11.彼は彼女と再会する
あらすじ:再会
初ログインからは十日経った今なお、俺は『イース平原』で最序盤のモンスターであるワーハウンドと戯れている。
戦闘は様になっていると信じたい。少なくとも俺は手ごたえの様なものを感じている。
「――グワオォッ!!」
唸り声を上げて跳び掛かってくるワーハウンドをすれすれで避け、バックステップを二度ほどして距離を取る。
勢いを殺して硬直するワーハウンドを指差し、
「……くーちゃん。《雷華》」
「きゅわぅ!!」
俺の頭に乗っかる朽葉が白く発光し、拳大の白く輝く雷球をワーハウンドに吐き出す。
「キャインッ!!」
腹部に雷球を受けた事で、ワーハウンドの頭上に伸びるHPバーがぐぐっと短くなる。
(一撃で半分以上減らせるのか)
俺が思う以上に朽葉のポテンシャルは高いのかもしれない。
ワーハウンドがサイドステップも交えてこちらに肉薄する。俺は木剣を大袈裟に振りかぶりワーハウンドの注意を引きつけて、ワーハウンドの筋肉質な足を払う。
それと同時に一瞬動きの止まったワーハウンドに指を向ける。この距離なら外す心配はない。
「……《雷華》」
至近距離で小さな爆発が起きる。ワーハウンドのHPバーが一気に消失し、ワーハウンドがポリゴン片となり空気に融ける。
「……ふぅ。お疲れくーちゃん」
「きゅっ!!」
後頭部でぱたぱた揺れる尻尾が首に当たりくすぐったい。
空を見ると始めたばかりの頃は高かった太陽も、今は低い所にあり焼けるような朱で草原を染めている。
コハネと見た時のように広大な世界に対する躍動感を喚起する明るい時間も好きだが、今目の前に広がる寂寥感漂う景色の方が俺の好みだった。
暫く朱い陽光の下、俺は静かに揺れる草原を目に焼き付けいた。
◆
始まりの街『アルスティナ』は中央に巨大な噴水を有し、そこから街を八等分にするようにメインストリートが走っている。
一部の上位プレイヤーは既に次の街に進んでいるが、大部分のプレイヤーはまだこの街に留まり攻略の準備に勤しんでいる。
イース平原から帰った俺は、東西に伸びるストリートをのんびり歩く。
石畳から返る硬い感触に感心して、つい靴底で音を立てるように歩く。
知らず知らずの内に早足になっていたのか、普段より早く噴水がある大広場に辿り着いていた。
そこで俺は広場の端に寄ると、家の壁に背中を預けウィンドウを開く。
(……んー。確か『黒猫亭』だっけかなー)
今日はコハネから料亭兼酒場の『黒猫亭』に来るように呼び出されている。
どうやらイナサからくちはの事を聞いたらしく一目見たいと言われた。後は今一緒にプレイしている友達を紹介したいらしい。
(怖がられないようにしないとなー)
俺はテンションが低いせいで怒っているように見えるらしい。
声にも感情が乗りにくいので怒気を押し殺していると誤解される。
「…………からッ! …………ますッ!」
「………………だろッ! ……ッ!!」
人の言い合う声が聞こえ、俺は思考の淵から意識を戻す。ウィンドウを消し面を上げる。
噴水の側で二人のプレイヤーが向かい合っている。二人が纏う雰囲気は穏やかなものではなくぴりぴりとした険悪なものである。
片方は騎士然としている男プレイヤー。
頭以外を金属鎧で覆い背中には竜の文様の入ったマントと重量感のある大剣を装備している。
もう片方は黒髪の女プレイヤー。
白衣と赤袴の姫巫女の戦装束を装備して、腰には一振りの刀。白衣は肩から肘までが露出し肘の部分は赤い紐で縛っている。紫色の腰帯のアクセントが効いている。腰まである艶やかな黒髪。
(……あの娘は初日の子か)
男の方は見覚えが無かったが女の子の方は知っていた。
初日に自分を初心者プレイヤーだと気遣い声を掛けてくれた女の子だ。あの日以来見かけたのは今回が初めてだ。
人の顔を忘れっぽい俺が覚えていたのは、印象に残るほどに綺麗な黒髪のお陰だ。
(……厄介は嫌だが。顔を知らない訳ではないし)
なまじ最初に優しい声を掛けてくれたのでこここで見捨てたら言いようのない罪悪感に圧迫されそうだ。
熱くなっている男を女の子が余裕を持って宥めすかそうとしているのを見ていると、女の子のほうが優勢のようだし第三者が手を出して余計に場を乱すのもはばかれる。
どうしようかなー。と躊躇していると、朽葉が頭から飛び降り人混みに飛び込んでいく。
あちこちで驚きの声が上がるのを聞いて、俺は固まっていた体を動かし慌てて朽葉を追いかける。
「きゃっ?」
「な、なんだこの白いのはッ!?」
朽葉は人々の足元を縫って先ほどまで口論していた女の子と男性の間に飛び出したのが俺の視界に映る。
そして女の子をちらりと見上げ、白足袋を履いた女の子の足に体を擦り付けて甘えている。
「……うちの子は何してんだ」
俺は空気を読まない朽葉に思わず脱力する。いやむしろ読んだからこその行動なのか。
「この子可愛いーっ!!」
女の子は膝を折ると足元をちょろちょろしていた朽葉を撫でる。
くちはは目を細めて気持ちよさそうにしている。女の子もそれを見て嬉しそうに笑う。
しかし男性は顔を白黒させて朽葉を指差し女の子に注意を呼びかける。
「お、お、お、おい君! 離れたほうが良い! その白いのは魔物だぞッ。危険だ!!」
「えっ、でも敵意はないですよ?」
「――ッ!」
男性は背中の大剣を抜き放つと街中であるにも関わらず剣を振り上げる。 女の子は驚いた顔をすると朽葉を持ちあげ、胸の中に抱きかかえて体を張って守る。
無骨な大剣が男性の頭上から振り下ろされる直前、俺は男性と対峙して女の子との間に割って入る。
目の眩む発光と耳をつんざく衝撃音。しかし俺は目を逸らさず真っ直ぐに目の前数cmの所で止まっている大剣を無表情に見る。
この大剣は男性が寸止めしたのではなくシステムによる不可視の壁に阻まれた結果である。
街の中などのセーフティエリアでは武器による攻撃でプレイヤーにダメージを与える事が出来ない。
安全な場所だからこそプレイヤーが安心して過ごす事が出来る。
男性が突然現れた俺に驚愕する。俺は畳み掛ける意味を込めて言葉を放つ。
「……そこの子狐は俺の相棒だ」
「……《調教》か」
俺は静かに頷く。男性は失態を悔やむように顔を歪め、俺に頭を思いっきり下げて謝罪する。
「すまなかった!!」
「……いい。俺も『ラタトゥス村の悲劇』の事は知っている」
「そうか、そういってもらえるとこちらも助かる」
男性は俺の後ろにいる女の子と朽葉に頭を下げ、もう一度俺に頭を下げるととぼとぼと去っていった。
俺は悲しげな背中をなんとも言えない気分で消えるまで見送り、後ろを振り返る。
「……くちはを守ってくれてありがと」
「いえ、体が勝手に動いただけですから」
唖然としている女の子とのんびりと彼女の腕の中で欠伸をする朽葉。この白い毛玉は誰のせいで状況が混乱したかわかっているのか。
「……揉めてたのは、いいのか?」
「はい。そんな雰囲気ではなくなりましたし、一方的に私が言い寄られていましたから」
彼女はそう言って苦虫を噛み潰したような顔をする。
それは彼女の中で納得のいかない感情が渦巻いている事を如実に示しており、俺は彼女がそんな顔をするのが見ていられなくて『余計な』事を言う。
自分の中のスイッチを入れ替えるように深呼吸し、瞳をやる気で染め上げる。
「彼がマントに刺繍していたエンブレムは『ドラゴンウィンド』のギルドのものだ」
「?」
女の子は俺が何を言いたいのか理解できないように柳眉を寄せる。
「『ドラゴンウインド』はボス攻略が上手くいっていないらしく最近はあまりいい雰囲気ではないらしい。
だがその不満や焦りを他人にぶつける行為は褒められたものじゃないし、君が憤るのも当然の事ではある。
だが俺達は彼らと同じゲーマーであり彼らが抱く気持ちに共感できないわけではないし、誰しもが一度は抱いたことがある感情だと俺は思う」
「…………」
彼女は白くほっそりとした人差し指を桜色の唇に当てて黙って聞いている。
「その情報を踏まえたうえで俺は君に聞くけどモンスターにキルされるのとプレイヤーにキルされるの事の違いを知ってるか?」
「……いいえ」
「モンスターの場合は所持金の半分が消失するがプレイヤーがキルした場合は何の損失もない」
女の子は重く深い溜息を吐くと俺をジト目で眺め、
「つまり先ほどの方が私を斬ろうとしたのは、私を助ける為だったかもしれないからそんなに怒るなと言いたいんですね」
「いや怒っていいと思う」
「……はい?」
「ただ俺は君が自分が怒っている事を悲しんでいるように見えた。
だから『君が怒ってもいい理由』と『彼を許してもいいと思える理由』を言ってみただけ」
俺の勝手な憶測だが彼女は出来ることなら怒りたくなかったのだと思う。 だからこうして余計なことを言って怒らないでもいい言い訳を言ってみた。
「…………」
「それにさ。怒るのって疲れるからな」
女の子は俺の言葉を聞いて唇に当てていた指をこめかみに当ててまた溜息をつき俺に言う。
「……失礼ですけど、貴方は詐欺師の才能があると思いますよ」
こめかみに持っていった腕を胸の前に戻し朽葉を柔らかく抱き直す。
疲れてはいるがどこかすっきりした笑顔を俺に向ける。
俺といえば喋っている時にあった瞳の光はもう失われて、普段の死んだ魚の目に戻っている。
「……そうですね。貴方の言う通り、怒るのは疲れますし、お腹も空きますね。良かったら一緒に食事でもしませんか?」
「……んー悪い。妹と会うからいい」
軽く手を上げて躊躇い無く誘いを断る。
すると彼女はなにが可笑しいのか鈴のように澄んだ声で笑い出す。唖然とする俺に彼女はごめんなさい。と謝り、
「コハネちゃんに聞いてた通りの反応だったので思わず吹き出してしまいました」
「……コハネを知ってるのか?」
「はい。私はコハネちゃんに頼まれてリクさんを探していたんです」
彼女は俺に向かって手を差し出し、
「私はコハネちゃんの友達の『ナギ』といいます。よろしくお願いしますねっ!」
そして目の前の少女――ナギは透き通るように綺麗な笑顔を浮かべた。




