23.彼は湖の主の正体を知る
あらすじ:大物
「リクさん起きてください。……リクさんー」
体に心地よい振動が走り凛と澄んだ声が優しく耳朶を叩く。俺が瞼を薄く開けると目の前の女の子が映る。
艶やかな黒色の長髪がさらさらと流れ、その髪に収まる小顔には気の強そうな柳眉とぱっちりした琥珀色の瞳、整った鼻筋、そして白くきめ細かい肌にアクセントを添える桜色のふっくらした唇。
そして寝ぼけた俺は流れるようにそのまま視線を下に――
「きゅわぅっ!」
「きゃっ! くーちゃん!?」
むぎゅ。と白い毛の塊が俺の顔に跳び付いて張り付いて来た。
白く染まる視界に俺の意識が追いついてくる。どうしてここにいるのかを把握し、今の状況を理解し、先程まで見ていた少女の顔を思い出して火が出る勢いで顔を真っ赤にする。
「……おはよう二人とも」
「はい、おはようございますリクさん。――じゃなくてっ!! くーちゃんを顔に付けてるのにえらく冷静ですねッ!?」
「……あー。やっぱりくーちゃんか」
顔に付いた自分の眷属を剥がし目の前に掲げると、くちはは責めるような目で俺を見下ろしてくる。目覚める前の不躾で邪な行為を口外に叱られる。
俺はくちはを膝に置きナギに頭を下げる。くちはも一緒に謝るように気弱に鳴く。
「……ごめんなさい」
「くぅ」
「え? いえ、私は大丈夫です?」
俺達の突然の謝罪をナギは首を傾げて受け入れる。混乱する彼女を置いておき俺はくちはの頭に手を置いて感謝を込めて撫でる。
それに満足したのかくちはは短く一鳴き、俺の頭に登っていく。
「あ、そうです! 私たちが寝ている間に竿が大変な事になってます!!」
ナギは混乱から回復し俺に向かってぱたぱたと片手を振り、もう一つで竿を指す。
動きに合わせて白衣の袖をはためかせる彼女を微笑ましく眺め、俺は釣竿に視線を移し眼を見開く。
蒼柳の釣竿が折れんばかりにしなっている。俺が使ってこの方一度もこんな引きは見たことがない。唖然としていた俺は釣竿の耐久値がじりじりと削られているのが目に入り、慌てて釣竿に飛びつく。
(......動かない!?)
竿を引っ張ってもまったく動かせない。
しかし根掛かりではないことはじりじりと湖に引き寄せられる俺の体が証明している。つま先を立てて踵を地面に突き刺すが、地面を削りながらも俺の体は止まらない。
「先輩ッ!? 大丈夫ですかッ!?」
俺は心配するナギを安心させる為にサムズアップをすると、
「……I`ll be back」
「それ完全にフラグじゃないですかッ!!沈んじゃいますよッ!!」
俺も焦っていたのか選択を間違えた。
ナギに台詞に何か違和感を感じ考え込むが、片手を離したことにより均衡が崩れより一層湖へと引き寄せられる。慌てて両手で持ち直し踏ん張る。
「先輩ッ!!」
ナギが手伝おうと釣竿に手を伸ばすがシステムコードにより弾かれる。彼女は柳眉を寄せて悔しそうな顔をする。
焦る彼女に対して俺は一つだけ思いついた案がある。しかしそれを彼女に申し出るのに些か躊躇う気持ちがある。
「……ッ!」
崩れそうになった体勢を慌てて立て直す。考える時間も余裕もない。俺は意を決してナギに頼んでみる。
「……手伝ってくれるか?」
「もちろんです!でも竿には触れませんでしたしどうすればっ!?」
「……俺を引っ張ってもらえるか?」
「はい! ってええ!? つまり先輩に触れるってことですかっ!?」
「……まあそうなるな」
(やっぱりゲームとはいえ年頃の女の子が男に触るのは抵抗があるよなー)
しかし俺としては湖に落ちたくない。
デスペナルティは別に構わないが、落ちて万が一釣竿を失くしてしまったらトミさんに合わせる顔がない。
せめて服の端を持ってもらおうと俺は口を開くが俺が発言するよりも早く俺の背後から上擦った声が掛かる。
「し、失礼しますっ!!」
台詞と同時に、腰に腕が回される気配と背中に当たる温かく柔らかい感触がして、俺の心臓が跳ね上がる。
動揺して釣竿が手から抜けそうになり大慌てで掴み直す。俺の耳の直ぐ後ろから彼女の吐息と甘い香りがしてまた心臓が痛いくらいに鼓動を刻む。
「せ、先輩ッ!? しっかり掴んでてくださいよっ!!」
「……すみません!頑張ります!」
「何で敬語ですか?」
俺は平常心を保とうと理性を働かせて、機械的に動く事を心掛ける。
俺の心臓の音がナギに伝わっているんじゃないかとか彼女が時折洩らす吐息が妙に艶めかしいとかそんな事は一切考えずに黙々と釣竿を引く。
俺達は徐々に後ろに下がり釣竿をこちらに引いていく。もう既に初期地点は過ぎていたので力比べは俺達が有利なのは明らかだ。
ナギは武器スキルの分俺よりもSTR(筋力)が高いから当たり前の結果なのだが、それを本人に言ったら怒りそうだ。
「……ッ!!」
釣竿に伝わる相手の振動からこの攻防の終わりを確信し、俺は一際強く竿を振り上げ全体重を後ろに掛ける。
糸に引かれるようにして湖の水が五m程盛り上がり、一瞬の沈黙の後にその水柱は内側から爆発する。
水柱の中にいた『それ』は辺りに水滴を降らせて、あろう事か空中で制止する。
『それ』は蛇の如き細長い体躯を持ち、滑らかな青い鱗は水面のように揺らめいた光沢。知性が感じられる蒼い瞳で俺達を見下ろすその姿は静かな風格が漂う。
「……水竜」
その呟きに応えるように湖の主は甲高い鳴き声を辺りに響かせた。




