災難07 真面目乙
クラスで列に並んで三階の廊下を歩き、階段を下りて一階の体育館まで振り切ろうとしたとき、そこは既に一年生の渋滞が出来ていた。
なんだよ、この行列……。半端じゃないぜ。
「あ、奈落先輩じゃないっすか!」
途中で、俺を見つけたからか、波久礼の声が聞こえたので目の前を向くと、そこには渋滞で押し潰されている波久礼の姿があった。
「た、助けてくださいっす奈落先輩……」
「はい? 奈落先輩?」
ちなみに、初めて俺を奈落と呼び始めた奴は、この波久礼である。こいつのせいで、中学時代は誰も俺のことを鉄落と読んでくれる人はいなくなった。孝治と読んでくれる奴は少数いたがな。
「な、なんですかその上から目線はっ!」
「い~や~? 波久礼よ? もう奈落なんて古っちい名前を俺に使おうとするんじゃねぇ」
「え?」
「今の俺はな? 奈落ではなく、別の呼び名に昇格したんだよ!」
果たしてこれ(脱落)を昇格と呼んでいいものなのか……。
でも、これで俺は、こいつの呼び名から解放されることになる。下級生から付けられたあだ名より、同学年から付けられたあだ名の方が、親しみ感があっていいからな。脱落ってのはなんだか気に障るが……。
「な……ん……だ……と……」
予想以上にショックを受ける波久礼。
「だから、今日からお前が付けた奈落は没だ。今までご苦労さんなこった」
「そ、そんなぁ~」
波久礼が滅茶苦茶がっかりした表情になる。
「よかったじゃねぇか、ハグレショーよ」
「なんすかその名前? 俺の名前をカタカナ読みしただけじゃないすか!」
「そうだ、だがよく聞いてみろ! お前の名前は、まるで一人でどこかに逸れて行くかのような名前じゃないか?」
「おぅ、そんなこと昔から知ってますよ!」
少しずつ人ごみに押されながら、俺に向かって怒鳴る波久礼。
「知ってるのか、グレ」
「ごへっ……なんすかその約しようは! 意味不明っすよ落落先輩!」
「君こそ意味不明ですよ、波久礼さん」
「ちょ、なんすかその知り合ったばかりの人に対する言動は――そんな、ちょっ、うぎゃぁぁぁぁぁぁ――――――――っ!」
俺に何かを言おうとした途端、渋滞だった人ごみが動き出し、波久礼は体育館という彼方へと連れて行かれた。
ああ、逝ったか。いや、行ったか。
一年の列が終わり、二年の列が進んでから数分。俺は、始業式を寝ながら過ごした。寝ながらといっても、耳には校長の話くらいは入ってきている。
よくは分からんが、何故か校長の口から『奈落』だの『脱落』だのいろいろな落が聞こえて気がするが……こいつ、俺を呼んでいるのか?
なんて考えながら、つまらなく始業式を追え、教室に無事帰ってきた俺は、疲れた足を休めるべく椅子に腰掛ける。
「あ~あぁ、始業式とかやってられっかよ」
「でも、それをしないと新しい年が始まったようには見えないんじゃない?」
不意に、実坂井が俺の前の席に座ってそんなことを言ってくる。
コイツ……真面目だな。
俺は、こういう真面目な奴を見ると、なんだか不真面目にしてやりたくなるという衝動によく駆られる。実際のところ、中学一年に入ったばかりの波久礼は、俺とは違って真面目だった。だから、知り合った瞬間俺はあいつをいろいろなこと(秘密事項)で不真面目っぽい生徒にしてやった。
だからこう――なんていうんだ?
「なんとか先輩っ! ち~す」
そうそう、始業式が終わったにも関わらず、俺のクラスに上がり込んで来たりと――
「って、なんでお前がここにいんだよ!」
「遊びに来たんすよ?」
見れば分かる。俺が聞きたいのは、新入生のくせにクラスに馴染まなくていいのかということだ。
俺は、今思ったことを全て口にした。
「んなこと言われてもですね~? そっちはなんとかなりますよ。でもですね、なんとか先輩とは残り二年の付き合いしかできないんですよっ! わかります?」
まあ、わからなくはないが……。
俺が心なしか頷いていると、波久礼は、ふと俺の方を向いている実坂井に目を向けた。
「先輩の新しい恋人ですか? やりまんね」
にっこりと、俺に微笑みながら言う波久礼。その言い方だと、どう考えても俺が一度でも付き合ったことのある人間と認識されてしまう。残念だが、俺はここ16年……孤独だ。
「ちげぇよ――」
「ち、違うよ! 全然そんなんじゃないから、まず、私転校してきたばかりだから! この人のこと何一つ知らないから!」
俺よりも先に、オドオドとした口調で実坂井が全否定する。言われようが酷いのか酷くないのかがわからない言い方だな。
俺は、とりあえず波久礼にそうだぞ、と伝えてから、座ったまま背伸びをする。
「あら、翔また来たの?」
背伸びをしていると、不意に教室の戸を開けて、一人の少女が入ってきた。
ちなみに、翔とは波久礼のことだ。ずっと上の苗字で呼んでいたから下を一瞬忘れてしまっていたよ。
「おおっ、奈々先輩ではありませんか!」
波久礼が驚いて振り向いた先にいる彼女の名は、雨宮奈々。セミロングのホワイトブルーに輝いた美しい髪。昔から運動を欠かさないせいか、ちょうど良い太ももに腕の細さ。くびれのラインが、制服の上からでもクッキリわかるような丹精ある体つきをしている。
俺と波久礼とは、中学時代からずっと面識があって、大親友とも呼べるほどだ。
彼女は、俺とは違い二―Bのクラスであり、今年はあまり話せないと思っていたが、波久礼同様、俺のところに来てくれたみたいだ。
「よぉ、雨宮。進級おめでとう」
俺は、雨宮に拍手を送る。
「なによ、あんたも進級してるじゃない。その言い方だと、あたしがあんたより馬鹿だって言ってるみたいじゃない」
ムム……? その言い方だと、まるで俺が雨宮より馬鹿だと言われているみたいなのだが、事実だから何も言わないでおこう。これ以上、俺のモチベーションを下げるわけにはいかない。
「みんな、友達なの?」
不意に、さっきから無口でいる実坂井が、俺に向かって声をかけてきた。
そうだったよ。すっかり忘れていた。実坂井は今日転校してきたばかりで、こいつらのことを何も知らないんだ。