『ドナト』捧げられた子
※カクヨムで連載中の長編『等しく降る雨』の第一部「ドナト」話を中心に、独立した短編として再構成した一篇です。本編を未読でも、この一作で完結します。
第一部 雨を受ける手
死後に持続する自我などない。
もう一つの記憶の中の私は、それを論じる側にいた。
その私が、知らない天井を、見上げていた。
乳のにおいと、薄い人いきれと、乾いた木のにおい。視界は色彩の塊として揺らぎ、耳に届く音は意味のある単位に切り分けられない。手足は反射的にしか動かず、頸は据わらない。
そうか、と私は思った。
私は赤ん坊だ。
もう一つの記憶が、私の中にあった。
論証を組み、書物を読み、人と語った長い時間の記憶。論じたことの中身は残っているのに、その時間を共にした顔も、声も、最後の食事の味も、誰一人思い出せない。意味だけが残り、出来事だけが取り除かれた、奇妙な欠け方だった。
あり得ないことが起きたとき、最初にすべきは、結論を急ぐことではない。
過去のすべてが間違っていたのか。私は狂っているのか。あるいは、この世界には、以前の知で説明できない何かがあるのか。
判じられないものを棚に戻し、最後の一つを、私は作業仮説として採用した。
その夕、影の一つが私の上にかがみ込み、何かを言った。音節は切り分けられない。私は乳児らしい意味のない泣き声を返した。
影は笑った。
その表情の筋肉の動きには、規則性がありそうだった。
抱き上げていたシスター・マルタは、少しだけ眉をひそめた。瞳の焦点が、新生児にしては合いすぎていたのだ。
「……気のせいね」
彼女はそう呟き、その子に名のない祈りを捧げた。
この孤児院で、台帳に名が記されるのは、九つの年の、教会の儀を越えた子だけだ。それまでは帳面の上で、ただ「子」と書かれる。けれど、世話をする側は、呼び名がなければ立ち行かない。
マルタは、腕の中のこの子にも、一つの幼名を結んだ。
「ロコ。どうか、あなたも名前を貰えるまで生きてちょうだいね」
その二音節「ロコ」が、これから何千回となく繰り返されることになるサンプル1だということを、赤ん坊だけが知っていた。
*
観察者である前に、私は、何ひとつ自分でできない無力な乳児だった。
首も据わらない、寝返りも打てない、空腹を泣くことしかできない。その私を世話したのは、シスターたちだけではない。年長の子どもたちだった。
誰かが泣けば、年上の子が、自分も小さいのに、その背をさすった。私が布の中で身じろぎすれば、五つか六つの子が、慣れない手つきで抱え直そうとして一緒に転んだ。月が巡り、私が薄い粥を口にできる頃になると、その同じ子らが、こぼしながら匙を運んでくれた。
その小さな手の中に、ヨナの手があった。
ヨナは、私より三つ年上の、痩せた肩のよく笑う子だった。よたよた歩きの私が転びそうになるたび、後ろから支えてくれた手の一つが、ヨナの手だった。
乳児の私に、年長の子らがこぼしながら匙で粥を運んでくれた——その光景を、少し大きくなった私に、笑って話してくれたのも、ヨナだった。
「お前は、よく、こぼした」と。
私の頭の中の記録には、ヨナという音節が、他の子の名より少し早く、少し多く、刻まれ始めた。
同じ頃、私より少し年長の子が一人いた。声は出るのに立ち上がらず、足がいつも布の中で遅れていた。
私はその子を、まず数として見ていた。歩ける子、歩けない子。咳の多い子、少ない子。夜に泣く回数。匙を受ける量。
ある朝、その寝床が空だった。
マルタの祈りが長くなり、子どもたちの声が少し低くなった。それで、私は理解した。死んだのだ。
最初に動いたのは悲しみではなく、「一つ減った」と数える頭だった。
その数え方に、私はぞっとした。
泣こうとしても、出てくるのは赤子の泣き声だけだった。手を伸ばすことも、起き上がることも、何もできない。
その日の祈祷書の余白に、小さな印が一つ増えた。
この子たちには、親がいない。愛ある親に育てられる、その幸せが、ない。
ならば、せめて、この子たちは生き延びて、幸せになるべきだ。
それは論証ではなかった。観察から導いた結論でもなかった。ただ、そう思った。
これは、私がこれから観察を続ける、その動機の最も底にある火だった。
*
話し始めたとき、私は意図的に、最も役に立つ単語から覚えた。
最初に発した二語は、「みず」と「いたい」。
水は、子どもの体内に最も多く入る物質だ。「いたい」は、子どもの不調を尋ねるための単語。完全な健康調査の代替にはならないが、傾向は取れる。
マルタは、私の最初の発語に驚き、それから泣いた。彼女が私を抱きしめて何度も「ロコ」と呟いたとき、その音節に伴う湿った響きは、紛れもなく感情の発露だった。ひとり、生きた——彼女はそう思ったのかもしれない。
ヨナは、私が言葉を覚えるのを面白がった。
「みず」は、ヨナが教えてくれた音節の一つでもあった。彼は土間の隅の大きな甕を指差し、「みず」と言った。次に空の桶を指差して、「ない」と言った。並べて、「みず、ない」「みず、ある」と、繰り返した。
私はそれを真似た。
ヨナは笑って、私の頭を撫でた。
その甕の内側が黒く焼かれていることに、私はずっと後になって目を留めることになる。だがその時は、ヨナの短い音節と、撫でられたときの手の温度だけが、表の余白に書き込まれていった。
*
壺と小石を使うことを思いついたのは、私が三つになった夏の終わりだった。
倉庫の隅に、空の壺が三つ並んでいた。その横に、小石を集めた小箱があった。
壺は、量の容器だ。小石は、印として使える。一つの石は、一つの事象。
その夜、私はマルタに「あれを、ぼくに、ちょうだい」と頼んだ。発音は怪しかったが、伝わった。
マルタはシスター・アガサを呼び、空の壺が本当に空いているか、縁が割れていないかを確かめた。アガサは低い声で「三つも?」と言い、小石の箱を軽く揺らした。マルタは、その箱を見つめて言った。
「空いた器は、何かを受けるためにあるものだよ」
それで、三つの壺と小石の小箱が、私の前に置かれた。
「ロコ、何に使うの」
「あそぶ」
——子どもが死なないように、と本当は言いたかった。
規則は単純だった。
三つの壺に、白っぽい布、茶色い布、黒ずんだ布を結ぶ。毎朝、私は子どもたちに「いたい?」と訊いて回る。「いたい」と答えた子と、咳をしている子は黒、それ以外は白。熱がある、食事を残した、起きてこられない——そういう時は茶。
石は古い敷布の陰で入れる。外からは、どの壺に入れたか見えない。一日の終わりに小石を数え、十個で壺の紐へ結び目を一つ作る。結び目が十になったら、木札に傷を一つ刻む。
子どもたちにとって、それは「遊び」になった。
その遊びを、最初に、年下の子に噛み砕いて伝えてくれたのが、ヨナだった。
「いたい子は、くろ。げんきな子は、しろ。だな?」
ヨナは、年下の子の前にしゃがみ、壺の口に結ばれた白っぽい布と黒ずんだ布を、一つずつ指で叩いてみせた。
「これが、しろ。きょうも、げんき」
「これが、くろ。きょうは、いたい」
私の制度は、半分は、ヨナの手で広まった。
一度だけ、ヨナは壺の前で笑ってしまった。
「おまえ、また黒か」
言われた子は、小石を壺に入れず、しばらく手の中で握っていた。ヨナはすぐには、その意味に気づかなかった。自分では、ただ遊びの言葉を重ねただけだったのだろう。
少しして、その子が泣きそうな顔をしたとき、ヨナは慌てて言った。
「わるかった。黒、わるくない」
ヨナは、自分のパンの欠片を、その子の手に押し込んだ。
それから、アガサが布袋を持つようになった。
ヨナが笑ってしまった次の日、その子はアガサが体調を確認する前に、小さな声で「いたくない」と言った。アガサは「うん」とだけ答え、布袋をその子の膝の前に寄せた。小石を握った手は、古い敷布の陰に入った。
私はその時、気づいていなかった。アガサが、ヨナの手の動きを、いつも少しだけ長く見ていることに。
年下の子の頭を撫でる手。こぼれそうな椀の底を、横から支える手。自分の分のパンを千切って、いちばん小さな子の口元へ運ぶ手。
シスターが近くにいると、ヨナはいつも少しだけ取り繕った。いつもより優しい調子で、パンを千切る指も、いつもより丁寧に動いた。大人がいる時、彼はほんの少し明るかった。
シスターたちは、そういう瞬間を見続ける人たちだった。九つの儀のとき、その子に渡す名前を選ぶために。
同じ年、乳だけを飲む子が一人消えた。
乳母は町から時刻を分けて通ってきた。来る刻が遅れれば、乳だけを飲む子は待つしかなかった。
私が布の端を直すと、泣き声が少しだけ細くなった。乳を求める泣き声と、眠いだけの泣き声を、私は少しずつ聞き分けるようになっていた。それでも、その子が泣き止むと、胸の奥が確かに温かくなった。
数日後、その泣き声が消えた。
マルタが抱いて祈り、アガサが布を替えた。私はそばに立っていたが、できたことは何もなかった。三歳の手は、布の端を握るだけで、命を留める手ではなかった。
また、頭が数えた。一人減った、と。
けれど今度は、その数えが胸の内側を引っかいた。
私はたどたどしく「やだ」と言った。それ以上の言葉は出なかった。
祈祷書の余白に、小さな印が、また一つ増えた。
その日、ヨナは空になった寝床のそばを通らなかった。目も、向けないようにしていたと思う。
けれど夕方、小さな子が泣き出すと、少し間を開けてそちらへ行った。背を撫でる手は、いつもの手だった。
死んだ子の名だけを、ヨナはその日、一度も呼ばなかった。
*
その頃、孤児院には、刈り入れと冬の入りに、大人が訪ねてくることがあった。
荷を負った男や、こざっぱりした身なりの女。彼らはシスターたちと、子どものことを低い声で話した。誰が、いくつで、何ができるか。読めるか。数えられるか。丈夫か。
マルタは、子をただ渡す人ではなかった。
「打ちませんね」
「冬の間、火のそばに置いてくださいますか」
「飯は、朝晩」
声は柔らかい。けれど、引かなかった。彼女は、子どもと外の間に立って、通すか、通さないかを決めていた。
ある日、洗濯物の陰で、アガサとマルタの低い声を拾った。
「近頃は、来る人が減ったわね」
「ええ。隣街の方でも……シルヴェの子は、咳がちだ、と」
弱い子は長く使えない、と思われている。渡せる先が、細ってきた。
咳は、身体だけでなく、親のいない子が外へ渡るための細い橋まで削っていく。
その時、私は、黒という言葉の重さを、少し別の形で知った。
*
五歳になっても、私の咳は治っていなかった。
むしろ、緩やかに悪化していた。壺と小石の記録は二年近く続き、黒(不調)と白(健康)の比率は、不調がやや上回る傾向で安定していた。茶(重症)は、毎月数個ずつ増えていた。
咳の頻度には、子どもごとに差があった。同じ孤児院で同じ生活をしているのに、なぜ差が生まれるのか。
私は、外から来る子に水源を訊いて回るようになった。
町の中央の井戸。裏庭の雨水桶。川の上流。奥の泉。
ある日、私は孤児院の土間の隅の甕を、初めて、ちゃんと見た。内側が黒く焼かれていた。
ちょうど、アガサが古い甕を横に倒して手入れをしていた。黒く焦げた層を刃物でこそげ、甕の中で小さな火を焚く。内側を、もう一度焼くのだ。
「シスター。なぜ、なかを、こがすの?」
「こうすると、水の濁りが減るからね。子どもらのために」
「どうして、へるの?」
「さあ。私も、教わった通りにしているだけ。昔から、そうしてきたから」
——炭、と私の頭の中で、言葉が一つ灯った。
焼いた木は、水の中の濁りや、嫌な匂いの元を、いくらか吸い取る。もう一つの記憶の側では当たり前の知識だった。
ただ、私は何も口にしなかった。炭が水を良くする、と語ることは「観察」ではなく「介入」だ。五歳の私は、その危うさを言葉にできないまま避けていた。
小さな符合だけを、頭の隅に置いた。
*
その頃、私はもう一つ、聞いて回るようになっていた。
「あなたの家で、教会の祈祷は、月に何度ぐらい?」
返事は、家ごとに違った。
裕福な商家の子は「先月、月に二度も祈祷を受けた」と答える。中流の家の子は「月に一度くらい」。貧しい家の子は「集団祈祷だけ」「年に一度か二度」と答えた。
祈祷魔法で体調が一時的に改善するのは、私自身が観察してきた事実だった。その祈祷が、家ごとに回数が違う。
治療という、最も切実な力が、特定の場所に結びついて握られている。そして、その力は、金を払える家から順に配られていく。
貧しい家ほど、祈祷の回数は少なく、咳は重い。
雨は、誰の家にも等しく降るのに。
私が組み立てている「数える方法」は、誰のものだろうか。
壺は、誰でも手に入る。小石は、その辺に落ちている。雨水は、空から、誰の家にもただで降る。
この方法は、教会の許可も、金も、血統も要らない。
もし、町の病をこの方法で少しでも軽くできるなら——それは、祈祷とは違って、特定の誰かに握られない、万民のための手立てになるのではないか。
——力は、誰の手に置かれるべきか。
その問いは、誰の前でも口に出さなかった。ただ、ヨナと並んで甕の前に立っていたとき、ヨナが何の脈絡もなく言った。
「ロコ。あめ、すきか」
「うん」
「おれも、すきだ」
ヨナは、空を見上げた。
その日、雨は降っていなかった。
だが、空は、灰色に厚く、低く、垂れ込めていた。
*
夜、寝かしつけの前に、シスター・マルタは小さい子らに、古い話を一つ読んでやった。何度も読まれた話で、題を聞いただけで、子らは足を畳んだ。
『青葉の道』という話だった。
むかし、赤い鐘の寺の石垣の下に、親をなくした子猿らの暮らす低い家があった。
その家に、まだらの猫マルバがいた。マルバも、もとは捨てられていたのを、この家の猿らに拾われ、ここで育った。やがて誰より脚が強くなり、谷を三つ越しても息を乱さぬ狩りの名手になると、育ててくれた恩を返そうと、獲物の肉を運ぶようになった。猫には獲物の肉こそ食べ物で、肉の匂いのせぬものは、どれほど色よく実っても、風の飾りにすぎなかった。
暁の鐘が三つ鳴ると、マルバは東の道へ走った。道の右には青すず菜が露をかぶり、左には月胡桃が鈴のように下がり、石の割れ目には甘い蔓の実が黒く熟れていた。猿の子らの腹を満たすものが、いくらでもそこにあった。だがマルバはそれらを踏まずに跳び、時には尾で払って、狐の匂いや山鳥の羽音を追った。遠くの岩場まで行き、日が傾いてから、雀一羽、兎半分、あるいは何もなしに戻ることもあった。
同じ道の小さな祠のかげに、老い猿サバがいた。サバは膝の震える年寄りで、もう遠くへは行けなかった。マルバが肉を運ぶようになってから、サバは肉を探しに出ずにすみ、その分の乏しい力を、すべて青いものに回せた。サバは、それを猫に感謝していた。サバは魔の杖も、天の袋も持たず、朝露で指を湿して青葉の茎を割り、輪を作った。その輪へ木の実を三つはめ、裂いた菅で手首に掛ける。葉は三枚、実は七粒、それ以上は持てぬ。サバは一歩進んでは座り、もう一歩進んでは石に額をあずけ、昼すぎにようやく子らの窓へ着いた。
サバは格子のすきまから青い輪を入れ、弱った子の舌に葉の汁をつぶし、胡桃を石で割って小さくした。子らはそれを舐め、しばらく目をひらいた。けれど葉はいつも足りず、実はいつも足りなかった。マルバはそのそばを毎日通った。自分を育てた一族の老い猿が、草を拾い、祠にかがみ、また草を拾うのを見たが、「今日も道端で数えごとをしておる」と思い、耳を伏せて走り過ぎた。
マルバの肉はまことに温かかった。雉の肉を持ち帰った晩には、泣いていた子猿が眠り、兎の肉の朝には、細い手が少し持ち上がった。子らはマルバの首に顔を寄せ、毛の中で神の名をとなえた。
ある月のない晩、いちばん小さな子猿が、薄い息で水を求めた。枕もとの皿には、マルバが夜明け前に獲った山鳩の肉が残っていた。窓の外ではサバが、青すず菜を握ったまま敷居の石につまずき、立てずにいた。葉の輪はほどけ、実が二粒、雨樋の下へ転がった。鐘が一つ鳴る前に、その子は目を閉じた。
マルバは帰ってこれを見、声を上げて泣いた。「西の峰まで走ればよかった。爪をもっと研いでおけばよかった。兎を二つ、鹿を一つ、必ず捕って戻ればよかった。」そう言って、夜通し土を掻き、朝にはまた東の道へ出た。
祠のかげで、サバは震える手に残った青葉を一枚のせていた。道には露に濡れた月胡桃がこぼれ、青すず菜の葉が細く光っていた。マルバの背は、獲物の匂いを追って、朝霧の向こうへ小さくなっていった。
マルタが猫の名を読むたび、小さい子らは口々に叫んだ。
「マルバ、あおば、とってきてー」
「ねこさん、そっち、あおばだよう」
子らは、猫がそれを取らないのを、じれったがって泣いた。
私は、泣かなかった。叫びもしなかった。
——話が、合っていない。
もう一つの記憶の側の頭が、すぐにそう言った。肉を食う獣に、青菜を食べ物として見ろというのは、無理を言っている。猫の目に菜が映らないのは、猫の罪ではなく、猫の生まれつきだ。責めるなら、筋が違う。
私は、その筋の違いを、頭の中できれいに並べ直した。並べ終えて、少し満足した。
猫を弁護してやってから、私は壺の小石の数えに戻った。足の弱い老い猿が出てくる終わりのほうは、マルタの声のまま、私の耳を通り過ぎていった。
*
その夏、私は雨を集める遊びを始めた。
最初は、空き缶を一つ、裏庭に置いただけだった。
次に、ヨナが自分の桶を持ってきた。
「おれも、やる」
私の缶より少し大きい桶だった。私が苦笑すると、ヨナはにっと笑って、「おれは、九つだ。おまえより、おおきい」と言った。
その九つの儀は、まだ来ていなかった。だが、ヨナは、もう自分が九つだと言いはじめていた。
他の子どもたちも、面白がって缶や桶を持ってきた。マルタはそれを見て笑い、アガサだけは低い声で付け加えた。
「最初の雨は捨てなさい。屋根の汚れを連れてくる。次の雨を貯めるんだよ」
雨が降ると、子どもたちは外へ走り出した。
自分の缶を確かめ、貯まった水を別の容器に移し、そして飲んだ。あるいは、煮て茶にしてもらった。
ヨナは、缶の数を数える役を、自分から引き受けた。
「ロコ。きょう、十二」
「ロコ。きょう、十五」
いまや、缶と桶の数は、二十を超えていた。
孤児院の井戸水の消費量が、目に見えて減りはじめていた。
一ヶ月後、私は木札の傷と、壺に掛けた紐の結び目で、その月に増えた分を確認した。
黒の印は、前の月より、わずかに——だが、明らかに——少なかった。
白の印は、相対的に増えていた。
茶の印は、その月、一つも増えなかった。
雨水を多く飲んでいる子ほど、咳が少ない。断定はできない。集めた数は粗いし、揃えきれない違いも多い。だが、傾向の向きだけは、繰り返し同じ方を指していた。
私はその傾向に、希望を持っていた。
雨を集めれば、咳が減る。子どもたちが楽になる。守りたい者たちの「痛い」が減る。
その希望のただ中で、私は、ヨナの咳が、ゆっくりと、重くなっていることに、気づかなかったわけではなかった。
だが、私は、自分の傾向の正しさに満足していた。
雨水を多く飲めば、咳は減る。
ならば、ヨナにも、もっと雨水を飲ませればいい。
私は、ヨナに、自分の缶の水を、何度も差し出した。
ヨナは、笑って、首を振った。
「ちびたちが、さきだ」
*
雨を集める遊びが根づきはじめた頃のことだった。
孤児院の裏には、痩せた鶏がいた。卵が並ぶ朝もあれば、並ばない朝もあった。餌を撒くのは年長の子の仕事で、ヨナは、年下の子が怖がらないよう、卵を踏まぬよう、自分が真ん中に立って小さな手を導いた。
鶏は、ヨナをよく憶えているらしく、ヨナの足元では、つつかなかった。
ある日、ヨナは鶏小屋から戻ると、台所には向かわず、裏戸の脇へ回ろうとした。そのとき、年下の子の一人が、ヨナの腹に飛び込んだ。
「あぁ!」
上着の腹のあたりが、ゆっくり濡れてきた。
シスター・アガサが振り向いた。
「ヨナ。なんで、そんなところに、卵を入れていたの」
軽い声だった。叱責というには、ほとんど呟くような声だった。
ヨナは答えなかった。上着の濡れたところを押さえたまま、立ち尽くしていた。痩せた肩が震え、やがて声を上げて泣いた。
たいしたことのない注意に、たいしたことのある泣き方をした。
ぶつかってきた年下の子も泣いた。
ヨナは、その子の頭を、いつもの手つきで撫でていた。泣きながら、撫でていた。
その日から、アガサはときどき朝の祈りのあとに出かけるようになった。帰ってくるころには裾に泥がつき、手には何もなかった。
第二部 ヨナ
六歳の終わり、その希望のただ中で、私はヨナを失った。
*
その日まで、私の暮らしを、ヨナの手がいくつも形作っていた。よたよた歩きの私を支えた手も、餌を撒く小さな手を導いた手も、小石遊びを年下に噛み砕いた手も、自分のパンを千切って差し出した手も——みな、痩せた肩の、よく笑う九歳の子の、同じ手だった。
ヨナは咳の重い子だった。だが、集めた雨水はいつも限りがある。ヨナは自分の分を小さな子に回し、「おれは、平気だ。ちびたちが、先だ」と言って、井戸の水を飲んだ。
私が止めても、ヨナは笑って、私の頭を撫でるだけだった。
*
その年の、冬の入り口。
雨の少ない週があった。
数日、ほとんど雨が降らず、孤児院の雨水甕は底をついた。集められる雨水が、子どもの数に足りない。
シスター・マルタは、残った雨水を、咳の最も重い子から順に配った。
ヨナはその順の最後に回った。自分で最後に回った。「おれは、九つだ。ちびより、丈夫だ」と言って。
その週、ヨナは井戸の水ばかりを飲んだ。
雨の少なかった週の、次の週。
ヨナの咳が、急にひどくなった。
ちょうど、冷え込みが来ていた。鼻水と熱も重なった。咳と、熱と、悪寒。何が、どれだけ効いているのか——別の言い方をすれば、複合的な要因だった。風邪か、流行り病か、長年の咳の蓄積か。たぶん、その全部が絡んでいた。
だが、その絡まりの底に、町を蝕む、あの咳の重さが——井戸の水が、確かにいた。
シスター・マルタが、夜通し、繰り返し祈った。長い詠唱。頭への接触。香草の煙。シスター・アガサは、その傍らで、湯と布を絶やさなかった。布を絞るたび、布を替えるたび、湯を沸かすたびに、囁くようになにかを唱えていた。
祈祷は効いた。一時的に、ヨナの咳は落ち着いた。
夜半、ヨナは目を開けた。
「ちびに、水、やった。パンも、やった」
そこで言葉が切れた。
「いい子にしてたら、いいことあるって」
「……おれ、いい子じゃ、なかったのかな」
「ヨナ。あなたは、いい子よ。とても、いい子」
ヨナは少し笑おうとした。
笑いは咳に崩れた。
その後、静かな夜に続く、マルタの祈祷だけが微かに震えていた。
だが、原因は抑えなかった。
三日目の朝、ヨナは息をしなくなっていた。
*
私は、ヨナの、冷たくなった手を握った。
その手は、よたよた歩きの私を、後ろから支えてくれた手だった。私の分のパンを、いや、自分の分のパンを、私たち年下の子に千切って分けてくれた手だった。私の小石の遊びを、年下の子に伝えてくれた手だった。
もう、温かくなかった。
周りで子どもたちが泣き叫んでいた。年下の子は、ヨナの名を呼んで、声を上げて泣いた。小さな子は、何が起きたのか分からないまま、つられて泣いた。シスター・マルタが、その子らを抱き寄せていた。シスター・マルタの頬にも、涙が伝っていた。
私も泣いていた。
涙が止まらなかった。時折、喉の奥が、ひとりでにしゃくりあげた。だが、声はあまり上げなかった。ただ、静かに、涙が流れ続けた。
この小さな身体は、悲しみを隠す術を、まだ知らないらしい。あるいは——隠したくなかったのかもしれない。
そして、泣きながら、私は気づいていた。
涙を流すその裏側で、頭の中の、別のものが、止まらずに回り続けている。泣いている自分と、数えている自分が、同じ胸の中に同時にいた。
——いつから止められたか。
——どこで、私は間違えたか。
泣くことは、頭の回転を止めてはくれなかった。それが、私という人間の、たぶん、いちばん寂しいところだった。
雨水が咳に効きそうな傾向は、もう見えていた。
ならば、雨が足りないときは、どうするべきだったのか。
できることは、ずっと近くにあった。
井戸の水を、飲める水に変える。炭で漉す。布で漉す。煮沸する。完全ではない。この水に、どれだけ効くかは分からない。それでも——試すことは、できた。
雨水が足りない週に、井戸の水を炭と布で漉して、ヨナに飲ませることは、できた。それが効いたかどうかは分からない。だが、私は試しさえしなかった。
雨を「集める」ことばかりに目を奪われて、水を「変える」ことを、私は避けていた。
炭で水を良くする断片は、この世界にもあった。孤児院の甕は、内を焦がしてある。シスター・アガサが、「濁りが減るから」と、子らのためにこそげては焼き直してきた、あの甕。焦がした甕に水を溜めることと、井戸の水を炭と布で漉すことの間には、ほんの一歩しかない。
それでも、私は踏まなかった。
それは「観察」ではなく「介入」だった。空から降る雨を受けるのとは、わけが違う。まだ誰もやっていないかもしれないことを、自分の手で持ち込むことだった。
新しいことを世に出す危うさ。目立つことの危うさ。私はそれを、慎重さと呼んでいた。
その慎重さが、ヨナの飲む水を変えなかった。
もし、試していたら。
ヨナは井戸の水を飲まずに済んだかもしれない。
もし、試していたら。
……だが、その「もし」を、私は永久に確かめられない。
炭と布が効いたかどうか。ヨナが助かったかどうか。確かめようがない。
確かめようがないからこそ、その後悔は、答えを持たないまま、私の中に降り積もった。
仮説を検証する前に、私は一人の子を失った。検証していれば助かったとも、助からなかったとも言えない。その判じ切れなさだけが残った。
*
ヨナは、孤児院の裏の、小さな墓地に埋められた。
墓のかたわらに、シスター・アガサが、小さな木の札を立てた。そこには、私の知らない名が彫られていた。
——ドナト。
九つの儀で、台帳に書き込まれた名だという。だが孤児院の中では、誰もそうは呼ばなかった。シスターたちも、子らも、私も、ただ「ヨナ」と幼名で呼んできた。
名を貰う前に消える子は、祈祷書の余白の、小さな印になる。名を貰った子は、こうして、台帳の名で土に還る。
ヨナの、その台帳の名を、私は葬る日になって、ようやく知った。
——捧げられた者・与える者、という意味の、古い言葉なのだと、土をかけ終えたシスター・アガサが、低い声で教えてくれた。聖典にもある名で、シスターたちが願いを込めて選ぶ名の一つだ、と。
その名を持つ子が、自分の分のパンを、自分の分の雨水を、年下の子に捧げて——逝った。
土が被せられていく。その、土の音を聞きながら——私の頭の、止まらない方が、また勝手に回り始めた。
ヨナは何年も、井戸の水を飲んだ。ちびたちに雨水を回して、自分は井戸の水ばかりを。もし、町の水を蝕むあの「何か」が、飲むたびに、少しずつ身体に溜まっていくものだとしたら——もう一つの記憶の側の言葉で言えば、体内蓄積。あるいは、乳や卵、川魚や鶏肉を通じた、生体濃縮。鉱山の下の水を浴びた魚に、それを食う鳥に、毒が濃く積もっていくように。長く飲んだ者ほど、濃く溜める。ヨナの咳が、ちびたちより重かったのは、ヨナが年上で、長く飲んできたからかもしれない。
そして、いま。その、溜め込んだ身体が、孤児院の裏の、土の下に埋められた。
雨が染みる。土を抜ける。地下を流れる。——孤児院の井戸は、この裏手の、どれくらい下流だったか。
私はヨナの墓の前で、ヨナの亡骸を、汚染源の可能性の一つとして数えていた。
いま、ここで考えるべきことではない。考えていいことでもない。与えてくれた者、守りたかった者の、最初の一人を土に埋める。その場で、私は、その者の遺骸の、下流の井戸への影響を見積もっていた。涙は流れ続けているのに。胸は潰れているのに。それでも、頭は回ることをやめなかった。
悲しむことと数えることが、同じ胸で、同時に起きる。それが私だと、もう知っていたはずだった。だが、その「数えている自分」が、ヨナの亡骸にまで手を伸ばしたとき——私は初めて、自分という機械が、心底おぞましく思えた。
この頭は、いつか役に立つのかもしれない。体内蓄積の見積もりが、いつか誰かを救うのかもしれない。
だが、いまは違う。いまは、ただおぞましかった。
愛ある親のいない子は、いる子が持つ幸せを持たない。せめて、生き延びて、幸せになるべきだ——私が、乳児の頃に、理屈の前に抱いた、あの想い。
その想いの、最初の一人を、私は守れなかった。
私はヨナの墓の前で、長く立っていた。
ふと、いつか読まれた話の、死んでしまった子猿が浮かんだ。あの子猿も、なにかの欠乏から、死んだのだった。
そして、決めた。
次は試す。傾向が見えたら、確かめる前に、できる手当ては並べて試す。試さずに、見送ることはしない。
雨を集めるだけでなく、水を変えることも試す。一つの工夫に満足しない。多くの工夫を並べて比べる。
——それが、ヨナにできる、唯一のことだった。もう、ヨナには届かない。だが、次のヨナには届くかもしれない。
——それが、後悔に形を与えて、扱えるものに変える、ずるさだと知っていても。
この日の重さを、私は棚に上げなかった。
決着不能な、理性の向こう側の問いとは違う。
仮説の確証は、過去の死を、戻さない——私が、何度も自分に言い聞かせることになるその一行を、私は、九歳のヨナの、冷たい手の感触から学んだ。
それでも、と私は思う。
もう一つの記憶の側にとって、人の死は、魂などと呼ばれるものの終焉であった。それは、機械の故障と同義だった。組み上がっていたものが、ほどけ、二度と組み上がらなくなる——ただ、それだけの、冷たい連続性の断ち切れだった。死者のために祈ることに、意味を見いだせなかった。祈る先に、もう、誰もいないのだから。
だが、私は、ここにいる。
一度、終わったはずの私が、いま、ここで、ヨナの墓の前に立っている。私という連続性は、一度、断ち切れて、それでも、別の場所で続いた。ならば——ヨナの、断ち切れた連続性も、どこかで続くのかもしれない。それを、否定する根拠を、私はもう持たない。
その日、私はヨナの冥福を祈った。前の私には、できなかったことだった。祈りがどこかに届くと、確かめたわけではない。だが、確かめられないからこそ、祈れた。
数えている自分の、すぐ隣で。私は初めて、誰かの魂のために祈ることができた。
第三部 遅すぎた雨
ヨナを埋めた数日後、鶏小屋に、見慣れない鶏が四羽いた。
雌鶏が三羽、雄鶏が一羽。
どれも痩せていて、一羽は尾羽が半分抜け、一羽は足を引きずっていた。
その日、アガサは柵の前に立ったまま、しばらく動かなかった。
それから、私の記録は変わり始めた。
壺と小石、紐と木札だけでは足りない。もっと細かく、もっと長く数を追える道具が要る。雨を集めるだけでなく、水を変える工夫も試す。完全ではなくても、試さずに見送ることはしない。
そのために、大人の手を借りることになる。町の薬師の店にも行くことになる。だが、最初の一歩は、もっと近くにあった。
ヨナを埋めた翌朝、缶の中に、薄い氷が張っていた。
夜のうちに、雨は雪になっていたらしい。指でその氷をつついて、私は、ふと、しゃがみ込んだ。私の指は、まだ短くて、その縁を上手につまめなかった。
ヨナがいたら、もっと器用に、それを外してくれただろう。
そう思ったとき、私は、自分が、ヨナという音節をまだ自然に呼んでいることに気づいた。
台帳の名は知った。けれど、私の中で、彼はまだヨナだった。シスターたちもそうだろう。子どもたちも、たぶん、そうだろう。
ドナトという名は、墓の札の上にしか、まだ立っていない。
いずれ、私たちが、ヨナの呼び名をやめる日が来るかもしれない。彼のことを話す相手が、彼を知らない誰かになる日が。そのとき、私は、ドナト、と呼ぶことになるのだろうか。それとも、その日が来てもまだ、ヨナと呼ぶのだろうか。
ただ、決めたことが一つあった。
彼の二つの名前を、私は、両方とも、覚えておく。一方を選んで、もう一方を捨てない。ヨナとして呼ばれた日々と、ドナトとして呼ばれなかった名——その両方を、私は、私の頭の止まらない方の余白に、別の欄として残しておく。
数えている自分が、いつかまた、誰かの亡骸の前で動き出すとき。
その隣の欄に、ヨナの名を、ちゃんと書ける場所を、空けておくために。
午後、私は土間に立った。
アガサが、いつもの甕の手入れをしていた。内側を、刃物でこそげている。黒く焦げた層が、薄く剥がれ落ちる。私が近づくと、アガサは手を止めずに、低い声で言った。
「ロコ。あんた、こないだから、何か、考えているね」
私は頷いた。
「シスター。かまどの、炭を、すこし、わけて、ほしい」
アガサは、刃物の動きを止めた。
「何に使うの」
「ヨナに、できなかったこと」
アガサは、しばらく、私を見ていた。それから、低い声で、ただ「うん」と言った。それ以上は何も聞かなかった。
彼女は、甕からこそげた黒い薄片には触れず、竈の脇に残してあった炭の欠片を、小さな布の上に集めて言った。
「これ以上は、少し待ってろ」
それは、私の手のひらに乗るほどの、本当に小さな分量だった。
だが、私の、まだ短い指は、それを、ちゃんと、つかむことができた。
炭は缶の中に大事に入れて、取っておく。
窓の外で、雨は、まだ降っていた。
私は缶を出した。一つ、また一つ。
シスター・アガサは、竈から取ってきたらしい炭を置くと、肘まで煤で黒くした手のまま、鶏小屋に行った。
[ドナト 了]




