災難10 鞄探索隊
俺は、また怒られたりするのが嫌なので、すぐさま目を逸らす。すると、逸らした先にある、実坂井が持っているカバンを見て思い出す。
「いっけね、カバンを探すこと忘れてた!」
「カバン?」
「ああ、今朝お前を助けようとしたとき俺、カバンを放り投げたっきり学校に到着しちまったから、カバンを探さにゃならんのだ」
助けるとか言うが、あの時はただ俺が引かれただけなんだけどな。
「だから、案内ついでにカバンを探しに行ってもいいか?」
実坂井にそう言うと、少し考えたあと「別にいいよ」と、両手でカバンを持って頷いたので、俺は少し安心した。カバンが無ければ、残りのこの学校生活に支障をきたすからな。
波久礼が言っていた支障とはまったく別物だが、こっちの支障の方が大変だ。
「んじゃ、行こうか」
実坂井は両手でカバンを持って歩き、俺はポケットに手を突っ込んで廊下を歩いた。
今、この学校には二年生、三年生はともかく、入ってきたばかりの一年生がいて、玄関は見知らぬ生徒でいっぱいになっていた。
「凄いね、私ここの人誰も知らないや」
「まあ、そうだろうな。初対面で知ってたらそりゃまた驚きだろ」
実際のところ、俺も他生徒の名前なんぞ聞かれたら何も答えられなくなるがな。
「生徒といっても、別にみんなの名前を覚えなくてもいいんだ。一緒にいて楽しい奴とか、関わりの多い奴とか……そんな奴らの名前さえ覚えてれば、別にいいんじゃねぇか?」
これは俺の勝手な意見に過ぎない。多分、こんなことを考える奴は友達が少ないんだろう。俺だってそうだ。クラスの仲間と面と向かって話すことは多々ない。俺が話すとしたら、後輩の波久礼と、隣のクラスの雨宮。そして、今日転校してきた実坂井くらいだ。あとはといっても、あのハゲ担任くらいしかいない。あいつはあいつなりに頑張っているのか、妙に俺をクラスで目立たせようとしている。妙なおせっかいさんとでも言いましょうかね?
俺たちは玄関で靴を履き替え、桜並木に向かって歩いた。校門から桜並木までの距離は大体228メートル。俺は昨年暇なときに、学校から桜並木までの距離を測っていたので、距離くらいは分かる。
ちなみに、桜並木自体の距離は、400メートルほどの長さがあり、俺の家から学校までの距離は、あしからず、800メートルほどしかないのだ。
「ねぇ、どうして今朝、私を助けようとしてくれたの?」
校門を出たところで、実坂井が俺に話しかけてくる。
どうして……か。俺には『事故に会いそうな人を、助けたくて堪らない』という、おかしな病があるから。なんて口が裂けても言えない。
「そうだな……なんとなくだ」
何も言えることがなく、適当に返事を返す俺。
「なんとなくって、脱落は面白いね」
くすくすと笑う実坂井。そんな実坂井を見て、俺は脱力した。
「なぁ、実坂井?」
「?」
「そろそろガチで俺の名前を呼んでくれないか? 俺は脱落じゃなくて鉄落だ」
遊び半分ならともかく、まだ一つも俺のちゃんとした名前を口にされてないんだ。流石にこれは苦痛というかなんというか……。
「あ、ゴメン。ずっと脱落だと思ってたから……」
「…………」
「だ、だって、誰も鉄落の本当の名前――」
「あ」
言ってくれた。慌ただしかったけど、今、実坂井が俺の名前を初めて言ってくれた。
なんだろう、この気持ち? 名前を言われただけなのに、妙に嬉しく感じてしまう。
俺は、こめかみを掻きながらそっぽを向いて歩き続ける。
「よし、意外に228メートルって長いもんなんだな。この桜並木のどこかに、俺のケータイが落ちてるはずだ」
桜並木は、道路を挟んで左右に一箇所ずつある。なので、俺は右側を、実坂井は左側に行き、木々の間にないのかなど、ゆっくりかつ慎重に探していく。
桜の匂いを嗅ぎながら探したり、緑の雑草をむしったり、ツクシが生えていることに感動している実坂井を眺めたりと、200メートルの距離をゆっくり探すだけで、もう空には夕日が昇っていた。
「なんだよ、意外と見つかんねぇな」
紅い空に包まれながら、汗水たらして探しているが見つかる様子がない。
俺は、額から垂れてきた汗を、Yシャツの袖で拭う。
こんなに探しても見つからないとは……。桜並木を舐めていた。俺は、そんなことを思いながらも、残りの200メートル、ペースを崩さずに鍛錬に探す。
ふと左側の桜並木の方に目を向けると、もう疲れたのか、地面に座り込んでいる実坂井の姿が見て取れた。
無理もない。桜並木で探し出してからもう二時間経過中だ。男のような体力が無い実坂井には、これだけ頑張っただけでも褒めてやるべきだ。
「あー、もうヤダ――――っ!」
左の桜並木から、実坂井の叫び声が聞こえる。よっぽど疲れたのか、足をバタバタさせているぞ?
仕方ない。今日はもう道案内だけを済ませて、そのあと俺ひとりで探そう。
そう思った俺は立ち上がり、実坂井に向かって声をかけた。
「実坂――」
「見つけた」
俺が実坂井の名前を言い終わる前に、実坂井が大きな声を上げる。
「おお、見つかったのか!」
どうやら左側にカバンがあったらしい。どうりで見つからないわけだ。
俺は、車が多数通る道路へは飛び出さず、実坂井に見つけたカバンを両手で上げさせる。本当にそれが俺のカバンかを見極めるためだ。
「みて、四葉の(・)クローバー(・・・・)」
飛び跳ねながら俺に見せる実坂井。あいつ、今なんつった? カバンじゃなくて、確実に四葉のクローバーって言ったよな?
というか古いな。今の時代、子供でもあんなはしゃぎながら四葉のクローバーを見せびらかそうとする奴なんていないぞ?
俺は、本来の探し物を忘れている実坂井に注意することも忘れ、はしゃぐ実坂井を見つめていた。もう、道案内しよ……。
「実坂井、もう今日はこの辺にしよう。早速道案内してやるから、こっちに来い」
そう言って、実坂井を呼ぶも、実坂井は俺に背を向けたまま返事をしない。
何やってんだ、あいつ?
聞こえなかったのだろうと思い、もう一度実坂井を呼ぶ。
「おい、実坂井聞こえるか?」
「…………」
無しか? それとも聞こえないのか?
車のエンジン音にも負けない声で叫んだのだが、実坂井は返事さえしなかった。
あー、もう。道案内してやるっつってんのによ!
俺は、口元に両手で長い輪かを作って、さらに大きな声で――
「実坂井――――――――――――――――――――っ!」
「うるさ――――――――――――――――――――いっ!」
耳を抑えて、俺に負けないような声で叫んでいた。
なんだ、聞こえるじゃないか。
「さっさと道案内してやっから、帰るぞ―――――――――――っ!」
今みたいな大きな声で言うが、また反応しなくなる実坂井。なにか不満ごとでもあるのだろうか? と、思っていると――
「あった!」
生い茂る雑草の中から、重たそうな物を拾い上げる実坂井。
あれはまさか、俺のカバンか?
実坂井が引きずりあげたのを、手を伸ばさせながら見る。
「これは違うの?」
実坂井がなんて言っているのかはよく分からないが、あの、実坂井が手にしているのは、間違いなく俺のカバンだ。
「おぉ――――っ! それは俺のカバンだぁ――――――――――っ! こっちまで持ってきてくれるかぁ――――――?」
俺が言うと、実坂井はひとつ頷き、急いで道路を渡ろうとしてきた。車が来ているのにもかかわらず――――
「危ない、実坂井!」
くっ、ダメだ……。俺の感情が、俺の病が抑えられない。
ピピ――――――――――っ!
車のクラクションと同時に、俺は無意識的に走り出した。俺自信が決めたことじゃない。俺の病が決めたことだ。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
クラクションが鳴っているにもかかわらず、平気な顔で渡ろうとする実坂井。このまま歩いてしまうと、間違いなく車に引かれ、交通事故に遭ってしまう。それは軽い傷ですめばいいが、ヘタをしたら死ぬ恐れだってあるんだ。
俺は、道路を全力で走り、実坂井から5メートルもある距離から、一気に飛んだ。
「実坂井――――――っ!」
俺の目の前まで車が走ってくる。このままいくと、俺は全身を強打し、実坂井はサイドガラスに顔面をぶつけそうだ。
だが、ここで諦めたら俺の病の名がすたる!
俺は、飛んだにもかかわらず、空中で足を動かす。
無茶振りだってのはわかっている。しかし、俺がこの病にかかつてから、もうじき一年が経とうとしている。昨年も何度も事故にあい、たくさんの人々を代わりに救ってきた。今回だって、実坂井を助けることぐらい、出来るさ!
「実坂井、しゃがめっ!」
俺は、実坂井に命じた。すると、実坂井は理解したようで、しゃがもうとするものの、俺のカバンが重たいのか、後ろに倒れ込んでいた。まあ、前じゃないだけマシだ。
あとは、俺が……俺は引かれねぇよ!
空中を走り、車の高さよりも高く飛ぶ俺。
運転手もびっくりしているようで、俺の恥ずかしい姿を目視して、一本の桜の木に衝突していた。
「おっと」
空中を飛んでいた俺は、無事足を地面につけて着地する。
「だ、大丈夫?」
実坂井に心配されるが問題ない。こういうのは慣れてるからな。しっかし、今の空中歩行は我ながら立派だと思った。
俺は、砂まみれの手を払い、実坂井の持っているカバンをもらう。
「おお、まさに俺のだ。ありがとな、実坂井」
俺がにっこり笑うと、実坂井は照れた表情になって、俺から目を逸らした。
俺があんなに大きな声で叫んでも返事をしなかったのは、カバンを見つけて、取っている最中だったということか。
俺が実坂井を笑顔で見つめていると、不意に、桜の木に衝突した車から、燃料が漏れているのを確認してしまった。
「危ない、実坂井!」
「きゃっ」
俺は、実坂井を抱え込みながら安全そうな田畑に飛び込む。
爆発事故は勘弁だぞ? そういうのは処理のしようがないからな。
なんて思っていたが、一向に爆発音が聞こえることはなかった。いや、聞こえないことはいい。いいが、俺が実坂井を抱えて田畑に飛び込んだ意味が無くなる。
「あ、その……すまん実坂井」
俺のせいで、田畑にまだ残っていた泥水が、制服についてしまっていた。
当然俺もである。
俺たちは立ち上がり、自分たちの哀れな姿を見つめる。
「い、いいよ。私が(・)あの(・・)まま(・・)あそこ(・・・)に(・)いたら(・・・)、あの(・・)車も(・)爆発して(・・)炎上してた(・・・)だろう(・・・)し(・)……」
「?」
なんだか、実坂井の表情は、まるでひとりぼっちになったひな鳥のように、どこか寂しげな表情をしていた。
実坂井……。何かをしてやりたいが、その前にこのままここにいるわけにもいかない。
俺は、しばし悩んだ結果、ひとつの案を思い浮かべた。
「なぁ、制服も汚くなったし、制服洗ってやっから俺んちに来ないか?」
まるで性欲に満ちたおっさんが言いそうな言葉だ。だが、断じて今の俺にそんな欲はない。多分今の俺だけだと思うがな。
実坂井は、俺の言っていることがわからなかったのか、首を斜めに折る。が、それもつかの間。瞬時に理解し、顔を赤く染め始めた。
「えと、脱落の家に……?」
また俺の名前を間違えている実坂井。
「ああ」
「んと、その……」
なにをもじもじしているのか分からんが、早くこの泥だらけの制服を何とかしないと、明日着ていくものがなくなる。
「……いいの?」
実坂井が、上目遣いで俺を見つめる。
「ああ、もちろんだ」
そう言って、俺たちは衝突した車を急いで走り抜け、車に恐怖しながら俺の家へと向かった。