02.彼は武帝と出会う
訓練場の広場で俺は正座する。対面に立つイナサにきりっとした視線を向ける。
「……ご指導ご鞭撻のほど宜しくお願いします」
「おう」
「……早く教えろくださいこの野郎」
「早速敬語が怪しくなったな。緊張している時に慣れない事はしないほうがいいぞ」
「んー」
俺の瞳からやる気が消えて死んだ魚の目になる。俺の様子にイナサは苦笑する。
「さて、とは言ったもののリクは武器についてどの位知ってるんだ?」
「そだなー。一応要求スキル値ぐらいは調べたかなー」
『要求スキル値』とは武器や防具についている数値で、この数値をプレイヤーが満たしていないと装備は本来の性能を発揮できない。例えば俺が使っていた木剣にも要求スキル値が存在しており≪【片手剣】Lv5≫が必要値である。しかし俺は【片手剣】Lv3。その所為で武器本来が持つ『ATK30』にマイナスの補正が27程掛かり威力が低下していた。
蛟戦から今日までの二日間調べて気付いたこの事実に、いかに俺がこのゲームを適当に遊んでいたかが窺えて恥ずかしい気持ちになった。
「んじゃ、スキル補正も知ってんだな?」
「知ってるけどいまいち理解は出来てないかなー」
「おっけー。見てみな」
イナサが木剣を装備して俺に可視状態にした装備画面を見せてくる。
右手:木の剣
ATK:30 +153
「……ちーと?」
「こんな地味なチートはいらないかな。このプラスの所がスキル補正で上がった攻撃力だな」
元の攻撃力の五倍近い値が加算されているんだがそれでもこいつは地味とおっしゃるか。
「こんな感じで武器による攻撃は武器の基本値とスキルの補正値の合計で決まるんだ」
「へー」
「装備してみ」
そう言ってイナサが一本の片手剣を放ってくる。俺は鏡のように磨かれた刀身に一度目を細め、黙ってウィンドウを開き名も知らない名剣を装備する。
右手:グラスノ鋼剣
ATK:1050 -1042
これは酷い。
「これは酷いな。素手の方が強いんじゃないか」
「かもなー。……ほら返すよ。こんななまくら」
「使い手が悪いだけだろ……」
つまるところ限度はあるだろうが素人が持てば聖剣だってなまくらになり、達人が持てば木の棒だって名刀の切れ味を出すという事か。
イナサの話によると装備には様々なものがあり、基本値が高いが補正値の上昇が低いものやその逆もしかり。そして俺の興味を惹いたのはユニーク武器という所謂レア武器だった。
「俺が印象に残っているのは『不動剣』っていう攻撃力固定の大剣だな」
「……固定?」
「ああ。プレイヤーの【大剣】スキル値に関係なく扱える武器でな。要は武器の基本値しかないんだがこれがまた強力なんだ。リクに分かり易く言うと蛟を三回斬って倒せるぐらいに強いぞ」
「なにそれ欲しいです」
「三回斬ったら壊れるがな。ちなみに修理不可」
「……おおぅ」
木剣を使い潰してきた俺だが流石にレア武器を使い潰す度胸はない。
俺達はそれからユニーク武器の話で盛り上がった。使用者のHPを吸い取り攻撃力にする魔剣や同じ敵を倒し続けることで手に入る妖刀の話。こういったロマン溢れる武器には人を惹きつける魔力がある。
「あれっ? 特訓してるんじゃないんですか?」
「「あ……」」
訓練場に入ってきたナギが特定のMobを助けたら手に入る防具の話をしていた俺達に近づいてくる。
すっかり特訓について忘れていた俺とイナサは顔を見合わせる。そんな俺達にナギが笑顔で一言。
「正座」
「「……」」
目的を忘れていた俺達が悪いのは明らかなので素直に従うのだった。
イナサに訓練場に連れてこられてから今日で四日目。
金属の鋭い風切り音が訓練場に小さくそれでも確かに響き渡る。
耐久値が無限に設定されている訓練用のナイフを腕だけで動かす。速く動かすことよりも淀みなく滑らかに動かす事に重点を置く。それこそ肩の駆動域を確かめるように丁寧に規則正しく刃を煌かせる。
耳朶を叩く剣戟の旋律で心が静まるのを感じながら、一つ一つの動きの無駄を確かめては削り取る。
何回も何回も違和感のある所作を発見しては改善していく。これを繰り返す内に動作に余裕が生まれ自然と剣速も上がっていく。
全ての動きを把握し掌握する事を心がける。
(そういえば昔師匠に言われたな)
俺は感覚派ではなく理論派だと。またイナサは両方の素質があると同じ師に言われていた筈だ。
あの頃はそんなイナサに嫉妬したものだと感慨に耽っていたら背後で足音がする。
反射的に振り返ろうとして腕の動作にノイズが生じる。
精細さを欠いた制御により腕に鈍い痛みが走り、ナイフが手から零れ落ちて土の上で乾いた音を出す。
(やっぱ俺は凡人だなー)
詰めていた息を吐き出し腰を屈めてナイフを拾い振り返る。
優男が涼しげな表情で俺を見ている。
俺を観察するような見極めるような真剣な視線を俺は不思議に思う。
「……何か用?」
「いや失敬。あまりにも綺麗な太刀筋だったからつい見とれてしまっていた」
「……褒められるような腕じゃない」
「またまた謙遜を」
謙遜でも何でも無く事実として言う。現に俺は無様を晒してナイフを落としたのだから。
しかし優男は俺の言葉に首を振って否定を示し、口角を吊り上げて続ける。
「それとも君の師匠である『神剣』と比べたら大した事がないっていう意味かな?」
「……どこでそれを?」
「『神剣』に教えてもらったんだよ。君や『煌帝』の事をねッ!」
「へー」
そして俺は優男から興味を失い【短剣】スキル向上の為の素振りを再開する。
「あ、あれ? 君は『神剣』の事を聞いてこないのかい?」
「ん。興味ないし」
「き、君の師匠だよね彼女ッ!? ここ二年くらい音信不通だった師匠の情報源が目の前に居るんだよッ!?」
「こういうゲームだと偶にあるからなー」
現実のクラスメイトとかと同じである。卒業しても連絡取り合う人もいればどこに行ったのかも分からない人もいる。それと同じでゲームの中でも付き合いの深い浅いはある。
「『神剣』の話と全然違う。彼女の口振りからは君は彼女を尊敬していたように感じたのだが」
「……師匠は妄想癖がある」
「……『神剣』に同情したくなる気分だね」
「師匠に同情とか心配とかはするだけ無駄かなー。で、もし師匠の情報を求めたらあんたは俺に何を要求しようとしたの?」
「察しがいいのは『神剣』の言葉通りだね。――『神剣』の弟子に手合わせを願いたいっ!」
「……んー」
俺は少し考える。十中八九師匠は厄介事をこちらに回して楽しんでいる。この男が師匠の差し金で俺の元を訪ねたのなら決闘は避けられない。経験上師匠の思惑が外れた試しは無いし、無理に抵抗しようとすると余計な労力を使う羽目になる。
師匠からは逃げられない。彼女は魔王よりも恐ろしく運命よりもしつこい。
ならばせめて自分が損をしないように立ち回るべきだろう。あとなるべく労力が無いようにも。
「……一ついい?」
「なにかな?」
「……あんたは俺と戦いたいって『お願い』してるよね?」
「まあそうだね。で受けてくれるのかい?」
「いいよー」
俺は『にっこり』と人当たりの良い顔になり瞳に光を宿すと訓練用のナイフを構える。そんな俺の様子に優男は機嫌を良くして手に持っていた訓練用の大剣を地面に刺し、新たに片手剣を構える。
「いやー嬉しいな! かの有名な『神剣』の弟子と戦えるなんてッ!」
「まあ、師匠は一部で有名だから……」
「何を言ってるんだい! 君も充分有名だろう。掲示板を見たりしないのかね?」
「……あー。攻略とかは見てるけどー」
優男からの決闘の申請を承諾しながら答える。俺はそんなに目立つのか?
「テイマーは希少だからね。それにフィールドでは変な戦い方をしているそうじゃないか! 君はもう少し自分の知名度を知ったほうが良い」
「……あー」
覚えがあるので否定できない。モンスターを転ばせるのとか普通しないよな。青く光るカウントダウンをぼんやり眺めながら俺は言葉を濁す。
(五合打ち合えば満足するだろー)
適度に打ち合って違和感なく負ける。真面目にやる必要は無いしやるとしてもナイフの練習程度に思えばいい。
カウントがゼロになり決闘が始まる。俺は右半身を前に出し順手に持ったナイフを相手に真っ直ぐ構える。
ナイフの切っ先で捉えていた優男の姿がぶれると一瞬で俺の右側の懐近くに体を沈めて踏み込んでくる。彼はそのまま地面すれすれに下段から斬撃を放ってくる。
俺はそれを時計回りに体を動かし体重を乗せた右手のナイフで払い落とす。ナイフに伝わる痺れる程の衝撃と相手の剣速の速さに心の中で笑みを広げる。
(この人強いなー。これなら五合といわず三合で負けれるなー)
体を独楽のようにそのまま回転させて逆手に持った左手のナイフを低い位置にいる優男に叩き込む。とは言っても今の俺には人を斬る覚悟は戻っていないから斬るフリだが。
剣を弾かれた体勢の彼は首を少し傾ける動作だけで俺のナイフを皮一枚でかわし、素早く体勢を立て直すのを俺は視界の端に捉える。
俺はそのままナイフを避けられた勢いを殺す事が出来ず、無防備な背中を彼に晒す。
(完璧すぎる負けパターン! あとはこの人を通して師匠に顔を見せるなって伝えるだけだ!)
俺は彼に背中を向けながら迫るであろう衝撃に備える。あとは彼の願いを聞いた代償として俺の願いを聞き入れさせるだけの簡単なお仕事だ。
だが衝撃はいくら待っても来ず思わず俺は背中を見せたまま立ち止まる。しかしいくら待っても俺のHPが減るような行為が飛んでくる気配が無い。
俺はターンをして優男と相対すると不機嫌を顕にして彼に言う。
「……何で攻撃しないん?」
「何で攻撃されなかった君が怒るんだい……。『神剣』が君は必ず最初は分からないように手を抜くって言っていたよ」
「…………本気だったからー。このゲームの戦闘慣れないわー」
「『りっくんは妹ちゃんの事以外だとやる気ださないのさっ』っても言ってましたよ」
「……うぐっ」
こっちの動きを予想するとか師匠は妖怪なのか?
俺は息を吐くと先程まで浮かべていた偽の輝きを瞳から消し、胡乱げに彼を見る。
「……で、何?」
「いきなり対応が雑になったね。……君には『特攻相殺』を一度見せて欲しいんだ」
「あさ……? 何それ」
俺のその台詞に優男はあれーと首を傾げて言う。
「『特攻相殺』だよ。確か最小の力で敵の攻撃を相殺する技って聞いたんだけど。そして君が教え子の中で一番上手いとも聞いたよ?」
「……あー」
俺がこのゲームでモンスターにしていた技術の名前を初めて知る。師匠俺達に教えた後に名前考えただろ。
「あーうん。出来る。やろう」
「そうかい! ありがとう!」
優男は意気揚々と少し離れた地面に刺してある大剣の元へ向かう。手加減していたのは彼の方も同じだったようだ。訓練用の大剣を構えた彼の姿は肌に刺すような威圧感を醸し出している。
「いいかい?」
「……んっ」
大剣を正眼に構えた優男の確認に俺は頷きをもって答えてナイフを構える。
「はあっ!!」
彼は裂帛の気合と共に大剣を振り降ろす。俺は待ち構えるような事はせずに振り下ろされる彼の懐に潜り込み完全に振り下ろされる前に大剣の柄尻を素早く二連撃する。
ありえない角度からの衝撃に彼の手から大剣が離れて上に弾かれる。
上からくるくる回って落ちてくる大剣を気をつけて受け止めると唖然とする優男に差し出す。
「師匠に俺に絶対会いに来ないように伝えて。あと面倒事も回すなとも」
「……あ、ああ。分かった。しかしこうもあっさりやられると悲しいな」
「……慰めにはならないが、師匠なら片手で同じように弾いた後、空中で剣を掴んで斬りかかれるから」
「知ってるよ。実際やられたからね」
「……うわー」
その台詞で俺はこの人がどうして俺の元に来たのかを悟る。そして親切心から言葉を掛ける。
「師匠は存在がチートに近いから再戦は止めておいたほうがいい」
「……そうだね。そうするよ」
「あー。それにほら! 訓練用の武器はスキル補正乗らないからっ」
「……素の技術で負けたのか」
「師匠が言ったみたいに俺はこれしか能がないからっ。そ、装備もスキルレベルもプレイヤーの大事な要素だからっ! 俺なんてそれらを疎かにしていたから今から鍛えてる訳だしな。普通の決闘だと俺が負けてるから」
俺にしては珍しくわたわたと優男を慰める。
優男は泣きそうな目で俺を見ると嬉しそうに泣き笑い、
「君は優しいな」
「……事実を言っただけ」
「ありがとう。私はギルフォード。気軽にギルと呼んでくれ」
「え、ああ。リクです?」
差し出された手を握り返す。あれ、何この流れ?
泣き止み晴れ晴れとした表情をその甘いフェイスに浮かべたギルが俺に申し出る。
「今回のお礼というわけではないが、もし困ったことがあったら私を呼んでくれ。微力ながら力になろうッ!!」
「……どうもです?」
ギルは俺とフレンド登録をすると俺に千切れんばかりに手を振って訓練場を立ち去った。
ギルフォードという嵐の過ぎ去った訓練場にぽつんと残された俺は握手した体勢のまま俺は師匠に真の狙いに気付く。師匠は端から再戦する気などなく、彼自体を俺に押し付けたのだ。
「師匠め……」
絶望する俺に、軽い電子音とともに一通のメールが送られてくるのだった。




