災難08 実坂井乙
「そうだ。紹介してやるよ」
俺は、まず波久礼ではなく、雨宮を指差す。
「ちょっと、人に指を差さないでよ! しかもどこを差そうとしてるわけ?」
雨宮が、頬を赤らめて俺を蹴りにかかろうとするが、何故かやめた。
「すまん。無意識のうちにな」
俺は、距離はしっかりあるが、方向的に雨宮のペッタンコな胸を中心に指を差していた。
しっかし、運動少女は本当に胸が小さいんだな。実坂井もなんだか運動してそうなタイプだから、雨宮と比べるのは然程無理があるが、そこまででかいという訳じゃない。胸の大きさなんて、日本男児であれば別にどうってことないがね。
おっと、口篭るところだった。早く紹介をしてあげないとな。実坂井が何やら不満げな顔で俺を見つめているよ。
「えーとだな、コイツの名前は実坂井奈々。俺と後ろにいるちっこい奴とは――」
「「ちょっと待った――っ!」」
突然、俺の口を止めて雨宮と波久礼がともに声を上げる。
なんだ? 俺が間違ったことでも言ったのだろうか?
「どうしたお前ら?」
「いや、お前ら、じゃないわよ! なによ、私の名前は実坂井奈々じゃなくて、雨宮奈々よ! まさかの実坂井被り! て、実坂井さんも驚きふためいているじゃない!」
「すまん、無意識のうちにな」
そう言って、実坂井に指を差すので、俺も実坂井に目を向けると、ガチでオドオドしていた。マジかよ……すっげー。って、感心している場合か鉄落孝治っ! はやく誤解を解いてあげねば。
「すまんな実坂井。こいつは実坂井ではなくて、雨宮奈々だ。人はこいつを奈々宮と呼んでいる」
「いや、あたしそんな風に呼ばれたことないから。むしろ、それあんたが初めてだから」
ふむ、俺は奈々宮の初めてを頂いたということか。なるほどなるほど。
まあ、訂正はしたんだ。誰も文句はあるまい。
「ヨロシクね、奈々宮さん」
雨宮に握手を交わそうとする実坂井。この人……本当に雨宮のことを奈々宮って呼んでるわ。
「孝治、私はどうすればいいの?」
その手を取ろうか迷う雨宮。
ん~……また名前を訂正してやるか。
「すまんな実坂井。実はコイツのことを奈々宮なんて誰も呼んでいない。お前は、コイツのことを奈々とでも呼んであげてくれ」
女の子同士なんだから、雨宮さんと呼ぶより、奈々とか、そんな感じで呼んだほうが親密度も上がりやすいだろう。
「じゃあよろしく、奈々!」
満面の笑みで雨宮に微笑む実坂井。
「こ、この子……眩しすぎるわ! 天使だわ!」
片手で瞼を閉じ、珍しく雨宮がそんなことを言っている。
天使か……確かにその例えもありかもな。
俺は、腕を組んで窓の外を見る。
ん~……道路には車。とにかく車がたくさん動いている。これはまさに、交通事故日和とでも言えばいいのか……。
「ちょっと、なんとか先輩! 僕の話も聞いてくださいよ!」
不意に、窓から見える視界を、目隠しのように両手で遮ってくる波久礼。目を隠す力が強く、なんだか目が痛い。
「どうしたよ波久礼? お前の話は後で聞くよ」
波久礼の手を放し、俺は窓の方を見るのをやめ、波久礼に振り向く。
「いや、なに言ってんすか! 今暇そうにしてたじゃないですか!」
「まぁ、ゴッツ忙しいが……」
「どこがですか! 僕から見たら、先輩はアリの胴体を指で面白半分に○○してるようにしか見えなかったっすよ!」
窓を眺めているだけでどうしてそんな風に見えるのか。甚だ疑問ではあるが、そこはまあ、忘れよう。○○の部分が気になるけどな。
「そうね、孝治はたまに○○○○とかを考えるようなタチの悪い子だしね」
雨宮まで……俺が一体何をしてるって言いたいんだ? 俺にはいくら考えてもなんのことかさっぱりわからんぞ。それに
「おい雨宮、ただまるの数を増やしただけだろそれ? まるは増やしゃあいいってもんじゃないんだからな?」
まったく、波久礼のノリに無意識に乗るお前は相変わらずだな。
「○○○○○?」
「「「もはや言葉になって(ねぇーよ)(ないわよ)(ないじゃないですか)!」」」
俺、雨宮、波久礼三人で、実坂井に突っ込む。
なんだよ今の……。ただまるまる言ってるだけじゃねぇか! これは予想の斜め上だぞこん畜生が!
俺は、少し疲れたので冷静になる。そういえば、まだ波久礼の紹介が遅れたな。
「おい波久礼」
「なんですか、なんとか先輩?」
さっきからずっと気になっていたんだが、こいつはどうして俺のことを『なんとか先輩』と読んでいるんだ? 名前で呼んでくれないと、先輩を付け忘れられたときの反応がわからなくなる。
「お前の紹介は別にしなくてもいいよな?」
俺が波久礼に笑いながら言うと――
「ダメですよなんとか先輩!」
だからガチでなんとか先輩はやめろ!
「僕の紹介をしてくれないと、今後の人生に支障を起こしますよ?」
「支障? どんなことが起こるんだ?」
俺が聞くと、波久礼はよくぞ聞いてくれましたと、ないヒゲを触りながら自信げに言った。
「あれですよ! 例えば、なんとか先輩に誰かが恋をして、その恋の悩みの相手が僕になったとき、その子は僕に向かって、『えっと、なんとか先輩の後輩君だよね?』ってまず初めに声をかけるんですか? それは僕へと先輩への恋の相談に大きな支障を起こすと思うんですよ!」
確かに、一理あるのだが……実坂井に言う言わないでそこまでになるか?
俺が波久礼に一言言ってやろうとすると、雨宮が俺の耳元に顔を近づけて来たので、とりあえず波久礼のことは放っておく。
「どうした?」
「ううん、いつものことだからしょうがないとは思うけど、あんまり長話をしていると……その……実坂井さんが呆然と立ち尽くした状態になっちゃうよ?」
チラチラと、雨宮が実坂井の顔をチラ見している。気になったので、俺も実坂井の顔を見ると――
「って、もう呆然と立ち尽くしっぱなしじゃないか!」
実坂井は魂が抜けた人形のように、ボーと俺の方を向いていた。
ちょっと無駄話をしすぎたかな……?
俺は、クラスメイトのうるさい声を聞きながら、実坂井の肩を揺する。
「……んぁ……ん……」
「…………」
なんだよ今の可愛げな唸り声……。幻聴かな、うはははは!
俺は、目を覚ませと、何度も実坂井の肩を揺する。
ダメだ……コイツ。真面目で可愛くて、しかもお眠り屋さんだとは……。俺の不真面目にしてやりたいナンバーワンの奴じゃねぇか!
いかんいかん。早く起こさねば!
「おい、早く起きろ……波久礼のこと紹介してやっから」
そう言うと、さっきまで閉じていた目元が、薄ら開いた。
おお! 紹介で目が覚めるとは……。
「…………おやすみなさい」
「って、今の一言で確実に僕の脳内機密細胞にダメージが与えられましたよっ!」
紹介の一言で実坂井が起きてくれたのはいいが、波久礼のしたウインクが原因で、また寝入ってしまっていた。
「お前のせいだ、アホ!」
「うおあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
豪快に叫びながら、俺ら二―Aの教室から出ていく波久礼。本格的にダメージを負ったようだ。脳内機密細胞ってのがなんだか気になるんだが、その話はこの際永久に置いておこう。
「まったく、一年会わなかったと思ったら翔、全然変わってないんだから」
「そうだな。でも、あいつがあの時のままでよかったじゃないか」
あいつが真面目になっていたり、俺を超えて本格的にヤンキーになったりしていたら、逆に俺が近寄りがたくなってしまう。その面では、あんなふざけてる方がいいのかもしれない。
「……みんなで楽しそうだね」
不意に、実坂井の声が聞こえたと思ったら、実坂井は立ち上がり、いつの間にか教室から姿を消していた。あ、あれ……?
――みんな楽しそうだね――
確かに、ちょっと実坂井を置いてはしゃぎすぎた。あれでは、実坂井もつまらないだろう。何も文句は言えない。
「実坂井さん……」
いつの間にか消えて空っぽになった実坂井さんの席を見ながら、雨宮が眉を落とす。
「俺、ちょっと探してくるわ」
席を立ち、雨宮に手を振って廊下を出る俺。始業式が終わったあとは、大抵担任が来るまで自主時間なのだが、その時間もあと少しで終わりそうだ。転校してすぐ行方不明ってのも癪に障るだろう。なんとしても探し出さないとな。
俺は、行く場所すら見当もつかず、ただ廊下を走り出した。初めて会ったやつの息場所なんて、俺にはわからない。ましてや相手は女の子だ。女の子の行きそうな場所など、女子トイレ以外知らないんだが……。
俺は、とりあえず女子トイレの前まで走った。この学園には、トイレは八つ。そのうち、三階には男女合わせて二つ。つまり、女子トイレは一つしかないわけで、俺はそこに行ってみることにした。