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森の魔女と王国の騎士

霊の軍隊と盲目の騎士

作者: 井ノ下功

 





霊の軍隊と盲目の騎士





 

 あまりにもむごたらしい有様に、屈強な騎士たちも色を失った。

 とあるホテルの一室―――

 女性が殺されていたのだ。

 部屋中に血が飛び散り、それが黒く固まってこびり付いている。

 遺体はその中央で仰向けに横たわっていた。体中に裂傷が刻まれており、四肢などもはや分断される寸前でどうにかぶら下がっている、という状態だった。

 凝固した血の海に沈んでいる女性は、大きく広げた口を歪ませて、永遠の沈黙の中にその苦痛を語っている。彼女が最後に言った言葉は何だったのだろうか。おそらくは、何の意味もない獣のような呻き声だったに違いない。―――本当は、何を言いたかったのだろうか。救済を求めたのか、来世に縋ったのか、それとも仇を呪ったのか・・・。

 乾ききった血の匂いが鼻につく。重苦しい死臭が肺から内臓に染み入って、胃の底を握り潰そうとする。

 何より、騎士たちの精神を圧迫したのは、その女の形相だった。

「―――だ、大隊長っ、大隊長! お、おれ、俺もう無理っす・・・すんません!」

 一人の騎士が耐えかねて、口元を押さえて部屋を飛び出した。それを皮切りに、他の者たちも次々に外へと駆け出して行く。

「なんだよ、なっさけねぇなぁどいつもこいつも。」

 落胆した声音で大隊長は言い、癖の強い髪を掻く。

 結局、その場に残ったのは二人だけであった。

「お前は平気そうだな。グロいのは得意なのか?」

「いえ、決して、得意というわけではありませんが・・・―――」

 問われた騎士は沈鬱な面持ちで、誰一人として近付こうとしなかった遺体の傍らに跪き、

「・・・そんなことより、ただ、この方が哀れでならないのです。」

 呟くようにそう言って瞑目すると、胸の前で十字を切って短い祈りを捧げた。

「――――――お前は強いな。」

「はい? 何か、仰いましたか?」

「いーや、なんでもねぇ。さっさと仏さん回収して、犯人捕まえに行くぞ。」

「はいっ!」

 意志を込めて返答し、騎士は再度、遺体を振り返って見た。

 遺体の顔。

 大きく歪んだ口の上に、本来あるべきものが無い。

 そこには黒々と広がる底知れない穴が二つ、開いているのみだった。


 一


 中央(セントラル)―――私が知っている名では“欧州”と呼ばれる地域―――その中央からやや西の方に、エオリア王国と呼ばれる国があった。

 さして大きくない、ごく普通の王国である。領土全体は楕円形をしているが、北の森と南の鉱山に挟まれ、平野部は数字の八を横にしたような形をしている。東西に長く、くびれた中央に王都が位置する。

 特徴を挙げるならば―――葡萄酒(ワイン)が美味であること。国営騎士団と民営軍隊という二つの組織が存在すること。地下に、水路と称した抜け道が縦横無尽に走っていること。外交面では、厳正な中立国としての立場を貫いていること―――それくらいか。

 エオリア王国の葡萄酒は本当に美味い。

 世界中にファンがいる。

 噂では、神様ですらこの味に魅了され、大量に買い込んでいるとか・・・。

 ・・・あぁ、失礼。とんと失念していた。

 最大の特徴があったことを、言い忘れていた。

 さきほど、北側に森がある、と述べたと思う。中央(セントラル)の中でも最大の森で、奥へ行けば行くほど暗くなり、月も太陽も地に足を付けることが叶わなくなる。誰も好んで近寄ろうとはしない最奥部には、遭難した者や、自殺を目的に立ち入った者たちの死体があちこちに転がっているとか。

 その森は、王の居城から五キロも行かぬところに入口を開いている。

 別名を、『奇蹟の森』と言った。

 本名を知る者はいない。森は王国ができる前からずっと存在し、誰も名付けようとせず、どの書物にも固有名詞が記されていないために、名無しのままで置かれているのだ。

 人々はその森に、

「魔女がいる。」

 と語る。お伽話に代表される、人間を喰うような悪いものではない。何か人智を超えた困り事を、瞬く間に、無償で、解決してくれる優しい人だ。

 その存在こそ、エオリア王国最大の特徴であり、その森が『奇蹟の森』と呼ばれる所以である。

 建国当時から語り継がれてきた噂はやがて、王国中に浸透し、民草は――平民も、貴族も、騎士も兵士も関係なく、国中の人々は――その『魔女』をまるで『神』か何かのように信じるようになった。

 すると王府は、その存在を危険視した。

 自分たちのコントロールが及ぶ範囲外に、莫大な支持を集める存在があっては、いろいろと不都合が生じるのであろう。それも、相手が稀に見る強力な『魔導師』とあっては。

 そうして当世、遂に、一人の騎士が遣わされることとなったのである。


 二


 栗毛の美しい馬が、森へ向かう道を小走りに行く。

 背には一人の男がいる。

 落ち着いた紺碧の、私服とは言えない厳つい服を纏っている。

 腰には一振りの剣。艶やかな白い鞘には細かい金細工が散っていた。

 国営騎士団の者だ。

 名を、カイル・ヴェルメという。

 歳は、二十の後半くらいだろうか。若くしてその実力を団長に認められた、将来有望な騎士である。

 馬と似た色合いの短髪に、理知的な光を宿す蒼い瞳。顔立ちは、決して端整とは言えないが、真面目で誠実な心をそのまま写したような精悍な面構えであった。

 彼はその、凛々しい眉毛を情けなく歪め、後ろを随行する部下に聞こえないよう、呟いた。

「森の魔女、か・・・一体、どのようなお方なのか・・・。」

 彼に課された任務は、巷で噂の“森の魔女”に会って話してくること。そして―――その先の命令を思い出し、カイルは唇を真一文字に引き結んだ。

『―――お前が“有害だ”と判断したら、その場で斬れ。』

 団長の冷たい声音が蘇る。

 仕事上、人を斬ることに躊躇いは無い。今までにも何度か経験はある。その上命令は絶対遵守。逆らうことは許されない。そもそも、真面目な彼に逆らうつもりはまったく無い。

 が、

 それでも、

(話し合って終わればいいなぁ・・・。)

 そう願わずにはいられなかった。


 三


 森に入ると、馬の足を緩める。

 森はしんと静まり返って、カイル達の足音と、時折鳥の啼く声が聞こえる以外、無駄な音は一切無かった。

 息をするのにも気を遣う、静謐だが緊張感漂う空気。

 乗り手の緊張が伝わったのか、馬が怯えたように鼻を鳴らした。

 カイルは、勇気づけるように馬の背中を軽く撫でた。

 しばらく行くと、道の脇に、盛りを迎えた金木犀が一本、咲き誇っていた。

 馬を止める。

 しばし、その豊潤な薫りを楽しむ。(背後の部下には、気を落ち着け覚悟を決めているように見えていた。)

 それから、

「行こう。」

 と、部下を振り返って言い、金木犀の横の小道に踏み入った。


 小道はすぐに終わり、小さく開けた土地に、生け垣に囲まれた洋館が現れた。

 魔女の館だ。

「へぇ・・・!」

 カイルは思わず嘆息した。

(綺麗だなぁ・・・。)

 馬から降り、手綱を引きながら金属の門をくぐる。

 素朴な味わいの石畳の小道が、庭の真ん中を通って館まで続いている。

 道の両側には、様々な種類の草木が繁っていた。

 植物に関して詳しくないカイルには一つの名前も分からなかったが、

(薬になりそうな感じだな。)

 と思った。

 向こうの方に、東屋があるのが見えた。

 洋館は黒を基調としていて、いかにも、といった雰囲気だった。外壁のあちこちに細かい装飾がなされている。それをじっと眺めているだけでも、有意義な時間が過ごせそうだ。

 大きな両開きの扉は木製のアンティーク調で、天使と悪魔を象ったノッカーが一つずつ付いている。

 カイルは部下に馬を預け、それに手を伸ばした。

 利き手側にある悪魔が抱えたノッカーを掴み、扉を叩く。

 数拍置いて、扉が開いた。

 中から顔を出したのは、若い女だった。

(噂の魔女か?)

 カイルはそう思った。だとしたら、あまりに早い対面である。予想だにしていなかったため、彼は不覚にも口ごもった。

 そんな彼を見て女は微笑み、言った。

「ようこそお越しくださいました。主がお待ちです。どうぞこちらへ。」

「馬は私が預かりましょう。」

 背後で別の声がして、カイルは不覚にもびくりとした。

 慌てて振り向くと、いつの間に現れたのか、違う女が部下の向こうに立っている。

「さぁ、どうぞ。」

 館の中から涼しげな声で促される。

 カイルは唾を飲み込んだ。

「・・・失礼します。」

 軽く会釈をして、中へ入る。


 四


 扉の前まで案内をし、女は一礼した。

「こちらです。主は中に。それでは、ごゆっくり・・・」

 カイルの視線が扉の方を向き、再び女の方へ戻った時には、女の姿は既に無かった。

(消えた・・・?)

 去っていった気配はしなかった。

 それどころか、人としての気配を感じなかった。

 カイルは不思議に思う。しかし、今回の任務は謎の究明ではないので、首をちょっと傾げただけで考えるのを止める。

 息を吐く。

 息を吸う。

 扉を叩く。

 すると、

「―――――っ!」

 カイルは目を剥き、部下が息を飲んだ。

 誰も手を掛けていないのに、音もなく扉が開いたのだ。

 内側にも開けたと思しき人はいない。

 部屋の中は、暖かな光に満ちていた。

 奥には暖炉があったが、まだ大して寒くないこの時期に、火は入っていない。

 部屋の主は暖炉の傍の椅子に腰掛け、此方に背を向けている。

 国内では稀にも見ない、黒髪だ。

 女性にしては珍しく、首筋を隠す程度の長さしかなかった。

 向かい合って置かれているソファーが視線を遮り、服装は此処からは見えない。しかし、かなり華奢である様子は窺えた。

 カイルは立ち尽くしていた。

 部屋の主は無言である。

 勝手に入るのは如何なものかと思ったのだが、主その人が何も言わぬのなら仕方がない。そう判断し、カイルは深々とお辞儀をしてから、中に入った。

「失礼いたします。国営騎士団第一大隊、七番小隊長の、カイル・ヴェルメと申します。突然の訪問、ご無礼をお許しください。」

「・・・・・・。」

「森の魔女様とお見受けしますが、少々お話をよろしいでしょうか?」

 主は黙ったまま、頭を動かした。

 白魚のような手がひらりと、ソファーを指した。

 座れ、ということらしい。

 カイルは一瞬躊躇したが、やがてゆっくり部屋の中を進み、ソファーに腰を沈めた。

 剣をベルトから外し、足の横へ立て掛ける。

 背後に部下が立つ。部下はかなり警戒しているようだ。殺気に似た気配が、カイルの首筋に突き刺さる。

 部屋の主はやはり、何も言わない。

 カイルも何も言わずにいたので、結果的に部屋は沈黙に包まれた。

 カイルは、

(事前に何も言わず押し掛けて来たくせに、促されもしない内に勝手に話し出すのは、さすがに無礼が過ぎる。)

 と考えて黙っていた。

 善良な一般人としては当然の考えである。

 しかし、その形容に“傲慢”という言葉を使われることの多い騎士としては、いささか、いやかなり、暢気すぎる。

 案の定部下が堪えかね、口を開いた。

「森の魔女殿、我々は国王陛下の命によって此処へ参った。国王陛下は貴女様を、宮廷魔導師として迎え入れたいと仰せだ。如何致す?」

 高圧的な口調であった。

 カイルが咎めるように背後を見たが、部下は構わず主を睨み見ている。

 主は寡黙を貫いた。

 部下の気配が剣呑さを帯びる。警戒心がそのまま殺気を伴って表面化したために、カイルは思わず首筋を手でさすった。

「・・・何も言わぬのは、肯定か? それとも否定か? ――――陛下からのご質問だ、早急にっ」

 声を荒げかけた部下を、カイルは立ち上がって制した。

 穏やかな苦笑で『まぁまぁ落ち着け』と手を振る。

 部下は大層不服そうに、しかし上官には逆らえず、苛立ちを収めた。

 カイルは主に向き直った。

 丁寧に腰を折る。

「たいへん失礼致しました。」

 頭を上げると、白い手がひらひらと動いた。『構わん。』と言っているように見える。

 カイルはソファーに座り直した。

 改めて部屋の主の方を見てみる。

 此処からだと、黒い服を着ていることがわかった。室内だというのに、それはジャケットのようである。肩の辺りに小さな銀色の飾りが付いていた。

 ズボンを履いた長い足が、横柄に組まれている。

 顔は見えない。鋭利なほど細く通った顎先の輪郭だけが見えた。

 さて。

 カイルがどう切り出そうかと迷っていると、主が初めて、黙る以外のことをした。

 顔の横まで持ってこられた手の上で、指先が弾かれた。

 パチンッ

 小気味の良い音が沈黙を揺らした。

 次の瞬間、

「失礼致します。」

 カイル達が入ってきたのとは別の、隣の部屋に繋がるドアが開いて、女がやってきた。カイル達を案内した女と同じ女のようであった。

 手に銀のトレイを持っている。

 トレイの上には白磁器のティーカップが鎮座している。

 女はしずしずとカイルに近寄り、前のローテーブルにカップを置いた。

 ハーブティーのようである。爽やかで気高い薫りが沈黙の部屋に満ちた。

「ありがとうございます。」

 カイルが礼を言うと、女は彼に笑いかけた。

 トレイを抱えて退出する。

 カップは一つしか無い。部下の分も主の分も用意されなかった。

 主の手がカップを勧めた。

「では、頂きます。」

 カイルは素直にカップを手にし、口を付けた。

「ヴェルメ様っ?」

 部下が驚愕の声を上げた。魔女のハーブティーを何の警戒もなく飲むなど・・・或いは、敵地で出された物を口にするなど、信じられない! ・・・と思っているのだろう。

 カイルは一口飲んで、目を見張った。

(ハーブティーってこんなに美味いものだったのか・・・!)

 今まであまり好んで飲むことは無く、寧ろ避ける節があったカイル。繊細な口当たりが少々苦手だったのだが。

 覚えず口元が緩む。

 しっかりした味わいと、鼻を抜ける爽やかな薫り。渋味と甘味が複雑に絡み合う、不思議に濃厚な舌触り。

 初めて出会った深い風味に嘆息し、カイルはもう一口それを飲んだ。

 カイルはカップを置いた。どこか不満げな色を含み、緩む口元を引き締めている。

(任務でなければなぁ・・・。)

 心行くまで楽しみたいのに。

「―――――くくっ・・・。」

 主が肩を震わせて、沈黙を破った。

 部下がそれを睨む。今にも剣柄に手を伸ばしそうな雰囲気だ。

 カイルは部下を気にしながら、胡乱げに思った。

(やけに低い声だな・・・。)

 おもむろに主が立ち上がり、振り返った。

 冷たい印象を抱くほど整った顔が、微笑をその薄い唇に浮かべている。

 真っ赤な瞳が初めてカイルを捉えた。

 カイルは呆然としてしまい、飄々と向かいに座ったその“男”を凝視した。

 明らかにそれは男だった。

 艶のある黒髪は長く、左側は髪留めで押さえられているが。

 すっと通った鼻筋に細い顎、肌は透き通ったように白かったが。

 その人は確かに、男性だった。

 歳の頃はカイルと同じくらいか、幾らか若いように見える。

 主は悠然と足を組み、顎でカップを指した。

「気に入ったか? 俺のオリジナルブレンドなんだが。」

「え・・・これは、貴方様が作られたのですか?」

「あぁ。」

「・・・これほど美味しいハーブティーは、初めて飲みました。」

「気に入ってもらえたようで何より。」

 主は微笑した。

「俺の名はレージェだ。よろしく、ヴェルメ殿。」

「カイルで結構です。よろしくお願い致します、レージェ様。―――それで、あの・・・」

 カイルは口ごもる。

 レージェは面白がるように笑って、黙っていた。

「貴方が、“森の魔女”様・・・で、宜しいのですよね?」

「あぁ、如何にもこの俺が、“森の魔女”と呼ばれる者だが・・・どうかしたのか?」

 カイルは言葉を探した。

「・・・失礼、“魔女”とのお噂でしたので、女性だとばかり思い込んでおりました。」

「だろうな。まぁ、“森の魔女”は種族名のようなものだからな。正確には、俺はその“末裔”となる。」

「そうなのですか。」

「最近は噂に乗っかって、使い魔を通して依頼を受けているが。特に、貴族や騎士相手には、な。」

「何故、私どもには貴方様ご自身が?」

「いや何、お前が―――」

「私が?」

 カイルが首を傾げて促すと、レージェは切れ長な目を細めて笑った。

「―――面白そうだったものでね・・・」

からかわれているのか、と思ったカイルは、対応できずに目線を泳がせた。

 レージェが言う。

「それで、用件は、さっきそこのが言っていたのでいいんだな?」

「―――はい。国王陛下が、貴方様を宮廷魔導師にお迎えしたい、と仰せです。」

「ふぅん、宮廷魔導師、か・・・。」

 レージェは一瞬笑みを消し、冷たい目になった。

 すぐに酷薄な笑みを浮かべる。

「どうせ国王の野郎が、俺を危険視したとか何とか、そんなところだろう。それで、宮廷魔導師になって飼われるか―――今ここで死ぬか、と?」

 ずばり、言い当てられる。

 カイルは少したじろいで、しかし頷いた。

「・・・えぇ、仰る通りです。」

「随分素直だな。―――宮廷に入るつもりは無い、と言ったら、どうする?」

 背後で部下が剣の柄に手をかけた。首筋が痛い。

「ヴェルメ様。」

 部下がカイルに命令を求めた。

 カイルは動かない。

 剣に触れようともしない。

 ただ真っ直ぐ、紅い瞳を見据える。

「一つ、お尋ねしても宜しいでしょうか。」

「なんだ?」

「貴方様は、どうして人助けを――――無償で、人助けをなさるのですか?」

 部下の非難の目を背中に受けながら、カイルは聞いた。

 この答えによっては、斬る覚悟をしている。

 レージェは暫し押し黙る。

 と、

「質問を返すようで悪いが、例えばお前が、城下で市民がモンスターに襲われていると知ったら、どうする?」

「それは勿論、助けに参ります。」

「何故? 騎士だからか?」

「それもありますが・・・いえ、たとえ私が騎士で無かったとしても、こうして戦う力を持っている以上、それを用いて人を助けるのは、当然の行いです。」

 堂々たる態度で断言した。

 レージェは、我が意を得たり、と言わんばかりに微笑み、頷いた。

「同じことだよ、俺が人を助けるのは。

 他人(ひと)より少しばかり魔力が多く、他人より少しばかり魔法の扱いに長けていて、他人より少しばかり“そっち”の話に通じている。だから、そうではない他人を助ける。たとえ俺が、“森の魔女”で無かったとしてもな。」

 カイルは、おそらくこれは本心ではないな、と思った。

 しかし、自分を騙して話を有耶無耶にするために言っているようには思えない。

 本当の理由は別にあるのだが、今それを明かすつもりは無い、しかし王府に楯突くつもりも無い、それを伝えんがための本気の建前―――と言ったところか。そう判断し、

「・・・それを聞いて、安心致しました。」

 カイルは表情を緩めた。

「貴方様のことは殺しません。」

「ふぅん、命令に逆らうのか?」

「いいえ。―――私に下された命令は、私が貴方様を『有害だと判断したら』斬れ、というものです。私には、貴方様が有害だとは思えません。ですので、『命令通り』斬ることは致しません。」

「・・・・ははっ。」

 レージェは失笑した。

「面白い。」

「お気に召されましたか?」

「あぁ、気に入った。・・・よろしい、ではこう返そう。―――宮廷入りに関しては、『前向きに検討しておく』と。そう、国王に伝えてくれるか。」

「承知致しました。」

「時間稼ぎにはなるだろう?」

 悪戯っぽく言ったレージェに、カイルは答えず、ただ口角を上げた。


 ハーブティーを最後まで飲み干し、カイルは部下を伴って退出した。

 部屋を出る直前。

 紅い瞳がカイルを一瞥して言った。

「何か起きたら来るといい。力を貸してやろう。」

 まるで“何かが起こる”と確信しているような口振りだった。


 五


 馬に乗り、元来た道を辿る。

 時は夕暮れ。橙の光が右手から射し、栗毛を染める。

「あの・・・ヴェルメ様。」

「なんだ?」

「本当に、良かったのですか? “魔女”を見逃して・・・。」

「あぁ、構わないさ。あの方が何か、悪さをするとは思えなかったからな。」

「しかし・・・」

「それに、おそらくこれは、団長も望まれた結果だと思うぞ。」

「え? ・・・どういうことですか?」

 眉をひそめる部下。

「―――いや、思っただけだ。気にするな。」

 カイルは微笑むだけで、その問いに答えることはなかった。


 六


 カイルが再び魔女の館を訪れたのは、それから一ヶ月後のことだった。

「何か、起きたのだな。」

 レージェは彼を見るなりそう言った。

 カイルは頷く。

 深刻な悩みを抱えた面持ちである。

「えぇ。―――貴方様には、このことが分かっていらしたのですか?」

「予感はあった。が、詳細は分からん。詳しく教えてくれるか。」

「分かりました。」

 カイルは出されたハーブティーに手も付けず、話し始めた。


 二週間前。

 異変はごく小さなところから始まった。

 国営騎士団の毎日は、訓練と警邏、国内で起きた事件の捜査などがそのほとんどを占める。

 剣術や捕縛術などは個人または小隊で、隊列を組んでの演習および特定の状況下での戦闘は大隊で、それぞれ磨いている。

 警邏では、小隊単位で割り当てられた担当区域を見回る。当番制で夜警も行い、犯罪などを取り締まっている。

 カイル率いる第七小隊は、今週が夜警の当番だった。

 二人から三人組で担当地域を分割して見回り、何事も無く警邏は終わった。

 まだ薄暗い中、寮へと帰る。

 そこでカイルはふと気付いた。

「・・・ダルフ?」

「・・・あ、はいっ! 何でしょうかヴェルメ様!」

「顔色が悪いぞ、どうかしたのか?」

「え? ・・・あ、いえ――――――」

 ダルフは目を擦りながら、弱々しく微笑んだ。

「ちょっと、目がしょぼしょぼしていて・・・あ、大丈夫ですよ! 疲れているだけです。寝れば治ります!」

「そうか―――まぁ、無理はするなよ。」

「はい!」


 自室に戻ったカイルは仮眠を取っていた。

 ここで、少し国営騎士団について話しておこう。

 国が経営する騎士団は、五つの大隊から成る。

 大隊の中にはそれぞれ七つほどの小隊があり、一つの小隊には五人から八人ほどが属す。

 身分に関しては、トップの騎士団長(第一位)、大隊長(第二位)、小隊長(第三位)、それ以外の平騎士の四つに分けられている。

 カイルは第三位、すなわち小隊長の位にいる。

 騎士団には専用の寮がある。王の居城の少し北、士官学校に併設されて建っている。

 遠くからやって来た平騎士のほとんどは、寮を利用している。利用しない者は、自宅通いか、近くのアパートを借りていた。

 平騎士には二人部屋が宛がわれるが、第三位以上になると一人部屋になる。

 ただし、第三位以上は収入が良くなるので、たいていは出ていく。

 今現在寮にいる第三位は、カイルを含む五人のみであった。

 しかし、厄介事のほとんどはカイルの元に持ち込まれる。彼の人徳がそうさせるのか、それとも他の四人には話しかけにくいのか――おそらくはその両方だろうが――とにかく、何事か起きた時、真っ先に対応に当たることになるのは、カイルだった。

 彼が眠りに就き、数時間が経った時。

「ヴェルメ様! ヴェルメ様!!」

 カイルの部屋が乱暴にノックされた。

 時は六時。眠り始めてからまだ二時間しか経っていなかった。

 ノックに叩き起こされたカイル。

 寝惚け眼を擦りながらドアを開けた。

 そこにいたのは一人の平騎士である。

 部下であれども粗雑に扱わない、と決めているカイルだが、寝起きの不機嫌さには逆らえない。

 仏頂面で聞いた。

「・・・どうした?」

「あ、お、お休み中のところ申し訳ありません! ダルフ・・・ダルフが・・・っ!」

 その名を聞いて、カイルの目はすっかり醒めた。

 夜警後に顔色を悪くしていた部下である。

 自分を呼びに来た平騎士は、顔面蒼白であった。すなわち、由々しき事態が起きている、ということか。

 カイルは部屋を出た。寝間着姿だがそんなことは関係ない。

 やって来た平騎士は、カイルの隊ではないが、確かダルフのルームメートである。

「落ち着け、何があった?」

「え、ええと・・・その・・・と、とにかく、来ていただけますか?! お願いします!」

「わかった。」

 部屋へ向かう。

 中を見ると、ダルフが一人、ベッドに腰掛けてぼんやりとしていた。

「ダルフ? どうした?」

「あ・・・そのお声、は・・・ヴェルメ様? ―――ヴェルメ様!」

 ダルフはぱっと顔を上げた。

 立ち上がって二三歩進み、そこで膝を折る。

 潤んだ緑の両目がカイルの方を見ているが、その焦点は合っていない。

 嫌な、感じだ。

 カイルはしゃがみこんで、彼の肩に手をかけた。ダルフの顔が此方を向くが、その目は此方を見ていない。

「ダルフ? ・・・お前、まさか―――――」

「ヴェルメ様・・・ヴェルメ様ぁっ! ああああああっ!! 俺、俺・・・っ!」

 涙を流れるままにして、ダルフは慟哭した。

 顔色は真っ青で、絶望を湛えている。

 カイルは唇を噛んだ。

 口にするのが躊躇われる。言葉にしてしまえば、そしてそれが肯定されてしまえば、完全に確定してしまうからである。

 事実を確定させたくない。

 しかし、カイルは言葉にした。

「―――見えて、ないのか・・・。」

 彼は黙って、泣き崩れた。


 彼は突発性の失明の病気と診断された。

 原因は不明である。

 今はまだ騎士団の一員として国営の病院にいるが、除名は時間の問題だろう。

 医者の言では、ここ一カ月ほどで、こうして原因不明の失明に陥り、駆け込んでくる患者が増えているという。

 患者は皆、口を揃えてこう言うらしい。

「夜中に変な軍隊を見た、と―――」

 レージェは興味深そうに相槌を打った。

「ほぅ・・・軍隊、か。」

「はい。炎に包まれた馬や、真っ黒い鎧を着ている人が、大声で騒ぎながら通り過ぎるのを見た、と、そのようなことを言っていたそうです。そして、失明したのはその翌朝だと―――」

「ふむ・・・確かに、それは俺の領分である可能性が高いな。」

「では―――」

「あぁ、わかった。調べてみよう。」

 唇に薄い笑みを湛え、レージェはティーカップを口元に運んだ。

 優雅な仕草で一口含み、

「・・・やはり酒の方がいいな・・・。」

 低い声で呟く。

 それから唐突に、

「カイル殿は、酒は飲まないのか?」

「え? ・・・いえ、飲みますが。」

「飲むのは好きか?」

「ええ、好きです。」

「ふぅん・・・強そうだな。」

「いえ、普通だと思いますよ―――」

 何故、雑談をしているのだろうか。

 カイルは内心の戸惑いと隠すように、ハーブティーで喉を湿らせた。

 その困惑が見えたのか、レージェが目を細める。

「なに、焦ることはない。どちらにせよ、夜にならなければ、片を付けることは出来ないのだからな・・・」

「と、言いますと?」

「さて、ね―――」

 レージェは微笑し、それ以上は何も語らなかった。

「ところで、騎士団の警邏とは一人で行くのか?」

「いえ、二人組か三人組で行きます。」

「その、失明した騎士も、別の奴と共にいたのか?」

「はい。」

「そいつに異常は?」

「ありませんでした。」

「何か見たとは?」

「いえ・・・ただ、音だけ聞いた、と―――」

「ふむ―――そいつに、話を聞きたいな。会わせてくれるか?」

「わかりました。では、いつ行きましょう?」

「早い方がいいだろう。今すぐ行けるか。」

「はい。では―――」

「あぁ、行こう。」

「参りましょう。」

 話は纏まった。


 七


 国営病院。

 国の中心部にある最大の病院だ。かなり設備が整っており、多くの貴族が利用している。騎士団専属の病院でもあった。

 例の騎士は、ダルフの見舞いに行っているらしい。

 病院は清潔で美しいが、カイルはあまり好きではない。清潔で潔白な空気が怖いくらいで、血を纏う自分を責めているように思えるからだ。

「ここです。」

 一室の前で足を止める。

 軽くノックをして、扉を開く。

 中には空のベッドが三つあり、一番奥、唯一埋まっているベッドには二人の男がいた。

 ベッドの横に座っていた男が、振り返る。

 男はカイルの姿を認めると、慌てて立ち上がり敬礼をした。

「ヴェルメ様!」

「ヴェルメ様?!」

 その声に反応して、ダルフも条件反射のように敬礼をした。

 カイルは律義に敬礼を返し、レージェの方を向いた。

「レージェ様。こちらが、私の部下のダルフと、ナクーバです。」

「はじめまして、ナクーバ・ハルヴと申します。」

「森の魔女の、レージェだ。」

 簡潔な自己紹介に、ナクーバは目を剥いた。

「森の、魔女・・・様っ?!」

「あぁそうだ。ちょっと失礼。」

 レージェはナクーバを押し退け、ダルフに近付いた。

 光を失った両目を覗き込む。白い手が頬に触れ、ダルフはびくりと肩を震わせた。

「・・・ふぅん、確かに、匂うな。」

「何か、分かったのですか?」

「まぁな。ところで、お前―――ナクーバと言ったか?」

 レージェが振り返る。

「はいっ。何でしょうか?」

「お前は、こいつと一緒に夜警に行ってたんだよな。で、何か変な音を聞いた―――」

「はい、そうです。」

「どんな音だった?」

「え? ええと・・・轍の音や、馬の声、人の声のような甲高い音―――」

「一番最初に、角笛の音がしなかったか?」

「・・・はいっ、しました!」

 激しく首肯するナクーバ。

 レージェは納得したように一つ頷き、重ねて聞いた。

「そいつらが前を通っていった時、お前はどうしていた?」

 ナクーバは少し黙って、

「・・・目を瞑って、これを握りしめておりました。」

 と、胸元から小さな十字架を取り出した。


 八


 レージェとカイルは連れ立って歩いている。

 カイルは制服姿である。今日は本当は非番なのだが、ろくな私服を持っていなかったためだ。

 レージェは、最初に会ったときと同じく、大きなフードが付いた黒いジャケットを着ていた。両の肩に付いている別々の金属の飾りが、歩みに合わせて揺れる。涼しげな音が鳴る。

「さて―――」

 レージェは楽しげな口調で話しかけた。

「敵の正体は分かった。」

「本当ですか!」

「あぁ。今夜中にも、ケリはつくだろう―――ところで、」

 彼はその真っ赤な瞳にカイルを映して、ニヤリと笑う。

 弓張り月のように細い笑み。

 カイルは射られたように身体を硬直させた。

「お前・・・今夜は、暇か?」

「今夜、ですか? ―――えぇ、何もありませんが・・・。」

「そうか、それは都合がいい。」

 レージェはさらに目を細めた。暖かい日向に満足する猫のようである。

「少々、協力してはくれないだろうか―――」

「構いませんが・・・騎士が、必要なのですか?」

「いや? そういうわけではない。」

 再び、鋭い笑みが彼を彩る。

「そういうわけではない・・・が、退屈な化物退治も、お前がいたら少しは面白くなるだろう、と、そう思っただけだ。」

「はぁ・・・―――」

 カイルは困ったように、短い茶髪を触った。

 どうしても、からかわれているようにしか思えない。

 何と返したらいいものか、と迷った彼は、無意識的に、気になった言葉を鸚鵡返ししていた。

「―――化物退治?」

 レージェは何てことないように頷く。

「あぁ、化物退治。」

「化物退治・・・ですか。」

「うん。それがどうかしたか?」

「―――――」

 カイルは至って普通の人間である。

 この世に生を受けて以来、ごく真っ当に過ごしてきた。無論、“化物”やら“妖怪”やら、そういう怪異の類いとは無縁である。

 モンスターは害獣のため、退治に赴くことは多々あるが、それとこれとは分野が別だ。

(化物退治・・・一体、どんなことをするのだろう?)

「なに、大したことはしないさ。」

「!」

 心を読まれたのか。

 カイルは驚いて足を止めた。

「罠を張って待つだけだ。ただ、待っている間、いかんせん暇だからな。付き合ってほしいのだよ。」

 彼は二三歩先で振り返り、カイルを上目に見た。

 身長差は十センチ程か。

 紅目はカイルの少し下から、その青目を射抜く。

「二つ程、頼まれてほしい。」

「はい、私に出来ることでしたら、何なりとお申し付けください。」

「では、一つ目。今宵十二時、例の騎士が謎の軍勢を見た、と言っていた四辻に来てくれ。」

「承りました。」

「そして二つ目―――」

「はい。」

 レージェは真剣な表情だ。

 カイルは固唾を飲んだ。いったい、どんな重要な頼みごとをされるのだろうか。

 緊張するカイルだったが、しかし、レージェはふいに破顔した。

「―――敬語は、やめてくれないか。」


 九


 夜。

 冷たい帳が街を覆っている。

 息が白く霧散する。

 まだ盛りではないが、重く乗し掛かってくる寒さは、カイルを棒立ちにさせた。

 レージェは先程から、四辻の隅から隅へと歩き回り、何事かをしている。

「―――・・・よし、こんなところか。」

「終わったので―――終わったのか?」

「あぁ。これで、後は来るのを待つだけだ。」

「そうで―――そう、か。」

 カイルはいちいち言葉を改める。

 同年代なのだから敬語は止めろ、と言われたのはいいのだが、生来の真面目な気質が彼をどっち付かずにさせている。

(い、いいんだよな? ため口で・・・しかし・・・うぅ・・・)

 弱った顔。

 それを見てレージェは可笑しそうに笑った。

「―――さて、奴らが何時(いつ)来るかは分からない。一時過ぎから・・・遅くとも、三時頃までには来ると思うがな。」

「何が来るのか、もうご存じで・・・知っている、のか?」

「あぁ、分かっている。だが、今やるべき事は特にはない。」

 そう言ってレージェは四つ角の一角に建つホテルを見上げた。カイルも釣られたようにそれを見上げて、思い出したように曇った表情になった。しばらく黙って見つめていたレージェが、おもむろに、そのホテルの玄関の前、幅は広いが小さな階段に腰掛ける。

 ぱちんっ

 指を弾く。

 ふわり、と、金色の粒子が刹那に漂った。

「―――――っ!」

「お前も飲むか?」

 葡萄酒(ワイン)の瓶とグラスが二脚。

 いつの間に、まるで影の中から浮かび上がってきたかのように、レージェの横に現れていた。

 カイルは、二の句を次げずに立ち尽くした。

 魔女の方は、澄ました顔で葡萄酒の栓を抜き、グラスにゆったりと注ぐ。

 月日を凝縮した薫り。

 闇にも鮮やかな赤紫。

 うっとりとしてしまい、思わず、カイルは呟いた。

「―――良い、酒だな。」

 豊潤なその薫りは、闇夜に紫の筋を立ち上らせるように広がって、カイルの鼻孔を擽る。

 寒さが和らいだように思った。

 カイルは唾を飲み込んだ。

「ふふっ―――」

 レージェが笑う。

「本当に、わかりやすいなぁ、カイル―――」

「・・・・・・」

「飲もう。」

「う・・・むぅ・・・」

「飲まないのか?」

「いや・・・―――」

「飲もう。」

「―――あぁ、飲もう。」

 ついに、カイルはグラスを受け取った。

 瓶を挟み、二人並んで階段に座る。

 石から尻へ冷気が伝わり、カイルは少し身震いした。しかし、酒を口に含むと、見立てた通りの美味さに舌鼓を打つ。

すぐに寒さは忘れた。



 一時間ほど、酒を飲んで過ごした。

 カイルは、本人に自覚は無いが、そうとう酒に強い。

 彼が酒を飲むのは、酔うためでなく味わうためである。そのためペースは遅いが、いつまでも飲み続けられるのである。

 素晴らしい酒とともに過ごす一時間は、あっという間であった。

 そうこうしている内に、カイルはすっかりため口に慣れてしまった。

 敬語を取っ払って話してみると、カイルとレージェの意気は合った。もともとレージェは彼のことを気に入っていたし、カイルは彼のことを好ましく思っていたのだから、それも当然のことであるが。

 性質的には正反対だが、それもまた良かったのだろう。

 時は、一時半に至ろうとしていた。

「ところで―――」

 ふいに、レージェは口調を変えた。

「二カ月前のあの事件・・・ここで起こった女性の惨殺事件だが、」

 と、背後のホテルを振り仰ぐ。

「犯人は見つかったのか?」

「・・・それが、さっぱりなんだ。凶器すらよく分かってない。民兵軍とも協力して捜査しているんだが、まったく、碌な手がかりも見付からなくてな。」

「へぇえ? 珍しいな、騎士団と民軍が協力するなんて。」

 レージェはすこぶる驚いて、声を高くした。

 国営騎士団と民営軍隊の仲の悪さは、非常に有名な話である。組織の仕組みからして、一生分かち合えないのは言うまでもないことだが、それにしても酷過ぎるのである。犬猿の仲、水と油、ハブとマングース―――そんなような例えでは到底言い表せないくらい、仲が悪い。協力なんて夢のまた夢。道端でうっかりぶつかりでもすれば、刃傷沙汰になるのは避け得ないほどであった。

 それが足並みを揃えて―――実際に揃っているかどうかはさておき―――捜査をしているだなんて。

「いったい、なんの凶兆だ?」

 レージェは思わず真顔で聞いていた。

「そう言ってくれるなよ、レージェ・・・言いたくなるのは分かるが。」

「嵐か何かが来るとしか思えない。」

「・・・共同捜査が決まった日は、十年来の豪雨だったよ。」

「―――あぁ、あの日か! なるほど、やけにおかしな空だと思ったら、そういう訳だったのか。なるほどな。」

「上はだいぶ渋っていたんだけどな。さすがに、他に打つ手がなかったみたいだ。今はいがみ合っているより、犯人確保が最優先だ、と。団長の一声で。」

「ふぅん、随分、物分かりの良い団長のようだな。理屈ではそうであっても、なかなか承諾できないのが人情だろうに。」

「まぁ、な。」

「が、それでも、犯人は見つかっていない、と。」

「ああ。」

 カイルは口惜しそうに髪を掻き毟った。

「地下水路にまで捜索範囲を広げたんだけどな・・・。」

「ふぅん、なるほどな・・・―――」

 何か考えているような風情のレージェに、カイルはそれを問おうとしたが、

「―――?」

 言葉を止めて眉をひそめた。

「今、何か聞こえたような・・・」

「へぇ、お前は耳がいいな。―――ようやくお出ましか。」

 レージェはグラスを置き、立ち上がった。

 カイルも立ち上がり、音の方を見遣る。

 四辻の南。

 暗闇の中に、ぽつん、と赤い光がある。それはだんだん大きくなり、近づいてくる。

 不気味な音が聞こえる―――これは、角笛だろうか。

 レージェは四辻の北側、道の真ん中に立ち、南側を見据えた。カイルがその横で不安げにいる。

「な・・・何が、来るんだ?」

「ムオーデルさ。」

「む、ムオーデル?」

 近づいてくる。

 けたたましい音が増えていく。

 甲高い金切り声が、必死に何かを叫んでいる。

「真夜中に四辻を通る、幽霊の軍隊だ。先頭の男―――見えるか?」

「あ、あぁ、見えるが―――」

 轍の音が騒々しく鳴り響く。

 軍隊の先頭では、白馬に乗った男が角笛を吹きながら、大声を上げているように見える。あくまで“見える”だけなのは、その大声の内容がまったく聞き取れないからである。

「彼は、『そこを退け! 退かぬと危ないぞ!』と、警告しているんだ。―――まぁ、普通の人間には聞き取れないのだが。」

「お前には、聞こえるのか?」

「魔術的なものだからな。―――そして、彼らは、自分達を見た人間の視力を奪う。」

「視力を―――っ?!」

 レージェは前を見据えたまま頷いた。

 彼我の距離は、残り幾ばくほどであろうか。

 耳障りな叫び声、吼える声、轍の音、鎧の擦れる音、馬の嘶き―――様々な音が四辻を埋め尽くす。

 その中心に、炎を纏った黒い馬車がいるのが見えた。

「お、おい、レージェ。いいのか?」

「何がだ?」

「このままだと轢かれるぞ!」

「問題ない。何のための罠だと思っている―――」

 レージェは不敵に笑った。

 もはや、彼我の距離は数メートルもない。

 激しく燃え盛る炎が闇夜を遠くへ追いやる。

 視界が白く塗り潰されていく。

 聴覚が怪音に埋め尽くされる。

 カイルは覚悟を決め、反射的に、レージェを庇うような位置に立って、目を瞑った。

 次の瞬間、

 ドォォォォンッッッ!!

 爆音が木霊した。

 カイルは、音に殴られたような気がして、瞑っていた目を恐る恐る開く。

 バチバチバチッ!

 と、火花を散らし、何か透明の壁でもあるのか、行く先を阻まれたムオーデルが身悶えている。

 うおぉぉん、

 うごおぉぉぉん、

 うおおぉぉあああぁぁぁあああああ―――

 気味の悪い唸り声に、カイルは首筋の毛を逆立てた。

 罠に掛かったムオーデルは、煌々と輝かせていた炎を弱めている。

 レージェは、上着の内から小さな硝子瓶を取り出した。口の中で何やら呪文を呟いている。呪文を紡ぎながら、片手で栓を抜き、ムオーデルに向け、無造作にそれを振り掛ける。

 パパッ、

 パッ

 炎色反応のように、ムオーデルの炎に触れた液体が、真っ青に輝いた。

 うおぉぉん、

 うおぉぉぉぉぉん

 悲愴な声が夜気を震わす。

 森の魔女は朗々と、異国の言の葉を、夜陰に刻む。

「《立ち還れ、魔性のものよ、そなたの平穏が待つ場所へ》」

 うおおぉぉあああぁぁぁおおぉん

 うおぉぉぉぉおおおおん

 さらに二度哭いて、

 ―――静寂。

 余韻だけを残して、ムオーデルは消え去った。

「―――・・・?」

 茫然と一部始終を眺めていたカイルが、ふいに、眉根を寄せた。

ムオーデルが消えた後に、ぼんやりと白く光る人影が立っている。深く俯いていて、顔はよく見えない。 が、

(どこかで、見たことがあるような・・・。)

 カイルはそんな印象を抱いた。

 レージェはカイルの脇を抜け、無造作にその人に近づいた。慌ててカイルも後を追う。

 その人の真正面に来ると、レージェは、

「―――災難でしたね。」

 と、いつになく柔らかい声で語りかけた。

 声に反応して、その人が顔を上げる。

「っ!」

 カイルは両の拳を強く握りこみ、飛び出そうになった声と一緒に唾を飲み下した。

(この人は、殺された・・・)

露になった女性の顔に目は無く、こけた頬には涙のように、血の筋が二本付いていた。

「貴女を殺したのは、誰ですか?」

 レージェが穏やかに問う。

 と、

「―――これを・・・。」

 女性はか細い声でそう言って、固く握りしめていた手を差し出した。

 その手のひらが上向けに開かれると、そこには血に塗れたブローチがあった。

「犯人の持ち物ですか?」

 頷く。

「いただいても?」

 再度、頷く。

 レージェはポケットからハンカチを取り出して、ブローチを包み込んで受け取った。

「では、確かにお預かりします。これさえあれば、犯人を見つけることは容易いでしょう。―――なぁ、カイル?」

「あぁ。」

 カイルは女性を見つめたまま端的に答え、そのまま頭を下げた。

「申し訳ありません。本来なら、貴女の助けなくしても犯人を見つけ出し、貴女にはゆっくり、休んでもらわねばならないというのに・・・。」

 真摯に、悲痛に、謝罪するカイルへ、女性はゆるゆると首を振った。

「構いません。・・・貴方は、誰よりも心から、私のために祈ってくださった・・・。」

 ゆっくりと上体を起こしたカイルに、女性は柔和な微笑を浮かべて言う。

「覚えていますよ。聞こえていました。他の騎士の方々が逃げ出していく中、貴方だけは、違いましたね・・・。貴方のおかげで、私は、悪霊にならずに済みました。本当は、私を殺したあの人を、呪い殺してしまおうと思っていたのです。・・・けれど、貴方の言葉で、目が覚めました。貴方の祈りは、本当に心地よくて・・・心が洗われるようでした・・・。」

 女性は恍惚とした表情を、一瞬で泣きそうな顔に変えた。

「あぁ、それでも私は、あの人への怨みを捨て切れなかった・・・。その所為で、多くの方に迷惑を掛けてしまって・・・本当に、申し訳ないと思っています。」

 女性は深く腰を折った。

「貴女の所為ではありません。―――犯人は必ず、捕まえます。」

 カイルの言葉に、また向き直った時には、女性は先ほどまでのような穏やかな笑みを唇に浮かべていた。

「ありがとうございます。よろしく、お願いいたします・・・―――」

 そう告げたのを最後に、女性の姿はすぅと薄まって、夜気に溶けていった。

 冷たい夜の風が吹き抜けて、その名残を消し去ってしまった。


十一


「ムオーデルを見かけたら、目を閉じて、十字架にしがみついていれば、何もされずに済む、という。」

「それで、ナクーバには何も無かったのか。」

「あぁ。」

 レージェは頷いて、ティーカップを口に運んだ。

 森の洋館である。

 あの夜から、一週間が経過していた。

 視力を失っていた人々は皆、すっかり回復していた。

「十字架が無ければ、その場に寝転がって、身体で十字架を作ればいい、とも言われているな。」

「ふぅん。―――しかし、どうして彼らは、視力を奪うんだ?」

「―――彼らは、戦場で目を潰されて殺された者や、盲目故に戦火から逃げられず、無念の内に死んだ者達の霊なんだ。」

「―――――」

「奪える視力があるのなら、奪いたくもなるのだろう。―――彼らにしてみれば、事前にわざわざ警告を発してやっているだけ、感謝してほしいところなんだろうが、な―――」

「なるほどな・・・。」

 カイルはゆっくりと、口にカップを付けた。

 一口。

 薫りを存分に堪能してから、カップを置き、

「―――では何故、突然、あの場所に現れたんだ?」

 そう尋ねた。

「二カ月前の女性惨殺事件。目を取られた上に斬り殺されていたんだろう? その怨みに喚ばれたんだよ。」

「あぁ・・・そういうことか・・・。」

 カイルは一言、そう相槌を打つと、口を閉ざした。


 ブローチのおかげで、事件の犯人は捕まった。とある貴族の子弟だった。痴情のもつれから犯行に及んだらしいが、詳しいことは分かっていない。

 というのも、彼の父親が多額の金を使って、息子を庇ったからである。

 結局、真相は闇の中に葬られ、女性の仇は討てなかった。

 そのことを思い出すたびに、カイルは己の無力さを噛み締めて、感傷に浸ってしまうのだった。


 やがて、

「だからか―――」

 と、カイルは脈絡のない言葉で沈黙を破った。

「何がだ?」

「お前が、ほら、俺が最初にここに来た時、『何かあったら来るといい』って、まるで、何かが起こると、確信しているような口調だったじゃないか。」

「あぁ―――」

「あの事件が起きていたからだったんだな―――」

 納得して、カイルは再びカップを傾けた。

「それで、」

 レージェは悠々と足を組んだ。

「お前、何か用件があって来たんじゃないのか?」

「ん、そうだった。俺は礼を言いに来たんだ。」

 と、カイルは足元に置いていたバックから、真っ白い封筒を出した。

 ローテーブルの上を、レージェの方へと滑らす。

 レージェは嫌そうに目を眇めた。

「―――・・・これは?」

「陛下からの恩賞だ。此度のことで、多くの国民が救われたから、と。」

「ふんっ・・・金か。」

 そう、レージェは吐き捨てた。

「金のためにやったわけではない行為を、金で労われると、水を差された気分になるな。」

 カイルは、その言葉に一も二もなく賛同したくなったが、立場上そういうわけにもいかない。それで、どうにか苦笑だけを滲ませて言った。

「他に、礼の仕様を知らないんだ。気に入らないと思うが、許してやってくれ。―――それで、こっちは俺からだ。」

 と、差し出された物を見て、レージェは思わず目を見張った。

 ローテーブルの上に置かれたのは、葡萄酒の瓶である。味のあるラベルには、趣向を凝らした飾り文字で、『ヴェル・メィラ・ハーシェル'98』と刻まれている。

 レージェは柄にもなく、声を高ぶらせた。

「『ヴェル・メィラ・ハーシェル』の九十八年もの・・・!! 幻と謳われる逸品じゃないか!どうやって、これを・・・・・・」

 レージェの反応に、カイルは満足げである。

 勿体振って答えた。

「―――実は、俺は、ヴェルメ家・・・つまり、ヴェル・メィラ・ワイナリーを経営する家の、三男なんだ。」

「―――――」

「そのワイン、出来はいいんだが、家宝のように崇められていてな。誰も、飲もうとしないんだよ。飲まないのなら、勿体無いから、森の魔女様への礼の品にさせてくれ、と―――」

「いいのか? 本当に、貰っても・・・」

「あぁ。二つ返事で了承してくれたよ。」

「・・・売れば、値段が付かないほど貴重な品だぞ。」

「そうだな―――」

 カイルはそれを認め、ソファーに背を預けた。

 微笑が浮かぶ。

「だが、金に換えられないものには、金に換えられないもので返すのが、筋だろう?」

「―――――」

「それに、本当はこの程度のものでも、足りないと思っているからな。」

「・・・この、程度?」

 レージェは、頬をひきつらせた。生粋のワイン好きには、聞き捨てならない言葉である。

 カイルは至って、真面目に答える。

「レージェ、お前には、何人もの騎士の命を救ってもらった。騎士として、突然に視力を失うことは、死ぬこと以上につらいことだからな。―――いや、普通の人にとっても、同じか。」

「―――――」

「お前は、人の命を救ってくれた。俺たちの、騎士たちの矜恃を、救ってくれたんだ。―――いくら幻の、とはいえ、替えの効く品物程度で、この感謝を表せるとは思えないよ。本当に、ありがとう。」

 カイルは座ったまま、深々と頭を下げた。

 レージェは暫し、呆気に取られて黙っていた。

 それから、

「・・・金なんかより、断然嬉しい。」

 と呟き、瓶を手に取った。慈しむようにラベルを撫でる。心からの微笑が溢れ、彼を飾る。

「さっそくだが、開けても?」

「あぁ、もちろん!」

「お前も飲んでいけ。」

「え? いや―――」

「一人で飲むより、二人で飲んだ方が美味いんだ。付き合ってくれ。」

「―――分かった。お前がそう言うのなら、喜んで、付き合おう。」

「実は期待していただろう?」

「・・・・・・ばれたか。」

 気恥ずかしそうに、目を逸らしたカイル。その口元には、隠しきれない笑みが浮かんでいる。

 レージェは笑いながら、指を弾いた。



 おしまい


 


【ムオーデル】


 オーストラリアに伝わる、伝説上の幽霊の軍勢。

 夜、物凄い叫び声や吼える声、轍の音を響かせながら、四辻を、地面から数10cm浮かんで飛んでいく姿が見えるという。

 先頭では、白馬に乗った男が角笛を吹きながら『そこを退け、そこを退け、退かぬ者は危ないぞ!!』と警告を発している。が、その言葉は人間にはよく分からない。

 徒歩や騎馬だけでなく、炎の馬車や黒い馬車に乗って現れる。

 出会ってしまった場合は、近くにある十字架にしがみつき、目を閉じていると、軍勢は何もしないで通り過ぎる。但し、目を開けていると盲目になる。

 近くに十字架がない場合は、両足を閉じ、両腕で十字架の形を作り寝ること。立ったままでこれをやっても意味がない。


   (参考、Wikipedia)


 目を失った人の幽霊でどうのこうの~―――――とレージェが語ったのは、私の創作です。

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