01.彼は決心する
文章二倍!
俺は始まりの街『アルスティナ』の中央に鎮座する大噴水に腰掛けている。
この世界にも雨は降るのだろうかと日が真上へと昇ろうとしている青空を見上げながらふとそんな事を思い浮かべる。現実と季節はある程度リンクしてあるのでもう雨季は過ぎ、肌を焼く夏の暑さはゲーム開始と比べて格段に強くなっている気がする。
こうして噴水の傍で涼を感じたいと思うくらいには初夏を感じさせるようになった。周りも似たような事を考えるのかそれともただ目立つからなのか、よくこの大噴水の周囲は待ち合わせに使われる。
かくいう俺もこの噴水でイナサを待っており、現実で交わした「お昼を食べたらそっち行くわ」との言を聞いて少しばかり早いがここで待つ事にしている。
俺は膝上に座る子白狐の毛を優しく梳きながら喧騒に包まれる街路を何の気なしにぼんやりと見つめる。行き交う人々を条件反射のように目で追いながら、俺の胸の内には意味の無い感想が次々と浮かんでは泡のように消えていく。
「――あのー、聞いてますかー?」
「……ん?」
頭を空っぽにしていたので俺は自分に掛けられていた声に気付くのが遅れた。声のした左隣を見ると二人のプレイヤーがこちらを窺っている。
一人は男性プレイヤーで威圧感のある銀色の大盾と盾と同色の鎧で全身を包んだ人物で、街中なので大盾は背中に背負い兜は脇に抱えており、今は人の良さそうな顔の凛々しい眉を下げている。
もう一人は魔法使いのローブの女性プレイヤー。藍錆色のローブを着込んだ彼女はフードを外しその栗色の髪を日差しの元に晒している。ふわふわとしたその髪は肩口まであり、細い眉にぎりぎり掛かる所で切り揃えてある。
俺に声を掛けたのはこちらの女性のほうだろう。ようやく反応した俺に彼女は形のいい唇を嬉しそうに綻ばせる。
「良かったですー。話しかけても返事がないから無視されてるのかなぁと」
「すまん。考え事してた」
いえいえーこっちが勝手に話掛けたのでー。とのんびり彼女は返してくる。どこか間延びした調子と毒気を抜かれる雰囲気に俺は困った表情になる。それを見て男性プレイヤーが申し訳なさそうな顔で短髪の後ろに手を回して俺に謝罪する。
「すみません。実はこいつが膝のペットに興味を持ったみたいなんですよ」
「くちはに?」
「くちはちゃんっていうんですねー。可愛いですねー」
「話が進まないからハルは黙ってくれ。お願いだから」
「ユッキーはいつも私にひどいよねー」
「人前で僕の事をユッキーって呼ばないでって言ってるよねッ!!」
「分かってるよー。ユッキー」
「全然分かってないッ!?」
わいわい言い合うというか一方的に騒ぐ少年を女性がのほほんとあしらう様子を、俺は生温かい目で見守り続けたが話が進まないので仕方なく口を開く。
「……えっと。俺に用?」
「あー、そうですそうです。もし良かったらくちはちゃんに触らせてくれませんかー?」
「くーちゃんに?」
「はいー。嫌でなければですけどー」
俺は別に構わないが他のプレイヤーにこんなことを言われたのは初めてなので返事に詰まる。俺のその反応を見て少年は落胆した表情で言う。
「あーと、やっぱり迷惑ですよね。それにこういったプレイヤー情報を探る真似はマナー違反ですし……」
「大丈夫。ちょっと吃驚しただけ。どーぞ」
膝の上から朽葉を掬うように持ち上げ少女の手が届く位置に差し出す。彼女はお礼を言うとくちはの頭に触れると優しく動かす。
「大人しいんですねー」
「……前までは逃げてたんだが妹や親友に撫でられる内に触られるのに慣れたみたい」
「可愛いですー。もふもふですー」
「聞いてないなー」
「すみません!すみません!」
俺はくちはを少女の傍に置きこちらに何度も頭を下げる少年に気にしないでいいと手を振る。少年は申し訳なさそうな顔をようやく笑顔に変えると、俺に自分達の紹介をする。
「俺はユキトっていって見ての通り盾職やってます。こいつはハルで今は冷気魔法使いやってますね」
「今は?」
「前までは紅いローブで火炎魔法使いやってましたね。でも今攻略しているダンジョンだと炎が効き辛くて冷気を伸ばしているんです」
「へー」
「ユッキー勝手に人の事言うのやめてよー」
「いいからお前は触らしてもらっときなよ。滅多にない機会なんだから」
「そーするー」
内容の割りには特に気にした風でもないハルの台詞に彼もそれは分かっているのか軽くあしらう。その言葉や仕草の端々を見ているとこの二人の付き合いが長いのが窺い知れる。
「……俺はリク。よろしく。あと敬語はいいよ」
「はい――じゃなかった、うん。よろしく」
「私もよろしくー」
くちはに落としていた視線を俺に向けハルもそう言うとまたくちはに視線を戻す。よほどくちはを気に入ったようだ。俺が苦笑しているとユキトが呆れているのが視界に入る。彼は苦労人のような雰囲気が滲み出ておりなんだかイナサに似ている。
「リクはテイマーなの?」
「一応テイマーかなー。まだ一匹しかいないけど」
そもそもこれ以上増えるのかも定かではない。ユキトもそれは知っているのか黒い瞳に同情の色を滲ませる。
「【調教】は情報が極端に少ないからね。でも最近掲示板の攻略スレに情報が乗ってたような……」
「……あー。食べ物のやつか」
「そうそれ。やっぱりリクもチェックしてるんだね」
(チェックというか書いてる張本人なんだがなー)
ゲームに関して分かった事は時間を見つけては極力掲示板に書くようにしている。【調教】に関してや先日の蛟の事も既に書いてある。とはいっても【調教】や【釣り】を育てている人は殆どいないので反応はあまり芳しくない。秘匿にする必要もその気もないので取り敢えず書き込みは続けるつもりではいる。
秘密にする気もないのでユキトにその事を話そうと口を開くがその前にユキトが笑いながら、
「でもその人も不思議な人だよね。わざわざ【調教】や【釣り】を伸ばしてるらしいし」
「……おー。そうだねー」
彼には悪気はないのだろうがなんとなく言い出せなくなった。俺はスレがスキル毎に分かれている事を思い出しユキトに尋ねる。
「ユッキーは【調教】の攻略スレ見てるんだな」
「ユッキーはやめて。一応攻略は全部見るようにしているんだ。相方はこんなんだからね」
ユキトはハルを指差して溜息をつく。こんなん扱いされたハルはしかしそれを無視してマイペースにくちはを可愛がっている。いつもこんな感じでハルは自分の興味のある事しか目に映らないのだろう。だからユキトが彼女の分も調べて必要な事を教えているのが容易に想像できた。
「……苦労人だな」
「あはは。慣れてるから」
ユキトの笑顔が哀愁を誘い俺は心の中で涙する。俺達のそんな空気を破るかのようにイナサが俺達に声を掛けながら近づいてくる。
「リクわりぃ遅くなっちまった。待ったか?」
「かなり待った」
「そこは待ってないって言うのが普通なんじゃないの?」
ユキトの突っ込みに俺は肩を竦める。イナサはくつくつと笑いながらユキトに手を振り、
「いいっていいって、慣れてるから。――俺はイナサ。あんた達は?」
「僕はユキトで彼女はハルと言います」
「見たとこ同い年だし普段通りの喋り方でいいぞ」
「イナサもリクと同じ事を言うんだね」
その言葉に俺とイナサが同時に顔を顰めるとユキトは可笑しそうに笑う。
「『煌帝』さんー。よろしくねー」
「ぶっ!?」
ハルの間延びした声にイナサが吹き出す。ユキトも頷きながらそういえばと続ける。
「イナサは『煌帝』って呼ばれたね」
「やめてくれ!二つ名とかすっごい恥ずかしいんだぞ!」
「何で『煌帝』?」
「確か敵を圧倒する殲滅力とその時の剣が絶え間無く煌く様が由来と聞きました」
「……へー」
「……」
俺は黙り込んだ親友を見る。今は髪どころか耳まで真っ赤である彼は本当に恥ずかしいようだ。異名で弄るのはやめておくことにしよう。助け舟を出す意味合いも込めて俺はイナサに声を掛ける。
「そろそろ行こー」
「あ? ……ああっ! そうだな訓練場に行くか」
「訓練場? あそこで何するの?」
「……んー。【短剣】スキルの特訓やる」
疑問詞の浮かびそうな表情のユキトに俺が答える。彼はなるほどーと呟く。ちなみにハルは聞いているのかいないのかくちはと遊んでいる。この短時間で仲良くなったようでよかった。
「武器スキルは大事だからその特訓を邪魔しちゃ悪いね。それに僕たちも消耗品を買ってそろそろダンジョンに行かないとだしね。――ハル」
「分かってる。バイバイくちはちゃん」
「きゅっ」
ハルはくちはを胸に抱えると俺に渡してきた。残念がる彼女の姿が胸に来たのと、くちはをこんなに好きになってもらって嬉しかったので、俺はそんな彼女にこう言っていた。
「明日も今日と同じ時間にここにいる」
「え?」
「時間があったらまた遊んであげて」
「……リクありがとー」
ハルの穏やかな雰囲気がより一層温かみを増し背後に花でも咲いてそうな錯覚を覚える。名前の通り春の気配をさせた彼女から恥ずかしくなり視線を引き剥がすと、驚いた顔をしているユキトと目が合う。
「……何?」
「いやリクがこんなに優しいとは思わなくて。……最初見た時は怖い感じだったから。特に目つきとか」
「……」
「確かにな。ユキト達はよく声掛けようと思ったな」
「僕じゃなくてハルが最初に声掛けたんだよ。僕は慌てて止めようとしたんだけど間に合わなくて」
「俺が同じ立場だったら間違いなく止めてる。ユキトは間違ってないぞ」
黙る俺を無視してわいわい盛り上がるイナサとユキト。こいつらは俺にも心がある事を忘れているんじゃないだろうか。
「……イナサ。行くよ」
「分かったからふて腐れんなよ。んじゃな二人とも攻略頑張れよ」
「うん、ありがとう。リクも特訓頑張ってね!」
「んー」
「今日は楽しかったー。二人ともまたねー」
元気よく手を振るユキトとゆったりとした動作で手を振るハルに、俺達は手を振り返してその場を離れたのだった。
俺とイナサは街の北東に伸びるメインストリートを並んで進む。歩くプレイヤー達にぶつからないように注意しながら歩く俺にイナサが話しかけてくる。
「でも意外だな。お前が誰かと親しげに話すなんてな。てっきり別人かと思って声掛けるの躊躇ったぞ」
「……それは言い過ぎ」
「はは。かもな。でも意外だったのは本当だぞ」
「んー。まあくーちゃんの影響かなー」
名前を呼ばれたくちはが頭の上からこちらを覗き込む。何でもないよ。と逆さまのくちはと目を合わせて俺が言うとくちはは素直に頭の上に引っ込む。うちの子は素直でいい子だ。
「突然『武器スキルを磨きたい』とか言い出したのもくちはの影響なのか?」
「……んーと。それもあるかなー」
俺は少し考えて、
「ちゃんとこのゲームを楽しもうと思ったんだ」
「どういう事だ?」
「俺さ昔のゲームの影響で刃物を握るのに抵抗があったんだよね」
「……だからキャラ作成で武器スキルを取らなかったのか」
「うん」
でもこのゲームには楽しいことたくさんある。モンスターとの戦闘だってその一つだ。なのにわざわざ武器スキルを放置しているのが今更もったいなく思えたのだ。
契機となったのは蛟戦だと思う。あの時はナギやくーちゃんに頼りっぱなしだったのが情けなかったし、モンスターとの戦いに凄く興奮した。
キャラ作成時に武器スキルを取らなかったのだってイナサの言った通り昔のゲームの影響があったせいだ。今でも木剣は大丈夫だが刃物を握るのは少し躊躇いがある。
それでもそういったトラウマとも呼べないような些細な心の傷を乗り越えてみようと決めた。それくらい俺はこのゲームに魅入られ始めている。
とまあこういった俺の今の考えをイナサに話したら呆れられた。
「たかだかゲームにそんな事考えるのはお前くらいだぞ。ゲームなんだから素直に楽しめばいいんだよ。キャラ作成で少しミスしたからそれを取り返す程度のスタンスでいいと思うぞ」
俺はその台詞に母さんの言葉を思い出してくすりとするとイナサが怪訝そうにこちらを見る。
「すまん。初日に母さんが『ゲームなんだからしっかり楽しみなさいよ』って言ってたのを思い出したんだ」
「それは何とも紅さんらしいな」
「だなー」
俺達は揃って大きな建物の前で立ち止まる。俺はイナサに笑顔を向けると茶化して言う。
「それじゃイナサ先生よろしく頼む」




