじゃないよ。料理を焦がしたらどうするんだい!」
「あ。……すみません!」
「しっかりしておくれよ。あんたはそれなりに頼りになるんだから」
「気を付けます」
俺は焦げる前に皿に乗せ、料理の状態を確かめて安堵の息を吐く。
料理をテレシアに手渡すと同情するように苦笑してきたので肩を竦めておく。彼女は俺の様子を見て落ち込んでいると勘違いしたのか慌てて言ってくる。
「私もリクさんがいて助かってますよ」
「……どーも。料理よろしく」
「はい!」
元気に走り去るテレシアには目もくれずにさっさと厨房の奥に引っ込もうとした俺に、カウンター席に座る髭面の男性が話しかけてくる。
「あっはっはっ! テレシアちゃんは優しいから心配かけちゃいけねえぜボウズッ!」
「そんなつもりはないんだが……」
そう返すと男性の隣の日に焼けた若い男が便乗する。
「そりゃあれだぜあんちゃん。あんちゃんがそんな辛気臭い面してるからじゃねえか?」
「……辛気臭い」
「おーそうだぞボウズ! この若いのの言う通りだぜっ! ボウズは厨房担当だが一応接客なんだから笑顔は大事だぜ!」
「そうそう。それにテレシアも笑顔で動き回ってるじゃねえか。あんちゃんも見習ったらどうだい?」
「……ん。一理ある」
お酒が入っているので若干説教臭い喋り方になっているがこの二人のいう事は尤もで、俺の真顔は暗くて少し生気が欠けているのは妹のお墨つきである。
俺達がそんな言葉を交わしていたら、話を聞いていた女将が神妙な表情で近づく。
「……二人ともあんまり新入りに無茶言わないどくれよ?」
「あはは違いねえやッ! ボウズ無理言って済まねえな」
「あー。あんちゃん。別に気にすんなよ?」
酷い言い様にさすがの俺も対抗心が芽生える。事実を突かれて反論したくなったがこの場合は正しいだろうがとにかく俺は反論する。
「女将さんもお客さん達も決め付けは良くない。俺は営業スマイルには自信がありますよ?」
「はいはい。じゃあその自信を見込んでこの料理を二番テーブルにお願いするよ」
女将が呆れた様子でどや顔の俺に料理の乗ったお皿を差し出す。俺よりも数段美味しそうな出来の料理に、それまでの気持ちが消え去りただ感嘆しながらそれを受け取る。女将さんは伊達にこの酒場を長年切り盛りしていない。
俺は素直に入り口寄りの二番テーブルに料理を運ぶ。
「お待たせしましたー。織鯵の南蛮漬けです」
「お、新入りさんありがとうよ」
冒険者風の若者の言葉に軽く頭を下げて俺はカウンターに踵を返すと同時にお店の扉に設置してある鐘が涼しく鳴り来客を告げる。
「いらっしゃいませー」
先程までの話もあり何時もより営業スマイル三割り増しで入ってきた客に対応する。さらさらな黒髪の少女が目に飛び込む。
「え? 先輩?」
「……あー」
正確に言うとお店に来たのはナギだった。彼女の姿を見た瞬間俺の体は硬直する。
彼女はというと行き成りの事に目を白黒させて扉の所で立ち尽くしている。
(……なんだろう。凄く恥ずかしい)
知り合いに普段見せない姿を見られるのがこんなにも羞恥心のあるものだと思い知る。
理由は分からないがナギも入り口近くで固まっている。
「なっちゃん急に立ち止まってどうしたの?」
ひょっこりとナギの背中からコハネが顔を覗かせる。
コハネはナギの表情を訝しげに見た後ナギの視線をなぞってこちらに振り向く。コハネは目を丸くすると壊れたバネ人形のように俺に飛び掛ってくる。
「お兄ちゃんだひゃっほーいっ!!」
「ぐふっ。……コハネは今日も元気だなー」
コハネの頭が鳩尾に入ったが俺は愛しき妹を拒みはしない。それは俺が自分で決めた絶対遵守の唯一のルールである。
でも鳩尾アタックだけはやめて欲しいというか再三そう言っても我が賢妹は改める気配は無い。
俺は腰に妹を貼り付けたまま諦めにも似た無力感を抱いていると、ナギが立ち直り俺に問いかける。
「えっと。先輩何してるんですか?」
「バイト……いやクエストだなー」
「また変なことを……」
ナギがジド目で見てくる。俺はそれを敢えて無視して彼女の後ろで困惑しているナギ達の連れにも声を掛ける。
「……とりあえずテーブルに案内するから付いて来て」
「え、ええ……」
焦げ茶色の髪と褐色肌の女性が躊躇いがちに俺の声に答え、もう一人の金属鎧のブロンド女性は黙って付いてくる。誰も俺の腰にしがみ付いて引き摺られるコハネには突っ込まない。
窓際の人気の高いテーブルに四人を座らせる。このテーブルから見える海や月明かりはお客に好評である。
現に窓際に座ったナギとブロンド女性が窓の外を見ながら感嘆を洩らす。
「アリシアちゃん。海が月明かりで輝いて綺麗だよ」
「はい綺麗ですね。……この場合は君の方が綺麗だと返すのが正解ですか?」
「……またアリシアちゃんは変な事を覚えたんだ」
「?」
俺は窓際二人の会話を生温かい目で眺めた後、この集まりのまとめ役らしき褐色肌の女性に話しかける。
「いつもこんな感じ?」
「ええ、まあね。ほらあんた達注文しなさい。――私はパンとキリサメのフフカヒレスープをよろしく」
「んー」
「私は白ごはんと黒鯛の煮付けをいただきます。いやここはスマイル下さいと言った方が――」
「――アリシアちゃんは素直に煮付けでいいから!!……私は日替わりお刺身定食をお願いします」
「ん」
褐色肌の女性が怒っている訳ではないが胡乱げな視線を俺に向ける。
「……とても接客の態度とは思えないほど適当ね」
「ん? ……んー。ん?」
「当然の事を言ったのに何で意味を理解してない反応が返ってくるのよ……」
「ヴィヴィさん。先輩は変人ですから気にしないほうがいいですよ?」
失敬なとナギに非難の視線を送ると彼女は柳眉を立ててこちらに強い視線を返してくる。小心者の俺はその圧力に耐え切れず、すぐさま視線をついと逸らし腰に張り付く妹様に逃げる。
「コハネ。お前は何食べるんだ?」
「私はお兄ちゃんが作った物なら何でもいいよっていうのが本音で、私もアリシアちゃんと同じ魚の煮付けが食べたいなっていうのも本心だよっ!」
「コハネは裏表の無いいい子だなー」
「……先輩ってコハネちゃんに関する事になると病的にポジティブですよね」
「家族だからなー」
兄が妹を受け止めるのは当たり前だ。
何気なくそう返したらナギは驚きと悲しみの混ざった表情を一瞬した後にそうですねと透明に笑う。
俺には彼女がどうしてこんな表情を浮かべるのかわからない。かすかに困惑する俺にナギは普段通りの態度に戻る。
「ほら先輩。早く注文を持っていかないと怒られますよ?」
「……ああ」
俺がナギの表情から想いを読み取る前に彼女は何時もの調子に戻る。俺は胸にわだかまりを感じつつも彼女の言葉に促されるままにテーブルを離れる。
その時コハネがじっと無表情でナギの顔を見ているが、俺はそんな妹の珍しい様子に気付く事はなかった。




